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労働と鍛錬4『心臓病の体験:労働はいかにして身体を劣化させるか』

『労働と鍛錬』について3回書いてきましたが、今回は私の体験談です。まぁ、お付き合いください。
四十代で心臓の血管に血栓ができ、ステントを入れる手術をした。
「若いのに・・・」とかいろいろ言いたいことはあるでしょうが、それは一旦無視して進める。具体的にいうと心臓を走っている大きな静脈3本の内2本がほとんど塞がってしまっていた。運良く別の血管が偶然にもその塞がってしまった静脈2本の近所を通り、詰まった2本の役目を果たしてくれていたらしい。その偶然もあって私は命拾いしたらしいのだ。その血栓の除去に関しては、カテーテルを入れてニトロを血栓に目掛けて発射し取り除くことができた。手術の様子は今回の本題ではないので避けるとする。

まぁ、以前からかかりつけの医者には悪玉コレステロールの数値が高いと警告を受けていたが、自覚症状がなかったので私はずっと安心していた。自分なりには一応気を付けていたんだが、一向に数値が改善される気配はなかった。
しかし、ある時、症状が出始めた。突然、少し歩くと息がゼーゼーして、しばらく休憩しないと歩くことさえままならない。少し歩いては苦しくなり、しばらく立ち止まる、その繰り返しという状態になった。つまり、ついに血管が塞がってしまったんだ。
私は現代の医療技術に感謝したよ。大した手術も無しに、現在では私は後遺症もなく暮らせている。ただ心臓の血管にステントと呼ばれる金属のチューブが入っているため、私は毎朝9錠の錠剤を飲み続けなければならない。血が固まらないようにする薬と諸々だ。これがないとステントの周りで再び血栓ができるらしい。これが私を一生涯病人として縛り付けている。
私の経験を長々と話したが、要するに私は皆さんが思う以上に自分の肉体に不安を抱え常に死を意識するようになったことをご理解いただきたい。いつも死が私の隣に座っている感じだ。そして少しの距離をおいて私に笑いかけてくる。今はとってもいい奴で私と死はうまくやっている。本題はここからです。主題は『労働と鍛錬』の話ですから。

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『健康に良いと称される食べ物が、人間を健康に変えるわけではない』という事実を認めなさい。これは労働と鍛錬にも通じることです。

私は心臓の手術を受ける前から、掛かりつけの医者にコレステロールを下げる薬を与えられ、運動をするように再三警告されてきた。
ある時から身体が回復しなくなった。運動しても、食事制限をしても、寝る前の二時間は食事を絶ってもね。勿論、健康に良しとされる野菜を食べ、水分補給も充分にしたさ。食事制限をして、週末には運動をする。身体やコレステロールや脂質の燃焼の事ばかり考えるようになっていた。仕事の帰りには最寄り駅ではなく、一駅前の駅から歩いて帰宅した。まぁ、完璧ではないまでも努力はしていた。
でも改善はしなかった。それでは完璧でないと言ってしまえばそれまでだが。改善しなかった結果はさっき話したとおり、心臓の血管が詰まり、手術をすることになった。
手術後、薬は毎日9錠飲むようになった。私は病人認定された人間なので、私の努力に関係なく、「薬で病気を抑え込む」と医者は宣言した。だからびっくりするくらいの量の薬を飲むことになった。ただ、私なりにも改善を試みたさ。食生活では私なりに更にいろいろ見直した。寝る直前に食事をとることがよくないので、寝る二時間前には夕飯をたべるようにしているし、食事制限もしている。以前からの運動の習慣も続けたし、仕事帰りは一駅以上歩くことも続けている。
結論から言うとそこまでやっても依然検査結果は悪いままだった。数値は一向に改善されない。その理由が師の現代労働理論の中にあると思う。

悪かったのは私の行動ではなく、労働だったんだ。労働は生命を物質へと変えてしまう。労働することですべての物は劣化する。それに対し、鍛錬は人間が生み出した叡智であり、進歩や飛躍の象徴である。

労働をなくさない以上は健康にはならない。労働は人間にとって悪そのものなのだ。労働礼賛とは悪魔信仰そのものなのだ。
労働と鍛錬は科学的な事象は同じくらい確実な事実ではないか。
「どうしてそんなにその二つを区別したがるのか」と疑問に思っている方々も多いだろう。
肉体を動かせば、当然の結果としてコレステロールは減るさ。要するにエネルギーが消費されるのだからな。でも、実はそのことは科学的な事象ではなく、精神的な働きの結果生み出されるものである。
労働は善玉コレステロールを減らし、鍛錬は悪玉コレステロールを減らす。
同じエネルギー消費という事象だが生命にとっては全く別物の事象であり、別の結果をもたらすのである。
実際問題として仕事を『労働』と捉えてしまうと、労働から離れるのは現代では至難の業である。ストレス自体があらゆることを『労働』へと変えるのだから。スポーツも労働となり、娯楽も労働となり、趣味も労働になってしまう。
しかし、『鍛錬』ならばすべての行為は成長へとつながる。
つまり、仕事というものを労働と鍛錬に分解できれば人間の生活は劇的に変化するでしょう。労働と鍛錬が半々ずつなら、労働による肉体の劣化速度は半分になり、かつ鍛錬によって肉体は健康になる。つまり劣化は意識によって抑えることが出来るのだ。
労働ではなく、鍛錬をしよう。労働を放棄し、鍛錬を行おう。労働から自らを解放しよう。労働は己を劣化させる。鍛錬は己を成長させる。労働と鍛錬に実質的な差異はない。その差異は己の精神の問題に他ならない。

◇◇東京ハバナの理屈の想定外のコーナー◇◇
東京ハバナです。手術に関しては面白い話はいっぱいありますが、それはまたの機会にします。手術室に入る私はまるで死刑執行室へ運ばれるくらい緊張していたし、病室が満杯だったため、ずっとICUにあるベッドで入院することになったし、そこで聴いた先生方の会話も恐ろしかった。私だけでなく、あらゆる人々が人生いろいろなのだ。歳を重ねるというのはそういうことなのだ。これは誰も避けられない。
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