AMVの歴史

YouTube上でAMVにエモラップやクラウドラップを乗せた動画を投稿するチャンネルが2016年頃から数多く出現し始めた。AMVという単語を知らないヒップホップリスナーでも"デーモンAstari"や" TRASH 新 ドラゴン"の動画をみたことがある人は少なくないだろう。

AMVはYouTube上に数多く投稿されているが、これらのチャンネルで用いられるAMVは従来とは異なる性質を持っている。二次創作として、好みのアニメや音楽を再編集してその技法や嗜好を共有するという従来の目的だけでなく、インディーアーティストにとっての手軽なプロモーション手段としてAMVが活用されている。SoudCloud上で活動するラッパー達にとって、魅力的なイメージとともに登数万人~数百万人のYouTubeチャンネルに曲が紹介されることは、コストをかけて撮影した自前もMVよりも効率的で有効なプロモーション手段であるというわけだ。

AMVとトラップミュージックが結びついた経緯を追うために、今回はAMVの歴史を大まかにさらってみたいと思う。


AMVとは何か

AMVとは文字通りAnimeMusicVideoの略であり、日本のアニメ映像を再編集して音楽を乗せたミュービデオのことである。

AMVの歴史については、AMV JAPANというコミュニティサイトでまとめられているためここでは完結に整理する。


・1980年代、アメリカで流通していたファンサブテープ(日本から入手したアニメのVHSをコピーし字幕を付けたビデオ)の作成者が、余った録画時間を埋めるためにAMVが録画を録画した。そのファンサブテープの流通とともにAMVが広まった。

・1990年代、AMVの流行とともにアニメコンベンションでAMVコンテストが行われるようになり、”音ハメ”や”リップシンク”のような技法が開発される。また、「Premiere」や「Final Cut」といったソフトの登場でリニア編集が可能となり、AMVエディターが急増することとなる。

・90年代後半から、インターネットの普及が進んだことでアメリカのAMVエディターたちは作ったAMVを自分のウェブサイトで公開するようになる。そして2000年に、AMV専門のウェブサイトであるAMV.org(AnimeMusicVideos.org)が設立される。AMV.orgの登場により、大規模なコミュニティが形成され、AMVが世界的に広まることとなる。

・2010年代、YouTubeの普及により、AMV.orgのような大規模コミュニティに所属せずにAMVエディターとして活動することが可能となった。またそういったエディターたちの一部は、Discordを用いて、ミュージシャンやプロモーターとともに新しい形態の小規模コミュニティを形成しはじめた。


これらを整理すると、AMVというのはもともと同人活動の文脈から発生したもので、著作権侵害と文化の流行についての問題と深く結びついていたということがわかる。これについては別の記事で深く考察する(予定)。

また、2010年代に登場したDiscordを中心としたコミュニティの中には、自らの編集技術を披露すること以上に、SoundCloudで見つけたラッパーを紹介することに興味を持ったものがいた。そういったコミュニティによって現在の”TRASH新ドラゴン”に代表されるようなYouTubeチャンネルが誕生したということだ。


第1回:1980年代前期「AMVの誕生」
第2回:1980年代後期~1990年代中期「ファンサブテープとAMVコンテストの登場」
第3回:1990年代後期~2000年「ケビン・コールドウェル」
第4回:2000年代前期「AnimeMusicVideos.orgの登場」

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