自分はワキガ男 ―意外にもコロナ騒動によって克服―

 高校生の頃から延々困り続けていたワキガ体験を綴ります。
 手術等いくつか対策を講じたけどなかなかうまい方法が見つからなかったのですが、コロナ騒動によってうまい対策が見つかりました。
 「コロンブスの卵」と言ったらいいのか「ひょうたんから駒」と言ったらいいのか、自分にとってはわりあい意外な経験でした。
 そこに至るまでのワキガにまつわる個人史を書いていきます。
 以前、予備校で世界史を教えていた頃、通史の他に各国史・テーマ史を扱う時間があったのですが、この原稿を世界史と同じようなくくり方で扱うと、個人史の中の「テーマ史(ワキガ編)」ということになると思います。
 高校時代からつい最近までのワキガに悩まされ試行錯誤した体験を順を追って書くことで、どんな見方や対応策があるのか、それぞれの見方・対応策の長所・短所をできるだけ実体験に基づいて書きます。
 みなさんの参考になると幸いです。
 
 自分はワキガ男
―意外にもコロナ騒動によって克服―

 サマーキャンプ

 自分が人から「くさい」と言われたのは、高校一年の頃にサマーキャンプに言ったときがたぶん最初だったと思います。
 小学校の頃は今一とろかったのでしょう。学校の級友から「のろまの~(本名を略した言葉)ちゃん」などと言われていました。それから中学の頃は、やはり学校の友達から「短足」なんて言われていました。でもそれらは、他の子もそれぞれいろいろと言われていて自分だけ特にいじめられていたわけでもなく、そんなに気になりませんでした。
 でも、この「くさい」というのはけっこう気になりました。「のろま」「短足」などに比べると独特の嫌な響きがあり、なんと言うか自分の居場所がないような気持になります。
 それ以来、宿泊行事とか教員をやっていて担任を持つなど同じメンバーで長時間同じ場所にいるという状況になると、この「くさいという批判にさらされる」という現象に悩まされることが多くなります。
 それまでは「くさい」というのは言われたことがありません。宿泊行事には小学校の頃から時々参加していました。小学校の4年か5年の頃、「三浦の移動教室」という学校の宿泊行事に参加しましたが、なんとも言われませんでした。でもこれは2泊3日くらいの短いものだったのであまり参考にならないかもしれません。
 その後、5・6年の時期は、中学受験のための進学教室で何回か勉強合宿に行きました。これは、1週間くらいの長い行事で、その間同じ部屋に同じメンバーでいるので、くさければそういわれたはずなので、その頃はまだくさくなかったのだと思います。
 それから、中学は私立の男子校に行き、その学校は修学旅行がないかわりに冬に団体訓練と呼ばれる全校で4泊くらいのスキー合宿に行く行事があったのですが、その時も言われませんでした。
 思春期になると、ワキガの元になる汗を分泌するアポクリン汗腺が活性化し、臭いを増幅させる装置の腋毛が生えてきます。ワキガ体質でも、思春期のある程度の年齢にならないとくさくならないようです。

 そのサマーキャンプは、小学生から高校生までがアメリカンスクールの近くにある空き地にたくさんのキャンピングカーを止め、そこで生活しながらアメリカンスクールに通って外国人の先生から英語でスポーツとか芸術などを学ぶというものでした。
 家でとっていた『子ども新聞』に広告が出ているのを見て父が薦めてくれたので参加しました。
 父は中央官庁のお役人で、語学に自信がなかったのが原因だったのでしょうか、海外勤務の経験がない人でした。そのせいなどもあったのか、高校生くらいから語学に慣れ親しんでおくと息子の将来にとっていいと思ったのでしょう。こうしたものに参加を薦めてくれて、お金も出してくれました。
 1週間くらいのキャンプで、広告には一日中英語を使って生活するということが謳われていましたが、アメリカンスクールでは英語を使い、キャンピングカーに戻ってくると日本語を使っていました。
 夜は、ミーティングがあり、誰かのキャンピングカーに集まっていろいろと話をしていました。大学生のお世話係のアルバイトの方が中心になってそのキャンプを仕切っていて、正社員らしき人は一人くらいしかいませんでした。大学生が適当に仕切りながら、「どうすれば英語が話せるようになるか?」「自分の個性を人に認めてもらうにはどうすればいいか?」なんてけっこう大真面目に話をしていました。
 自分は男子校に行っていて同年代の女の子と話をしたことがなかったので、そういう意味でも楽しい経験でした。
 キャンピングカーは結構広くて3人分のベッドがあり、夜はそこで寝ていました。
 あるとき同年代の高校生の女の子が、「今日もミーティングをやるみたいよ」なんて言って自分がいたキャンピングカーに呼びに来てくれたときに「何このにおい」と言われました。女子高校生というのは、よく「父親のパンツを洗濯機に入れるのにはしでつまむ」なんて言われますが、そうしたにおいには敏感な年頃だと思います。また一般的に言っても、異性のにおいの方がよく気がつくようですから、最初に言い出したのが同年代の女子高校生だったのはありがちなことだと思います。
 その後、別の時に指導員をしている大学生のアルバイトの男性からも「この車はスメル・バッドリー(嫌な臭いがする)だな」と言われました。
 その車では、3人の高校生男子が暮らしていたのですが、どうも自分のいる方から臭いがただよってくる。ということがわかり、けっこう嫌みを言われたりしました。でも、男子3人は毎日一緒に風呂に行っていたので、他の2人から「ちゃんと風呂に入ってる?」なんて言われることはなく、どうしてにおうのか原因がわかりませんでした。
 言われ始めたのがキャンプの期間の終わり近くだったこともあり、対策を考える時間もなくその行事は終了しました。
 後に「女性(特に思春期・更年期)」「長時間」「狭い場所」がワキガ者の3大鬼門だと考えるようになるのですが、この時すでに三つとも登場しました。とにかく宿泊行事だと同じ部屋に同じメンバーで長い時間一緒にいるので「長時間」と「狭い場所」は必ずあてはまります。そして、男子だけの行事でなければ「女性」も登場します。
 なお、臭いのことを除けば、そんなに悪く思われていなかったようで、女の子たちと住所や電話番号を交換しましたが、遠くに住んでいる子が多く、つき合うことはありませんでした。

 将棋部の合宿

 その後、高校1年・2年の冬にも自分の通っている私立の男子校では「団体訓練」という、みんなでスキーに行く行事があり、同じ部屋に同じメンバーで1週間くらい宿泊しました。でもその時は「くさい」とは言われませでした。宿泊行事なので「長時間」と「狭い場所」はあてはまるのですが男子校で女子がいなかったのがよかったのかもしれません。

 大学に入ると将棋部に入りました。
 将棋は小学校の高学年の頃からやっていて、大学生になった時点では一番の趣味でした。
 大学に文化部棟という名前の3階建てコンクリ―打ちっぱなしの建物があり、その2階に部室があって、そこに集まっては将棋を指しながらいろいろな話をしていました。女の子の話もしたし、試験前になれば試験対策の話とか、就職活動のシーズンになると先輩がどこに就職したとか、それなりに学生っぽい話をしていました。
 将棋部にも合宿がありました。
 合宿と言っても運動部みたいに朝早く起きて走ったりするわけではありません。
 夜には麻雀をしたりコンパをしたりしますが、それ以外はたたみの部屋で将棋ばかり指していて、お年寄りの慰安旅行のようなことを若者がやっていると言っても間違いとは言えません。「朝早く起きてみんなで海岸だか山道だかを走る青春ドラマ」みたいなイメージとは全然違う変な部活でしたが、それが楽しかったのを今でもたまに思い出します。
 女性の部員は一人だけいる時期と一人もいない時期がありましたが、とにかく極端に少なく、男子校のような世界でした。
 大学2年の夏でした。
 合宿の最終日、酒を飲んだりしながら将棋を指しているところに4年生が入ってきました。その先輩は、率直にずけずけものを言う人で、その時も感じたままを言ったのでしょう。「この部屋はくさいぞ」と言いました。みんなは、少し驚いて先輩の方を見ました。
 そして、しばらく先輩は誰かが指している将棋を見ていましたが、「これは筒美(筒美はペンネーム。当然のことながら本当は本名を言われた)の方から匂ってくる」と言いました。
 「やはりそうなのかな」と過去の経験を思い出したりしましたが、なんと答えていいかわからず黙っていました。
 その後別の先輩からも言われ、「風呂にはちゃんと入ってる」「入ってます」「そうか、おかしいな」といったやりとりがありました。
 大学生の時に指摘されたのはこの時だけでした。その頃、インターネットは一般的には使われていなくて、今のようにいろいろな情報があふれているわけではありません。
たまに電車の車内広告や週刊誌などで「ワキガの悩みは解消!」なんていう広告を見ましたが、なんとなくインチキっぽい感じがして真面目に検討しませんでした。
 幸か不幸かあまり気にすることもなくなんの対策も講じていませんでした。

 塾・予備校講師時代

 その後大学院に行き、そしてちゃんと就職せず大学院の頃にアルバイトでやっていた受験産業が本業になりました。
 予備校講師や学習塾講師をして、それで1週間埋まらないと家庭教師もするという状況でしたが、当時は受験産業が儲かっていた時代でそういうフリーターのような勤務形態でも年収約6~700万もらっていて、将来の考えとしては、予備校講師として人気が出たらそれで一生やっていくし、駄目だったら中学・高校の英語の教員免許を持っているので教員試験を受けて学校の先生になるつもりでした。
 この時代は、臭いのことで何か言われることはありませんでした。
 「女性」「長時間」「狭い場所」の三大鬼門にあまり出会わない勤務形態だったと思います。
 予備校は大教室で1週間のうちの90分くらいしか同じ生徒たちと一緒にいません。
 塾の方が教室は狭いのですが、1回の授業が約2時間で同じクラスに行くのは週に1回か二回なので、1週間のうち約2時間または4時間しか同じクラスの生徒と一緒にいません。
 家庭教師が一番生徒に近い距離に長時間いるのですが、女の子を担当するのは1回だけで、それも思春期になっていない小学生でした。
 ですから、ワキガに関しては欠点が目立たない勤務形態でした。
 でも仕事の成果はイマイチで、一応名前の通った大手予備校で教えてはいたのですが、30過ぎになってもあまり人気が出なかったので、教員採用試験を受けることにしました。教員免許を持っていたのが英語だったので、高校・英語で試験を受け、運よく1回の試験で合格できて自分の住んでいた地域のQという自治体の教員になりました。

 洋上研修

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