思い出せること、髪を切ること

初めて自分の髪を切ったときのこと

思い出せるだけ書こう。

好きな人がいた。
彼女は私の友達で、同じ部活で、ほとんど友人がいない私にとっては奇跡みたいな人だった。
彼女は「一緒にいて楽しければ友達だよ」とか言えてしまう屈託のない良い人間で、私は友達とは同意の上で成立する契約だと思わないとやってられない面倒な人間だった。
もはや異文化交流みたいなものだ。
とても遠い、綺麗な星みたいな人だと思っていた。

彼女のことを好きになって悩んだし、そこに発展性がないことも分かっていた。更には自分のセクシャリティとジェンダーから目を逸せなくなった。考えることが山程あった。
彼女は男性にモテたし、私は友達という立場以外には決してなれなかった。

そんな色々な事情があってとにかくむしゃくしゃしていたのだ。適当な説明がつかないくらいには。

それは一種の自傷行為だと思う。
とにかく自分を壊したくて、無理矢理でも周りからの目を変えたくて必死だった。
思いつく限りの反抗だった。

それで髪を切った。

ハサミの音が気持ちよかった。
この、体を支配できる 初めてそう思えた。
私の意思が反映された行為に全能感を覚える。

父に似た硬い髪の毛が、足元に散らばっている。
踏むとくすぐったいけど嫌な感じはしない。
さっきまでこれが、自分にくっついていたのが不思議だ。
昨日まで私は女の子をやっていた。
自分と目が合う。
今私は女の子から降りて、男の子にもならないで、生きている。
変わらずに生きていることに絶望して、それから安堵した。

真夜中だったけど、夜行性の家族が風呂の扉を開けないか不安だった。後ろめたさがあった。
なんと説明したら良いのかわからなかった。
明日顔を合わせて何を言われるか考えた。
でも全部聞きたくないと思った。

鏡に映る自分が笑えた。
こんなに必死になって、思い詰めて、当たり前みたいに動くタンパク質よ。

長さが揃わなくて凸凹の後頭部を撫ぜ、心底満足して眠った。世界は何一つ変わらないのに、今までで一番納得していた。
もう夜明けの方が近かった。

次の日、兄と妹に若干(結構、かなり)引かれて、母は笑って、父は困惑していた。兄と妹は色々、やんや言いながら凸凹をちょっと直してくれて、次は美容院に行けよと言った。
みんな最初は驚きと忌避の反応を示したが、すぐに慣れた。

全部大したことではなかった。
あの瞬間の、あの感覚より本当のことはないと分かる。
信じられる自分というのを見つけてしまえば、世界は薔薇色なのだ。

自分の体を、自分が動かしているという実感が身体を復活させる。

私は今、一度奪われた身体を取り戻す過程にいる。
周囲に少しづつ奪われた、というか持っていることを教えられなかった体は幽霊のように「ない」ことになる。

現代には言語によって意味付けされるしか実体を持つことのできない体が溢れている。しかし実際にはそうではない。私たちは言葉の前にある、体を、取り返す。


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