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レオ・シウバ Part1

新潟移籍前にはアンデルソン・リマやJ経験者と相談した。
アンデルソンとは”新潟で上手く行くだろうか?”等色々話をしたが”上手く行くよ”と言って貰った。
彼にはとても感謝している。


J経験者からは既に日本の生活のクオリティを聞いていたし、Jリーグで選手として成長し自分の名前を刻めると思った。
親に先進国で過ごす機会を与えられる事も理由に、幾つかのオファーの中から新潟を選んだ。


日本と新潟のサッカーを知る為に休暇の丸1日を削り、当時の新潟の3試合をチェックしたよ。
“スピーディーなサッカー”ぐらいしか分からなかったから。
そして日本語も少し勉強していたから、チームに合流した時皆少し驚いてたね笑


新潟での最初の練習はとても苦労した。
とにかく滅茶苦茶速いんだ。
初日の練習後”とりあえず数日は皆が何をやってるのか練習場の隅っこで見学しとこうかな”って思ったよ。
それでも2,3日経つと慣れて練習、試合、リーグ戦...と全てが順調に行くようになった。


40°のブラジルから-6°の新潟に向かったんだけど、クラブの皆がとても温かく接してくれて快適に過ごせた。 何かに驚いたって事は一度もなかった。
リーグ戦が進むにつれ新潟の人達が更に僕を認めて歓迎してくれるようになり、日本語の勉強をもっとする様になった。
自分と彼ら、双方が上手くやれるように。


日本にはただプレイしてお金を貰うために来た訳ではなかった。
“常に全力を尽くした上で何かポジティブな物を残し、僕の良い部分をいつか誰かが思い出してくれたら”と覚悟を決めて来たんだ。
新潟に来る際皆に話したよ”よし、僕は自分の出来る限り全力を新潟で尽くす。そうなれば日本のトップチームでプレイ出来る日が来るかもしれない”と。


アルビレックスでの4年間は喜びに包まれ自分の人生に刻まれた。
僕が日本で学んだ事の一つに”どんなチームにいようが良いプレイをすれば評価される”って事がある。
Jリーグのベスト11に選ばれる等個人的なタイトル獲得した他にも、クラブの歴代ベスト11に選出される名誉にもね。


僕は新潟へ来る機会を与えて下さった神に日々感謝している。


日本帰化と日本代表、引退、鹿島、CWCレアル戦、日本の生活...等はPart2へ。

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