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おもち食べ放題日誌 第1回『僕たちの嫌いな先輩』

大学3年のとき、演劇サークルで2回自分で脚本を書いて演出をした。
1回目はサークル非公式の身内向け発表会のようなもので、稽古時間が取れないという理由で上演前にお蔵入りになった。内容は、教室内で嫌いな先輩の悪口を言い合う後輩たちが「こうはなりたくない」と言いながら嫌いな先輩たちと同じようになっていくという、暗いというよりは性格の悪い話だった。タイトル『僕たちの嫌いな先輩』。そのまますぎる。
自分たちも嫌いな先輩のようになっているのではないかと気付いた主人公が、今後後輩たちとどう接していくか、どちらとも取れるようにした終わり方が気に入っており上演しなかったのはもったいなかったなと今でも思っている。

2回目はサークル内の新人歓迎公演で、同じ「嫌いな先輩」というモチーフで設定を大幅に変えてシチュエーションコメディにして上演した。
作品としてはそこそこウケたし好評だったが、気に入ったネタに限って全くウケず、当時この人にだけは認めてもらいたかったという人には一ミリも褒められないうえ開場中の音楽にダメ出しされたため、やらなきゃよかったと心底思った。

当時大学のサークルに在籍しながらアガリスクエンターテイメントというコメディ劇団によく客演していた私は、大学中退を機にその劇団に入団。5年ほど劇団員としてコメディやコントを作っていた。
そこは演劇公演のほかにコントライブなども企画しており、結局やらなかったが一度「劇団員がそれぞれ一人芝居を上演する」という企画も持ち上がった。
当時在籍していた俳優は自分含め4名。主宰兼作家からもしやるなら私とほか2人は自分で台本を書き、残りの1人はその主宰が書き下ろすと言われた。理由は私とほかの2人は過去に台本を書いたことがあるから。「自分で書けるなら自分で書いたほうがいい」とのことだった。

今では珍しくない小劇場俳優の個人企画。フリーや劇団所属に限らず俳優が自らプロデュースし劇場を押さえ人を集める。これはあくまで個人的な主観だが、劇団の旗揚げとも違う、カンパニーではないからこその自由や制約、その中でどうやりたいことを実現するかが個人企画の魅力の一つだと思っている。

私がアガリスクに客演し所属していた2010年代前半は、個人企画といえば一人芝居のようなイメージがあった。脚本演出を招かず自ら書いて自ら演出し自ら演じる。それが「個人企画」というものだった気がする。あくまで自分の中で観測していた範囲の話なので、詳しく調べれば今とそんなに変わらないのかもしれない。
個人企画に漠然とした憧れがあった私は、自分で書けるなら自分で書いたほうがいいという当時の主宰の言葉と、やるなら自分で書いて演出しないとダサい気がするという根拠のない足枷を付けて、「いつか書きたいことが見つかるかもしれない」といったん個人企画願望をタンスの奥にしまい込んだ。

結論からいうと書きたいことは見つからなかったし、そもそもそんなものはなかった。
ツイッターにイラストや漫画をあげているからか、周りから書ける人と勘違いされることが極稀にある。当時の主宰もそう思っていたから自分で書くよう言っていたんだと思う。なんなら私自身も「書けるやろ」という本当に根拠のない自信があった。
まあ、書けるっちゃあ書けるんだけど。オリジナルの漫画もネットに上げてるし初めていうけどネットにあげてない漫画もクロッキー帳やアイパッドの中に存在する。だけど演劇の脚本は書けない。
書けないというか、自分の書いたものを演劇にすることに対してあまり興味がなかった。
演劇に関して私は人が書いたものを演じたいし、漫画はどちらかというと自分の頭の中のものを吐き出す作業に一番適しているから描いている、創作というより誰にも迷惑をかけない発散に近い。
そのことに早い段階で気づきながらも、私は自分で書いたほうがかっこいいという死ぬほどダサい足枷を鍵が自前であることも見て見ぬふりしいつまで外せずにいたのだった。

2019年、アガリスクを退団し現在所属している日本のラジオの構成員となった私は、早稲田である公演に出会う。

次回『アフター塩原ジャンクション』


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