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「春琴抄」について

「何卒わたくしにも災難をお授け下さりませ」
昭和8年、「鵙屋春琴抄」という小冊子を元にして、谷崎潤一郎は春琴抄を書いた。幕末から明治にかけて、主従でもあり師弟でもあり相弟子でもあり、かつ実際上の夫婦でもあったひとくみの男女の、異様な至福に慄える人生の悲劇である。

詳しい内容については
https://ddnavi.com/serial/470958/a/
こちらを参照していただきたい。

春琴抄と言う作品を、音楽化するにあたって、作品のどのような部分を切り取るのか、そこが1番の課題であった。春琴の耐え難い受難の場面を、描写的に表現することも考えたが、本質はそこではないだろう。私がこの作品で最も惹かれる部分は、耐え難き受難を二人で分かち合い、それによって今まで得ることのできなかった、共通のクオリアを得た部分である。
春琴と佐助はこの事件以前から、共同体的関係を構築していた。ただ、視覚という感覚が春琴に備わっていなかったため、完全なるアメーバにはなり得なかった。
そこで佐助が視力を失う。それは、今まで欠けていたパズルのピースがはまるような体験であったに違いない。我々が住む世界とは永遠に交わることのない、誰にも干渉されない極楽へと、二人は共に消えていくのだ。
共通のクオリアを得たことにより、視覚を失った相愛の男女は、永遠に二人のだけの世界を過ごす。私は二人が、共通のアメーバ的共同体のように、我々の世界から離れていく様子を表現したかった。
曲は、春琴が何者かに襲われたあと、佐助から離れている場面から始まる。コントラバスはノイズ的な音を常に出しており、佐助の視力と連動している。そしてそこに映し出される世界は、彼にとって無意味な世界であるのだろう。
琴は、春琴自身を現す。ただあくまでも主観は佐助にある。要するに、現在だけではない、過去の美しい春琴の姿も同時に表現され得るのである。
ハープはもう一つの重要な要素、クオリアを表現する。

「何卒わたくしにも災難をお授け下さりませ」

彼の見える世界から光が失われた時、暗闇の向こうには一体何があるのだろうか。

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