ヒステリックな女教師の思い出①

※ 高校に勤めていた頃のことを思い出して書いております。

 私がいたX自治体の高校では、各校で「校長面接」というものをやることになっていた。
 これは、3年前からその自治体の教育委員会が号令をかけて始めたことである。普通学期に1回ずつ年間3回行っていて、3学期の場合は、それぞれの教員が書いた「自己申告書」という年間の目標や成果などが記された書類をもとに、校長室で校長と教員があれこれ話をする。
 その年から従来の教頭のことを副校長と呼ぶようになり、その副校長も面接の場にいるが、概ねだいたい校長と教員の話し合いを聞いているだけだった。たまに口を出す場合もあるが、校長が言い忘れているあまり本質的ではない細かいことなどが多かった。
 校長と話すのは、公式的には「その年の目標や成果が達成できたか」「来年はどんなことを目標にしたらいいか」等々なのだが、校長のキャラクターによって雑談が増えることもある。
 話す場所はもちろん校長室。額縁に入った歴代校長の写真が壁にかけられているなかなか厳粛な部屋だ。
 この「校長面接」や「自己申告書」は、教員の間ではどうも評判がよくなくて、形式的で教育の質の向上に役にたっていないという意見が根強い。もちろん校長が聞く耳の力に優れたコミュニケーション能力の高い人であればいい方向に生かせる可能がなきにしもあらずなので、要は校長次第とも言えるのだが。
 「校長面接」や「自己申告書」が始まったのと同じ時期に、県の教育委員会の通達により職員会議で多数決をとってはいけないことになった。そのせいで、どうも職員会議の意義がうすれつまらない伝達式のようになった。こちらは明らかに教育活動にとってマイナスだと考えている教員の方が多数派である。
 この年の3月、ぼくがいたQ高校で、大神先生というこの県の校長としては比較的若い50代前半の男性の校長先生との校長面接が終わりに近づいたところで、なんだか気になることを言われた。
「沢田さんはかなり前にP高校にいましたが、その頃にP高校の校長さんだった軽部先生という方が、今教職員研修センターで学校経営アドバイザーという立場になっています。それで、その軽部先生が会って話をしたがっています。そのうち、電話がかかってくるかもしれません」
 口調は事務的だったが、どうも意味ありげな感じがした。校長は縁なし眼鏡をかけているのだが、それが光ったような気がしたのである。でもそれは気のせいかもしれない。
 学校経営アドバイザーというのは60で定年退職になったあと、自治体の嘱託として勤務する職で、教職員研修センターというところにいて、各学校の管理職に学校経営についてアドバイスするのが仕事。退職した校長が65歳になった年度の3月まで務める職だ。
 それにしても、今になってなんの話をしたいのだろうか。9年前の対教師暴力事件では何回か校長室に呼び出されて話をしたが、あれに関しては加害者の生徒を学校に残すことにしたおかげなのだろうか、その後トラブルにはならなかった。
 あれ以外ではあまりたいした話をしたこともなく、なんの心当たりもない。
「どういう話なのか言っていましたか」
「うーん、私はよくわからない。たぶん電話がかかってくると思うから、その時聞いてみたら」
「わかりました」
 このやりとりでは、副校長はまったく口を挟まず黙っていたが、熱心に聞いているような雰囲気はあった。副校長は背が低く黒縁のメガネを掛けた神経質そうな感じの人で、山田という苗字だった。
 山田副校長は校長の前ではできるだけ口数を少なくして、余計なことを言わないように気をつけていたようだった。

※ 次の話→ヒステリックな女教師の思い出②

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