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当たり前のことは、失ってから気がつく

どうも。家庭内では、私がお風呂を掃除することが当たり前になっているソーシャルワーカーです。

私が当たり前にしていること

呼吸すること
考えること
話すこと
食べること
歩くこと
掴むこと...

日頃の生活で、当たり前にできて意識することないこと。


先日、脳梗塞の後遺症で、麻痺が残ってしまい歩けなくなってしまった患者さんとお話をしました。

患者さんは「ちっちゃい子も歩けるのに、自分の子供にも歩き方を教えていたのに、いざ自分が歩けなくなると”歩くこと”って難しいね」と。

その患者さんに言わせれば、歩くことは、当たり前のことであり、失う事を夢にも見ていなかった。

歳を重ねたことでの歩行機能の低下であれば、徐々に歩けなくなるので、予測もできる。

お金だったり変動するものに対してであれば「無くなるかもしれない」と事前に貯金をしたり、消費を減らしたり、何かと対策を練ることが出来る。

でも、先述の歩くことや話すことは、今の私にとっては、当たり前がゆえに、出来なくなったことの対策を考えることはない。

私自身の当たり前になっていることをもう一度見直してみたいと思います。

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