投資銀行の給与

前回は投資銀行部門のビジネスに関する記事を書いたが、本稿では給与水準に関して考えてみたい。良く知られていることではあるが外資系投資銀行は非常に高給である。勿論部門によって異なり、また景気によっても大きく異なるが目安としては投資銀行部門であれば新卒数年目でも1000-2000万円、30歳前後であれば2000万円-4000万円、30代後半以上であれば場合によっては1億円を超える報酬が出ると言われている。金融危機の直前の2007年の好況期には、投資銀行の雄であるゴールドマン・サックス(以下GS)の平均給与が66万ドル(当時の為替レートで7,800万円)を超えて話題にもなった。またビジネスゴシップ系雑誌やインターネットを覗けば幾らでも外資系投資銀行の給料にまつわる逸話が紹介されている。本稿ではそういった憶測や根拠のない噂を排除し、客観的なデータに基づいて本テーマを考察していきたい。

【売上高はGSも野村HDもどちらも変動が激しい】
図1にGSと日本を代表する投資銀行である野村ホールディングス(以下野村HD)の財務指標を比較したものを示している。(尚、野村HDはリテール事業があるのに対しGSは無いため、Apple-to-Appleの比較にはならないが、それを承知の上であえて強引に分析をしている。)具体的には過去15年の両社の売上高の推移を上段に、それを売上高人件費比率、従業員数、従業員当り人件費に分解したものを下段に示している。(このように何らかの指標を更に細かく分解するのは分析の定石であり、それによって「渾然一体となったもの」が意味のある要素に切り分けられる。)

まずは売上高。両社とも売上高はいずれも過去15年間で伸びているが非常に変動は激しい。99年度と比較しリーマンショック直前の07年度は2.0~2.5倍の売上高になっている。一方、金融危機が起きると両社ともにわずか1年で売上高は半減し、その後は変動はあるものの回復している。(当たり前だが「利益」ではなく「売上高」が1年間で半減するのは企業にとっては未曾有の事件である。)一般に外資系の方が業績の変動が激しいイメージがあるが、この売上高推移からは両社の変動は大きくは変わらないことが分かる。

【GSは給与を調整することでに人件費を変動費化している】
では次にこの売上高を給与という観点から分解するとどのような絵姿が浮かび上がってくるだろうか。結論から言うと、GSは給与水準を売上高に合わせて調整することで人件費を変動費化し売上高人件費比率を一定に保っているのに対し、野村は売上高によらず人員数も給与水準を変えないため結果として人件費比率は大きく変動している。まずはGSから見ていこう。まずは当社の人件費比率であるが、徐々に減少傾向にはあるものの野村HDと比較すると明らかに安定している。売上高が変動しているのに人件費比率がほぼ横ばいということはつまり人件費が変動費的に扱われていることを意味している。本来は人件費は固定費の代表選手のような費用だがGSの場合は売上高が増えれば人件費はそれに合わせて増えるし逆に売上高が下がれば人件費も下がっている。ではどうやって人件費を調整しているのか?従業員数を減らしているのか従業員一人当たりの給与水準を変えているのか?答えは後者である。

外資系投資銀行と聞くと「ある日突然呼び出されて首を宣告される」といったイメージがあるし、実際それは部門によってはそれが起きるが、少なくとも今回の分析を見る限りはそれはあまり正しくない。GSの場合売上高が半減した08年度に人員数は殆ど減っていないことが分かる。つまりGSは従業員を首にすることで人件費を変動費化していた訳では無いのである。売上高が半減しそれに合わせて人件費も減少しているが従業員数は変化していないということは、そう、給与水準が半減したのである。07年度に一人当たり7,800万円の給与が支払われていたのに対し、リーマンショックが起きると一気に4,000万円にまで減少している。つまりGSは給与を変動させることで人件費比率(ひいては営業利益率)を一定に保っているのである。

【野村HDは給与も人員数も固定的なため人件費比率が大きく変動】
一方の野村HDは全く異なる構造になっている。給与水準は2,000万円で非常に綺麗に横ばいになっており、人員数もほぼ一貫して上昇している。尚、08年度の急上昇は北米を除くリーマン・ブラザーズの事業を買収したことによるものである。(余談ではあるがリーマン・ブラザーズの日本法人の社員は金融危機の前後に投資銀行部門を中心に相応の数が当時日本での活動を強化していたバークレイズ・キャピタルに転職をした。当時、リーマンは六本木ヒルズにバークレイズは大手町に入居したがその後バークレイズは六本木ヒルズに移転したため、結果的に「会社名は異なるが勤務地も人も同じ」という状態になった。)前述の通り人件費比率の分母である売上高はこの期間に大きく変動しているにも関わらず分子を構成する給与水準も従業員数も一定の動きをしているため、当然人件費比率は大きく変動する。02年度から06年度に掛けては10ポイント以上低下し、その後金融危機の影響で売上高が半減したときも給与も従業員数も変えていないため、人件費比率が急激に上昇している。因みに売上高が半減した08年度は野村HDは7,790億円の営業赤字となっている。

このような両社の異なる給与ポリシーの結果として利益率の推移は大きく異なっている。図2に両社の売上高に占める人件費、その他費用、営業利益の構成を示しているが、GSはコストの半分以上を占める人件費を変動費化しているため、売上高が半減した08年度であっても10%超の利益率を確保している。一方、野村HDの場合同期の(固定費化されている)人件費比率は70%超を占めており結果として営業利益率は-117%となっている。

【野村HDの方が給与に対する付加価値が高い、とも言える】
さて今度は効率性という観点でコスト構造を考察したい。人件費率が野村HDの方がGSよりも高いことが図1から分かったがこの逆数、即ち人件費当たりの売上高つまり「企業は1のコストを従業員に投入したとき従業員は『何倍返し』してくれるか」という指標で考えると野村HDの従業員の方が効率が良いことを意味している。直近の13年度であれば、GSの社員に1,000万円を渡すと彼らは2.7倍返しの2,700万円にしてくれるが、野村HDの社員であれば3.5倍にしてくれる。要するにGSの社員は野村HDと比較して出している付加価値に対して給料が高いのである。今は人件費ベースで議論していたが、図3には従業員ベースにしたもの、つまり従業員一人当たりの売上高(付加価値)を示している。従業員当たりで見るとGSの方がやや上回っているが、GSと野村HDの給与の違いである2~3倍ほどの違いはない。良く外資系投資銀行の関係者は「うちは一人当たりの付加価値が高い」と言っており、確かに野村HDよりは高いが言うほど大きな違いはないのである。

ではなぜGSはそれで事業として成り立つのか。それはGSの事業は野村HDと比べて人件費以外の費用が掛からないからであり(図2)、つまり事業構造が違うからである。野村HDの場合は個人を相手にしたリテール事業などを持っており、それらは人件費以外の費用が掛かるため収益性が悪くなってしまう。野村HDの社員が付加価値の割りに低い給料で働いても、それ以外のコストが多く発生するため結果として利益水準はGSよりも低いのに対し、GSは人件費以外のコストが余り掛からない、つまり美味しい法人事業に特化しているため、高い給料を支払っても利益率は高いのである。つまりGSの方がより良い「事業立地」に特化しているのである。この節では長々と文章を書いたが、要するに「GSは儲かるビジネスをやっているから給料も高くできる」という小学生でも分かることを言っているのである。

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投資銀行の人件費という人の目を引きやすいテーマを分析的な手法を用いて考えてみたが、いかがであっただろうか。今回の分析は誰でも取得可能な外部データしか用いていないが、実はGSは従業員数をリーマン前後も余り(全社としては)減らしていないこと、野村HDは金融危機だろうと何であろうと(やはり全社としては)給与水準を変えていないこと、GSの一人当たりの付加価値も野村HDと比べてそこまで高くないこと、など様々なことが判明したのではないだろうか。分析を正しく行えば外部データだけでも十分に面白い知見が生み出せるのである。

出所:Speeda、各社IR、筆者分析

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