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谷山浩子さんのご夫君の訃報を聞く

私が好きなシンガーソングライターの谷山浩子は、中西さんという男性と結婚していた。

結婚したのはわりかし遅くて、39〜40歳の頃だ。初恋の人とパソコン通信で再会するという、少女漫画のようにドラマチックなものだった。ファンの人が昔から運営している「谷山浩子データベース」に詳細が載っている。

中西さんは浩子さんのサイト上で「N氏」と記載されており、ファンからも「N氏」あるいは「中西さん」と呼ばれていた。新宿でライブがある時などは、終演後に中西さんが車で浩子さんを迎えに来たりするという話だった。

年上のファンの中には、浩子さんが結婚した時、本気でショックを受けた人もいると聞いている。アイドルのファンのあいだで言われる「ガチ恋」みたいな人たちだったのかもしれない。

私が初めて谷山浩子のアルバムを買ってもらった13歳の誕生日、すでに浩子さんは結婚していた。

だから「誰それさんは浩子さんの結婚に落ちこんでた」なんて昔話を聞いた時は、ちょっと不思議な気持ちすらあった。幼い子どもが「自分の生まれる前から世界は存在していたのか」と初めて気づいた時のように。

浩子さんは若い頃に料理で何度か失敗したため、長らく料理をせずに暮らしてきたという。中西さんと結婚する際も「私は料理しないけど大丈夫?」と念を押したらしい。

そんな浩子さんは、なんと50歳をすぎてから料理を始めた。2009年のことである。

きっかけは「液みそ」だった。これを使えば簡単に味噌汁がつくれるため、まずは味噌汁だけをつくった(毎日いろんな具の味噌汁をつくってみて、夫がおかわりした時は今日の具が好きなんだなって、とライブのMCでおっしゃっていた)

それから浩子さんは若い頃の失敗(レシピを勝手に変える等)を生かし、ちゃんとレシピを見ながら少しずつ料理を覚え始めた。数年後、とうとう浩子さんは、中西さんからの誕生日プレゼントに包丁をリクエストするほどになったのだった。

浩子さんは「生き物は食べ物がないと生きていけない。料理ができないのは生き物としてどうなんだろう」と思っていたため、料理ができるようになってうれしかったという。

※このへんのエピソードについては以前、英語で書いた。

私はただのファンにすぎなくて、中西さんとはもちろん何の面識もなかった。それを言えば浩子さんとも面識は一切ないのだが(ライブで客席から見てるだけ)、中西さんのことはお見かけしたことすらなかった。

だから昨日、中西さんの訃報を知って、自分がこんなに泣くとは思ってもみなかった。

中西さんが亡くなる前日も、浩子さんは渋谷で3時間におよぶオールリクエストライブをこなし、亡くなった約2週間後も広島でオールリクエストライブを行った。それが終わってからようやく浩子さんは、夫を亡くしたことを報告されたのだ。中西さんが闘病中だったことも。

※オールリクエストとはその名のとおり、最初から最後まで客席のファンがリクエストした曲を歌って演奏する。譜面のない曲はゲストがその場でコードを書き取って演奏したり、思い出せない曲の場合は即興演奏したりという恐ろしいライブである。

ライブに参加していた友人知人からは「ライブ中に浩子さんが涙ぐんでたよね」「なんか浩子さんの様子がいつもとちがう」という感想が出ていた。なんてことだろう。そんな大変な時だったなんて。

私はひとりのファンにすぎなくて、中西さんとは面識がなかったし、浩子さんの家族でもない。家族として寄り添うことも、悲しみを一緒に乗り越えることも、身の回りのあれやこれやを手伝うことも、私にはできない。

私は浩子さんに何もできないんだけど、ただ悲しいし、今も泣きながらこれを書いている。中西さん、まだ64歳だったのに。早すぎる。