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【社会福祉徳島】第36号

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社会福祉徳島
特集…社会開発と住民の福祉
36号
社会福祉法人徳島県社会福祉協議会
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巻頭言
いっぱいの季節
町与一
梅雨あけの空はひかりが、いっぱい
ながい憂うつから開放された花も、烏も、金魚も、
そして牛も私たちも、
サンサンとそそぐひかりを浴びて
大きく息をつくと、
そのひかりが音をたてて身うちにしみ透っていく。

梅雨あけの海は、しあわせがいっぱい
赤、青、黄、色とりどりの声が交錯する渚に若さがしぶきになって、
はね返ってくる。
ここでは貪富の差もなく、栄たつの野望もない。
勿論素っ裸のふれあいであり、
よろこびにひたる夏のひとときでもある。
私たちは懐しい思出をこの海に求めよう。

いっぱいの季節は夏に憧れる私たちの希望であり、躍進でもある。
-1-
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社会福祉徳島(第三十六号)
◇目次◇
=巻頭言=
〈特集〉
将来にそなえる社会計画の問題点・・・(4)
◇社会開発と住民福祉・・・(5)
◇社会開発と地域組統化活動・・・(8)
〝動き〟福祉アルバム・・・(11)
『昭和三十九年度をかえりみて』・・・(15)
ー2ー
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◇不幸な子をもつ母親の訴え・・・(17)
◇子供会のあゆみ(神山町)・・・(20)
◇社協活動と話し合い(羽ノ浦町)・・・(24)
◇社会福祉に対する住民の声・・・(26)
〈福祉随想〉
●闇に輝く人間開発に・・・(27)
●教護雑感・・・(28)
●保健福祉共同計画・・・(29)
町の善意を拾う 子供会の指導者加古英夫さん・・・(22)
〈私の手記〉
●社会事業の今昔と施設の近代化No.1・・・(31)
●老人クラブ活動No.2・・・(34)
〈施設だより〉
精神薄弱者の更生村・・・(35)
-3-
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特集
将来にそなえる
社会計画の問題点
〝社会開発〟ということが最近、にわかに脚光をあびてきた。この
言葉は一九六一年、国連の世界情勢報告の中で、経済発展を目ざす経
済開発に対比して、直接国民の福祉向上をはかる計画、施策で、経済
開発と社会開発の調和のとれた根本方針が示され、その後日本でも人
口問題審議会などで長期的な日本の社会福祉の課題としてとりあげら
れ、佐藤内閣の命題となったものである。
ところが社会開発とは、全国的計画、または基本的な一般的な原則
として教育、住宅、環境衛生、労働、社会保障など住民の福祉をはか
ることを目的としたもので、概念的なものだけで具体的な定義はまだ
明らかにされていないような気がする。勿論、政府の考え方、計画に
住民が参加しなければならないことから、更に発展して住民自身によ
る地域社会の改善という共同的、自発的行動がつけ加えられるべき
で、住民のしあわせを高める運動を具体的に推進しようとする社会福
祉関係者は、……どのように理解したらよいのだろうか。
〝これは歩行者優先の考え方に通じじるものだ〟とか、〝人間尊重
を主体とす厚生行政面では人不足、金不足で困っているのに、まずこ
是正が大切ではないか〟との意見もある。
そこで、住民の福祉増進を推進しょうとする社会福祉関係者は〝こ
の社会開発をどのように理解したらよいのか〟と考え専門家のご意見
をお伺いするこことにした。……
幸にも、この道のベテラン、大阪市立大学教授岡村重夫先生、全社
協牧賢一先生の貴重な原稿を戴いたことを深く感謝している。
-4-
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社会開発と住民福祉
大阪市立大学教授 岡村重夫

「社会開発」という新しい用語が、公的機関によって始めて使われ
たのは、昭和37年7 月12日の人口問題審議会の「人口資質向上対策に
関する決議」のなであった。すなわちその「決議」のなかで「現在の
わが国においては、経済開発に重点が傾きすぎて、社会開発あるいは
保健福祉の向上を軽視するきらいがある。このまま推移すれば、経済
開発の成果を期待しえないばかりでなく、経済開発の主体である人間
の福祉を犠牲にするおそれなしとしない。資質向上対策の推進にあた
、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、
っては、経済開発と社会開発とが均衡を保っよう特別の配慮が必であ
る」として、経済開発に併行する社会開発の必要なことを指摘したの
である。
昭和38年8 月17日には、さらにこの審議会の公式「意見書」のなか
で、社会開発の意味を次のように説明した。すなわち「ここでいう経
済開発とは工業を中心とする各種産業の経済的面での開発をいい、社
会開発とは都市、農村、住宅、交通、保健、医療、公衆衛生、社会衛
生、社会福祉、教育などの社会的面での開発をいう。経済開発の直接
の目的が生産および所得の増大であるのに対し、社会開発は直接人間
の能力と福祉の向上をはかろうとするものであることは、いうまでも
ない」と(「地域開発に関し、人口問題の見地から特に留意すべき事
項についての意見書」より抜率)。
そして昨年新内閣の出現とともに、にわかにこの「社会開発」とい
う用語が、新聞紙上をにぎわすことになったのであるが、現在までの
ところでは、それはまだ言葉にとどまっていて、具体的な実行は未知
数である。
しかし世界各国の動きをみると、社会開発の実行は、すでに20年の
歴史をもっている。国際連合は、今日までにすでに膨大な社会開発の
報告書を出しているが、それをみるとわれわれが「社会開発」といっ
ているのは、~Social Developmen t~の翻訳であることがわかる。
この報告書には、各国の社会開発実施の状況が示されているが、その
内容は、保健・衛生対策、栄養対策および家政指導、住宅対策、労働
関係対策、教育対策、社会保障、社会福祉事業、生活のすべての部面
にわたっている。
その理由は、社会開発が、従来の社会保障、公衆衛生、社会福祉、
住宅事業等々、すでにわれわれにもよく知られている諸種の対策と異
る点は、それらの諸対策が各行政官庁によって思い思いに、あるいは
バラバラに実施せられるのに対して、社会開発は―つの総合的計画の
なかで行なわれること、また住民の生活水準の一部面、例えば所得と
か賃金だけの向上・改善でなくて、生活の各部面が全体的、総合的に
向上するように実行せられるということである。
以上は、「社会開発」という用語の解説であるが、しかしこれだけ
のことからも、われわれは日本の現状において多くの教訓を得ること
ができる。例えばこんにち「社会開発」の名のもとに公害対策とか、
交通対策とか、あるいは住宅対策が、関係者によって語られているが
そのような対策をバラバラに考えるのは、実は決してほんとうの「社
会開発」ではない、ということである。官庁や専門家の、、なわ張りを
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超えて、総合的に企画し、実行するのでなければ、わざわざ「社会開
発」という新しい言葉を使う必要もないわけである。地域的にも、
階層的にも国民の一部のものだけが生活水準を向上させるような対
策は社会開発ではないし、また国民個人の生活の全部面が調和して向
上しないような対策でも社会開発の名にあたいしない、ことを強調し
なければならない。

わが国でも、こんにちまでいろいろな社会問題ないし生活上の問題
について、多くの対策がなされてきた。また昭和25年の「国土総合開
発法」以来、経済開発にかたよったとはいえ、とにかく地域開発もす
すめられてきた。
しかしその結果、よく知られているような国民生活や産業の二重構
造、地域格差問題、あるいは個人の生活におけるアンバランス等々い
ろいろの問題に直面することになった。その原因については各種の見
解があろうが、しかしその一半は、国民生活の全体性あるいは総合性
についての認識がなく、各方面の専門家や行政機関が自分の狭い視野
から国民生活の一部面しかみることができなかったこと、各専門機関
の共同作業ができなかったこと、長期間にわたる生活の変動や影響を
みとおすことができなかったことにあったといわねばならない。
社会開発は、このような欠陥を克服する総合的計画のもとに実施せ
られねばならないから、そのためには当然、国民の生活を全体として
とらえ、判定する方法を準備しなくてはならない。従来は生活問題と
いえば貧困とか、病気とかをバラバラに問題としてきたのであるが、
住民の生活では、それらは―つのものであって、互に影響しあうもの
である。そこで厚生省でも住民の生活を全体的、総合的にとらえるた
めに、「総合生活指標の構想」を明らかにした。
この総合生活指標の試案は、地域住民の生活状態を総合的にとらえ
るための手がかりをあたえるものである。すなわち、㈠人口資質(体
位疾病、死亡、労働力、教育、犯罪)、㈡生活構造(労働、貧困、低
所得、所得、消費、資産、住宅)、㈢生活環境(労働、住宅、住居施
設、緑地公園、公害、交通、福祉施設、教育施設、通話施設、保健医
療施設、保安施設、文化・娯楽施設、店舗、風紀施設、防災施設、財
政)である。
国際連合でも、これと同じような趣旨から総合的生活水準を確立す
るために、生活水準測定の要素として、⑴健康、⑵食糧および栄養、
⑶教育、⑷労働条件、⑸雇用状態、⑹総消費、総所得、⑺輸送、交
通、⑻住宅、⑼衣料、⑽レクリエーション、⑾社会保障、⑿人権とし
ての自由をあげている。ILO は更にこれを八項目に整理した案を発
表している。
つまりこれらの総合生活指標は、総合的な社会開発計画の立案と実
施に対する基礎的資料となるものであるから、この指標のとり方は、
こんごの社会開発の方向や内容を示唆するものとして、大いに注目に
あたいするものである。そこでこれについて、わたくしの意見を述べ
ておきたいと思う。
                            、、
まず第一点は、この総合生活指標のどこをみても、住民の生活態度
ないし生活問題にとり組む主体的な姿勢とか心構えを測定する指標が
どこにもみあたらないということである。元来、生活とか、福祉とか
を語るばあいに、生活者自身あるいは住民自身の生活問頗に対すると
り組みかたを無視してはナンセンスである。例えば公害の程度を測定
してみても、その公害に対する住民の関心や、公害問題のために立ち
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                        、、、、、、
あがる住民の側の姿勢を測定しなければ、少なくとも住民のための公
害対策にはならないのである。
一言にしていえば、厚生省の総合生活指標には、住民の主体性が無
視また軽視せられている、といわねばならない。
第二の問願点は、この生活指標では、地域の生活問題にとり組む住
     、、、、、
民の共同的努力の程度や内容を測定することができないということで
ある。例えばある地域社会の乳児死亡率は、指標のうちの「人口資質
「を測定する一項目になっているが、この乳児死亡ないしは医療・保
健という問題に対して住民が共同して解決する行動ないし関心を測定
することは全く無視されている。
つまり住民の地域社会問題に対する主体性や共同性という条件が、
総合生活指標のなかでみ落されている、ということは一体何を意味す
るものであるかについて、われわれはよくよく反省、批判してみる必
要がある。
社会開発が専門家や行政機関の手によって計画され、その計画にも
とずいて「上からの指令」によって実行せられるものである、という
ならば、住民の主体性や共同性は無視せられるのも当然である。その
ような社会開発によって住民の外面的な生活水準はある程度向上し、
地域社会の社会施設も整備せられるであろうが、しかしそれと引きか
えに「万事お上まかせ」という住民の依存的生活態度や地域社会の問
題に対する無関心や利己的解決の態度が住民のなかに生れてくる可能
性が、きわめて強いという事実に注意せねばならない。
自己改造の自発的意欲を失い、共同生活秩序に対する責任をもたな
い住民、換言すれば共同生活者としての主体性を表失した住民にとっ
ては、もはや真実の意味における「福祉」は存在しない。従って社会
開発の目的がもし住民の福祉であるならば、住民自身の自発性にもと
ずく地域組織活動と社会開発とは、常に併行しなければならない。し
てみれば社会開発の特長とされる総合性や全体性というのは、単に住
民生活の外面的、物的、経済的な側面を総合するのではなく、住民生
活の内面的、心的な側面をも含めた主体性であり、生活の内外両面に
わたる総合である。
社会開発時代における社会福祉協議会の機能は、地域住民の組織活
動を援助して、住民の自発的、共同的な生活態度と自己改造の意欲を
開発することである。それは一言にしていえば、単なる地域社会を自
     、、、、
発的な地域共同社会たらしめる運動であり、この点にこそマンネリ化
した社協活動に活を入れる秘訣があるのではなかろうか。
(豆知識)
オリエンティション
環境における自己について、その空間的時間的関係を正し
<了解する働き。環境や新思想に対する適応をいう。学校や
講習会、会社団体等で入学者、参会者、新入者等に対して新
環境への適応を容易にさせるために、方針、規則、内容等を
紹介して、新しい目標への方向ずけを行うことを云い。又困
難な問題に直面して、解決の糸口や方向がわからない時には
オリエンティションがつかないというように、この言葉は種
々に用いられる。
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社会開発と地域組織化活動
牧賢一
(全国社会福祉協議会事務局次長)
池田前首相は、国民所得の倍増というキヤッチフレーズで高度経済
成長政策を打ち出し、経済開発を強行した。わが国の近代的な大資本
企業と前近代的な中小零細企業との特殊な二重生産構造のもとで、果
してこのような経済偏重の政策が効果をおさめ得るかは当初から識者
の疑うところであり、きびしい批判が行なわれたのであった。本来、
経済成長のための生産行為は、人間によって行なわれるのであるか
ら、その人間の生産能率の向上を考えることなくして経済成長は期し
得ないことは明らかである。
人間の生産能率の向上は、一言にして云えばその生活福祉の向上に
よってもたらされる。そこで生活福祉の向上策を社会開発という言葉
で表現するならば、経済開発と社会開発とは常に均衡を保って行なわ
れるべきだというのが世界の常識なのである。ところが池田内閣の十
カ年計画は、その前半においては経済優先の投資に全力をつくし、そ
れによって経済成長の実をあげ、その財政的ゆとりを得て後半期に入
ってから社会的投資にも遂次考慮を払おうというもくろみであった。
そして案の定、このアンバランスな政策は十力年計画発足数年にし
て早くも破たんを見せ始めた。今日、都市に農村に社会的変動とか社
会的ひずみという言葉で云われている幾多の問題の発生がそれであ
る。
経済開発と社会開発のこのアンバランスから生み出され急激に普偏
化して来た暗い社会のひずみは、大きな社会的問題となり、当然苦境
に追い込まれつつあった池田首相の思いがけない退陣の後を継いだ佐
藤首相は幸運であった。タイミングよく提唱し得るキヤッチフレーズ
「社会開発」が残されていたからである。かくて今や社会開発はまた
たく間に全国朝野に宣伝されてムードを形成しつつあるのだが、その
正しい意味の理解はまだ必ずしも行きわたっているとは云えないよう
に思われる。一ところ国民が経済成長、所得倍増ということばに踊ら
されたように、今後はまた猫も杓子も社会開発ということばに有頂天
になって、ぬかよろこびに踊らされるだけでは困ると思うのである。
社会開発以上にわれわれの日常生活に密着しており、われわれ自身の
意識と努力につながっている課題だからである。
経済開発と社会開発は、いうまでもなく国家社会の進歩発展、すな
わち国民の福祉生活水準の向上をはかるための近代的な方策としての
二本の大きな柱である。この二本の柱はともに国家的な規模と責任に
よって打ち建てられ支えられるーーつまり国家的な施策であることを
原則とするのである。いわゆる所得倍増計画ーー高度経済成長計画が
国家政府の責任による全国的な政策として実施され推進されたのと全
く同様に、社会開発もまたその前提となる社会計画と共に国家的規模
と責任によって施行されるべき政策であるということをわれわれは先
づ銘記しておく必要がある。
これが社会開発の第一要件である。
次ぎに第二の要件として知らねばならないことは、社会開発は国民
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の生活水準を向上させ、福祉を増進するための社会的サービスを総合
的包括的に推進し発展させることを目的としているということであ
る。国民すなわちわれわれ人間の生活は経済的、肉体的、精神的、文
化的、社会的などいろいろな要素すなわち側面から型成される。従っ
てその生活の福祉ということは、これらさまざまな生活面に関して障
害が除去され、サービスが行なわれ、進歩発展がなされてこそ始めて
達成されるのである。生活およびその福祉は役所の所管のように分断
することはできない。すなわち綜合的包括的な視点にたって問題がと
り上げられ、対策が講ぜられることが必要である。これらの社会開発
の二つの基本的要件に関連して、一九五九年国際連合の「社会開発に
関する国際的調査報告」は次ぎのように述べている。「社会開発は経
済開発の進行に併行して、その国民生活への有害な衝撃(ひずみ)の
除去または緩和をはかるために、全国的な規模において、住宅、労働
また雇用、教育、保健衛生、社会保障、社会福祉事業などに関する社
会的サービスを綜合的に発展させることである」
ここでいう社会開発の国家的責任あるいは国家的規模ということは
わが国においては問題により都道府県、六大都市といった単位ぐらい
にまで下ろして適用することが必要になるであろう。上記のように国
民生活の総合的な水準向上を企図する社会開発は、結果として国民の
生産能力を高めることになるので、これを人間能力の開発、あるいは
人間開発ともいう。またこれを人間の欲望の開発ということもできる。
ところで、われわれ国民の生活水準を向上させ、その福祉増進をは
かるためには、もちろんこのような国家的責任により全国民にわたる
社会的サービス即ち社会開発を計画し実施することが基本的には当
然、絶対的に必要であることは多言を要しないが、しかしそれだけで
はなお充分ではない。そこで地域開発という機会とプログラムが登場
する。
地域開発とは、正確にいえば地域社会開発である。地域開発は主と
して市町村、部落のような小地域社会において、その地域社会の進歩
発達、すなわち地域住民の生活水準の向上、福祉の増進をめざして行
なわれる活勁である。この地域開発には前記社会開発における二つの
基本的要件の他に更に「地域住民の参加協力」もしくは「地域住民の
自主的努力」という第三の要件が加わる。社会開発において国家的責
任により生み出された社会資源ー各般の社会的立法制度・施設・住宅
・道路・上下水道・電信電話・電気・またそれらのための経費などの
如きは地域住民の自覚による自主的な参加協力によって活用され効果
を上げるし、また逆に云えば地域住民の自主的要求によってそれらの
社会資源が生み出される。さらに此の地域開発では農漁業技術などの
改良による生産の増強活動まで行なわれてさし支えない。その意味で
地域開発でとり上げられる課題あるいは対策は社会開発よりもより広
<総合的であり包括的であると云える。またここでは各種の社会資源
を住民自身の努力で生み出す他、社会開発によって国家政府などから
提供される多くの社会資源を有効に活用することによって現実に住民
の生活水準や自覚を高め、そこから一層高度な自主性を育成すること
を意図する。
僻地離島の如き地域社会においてしばしば国家的施策による道路の
開発、電信電話の架設、診療所の設置、また農業技術改良の専門的指
導などの社会資源の導入を得て住民の生活の文化や福祉が向上し、そ
れによってまた住民の自主的努力が助長される経験はここにいう地域
開発のよい例である。かかる地域開発によって社会開発もまた剌載さ
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進れ展せしめられるのであろう。
国際連合の一九五七年の社会開発報告はこれらの関係について「地
域開発は社会開発を促進し効果的ならしめるために重要な役割を果た
す」と述べ、また「経済開発や社会開発は、地域開発のねらいとする
地域住民の生活水準の向上を全国的規模において可能ならめるため
に、地域開発による地以的諸活動を剌戟し前進せしめる意義をもつ」
と言っている。
さらにこの地域開発の基礎になるものにわれわれの新生活運動や社
会福祉協議会の活動によって発表されるような迎域活勤、もしくは地
域組織活動とよばれるものがある。
地域開発が社会開発による社会資源の提供を受けその活用をはかる
とともに、地域住民の自主的な参加協力が要件であることはすでに繰
りかえして述べたが、このような住民の自主性や、生活問語の総合的
把擢や、その解決のための活動への参加協力を促進するためには何よ
りも住民の善意と社会連帯精神による相互扶助的な結束を強めること
が必要である。
そこに地域住民の協力活動が始まるのだが、そのような結束を強化
するためには、自己の生活水準はいかにあるか、生活の福祉と地域環
境とは如何なる関係にあるか、住みよい町づくりとは何か、如何にし
てそれをつくるか、自己の幸福は与えられるものなのか自から獲得す
べきものなのか等々を住民が理解し自覚することが必要である。それ
には先ず住民の教育啓蒙が必要であり、また話し合いによるよき人間
関係の育成がなければならだい。住民の結束の強化ということは要す
るにわれわれの住む地域の批域社会としての特性を強化することに他
ならない。
そのための上記のような作業は小さい地域におけるほど効果的であ
る。そこに地域活動もしくは地区組磯活動の邸義があるわけである
が、それはむしろ地域社会組織化活勁といった方がよいかも知れな
い。このような地域活動、地域組織化活動による基礎づくりなくして
は社会開発もかけ声に終る惧れなしとしない。
ー10ー
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福祉アルバム 昭和39 年4 月→昭和40 年3 月
動き
善意銀行各地に支店開設
(写真掲載)善意銀行開設パレード(宍喰町)
(写真掲載)〝桃太郎〟児童福祉月間に活躍
(写真掲載)施設へ払出された善意の山(松茂町善意銀行)
ー11ー
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盛大に挙行県福祉大会ー
(写真掲載)第八回徳島県社会福祉大会
(写真掲載)各地域で老人福祉大会開催(三好郡地区)
老人健康診断
(写真掲載)中央診察を受けるおとしより
(写真掲載)第4 回県下老人健康コンクール入賞者
ー12ー
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(写真掲載)施設児童写生大会
(写真掲載)第二回身障者体育大会 於 西ノ丸グランド
(写真掲載)今日も奉仕 明るい社会へ 阿南市老人クラブ会員
ー13ー
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ボランティア活動推進
(写真掲載)子供会活動に励む指導員
(写真掲載)施設の緑化に励むちえおくれの在園者 吉野川育成園
(写真掲載)パラリンピック選手結団式 原知事より激励
ー14ー
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ー昭和三十九年度を顧みてー
「わざわい転じて福となす」の心構え
三十九年度の県社協の歩みは一見、平凡にみえ、重なる難事に青息
吐息の醜態を演じたーーと云えば少しオーバーになるが、とにかく労
苦の連続と云ってもいい。
                        、、
しかし考えようによれば永年痛みつづけていた患部のウミをきれい
さっぱり切開手術で拭いとった感じとも云えよう。
こんなときに重荷を背負いこんだ伊東会長も大変だったとお察しす
るが、しかしよくその重責を果されたあたり、ハッタリのない誠実が
物を云ったと尊敬の念を一層強くしたのは私独りではないだろう。四
月会長就任以来一年間財政的立直しを目途として累積赤字の解消をコ
テサキの業を排して根本的荒料理をやるためまず監査委員に綿密な会
計監査をしてもらい役員会にはその全ぼうを発表して対策案を示し理
解を求るなど、さながら自らの責任のように努力され各方面の共感を
呼んだあたり流石だと感銘を深くした。
私たちも反ってその責任を痛感せざるを得なかった。ただ社会福祉
協議会の財政的運営が安易でないことは役員にも解ってもらえたが何
と云っても赤字を出した不始末は理由の如何にかかわらず責められて
仕方のないことだ。不足した人員の補充も満足でなく、給与関係も遠
慮がち、乗ったタクシー代もポケットマネーで支払っても追っつかぬ
この現状、やはりその運営上の根本対策が必要だと自らも悟るし、又
他からも嫌と云うほど聞かされた。
でも伊東会長の云われるように「これがために萎縮してはいけな
い、謙虚な反省の上に立って将来の伸びていく糧とせよ」この言葉は
私たちに勇気を与えてくれ、心ゆくばかり咬みしめることができた。
●●●●●●●●●
しかし市町村に根をおろした地域組織活動はようやく活発になり、
専任職員も二五名を数え、心配ごと相談所も公認二四ケ所(内県費の
みが六)町村独自が四ケ所、共募も目椋額の増額分百万円が心配ごと
相談所に配分されると云う画期的な試みがなされ、保健福祉地区組鏃
活動も徳島市川内をはじめ継続地区六ケ所と新しく貞光町が指定をう
け、清潔で豊かな町づくりに邁進した。
世帯更生資金も例のしあわせを高める運動の一環として進められて
いるが本県は償遠率全国平均を遥かに下廻る悪い成績で年度末近くな
り、全力を挙げて、これが対策に当ったため、やっと一〇 %ほど上昇
して今一息と云うところ、貸付決定額も二八、四五一、五〇〇円を示
した。
尚本年度(三九年度)は、各業種別団体の活動は特に自主性を発揮
し、それぞれの立場でその特色を活かしたと思う。
児童施設協議会では職員の処遇改善こそ児童福祉に連なるものと、
目覚しい予算対策運動を展開し、四国地区を動かし全国えの突あげに
成功した、保育事業連合会では多彩な事業を手がけ、今までにない新
しい出色。
老人クラブ連合会も老友新聞の地歩も確められ、老人健康コンクー
ル、芸能コンクール等一段と光りを増した。身体障害者連合会は第二
回の体育大会を開き気勢をあげ、。ハラリンピックえの代表派遣六名
(スボーツ大会第二部)を送り好成績をおさめた。
精薄者育成会は組織の強化を図り、県費も十万円の補助をうけ藤川
ー15-
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会長を中心に、がっちり堅陣を組み新鮮さが窺れた。未亡人会連合会
は母子福祉センターの建設に一路邁進し収益事業に涙ぐましい全力を
注いでいる。
その他特筆すべき点で社会福祉会館建設費として一、三〇〇万円の
½の県費がつけられたことである。
(事務局長
町弥一)
【十戒】
人間は感情の動物である。怒りもすれば笑いもするが、人
間の精神的な成長で何が一番大切であるかといえば、人間が
人間として認識され、愛され、信頼されることである。
よき人間関係をつくること、それは決してむつかしいこと
ではないーーとある外科医がいった。それがための〝十戒〟
いかがでしょうか。
第一条人に話かけなさい。晴れやかな挨拶の言葉ほどうれ
しいものはない。
第二条人にほほえみかけなさい。しかめ面をすると六十五
の筋肉を動かすが、微笑するときは十五でたりる。
第三条人の名前を呼びなさい。人の耳にとって一番美しい
音楽は、その人自身の名前でわる。
第四条友達になり、かつ人の役に立つようになさい。あな
たは友逹がほしいと思うなら友達になりなさい。
第五条心をこめなさい。すべての言動が真心から出ている
ようになさい。
第六条純粋に心から人に対して興味を持ちなさい。好きに
なろうと思えばだれでも好きになれます。
第七条遠慮なしに人をほめなさい。批評することは慎しみ
なさい。
第八条他人の感情を尊重しなさい。
第九条他人の意見を尊重しなさい。すべての論争には三つ
の面がある。あなたの意見と相手の意見と正しい意見とで
ある。
第十条常に注意して奉仕の機会を逃さないようにしなさ
い。人間の生涯において、一番値打ちのあることは、その
が他人のために尽したことからである。
ー16ー
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不幸な子をもつ母の訴え‼
県立精薄児施設あさひ学園保護者
岩槻一子
〝手をつないで頑張ろう
しあわせ薄き子どものために〟
私の九才になる長男宏造が〝あさひ学園〟へ仲間入りさせて戴い
て、はや四年の月日がたちました。この間、宏造はかわいらしさがぬ
けて、何か退ましさを感じさせるまでの体つきに成長しました。今で
は三寮(重度児棟)ではちょっとしたボス的存在になっております。
入園した頃は五才でしたの、いざ家から手離すとなるといじらしく、
家族の中でも決心をつけるのによほど苦労をしました。心から願うも
のはただ―つ宏造への深い愛情なのですが、祖父母と私たち、老若の
意見の相違に何度も話し合い議論を重ねました。
また時には、主人からも『薄情な母親だ』といわれたりしました。で
も宏造の遠い将来を思い、教育の特殊性を考えると、とても私の力で
は自信がなく、また心身ともに健全な子どもたちが学令前にすでに二
年保育、三年保育を経験し、社会性を養うことを思うと精薄の子なら
なお一屑の月日をかけての教百が必桜なのではなかろうかと考え、ど
うしても宏造に適当な教育の場を与えてやりたい。ーーそれが親の責
任のような気がして祈る気持で児寇相談所を何度もお尋ねしました。
幸にして宏造は沢山の希望者の中から選ばれて〝あさひ学園〟に昭和
三十六年五月からお世話になることができ、以来毎日先生方にご迷惑
をかけながらも、お兄さんお姉さんたちとともに楽しく生活指導をう
けております。
思えば生れて三ヶ月半で病みついた流行性脳背髄股炎のため四ヶ月
の入院、右半身不自由、言語中枢もおかされ、頻度に起るけいれん等
の後逍症のため、危篤の折にはどんな姿になってもどうか命だけはと
あれほど祈った切ない願いも消えて、病みついたその時に、いっそ死
んでしまっていた方がよかったのではないかと思ったことも何回かあ
りました。
でもお蔭げで私も宏造も根が楽天家でしたので、思いつめることも
なく、また家族や周囲の人々の温かい理解といたわりで勇気を得、劣
ー17ー
___________________________
等感も抱かずに今日に至りました。
私は最初、宏造がどうかして歩くことができるようにと願い、マッ
サージと抵周波をかけるため大学病院に通いました。お蔭げで、二年
半でチンバをひきながらも歩きはじめることができましたが、次はど
うかして排尿や排便を知らせてくれるように、どうかして一人で食事
ができますようにと希望を持ちました。そのために努力を重ねました
が、このことはとても根気が続かず、ついに私自身がしびれを切らし
て、早く片づけるために何でもしてやるような結果になってしまいま
した。
ところがどうでしょう、学園にお世話になって一年後には、ぎこち
さはあっても左手でスプーンを握って美味しそうに御飯を食べられる
ようになり、それに確実とまでにはいかなくても、オシッコも教えて
くれるようになりました。
また言葉には、はっきりならなくても一つ二つと単語も増え、何か
云おとし、感情も豊になってきつつありますと、また欲がでて、言葉
だけでも自由に話せるといいなあと心を痛める仕末です。大きくなっ
て、少しづつ知恵づくに従って内面の要求は大きく複雑な気持になっ
てくるのです。
年二度の家庭実習の折、宏造が一生懸命何か云っているのですが、
それが通じない時、またしても、じれて怒り出してしまうのです。母
でさえもわが子の気持ちを十分察してやれないのかと、本当に不びん
でついつい泣いてしまうのです。言葉が出ないが為に、欲求不満が爆
発的な暴力となって現れ、子どもの気持を知り『忍耐強く強く 』と自分
にいい聞かせながらも、そのしつこさや、いたずらや暴力がついこち
らが〝カッ〟となって宏造に手がとび、後で悔いたことが何回もあり
ました。朝には、今日はやさしいよいママになろうと思いながらも、
夜になっては、宏造の無心な寝顔に『この子に何の罪があるというの
だろう』、だのに叱りつけたり、うるさがったり、しつけしたりした
自分を恥しく思い反省するのです。今では言葉も右手が不自由なこと
もたゆまぬ訓練により、ある程度のびるということを知りました。
これもすべて、日夜変らぬ愛情で御指導下さる先生方のお蔭げと思
い、親以上の御苦労に深い感謝の気持で一ばいです。私は毎月開かれ
る保護者会に出席することを非常に楽しみにしております。長い人生
に精薄児を持つ荷の重さを考える時、くじけるようとする心を、同じ
悩みをもつ母親たちの明るい飾らない話や笑顔に接すると、また新な
る元気がわいてくるのです。先生方も『お母さんがしっかりしなくて
はいけませんね、頑張って下さいよ』、『たとえ自分の子どもに直接役
に立たなくても、次に入園される同じ悩みをもつお母さんたちのため
力を落さないで頑張って下さいよ』など、何も私たちをなぐさめ、励
まして下さいました。
私は知恵おくれの子ども宏造を持ったために、人間的に大きく成長
できたと思っております。宏造は決して無駄に生きているのではな
い、苦しみのために生れてきたような宏造こそ私の人生にどれだけ沢
山な尊いものを与兄てくれているのか、努力と忍耐、そして深い思い
やり、もし宏造のような精薄児を持たなければ、一人よがりな、つま
らぬ人間になっていたことででしょう。子どもを通じて得た尊い体験
は、私の生きるための大きな原動力となって、いろいろな形で社会の
人々にお返してゆきたいと忌っております。
精薄の子は心が純真です、学園を訪ねる度に自分自身の心が洗礼さ
れて、正常な人よりむしろある方面では人間的に数倍高い尊いものに
ー18ー
___________________________
ふれることができ、〝あさひ〟の子たちは宏造を含めて私の心の支え
となっているのです。
私たちは当然この不幸な子どもを残して先にあの世へ旅立つことで
しょう。その時のことを考えると死んでも死に切れない思いがして、
冗談のように『宏造より長生きしましょうね』と主人とも語り合って
いるのです。
両親に死に別れ、自ら訴えることもできない子どもたちの切ない声
を誰が聞いてくれるのでしょうか、知恵おくれの子どものしあわせ
は、親が足りないところを埋め合すとか、新しい工夫を造り出す外は
ないと思うのです。
親以外に誰がこうした子どものしあわせを考えてくれるでしょうか
それだけに精薄の子どもをもつ親の責任と負担は格別に大きいと思わ
れます。大きなことをいうと笑わないで下さい。今の私はつららぬ人
間ですが、私は私なりに家族の協力を得て〝あさひ〟の先輩のお母様
たちに見習い、真から底から不幸な子どもたちのために少しでもお役
に立ちたいと思う気持で一ばいです。経済的にも精神的にも限られた
力しか持たない私たちでも、みんなが手をつなげば小さな愛と光が大
きな力となって働きかけ、県内に―つでも多くの精薄児施設、それも
年令やIQに制限のないアフタケアーや大きくはコロニーが設立さ
れ、子ども達の将来の保障と保護が得られることができるよう一生懸
命努力しなければならないと思います。〝手をつなぐ〟とはお互に慰
め合い励し合うということだけでなく、何か―つの目的を達成するた
め、お互に手をつなぐというところに本当の意味があると思います。
愛の灯を高くかかげましょう。私も今から大いに勉強しょう。会合
にも極力出席しょう。最後に宏造は、幸にもよい教育機関にお世話に
なって心から感謝しております。然し、まだまだ世の中には数多くの
福祉に欠ける子どもがおります。一人でも多くの地域の人々に呼びか
け、理解と協力をお願いし、このしあわせ薄い子どもに、愛の光と笑
顔をとりもどすことができればと心からお祈りしているものです。
この山道は険しくまた程遠いと思いますが、皆様方と一緒に努力を
さして裁きたいと思っております。
(豆辞典)
リハビリテーション
社会復帰。第一次世界戦争以後、身体障害者を社会的活動
に復帰させるため必要な一連の処置を表わす専門語となっ
た。すなわち障害者の医学的、職能的、社会心理的判定に基
づき、再手術、後療法、義肢装具の調整、職業訓練、就職あ
っ旋など一連の処置を加えて「障害ある個人をできるだけ充
分に、身体的に、精神的に、社会的に、職業的に、また経済
的に役立つよう回復させること」と定義されている。
ー19ー
___________________________
神山町子供会のあゆみ
神山町民生委員協議会児童福祉部に於ては青少年不良化防止カギッ
子対策交通危険防止学習意欲の向上等の目的で各地に親子会子供会を
奨励しているが、神領地区ではすでに全地区に設立活発な活動をして
いる上分地区でもPTA中心に発足、下分地区でも盛に奨励公民館活
動と合まって立派な成果を収めている。下分地区では二月十五日各親
子会幹部連絡協議会を結成各地区親子会子供会の事蹟発表研修を行い
今後定期的に開催し講師を聘し研修することとした、此の連絡協議会
には児童委員、公民館主事、学校長も参加して研究協議することにし
ている。
事例
下分地区中内親子会
一、会名中内親子会
一、会員中学生七名、小学生八名、親九名、計二十四名
一、事業1、親子会(毎月第二土曜日午後七ー一〇時)
2 、復習会(毎週土曜日午後七ー九時)
5 、ローマ字研修会(母親毎月一回)
4、スポーツ少年団加盟(団族樹立)
5 、遠足会(春秋二回町内)(町外春しほひがり、夏海水
浴)
6、夏休諸行事
七夕会、競書会、写生会、遠足、水泳の危険個所表示
7 、クリスマスパーテー
ー20ー
___________________________
母親が御馳走をして一夜楽しく遊ぶ
8 、卒業生を送る会新入生を迎へる会
母親の踊で楽しく遊ぶ
9 、善行箱小さいことでもよいことをした事を書いて入
れる
10、危険物入道の危険物入れ造る
二、遊び場造り
1、ぶらんこ二連敷地五〇坪個人貸与
2 、高鉄棒一連金具七千円(町社協より三千円補助)
5 、低鉄棒一連人夫二〇 人(各家庭より出る)
4 、砂場二坪木材寄附
三、指導小学校長、公民館主事(各地区現在神山町七人)
児童委員徳島大学学芸学部学生の組織する児童文化研
部より四回指導を受く人形劇紙芝居、ゲーム
四、経費1、母親生活必需品共同睛入の際毎月参拾円宛積立
2 、わらび、ぜんまい取り売却
3 、廃品回収
五、実行事項
1、祝祭日には必ず国旗を立てましょう
2 、朝夕のあいさつを必ずすること
(家庭で又人に合ったとき)
5 、日曜日には必ずふとんを干すこと
4、子供も大人も会計をつけること
子供は月給制にする
5 、日曜日は午前中勉強手伝
午後一時より遊び場へ励行
夕方は五時に必ず家に帰る
(神山町民生委員協議会総務)
子どもこころ
一〇才の時は、父親は神様の次に偉いと思い。
二〇才の時は、父親ほど馬鹿なやつはないと思い。
三〇才の時は、完全に無関心
四〇才の時は、父親も苦労したなあと思い。
五〇才の時は、父親はやっぱり偉かったなあと思う。
これは、むすこが父親を思う西洋の格言である。
ー21ー
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=徳島新聞賞に輝く=
子ども会指導者 加古英夫さん
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徳島新聞社では創立二十周年を記念して本年から文化、社会
産業、教育、科学、体育の六部門に功績のあった個人、団体を
表彰し奨励金百万円を受賞者に分け、栄与をたたえる制度を創
設、去る六月一日十二氏一団体が暗れの栄光を浴びたが、その
一人に社会部門で私たちの同志'小松島市和田島町勢以元子ども
会後援会長加古英夫がいる。この加古さんにスボットをあてて
みることにした。
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加古さんの住んでいるところは小炉紬市の東端和田島で漁村である
が農家もあり、平和な環境ではめるが戦後共稼ぎが多くなり、子ども
の生活に異状をきたし寒心させられるものが段々と殖え、児童委員で
あり、保護司である加古さんは「まず子どもたち同志で慰めあい励ま
す組織づくりだ、そうだ子ども会をつくるためのテコ入れをしてみた
い」と燃ゆる気持ですでに日ノ出地区で盛んにやっている指導者の林
崎武さんを訪ね熱心に研究した、昭和三三年五月子どもたちと相談し
て勢以元(せいもと)子ども会を創立、お百姓仕事に忙しい中を可愛
いい子どもたちのためにせっせと働き、着々と成果を挙げていった。
素人の加古さんは凡ゆる研修会や討議の席に出席して如何にして子
どもの世界に融けこんでゆくかを研究した、三五年には人形劇をやれ
る程度にまで発展し、劇中の人形もみんなの手でつくる工夫をした
り、着物は母親たちが協力して作製するといった地域ぐるみの体制ム
ー22ー
___________________________
ードが盛上ってきたとき「よしここまできたらこっちのもの、もうこ
の地区の子どもたちから非行はでない」と自信をつけた加古さんは今
年六三才と云う年令にもにず若々しい気持で希望を燃している。最近
ではIIサルの生きギモIIと云うこの地区で昔ばなしとして伝わってい
るものを劇化し浦島太郎や乙姫様、さては地区の医師であり、指導者
である江藤先生まで出てくる楽しい劇を全員の子ども出演のダイナミ
ックな扱いでまとめている。大変な好評で東京からきた厚生省の係官
も、ぜひ拝見したいなど各方面からの見学サットウに嬉しい悲鳴をあ
げている。「誰からも強要されたものでなく、誰にも依存しない」加
古さんの自由な立場での活躍は勿論賞めてもらうなぞ考えてもみない
ことだっただけに、こんどの徳島新聞賞の受賞は「嬉しい限りです、
でも私だけが表彰されるなど、くすぐったい気持です、子どもといっ
しょにこのよろこびをかみしめてますます頑張ります」と正直いっば
いの童顔をほころばして笑っている。知事や厚生大臣の表彰も権威が
あってそれなりに受けてうれしいことではあるが、このたびの新聞賞
は生きた表彰と云った実に価値あるものとして加古さんの受賞の栄与
をたたえたい。そして日本唯一の子ども会指導者としての発憤をのぞ
んで筆をおく。(M生)
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(豆辞典)
アフターケア
従来、もっばら純医薬的に取り扱われてきた疾病に対して、
生活的・社会的考慮が払われるようになったが「後保護」と
いう対策である。
イギリスでは第一次世界大戦頃から、身体障害者の後保護
として、職業補導、就職あっ旋などが行われ始めた。これに
伴なって、結核の占める社会的重要性から結核の後保護の問
題が取り上げられた。一般に結核患者は療養所入所中に作業
療法をおこなって、作業能力を養い、その後に保護施設に収
容されることになっている。この施設に収容されている者の
多くは、自宅で予後の静養ができない生活困窮者で、その意
味ではわが国の後保護は、貧困な救護事業ともいうことがで
きる。なお、養護施設の児童の一般社会に出すための社会的
訓練の場としての後保護施設も存在している。
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ー23ー
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〝社協活動と話し合い〟
羽ノ浦町社会福祉協議会
事務局長 岡田政一
毎年行なわれている成人式の女子の服装が七、八年前から次第に華
美となり、その費用が悩みの種となっている世帯が多くなってきた。
町社協では、この課題ととり組み、高価な訪問着などは時代によっ
て流行は甚しく変り、不経済であるなどの事項を強調して、特に成人
式出席該当の青年に呼びかけ啓蒙運動を開始した。ところが若い人た
ちは美しい訪問着の魅力が強く、服装の簡素化など耳に入らず昭和三
十五年頃には京染の別誂えなどが大流行で、まるでファッションショ
ーのような状態で、ふだん着や服装で出席した女子は後の方で小さく
なっており、晴着を買えないために欠席する者まで出てきたのであ
る。町社協は、昭和三十六年一月『成人式服装の改善推進部会』を結成
各部落から母親と青年の代表を選出し、部会討議で腹臓ない意見を交
換し合った。従来成人式は一月十五日の成人の日に行なわれていた
が、一月三日の正月休みにすれば県外から休暇で帰った者も都合よく
出席できるのではないか、来賓の祝辞は制限しよう、記念品の選定は
青年の希望する品をなど活発な意見が毎会の部会で母親と青年代表か
ら話された。特に女子の服装については和服でなく洋服にすることが
堅く申し合せられた。早速町社協は住民アンケートを実施、女子の洋
服の賛否を問うた結果八七%までが賛成で、新生活運動は成人式から
と全世帯にパンフレットを配布し、広報誌にとりあげ、関係団体の協
力が実を結び、昭和三十七年から簡素化された成人式が実施された。
社協活動は話し合いの中から従来の慣習を大きく改善した。住氏の
福祉を向上しようとする運動は数多くあるが、一つ一つ当面する問題
を地道に話し合い、住民が納得される結論を見出せば、そのことは完
全に実施されるものであると大きな自信の中に社協活動は推進される
と身をもって体験した次第である。
次の写真をご覧下さい。昭和三十五年の成人式は全く結婚見合いや
着物コンクークのような女性ばかりの参加でした。ところが昭和三十
七年度はこれがすべて洋服に変りました。式次第も、贈られる記念品
もすべて青年たちの意見で決定され、しかも成人式当日は〝これから
青年は如何に社会のために役立つべきか〟と題して社会福祉ヘボラン
テイア活動が熱心に討議された。各地域で職場で家庭で、組織つくり
とリーダーの蓑成、美しい村つくり、明るい町つくり運動がこれ等青
年たち自身の手で進められようとしている。羽ノ浦町社協活動もこう
した青年たちの積み上げで、明るい将来が約束されたような気がして
役員たちと話し合う今日この頃である。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
(豆辞典)
キャンペーン
運動。たとえば共同募金運動のように特定の期間に特定の
問題について、公衆に働きかけ、啓発するものをいう。放送
用語としては、これらの運動に協力して行う番組のこと。
元来は、〝戦役〟の意味から転じて用いられている言葉。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
ー24ー
___________________________
(写真掲載)35年度
(写真掲載)37年度
ー25ー
___________________________
社会福祉に対する住民の声
◇社会全体の責任で推進しょう!
日本古来の美しき家族制度は社会の進展と共に一部失われつつある
感あり、又人道地に落ち人情紙の如く薄く非行少年、非行成年の街に
排徊し連日の如く新聞紙上を賑わして居るを見る時深く新生日本の将
来を憂ふるものである。斯の如き事態の生ずる原因の―つは社会福祉
の進展の不充分なることにもよると信ずる。従って政治家は此の点殊
に深く意に留む可きと思わる。現在速に行わねばならぬ施策として
⑴有料並に無料老人ホームを作る。⑵非行少年対策として収容施設
の拡充を計り、道義の昂揚と職業補導に完壁を期す。⑶精神障碍者
並に身体障碍者の収容施設の拡充強化を計る。⑷保育園の施設の改
善と保母の増員を計り、明朗にして健康なる幼児に育て就学せしむ
る。固国民の健康増進の為施設の充実と国民運動を起す。以上の点
要望する。
三好郡 医師I生
◇施設の充実と生活指導を重点施策に!
精神障害者、身体障害者等の養護施設に対する生活指導に要する
経費の医療点化と福利厚生施設の拡大を要求する。
精神病院にあっては医療保護及び精神衛生法による医療措置費は年
々わずかながら増額しつつある。
ことは誠に喜ばしき次第であるが、医療業務に於ける生活指導すな
わち作業療法及びリクレーション療法に要する経費は現在皆無であっ
て、これからの精神障害者が将来立派に社会に復帰するに重要なポイ
ントとなるものである。すなわち療養中に於てこれらの医療点数化と
立派な生活指導施設により療養出来るならば又退院後これらの者達が
社会の一員として働ける厚生施設があるならばいたずらに入院、院退
再入院を繰り返すのみに過ぎず又一生を病院で過すことのない人達が
ある事実を考え一日も早くこれらの医療点数化及厚生施設の建設をな
されん事を切望する。
名東郡 病院事務員 Y生
◇社会資源をフルに活用し福祉教育の推進を!
病院医療社会事業係(医事係事務)の立場から
1、公立病院、保健所等に専任の医療社会事業係を配置する。
(既に国立病院及療養所、都会地域保健所には配置されてい
る)
2 、上記係、担当者の組織を作って社協内との部会をおき研修その
他連絡等場とする。
既に日本医療社会事業協会はあるが当県にはその支部すらな
い。
3 、特に農山村における地域住民が余りも社会資源を活用する等の
知識が乏しい様思われるので市町村、福祉事務所、保健所その
他指導機関があらゆる機会をとらえて教育する。
三好郡 公務員 生N
ー26ー
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闇に光の輝く
人間開発に
徳島県盲人福祉センター光明寮長
河崎正己
あらゆる人間の文化的努力のな
かで、最後まで看過されていた盲
人に対する暖い涙に満ちた救の手
がのびてきたことである。
それは弱き者虐げられた者に対
する目覚であろう。人間が人間を
見る眼、人間が人間を考える心に
大きな変動がきたのである。
そしていまや闇に住む盲人を単
に対象としてでなくあくまで人格
的にこれを人道の対象として取扱
い国家や社会が、あらゆる科学や
文化の参加を待って彼等の物的な
らびに精神的な方面における生活
改善、向上を期さねばならないと
いう意識を創造するにほかならな
い。社会保障制度、社会福祉の拡
充されてきたことに伴い他の社会
福祉施設に比べ、盲人福祉施設は
非常に立ちおくれていたが全国的
に盲人福祉センターや施設がつぎ
つぎと創設されることはまことに
有難いことである。
徳島県においても県が、昭和三
十八年九月総工費二、〇〇〇万円
をかけ着工し昨年四月開設し、身
体障害者福祉法に基づくもので精
神的肉体的ハンディキャップを克
服し社会経済活動に復帰できるよ
うに訓練を行ない視覚障害者の福
祉増進に努めている。
一体人生は何を幸せにするので
あるかということについては、い
ろいろの条件が整わねばならぬ、
ということは一応誰でも認めてい
ると思う。ただ漠然と私達は先づ
健康であること経済的に恵まれる
こと、社会的立場に、温い家庭生
活ができること、など確かにこれ
だけ揃えば申し分ない人生の幸せ
が味あえると思われる。ところが
人々はそれぞれによって何が幸せ
かと尋ねますと必ずといってよい
ほどその思いが違ってくる。経済
や健康に恵まれた人でもそれを満
ち足りた幸せと感じているかと申
しますと、不思議に、より以上の
財力を求めており、又健康な人で
も背丈が低い細い太いなどで、そ
うしますと幸せの条件などは、ま
ことに抽象的なもので実際の日常
生活には本当に自分は幸せ者と感
じている人は案外少ないのでない
かと思われる、まことに人間は贅
沢なものだと考えられる。
ところが生れながら光を失った
人、やもうえない障害のため失明
した人々はうろたえ絶望の淵に沈
むことは当然と思われる、強いシ
ヨックに打たれ、それを救うもの
は触覚と音でしかない、こうした
人達は幸せなど考えるだけ無駄
で、私の人生には幸せなどはあり
得ないと云う態度の人もあったが
入寮生と一年間共に生活すると次
第に希望も出来てひどいショック
から立直って明朗活発さも増し
て、社会復帰のために真剣な勉強
と取り組むようになってくる、目
に見えない大きいハンデイを背負
っている。そこが指導する者のポ
イントだと私は思う、わが国にお
ける盲人の職業は古くから、あん
ま、はり、灸、が適職とされ比較
的広く行なわれてきたが、このほ
か箪、三味線等音曲や教育関係等
の職業が一部行なわれてきたが、
しかしながらこれらの職業につき
うる者は特殊な才能をもった一部
のものに限られ大多数の者は就労
の意欲をもちながら就労の機会に
恵まれないのが実情であって自分
の選べる職種のないほど惨めな人
生はない。あんまになるのが盲人
の宿命だと考えたとき若い盲人の
心はうちひしがれるようです。
中途失明者にあってはあんまに
なるのがなさけないためどれだけ
〓〓〓〓〓福祉随想〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
ー27-
___________________________
〓〓〓〓〓福祉随想〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
その更生意欲がはばまれ更生の機
会が遅延しているか、とにかくわ
が国の盲人は少なくとも一度はこ
の運命のつらさに泣かされる様で
ある。
一方欧米先進国にあっては数多
くの職業に盲人が進出し、正眼者
に伍して社会経済活動に参加し多
大の貢献をなしているという。
こうした事情等に剌激されわが
国においても盲人新職業について
関心がようやくたかまりその研究
と開拓が叫ばれるようになったこ
とはよろこばしい、新職業として
国内では名古屋のライトハウスに
身障者特に盲人の職域を拡充しさ
らにこれを企業として成立させた
いという見地から厚生省も力を入
れて委託施設として運営されてお
るが職種として動力プレス足踏各
種プレス作業をはじめ板金抜り取
り、板金切断、缶開き、缶洗い、
ハンダ付作業等約二〇工程あまり
の作業がある。
その中には能力の劣るもののた
めに古い工法を残しているなど、
企業採算を極度に無視しない範囲
で能力的に幅広く就業できるよう
配慮されている。又福井市の社会
福祉法人光道園においても新職業
としてエバーソフト枕の製作並び
にカナリヤ飼育を行なっているが
これとても経済的に自立するには
ほど遠い収入であり、施設を離れ
て自営することは困難である。い
づれも研究中であって、現段階ま
での研究には実際上多くの問題で
あって少なくとも収入の面におい
ては三療師(あんま、はり、きゅ
う)に太刀打ちできるものは今の
処見あたらないようである。
これ併せて邦楽を守り育てて行
くことより特に立派な職業が少な
いようであるが、今後新職業の開
拓は公的施策の手が伸ばされると
共に積極的に各人の適性と希望に
応じた職能の開発され基本的人権
が尊重されるべきであると思われ
る。そのためには基礎教育をたか
めて盲人自からの実力によってそ
の職場が守ることのできるように
先づ盲学校なり失明更生施設等で
きびしい生活訓練を受け人格の陶
治、責任感の自覚等社会生活に適
応する必要な協調性の涵養を図る
必要性を特に強調するものであ
る。少なくともいくつかの悪条件
を切り開き社会の一員として世に
送り出して行くかというところに
施設に重要な役割があると思う。
特に近ごろ社会開発ということが
やかましくいわれるようになっ
た。社会開発の巾は拡大なもので
あるが、地域の経済と住民生活の
発展を目標とされていることから
個人や家庭、地域の福祉を直接た
かめることだと受けとっている。
そこで人間個人や家庭が社会開発
の基礎となっている以上、この施
設の入寮者視覚障害者達の人間能
力開発が私達に果せられた任務と
心得て盲人福祉のために大切な役
割を果して行きたいと念願してい
るのである。
教護雑感
徳島学院長
岩崎弘
一月末日着任以来ここにニヶ月
を経過いたしました。教護院の生
活にはなれたはずの私であります
が、徳島という未知の場所にきて
全く新しい気持で、一年生になっ
たつもりで毎日を暮して居りま
す。幸にして前院長妹尾先生のご
努力によって今日の姿の徳島学院
が出来たことは、その創設期にお
けるご苦労があるだけに全く頭の
下る思いが致します。学院をとり
まく美しく閉静な環境、それにも
増して暖かい地域の方々の理解あ
るご援助、私はこれらの有形、無
形の支えのもとに、子供達と暮す
ことに大きな喜びと責任を感じて
おります。
-28-
___________________________
私共は教護院に勤めております
が、教護院の必要がなくなる時代
すなわち真に世の中に平和が訪れ
ることを念願いたして居ります。
しかし最近の世の中の状態は必ず
しも我々の願いのとおりになら
ず、むしろ非行児童は日を追い月
を経るに従って其の数を増し、年
令は低下し、その行為は悪質、集
団化するという憂うべき状態にあ
ります。これは単に一教護院の問
題にとどまらず、大きな国家的問
題でありまして、あらゆる機関を
挙げて不良化防止の対策がとられ
て居ります、しかしすでに不良化
し犯罪の一歩手前まで追いつめら
れた青少年の問題については案外
等閉視されているように思われま
す。ただこの問題に真剣に取組ん
でいるのが教護院でありまして、
これら青少年にとって最後の防波
堤でありましょう。しかも不良化
の原因探究から必然的に起ってく
る社会への啓蒙運動、職員の専門
的な知識と技術と経験に基いて不
良化防止への積極的な協力等、い
わゆる非行児問題のセンター的役
割をもたなくてはならないと思い
ますが、ふり返って果して現在の
教護院でそれに応ずるだけの機能
と設備を有しているだろうか、大
いに考えさせられるところがあり
ます。想像以上の速度で悪化して
いく児童の非行に応じていくため
には、現代に適応した科学的な近
代教護院が必要であります。勿論
我々は自ら進んで教護界に身を投
じた者でありまして職員すべて善
意に満ちた努力を日夜続けていま
すが、その力には限界があること
も事実であります。この点世の識
者や行政的立場にある方々は、我
々が児童福祉法以前の旧時代的な
設備と、人的組織の中にあって、
近代社会が生んだ非行児と取り組
んで精魂を尽していることに深い
理解をもっていただきたいと思い
ます。ご承知のように教護院は施
設プラス学校でありまして、職員
は生活指導、学習指導、職業指
導、更にリクレーション、各種の
事務的仕事まですべてやっている
状況で、これでは何にアクセント
を置くか、何時休養するか、全く
非奔理的な勤務であります。生活
指導も義務教育も治療教育もそれ
ぞれ専門家が担当し、普通学校以
上の教育設備を有してはじめて教
護の成績も飛躍的に向上すること
であると思います。何時の日かそ
ういう姿の学院が出来ることを願
っています。
保健福祉
協働計画
鴨島保健所
憲法第二十五条に「すべて国民
は健康で文化的な最低限度の生活
を営む権利を有する。国は、すべ
ての生活部面について社会福祉、
社会保障及び公衆衛生の向上及び
増進に努めなければならない」と
されている。
また社会福祉事業の三つの柱と
してわれわれの社会から貧乏と病
気と犯罪をなくすることが強調さ
れている。
このように病気が人間社会に及
ぼす影響の大であることを考える
とき、国の施策が国民の一人一人
にまで浸透して、病気のない社会
をつくるためにはどうすればよい
か、これは行政機関は勿論国民全
体に課せられた大きな課題であ
る。
この国民運動の表われとして社
会福祉の分野における地区組織化
活動が全国的に繰り拡げられてい
るが、これは比較的広い範囲を主
体とした活動であり、この中に保
健衛生が含まれると解すべきであ
る。
そこで保健福祉を推進するため
には、小地域の組織活動を中心と
したものが最も適合するものであ
〓〓〓〓〓福祉随想〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
ー29-
___________________________
〓〓〓〓〓福祉随想〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓
り、これを進めるためには、地域
住民の積極的な参加のもとに多角
的な技術と衛生教育をはじめ公衆
衛生活動の各種の技術が組織的に
組み合わされた総合的判断に立っ
て地区の実態に即応した長期の計
画を樹てて地味であるが、コッコ
ツと反覆してやっていく努力を続
けなければならない、そのために
は計画ー実施ー評価の過程が必要
である。この過程を分析すると、
一、基礎調査で現状分析を行な

二、調査の結果に基づいて問題
を提起(発足)して
三、問題をとりあげる順位を決
めて
四、実施計画をたてて実行に移

五、必要な記録によって評価を
行ない次の計画の基礎とす
る。
厚生省における地域保健計画の
方式としても地区調査ー地区診断
-共同保健計画の過程が強調され
指導されているがこれも前者と全
く同じものといえる。
この共同保健計画は、その地区
の一般状況、人口動態、経済の状
態、公衆衛生、学校保健、国民健
康保健等の現状を明らかにする地
区調査と、無作為抽出にある世帯
調査の地区診断とをするものでこ
れにより地区における問題点と各
世帯における問顆点更には住民の
ニードをはあくして、問題の所在
とその背景をつぶさに探究して、
問題解決のための保健計画を樹
て、行政機関としての施策の樹立
とともに地区住民の全員参加が望
まれるわけである。そうしてこれ
を組織化して自主かつ系統的に活
動してこそその効果を挙げること
のできるもので、これを三年~五
年とくりかえして行なうことによ
り病気を追放し、病気と貧乏の悪
循環を絶ち、真に健康な住みよい
社会がつくられるものである。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
(豆辞典)
人口移動
人口の流入と流出をいう。それは人口の自己再生産(自然
増加=出生マイナス死亡)と実際の人口増加との矛盾でここ
にその意義がある。生活条件の低いところから高いところへ
移動すのが原則である。移動の主要因は就業、縁事、学習等
である。人口移動には、性と年令の撰択が働き、移動量と移
動距離とは反比例的な関係をもつ。地域的、産業間、国内、
国際移勁等種々の形態がある。河内移動の特徴は人口都市集
中である。
人口構造
人口を構成する個体や家族の扇性による人口の分類結果、
男女、年令別構造を人口学的基本構造といい、これを作図し
たものが人ロビラミッドである。その定型にビラミッド型
(増加)ベル型(静止)ツボ型(減退)星型(都市)ヒヨー
タン型(農村)等がある。配偶関係別、労働力状態別、職業
別、産業別、社会階級別、教育状態別、出産力別等種々の構
造があるが、人口や社会現象考察の基礎としてそれぞれ重宝
である。
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
-30-
___________________________
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――――――――――
〈私の手記〉
――――――――――
No.1
福祉事業の今昔と施設の近代化
徳島県立国府老人ホーム 加田勉
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
昭和十八年から県職員として、主として対
人関係の仕事を、特にその大部分を福祉事業
に携ってきた私としては、現在の社会福祉事
業が、先進国に比してまだまだ立ちおくれて
おり、社会保障の一環としての福祉事業が、
もっともっと前進し、時代の流れに応じて次
から次と新しく出てくる不自然な各種の歪み
に押し流されようとする者の穴埋めをするた
めには、われわれ関係者の努力と研鑽は、ま
だまだこれからだといわれながらも、さて戦
前を振返ってみて、戦後二十年間先進国の助
言と援助に扶けられたとはいえ、よくここま
で進んでこられたものだと、しみじみ隔世の
感を深くせざるを得ない。
殊に多少でも戦前の社会事業に従事してい
た僅かな経緯もあり、現在初めて福祉施設を
運営して直接福祉業務の対象者に日常接触し
ている私としては、如何に戦前の社会事業と
称するものが、理論的にも技術の上からも、
全くおざなりなものであり、如何に恩恵的で
場当り的なものであったかを思い起して今昔
の感に堪えない。
勿論古い社会事業に対する私の経験など
は、戦争末期のごく短期間だけのものであり
昔の社会事業の推移やその後の歴史的変遷な
ども県の資料を通じたり、その頃の先輩関係
者から話をきいたりの至極浅い体験でしかな
いものであるが、今にして考えると、実に機
械的なものであり、その場限りのものであっ
たがしみじみ思い起される。
当時戦時中という特殊事情もあり、殆んど
の保護事業といわれるものは、全額国費の軍
事扶助法が中心で、終戦まで続いて施行され
ていた救護法、母子保護法、医療保護法など
は、ほんの剌身のつまみたいで、全くのお添
えものでしかなかったような気がする。
ちなみに終戦後、救護、母子保護、医療保
護三法の保護費国庫補助金を、国に対して精
算したことを思い出すが、徳島県全般で一ケ
年の保護費の国庫補助額が各法ともそれぞれ
一万七、八千円乃至二万円前後であったこと
を箕えている。
各町村から地方事務所を通じて保護の由請
をしたものであるが、私自身一地方事務所の
厚生課員として、この三法を取扱った経験が
終戦前一ケ年に四、五件しか覚えていない。
如何にそれぞれの法による保護措置に厳し
い制肘があったか、当時の社会が保護事業に
末端にいくに随い如何に無策であったか今に
して考えると嘘のような気がする。
その反面時流を反映してか単事扶助法の施
行の経過たるや実に滑稽の一語に尽きる。
町村の副申をつけて知事あて地方事務所に
扶助申請を行ない、地方事務所で扶助決定を
して県会計課から国費で支出し、町村で実際
-31-
___________________________
の扶助を実施していたものであるが、私自身
地方事務所でこの扶助決定の措置と支出に関
する業務に従事した。
ただ机の上に国から示された家族構成員敷
別の扶助基準額一覧表があるだけである。
町村からの副申害文面の深刻さだけでこの
基準額一覧表により、全く機械的な扶助額を
決定したものであり全くのけれんである。
随って当時における国庫支出金としては、
他の各種軍人関係の援護措置費とともに、物
凄い危大な経費支出であったかが想像に難く
ない。
このように当時における保護三法と軍事関
係措置を比較してみて、あまりにも対照的で
現在の物指しをあてはめてみると全く不思議
といわざるを得ない。
僅かに民間関係識者の心の琴線に期待する
方面委員会があって、地域的にもまた、方面
委員さんの人間としての測隠の情から生れて
くる各種の美談は今でも文献資料に存すると
ころである。
以上のような保護措置の不自然な経緯は、
昭和二十一年十月発足した旧生活保護法施行
の推移にも多少はみられるところであって、
昭和二十六年十月に法が全面改正されるま
で、国民感情の面から考えても多少は慈恵的
救済的銀念は払拭されたとはいいきれない経
過をたどったものと考えられる。
憲法にいう最低限度の生活確保の権利解釈
が国からの一方的な反射権という根本観念か
ら、新法により申請者からの請求権という要
求的根拠が基礎ずけられてからは、いよいよ
新らしい社会福祉事業法の制定とともに福祉
事業所が発足し、次から次へとそれぞれの対
象者の福祉向上の為の制度や法律が分化的に
時を追っょうにして新設公布されていって今
に至ったものであるが、如何にも社会福祉事
業の制度というものもまた、その時代に即応
しその時の流れが反映されて分化してみたり
また新しい制度として統合されでみたりする
ことが、昔からもまたこれからも繰返されて
その歴史を綴っていくものだと痛感される次
第である。
昭和三十八年八月から実施された老人福祉
法は、中央の識者のいうように、なるほど世
界にも類の少ない進歩した法律かも知れな
い。
しかし、法は関係者の絶えざる努力の積み
重ねによらなければ、その運営の効果的価値
は望まれないことは自明の理である。
対人行政の各福祉関係法のすべてがそうで
あるように、老人福祉法も特に福祉施設の経
営もまた、それに関係するもの、特に日夜そ
の対象者と接触してその福祉を図ろうとする
施設従事職員としては、職員相互間は勿論、
在園者との間にも、常に技術性に裏打ちされ
た純粋の人間性から滲み出てくる何等かの糸
による心の繋がりが生れてこなければ、施設
運営の価値効果を期待すべくもない。
対人接触の技術に決して普辺的な定型はな
いものと考えられるが、制度目的にかなった
レベルの高い心理操作の基礎知識と洗練され
た対人関偲の処遇技術に裏ずけされた、ケー
スバイケースの血のかよった人間関係によっ
てのみ心の琴線の触れ合う間柄が醸成されて
くるものではないだろうか。
一般に社合福祉事業の古い歴史をみても、
その濫鰻は、純粋社会事業といい馴らされて
きた養老施設事業から発しているものといわ
れている。現在の養護老人ホーム施設こそ社
会福祉事業発祥の場としての、社会的な価値
認識が今少し早く、そして今少し深く進めら
れていてもよかったのではないだろうか。
終戦後におけるわれわれの社会福祉事業が
将来を担う子供を中心に、そしてそれを優先
-32-
___________________________
して対策が講ぜられ、現在もなおその発展途
上にある特殊な事情の流れを否定するもので
はないが、その反面老後における立命安定の
一般認識もまた速やかに立策されなければな
らないものであったと考えられ、その具体的
な実現がむしろ遅きに失していたとさえ考え
られる。
その証左に、われわれの身近かをみても成
人関係福祉施設発展の推移を眺めて、その対
象者に対する施設の増加、施設そのものの設
備の充実強化の経過、また施設運営のあり方
や従事職員数及びその質的構成更に在園者に
対すの処遇技術の進歩促進など、福祉施設特
に養老施設経営の多く面に於て、他の各種行
政施設と併行して発展していく経緯をたどっ
たかどうか疑問とはいわざるを得ない。
相当の財政投資を必要とする施設や設備の
増改設などの問題は暫らく別に措くとしても
従事職員の配置措置、職員構成の質的向上、
個別処遇や集団または組織指導の技術性の助
長など、緊急述に乏しいとわれればそれまで
の話ではあるが、いわゆる施設運営の近代化
の促進などに関しては、特に養老施設におい
て、比較的遅進的で、施設側自体の白主的研
鑽に委され過ぎた憾みなしとしないのではな
いだろうか。
児童福祉関係施設側が古くからいち速く従
事職員を最低基準によって職制的に位置ずけ
専問教育課程に基礎ずけられた職員によって
構成されているのに対し、老人福祉施設の多
くが未だに喰わす、寝さす、着せる以外に、
いろいろの指導の面の多くが放置されている
やに感ぜられるのはどうしたものだろうか。
漸く身体障害者や精薄者福祉施設にそれに
類するものが重視されつつあるやに見うけら
れるが、老人福祉施設や救護更生福祉施設な
どには、熟練した指導員と称するものが果し
て何人配置されているだろうか。そしてそれ
等の職員構成の位置ずけがどんな風に考えら
れているのだろうか。食餌栄養関係技術者な
どの問題とともに、施設運営の近代化の途な
お遠しと嘆かざるを得ない。
収容施設の関係職員は、日夜在園者と生活
をともにし、その生活の一挙手一投足のあら
ゆる面で直接接触している。しかもその在園
者の殆んどが日常生活の流れにおいて、身体
的な障害とともに何等かの形で心の問題を腺
し、何等かの異常の性癖や不自然な習性など
が、どうすることもできない形で凝固され、
継続し繰返されている。各人それぞれの自我
が手がつけられない程に固定して、それに永
年に亘る逆境に揉まれ抜いた多くの不自然な
異常の癖ずけにより更に根深いものになって
おり、これ等に対する処遇や更生指導は相当
な至難事といい得る。これ等の問題から頻発
する日常のほんの僅かなトラプルでも、何等
かの形でこれを指導し、納得せしめこの波紋
を始終直接納めていかなければならないのが
日常における実態の一部である。
社会福祉主事の皆さんが地区を担当し、福
祉事務所を根城として家庭訪問による対象者
の指導を繰返しているが、それは日夜直接接
触した形における業務の継続ではなく、収容
福祉施設内での業務とは多少趣を異にしてい
る。
そこに収容施設における職員のより以上の
心理技術面における粘り強さと純粋の人間性
が要求される所以であり、ケースワーカーと
しての熟練した指導員の配置が強く要請され
るところである。
福祉施設の近代化は、在園者の特殊事情と
その実態に応じた施設及び設備器機の近代化
の促進とともに、更に関係職員の数、質、技
術など多くの面における近代化が、老人福祉
において特に立ち遅れているかに思われる現
状が口惜しくてならない。
昭和四十年三月三日記
ー33ー
___________________________
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
――――――――――
〈私の手記〉
――――――――――
No.2
老人クラブ活動について
那賀郡羽ノ浦町千歳クラブ
連合会長 能沢勝間
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
昭和三十八年老人福祉法制定以来三年目を
迎え、県下の老人クラブ活動は次第に活発に
発展しております咋年県老連の計画により県
下指導者研究会を各郡市に開催されまして、
私も県連指導部の一員として研究会に出席さ
して頂き、指導部の方針「明るい家庭づくり
」の努力目標を掲げて、各クラブに呼びかけ
お互いに固く手を握りあってこの運動を推進
し、ご協力をお願い申し上げてまいりまし
た。私と致しましても県下老人クラブの役員
の方々にお目にかかり親しく運営面などをお
聞せ頂き大変参考となりましたことを厚くお
礼申し上げます。つぎに羽浦町千歳クラブの
近況を述べまして少しでもご参考になれば幸
甚と存じます。まず会合時間の励行が第一と
思いまして開催ご案内には必ず開始時間の励
行と会を終る時間を記人してこの励力に勉め
ました。最初の内はこの実行が出来ずお互い
に誘い合いするとかして努力し、阿波時間と
いわれる汚名も今では会員が五分位まえには
出席できるようになりました。それからクラ
ブ活動を盛り上げるには会員の意見の発表を
多く出して頂くように努力することが基本で
この多数の発言、話し合いによって意見の統
一を図り活動にうつすことが大切です。「明
るい家庭づくり」運動にも家庭で夕飯の後の
家族皆んなの話し合いをして頂くためにその
組織作りをいたしました。五軒位のグループ
によって単位活動より漸次これを拡大浸透し
ていく方式を取り全町にこの普及のため県命
な努力を続けています。従って関係社会団体
との交流の会を開催し、各組織の総合的な運
営により、効果的な普及に勉めております。
連合会としては常に地域単位クラブの活動
状況の把握に努め地域の特性を生したそれぞ
れの活動の推進のため各会場を巡りお手伝い
をしております。近時道徳の頗廃は甚しく道
徳心の昂揚を図るため自己を廃し犠性の精神
「思いやりの心」を涵養する。教養講座を開
き会員によく研修して頂き幸福な明るい家庭
づくりに勉めております。又会の日程には、
リクリエーションの時間も取り入れる事も大
切で明るい楽しいクラブ活動であるよう配慮
すべきだと思います。
-34-
___________________________
~~~~~~
施設だより
~~~~~~
精神薄弱者の更生村
─草の実学園は、こうして
産まれこうして芽吹きっ
つある。─
┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉
まえがき
編集者からのご指名もだしがたいままペ
ンを取ることにしたが、まるで親が子の
ひろめをするようで心中じくじよたるも
のがあることは事実です。それだけに、
注文にだけぉ答えすることにしたい。い
わば納品書です。
〈草の実学園長 奥尾貞雄〉
┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉
☆社会の善意で産まれた精神薄弱者
の福祉村、それが草の実である。
草の実学園というよりも草の実というペッ
トネームの方がびったりする荒けずりの、や
っと第一期目標が完成したばかりの一四二坪
四棟の建物だが、社会の善意が成人精薄者に
賜った、その点では全国最初といっていい精
薄者の福祉村それが草の実である。
大麻神社にやや奥まった阿讃山嶺の裾野、
松とアカシャと探に包まれた赤い建物がそれ
である。高徳線板東駅から徒歩で三〇分、徳
島駅からバスで五〇分、板野郡大麻町板東が
その住居です。
胎動を始めたのが昨年の一月十九日、五月
十五日に起工し、八月一日に三〇名の定員で
開園したから足しかけ七か月で産まれた新生
児といえる。七か月といえば月足らずみたい
だが県や関係市町村及び社会の善意と、漆原
徳次郎理事長以下拾名の役員のほんとに愛と
熱によって産まれた赤ちゃんである。工費七
〇〇万円のうち官公庁補助二五〇万、四五〇
万は善意の結集であってみれば、この赤ちゃ
ん産まれ乍らの果報者に外ならない。然も生
後四か月で遅間時事、六か月で朝日放送で全
国に紹介された阿波言葉でいう得な生まれの
子である。
そこでまず受胎期の赤ちゃんをみてみよ
う。このことは社会が何故この子を産ませた
かのカルテでもある。
1、設立者産婆に人を得ることから始じめ
られた。その人は通念的にいう人材、看
板のある産婆ではなく精薄者を社会復帰
させるという大きい利潤のない事業に打
込んでくれる真の能力者を得ることで仕
事は人に在るから始じめられた。漆原理
事長の徳望と人柄、それに本県経済界に
おける地位が草の実を今日あらしめ、圃
山理事の献身的勢力的な奉仕活動が短期
間に月足らずの子を産ませた等がその一
例といえる。
2 、社会の得心をえられる仕事の目標をつ
くり、その在り方を訴えて協力を得る社
会への働きかけに留意した。
3 、経済を伴うだけに先づ経理に社会的共
感をうる。このため関係役員は一〇万ま
で私財を先づ寄附し、建設費以外の一切
の費用一切担当役員が負担する。
と誌されていてそのカルテの副題として人
と場と仕事で社会に訴え、硝子張りの中で経
理し、運営管理は専門的知識と技術によると
書かれている。
☆どう育てようとしているか、草の実
にみる三三のシステム
現在は巣立村だけだがここのねらいは精薄
-35-
___________________________
者のコロニーである。ここでいうコロニーは
精薄者がその能力と意志で誰からも侵される
ことなしに楽しい自分達の町づくりをして自
活してゆこうとすることをシステムにしてい
る。
園内のあちこちに育ての目標と心構えが貼
られている。1、索直で社会から愛される人
に作る。2 、軽べつされない人間に作る。
3、他人に迷惑をかけず気のつく人に作る。
というのが村民作りの目標になっている。職
業訓練のシステムは、1、自信を身につけさ
せて勇気と意欲を作る。2 、根気と工夫する
力をつくる。3、自活するだけの能力をつく
るとある。そして村の指導者である職員には
1、内在する能力を発見して能力に応じた
個別訓練をする。
2、根気強く反復訓練し対象になりきる。
3、過保護と参加からの除外をしない。
どれも三つの目標である。そこで三のシス
テムとか三三のシステムといわれ、すべてが
このレールの上で動いている。
村の構成をみると一五名あてが二部落をつ
くり、それぞれの部落には三つの隣組があ
る。隣組は五名あてで構成せられていて、同
時にそれが家庭にもなっていて、組長や部落
会長がいて自治的に動いている。
ここには食堂がない。飯も汁も自分で盛っ
て各自の家庭で食べる。什器も一般家庭のそ
れと同じで施設臭はない。当初は暴食に悩ま
されたが今では適量摂取ができるまでになり
入園以来平均体も六キロを増している。
☆どんなことをしているか。また地
域社会とのつながりは
ここの朝はチクタク、ボーンボーンと童謡
の早起き時計で始まり、すべてが音楽で動い
ている。それに各隣組の入口には竹刀が架け
られていて人目を引く。運動神経発達促進の
機能訓練がこの竹刀や縄飛び、ソフト、バレ
ーボールで行なわれ、ここではIQを問題に
していない目下平均四二だが二五以下が二〇
%いる。それでもそうと容易に分らない。何
かに誰もが参加している。園内に草の実銀行
がある。ここの生活はすべて園内通貨で経済
生活の仕組みになっており頭取もちゃんとい
る。毎月月給をもらって自活する仕組みの勉
強方式でここではすべてが教材に使われてい
る。
職業訓練は個人の能力主義によっているた
め一〇職種のコースがあり、一人だけの課目
さえある。これは残存能力に適応した仕事を
身につけさせそれによって自活させるためで
もある。こうした訓練の外に委託訓練の制度
が併用せられている。地域の職先へ短期間通
わせて実社会を経験させる仕組みですが、す
でに三千円以もの更生積立のできた生徒もい
る。神社奉仕から道路奉仕、地域社会の生活
の仕組はすべて草の実も参加するため今では
地域社会ともすっかりとけ込み交流も多い。
村内の自給自足のためにすでに農耕地三反
歩、養鶏、養豚、山羊の搾乳、推茸も栽培さ
れ、放し飼の豚が人間然と園内を遊び歩く風
情は今ではこの村の風景ともなっている。
出身家庭との結びつきは毎月一日の面会日
が紐帯となっている。
出席率は毎月九〇~九五%で午前中は園生
と共に職業訓練に従事し、午後は職員との懇
談と親子音楽会がスケジュールになってい
る。こうした出席率は園生が月に二回出す家
庭への便りが作り出したものといえる。これ
により保護者と園と地域が三位一体となって
この人達の福祉をまもる体勢を整えつつあ
る。
-36-
___________________________
草の実の在園者
活動アルバム
(写真掲載)施設整備に加わる在園者
(写真掲載)養鶏に専念するグループ
(写真掲載)庭づくりに励む在園者
-37-
___________________________
編集後記
最近、県下の交通事故はうなぎのぼりに急上昇。この事故件数は大
都会なみで、島国だ、後進県だと遠慮しておれない状態である。
それもその筈、県内の軽自動車以上の車は五万三千台、県民六世帯
に一台の割合で油で動く車をもっていることになる。従って最近の死
亡率は成人病についで事故死となり、畳の上では死なれない恐ろしい
時代がやってきた。
〝社会開発〟といことばが急に時代の脚光をあびて、〝これは歩行
優先の考えに通ずるものだ〟〝すべてのヒズミ是正〟〝お役所と住
民のパイプをとおすものだ〟とか云われるがまだ明らかな定義さえも
されていない。
本誌は特集として『社会開発と住民の福祉』をとりあげたが、心よ
く岡村、牧両先生から貴重な原稿を戴けたが、本県内では誰に頼んで
もむつかしいとアッサリ断われた。
本当にむつかしい課題であるとすれば、政府はこれをどのように実
行されるのだろうか。
人間尊重、人間像探求、これをのりこえたるもの、それはわれわれ
自体の自己開発であらねばならぬ。自分自身を尊重することでなけれ
ばならぬと思う。自巳即社会、社会即自巳として自らを確立する努力
歩行者を優先するが、歩行者自身も認識しなければ、長寿を期待でき
ないし、社会も明るくならないのであろう。
社会開発の原稿は戴けなかったが、理屈ぬきでの〝母親の訴え〟
〝活動と歩み〟福祉随想を沢山寄せられたことを心から感謝する。
=0生=
-38-
___________________________
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社会福祉関係図書斡旋
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みつばち運動と子ども会
B6版 74 ページ ¥60  〒20
徳島県社会福祉協議会発行
「子ども会の指導者が手をつないでいこうと呼びかける〝みつばち運動〟のすす
め方と子ども会の理論と実際を県下の指導者が一年間研究を重ねてつくりあげた
子ども会指導者必携の図書」
┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉
ゆかいなゲーム
B6版 27 ページ ¥40  〒20
徳島県社会福祉協議会編
ーマンガ図解つきー
「子ども会指導者の要望にこたえて, 1, 簡単なゲーム2, 室内ゲーム3 ,室外
ゲーム50編をあつめている」
┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉
新い流行語
B6版 36 ページ ¥ 50  〒20
徳島県社会福祉協議会発行
「言葉!それは相手を理解するための話し合いに欠せぬものです。老いも若きも
最近の流行語を知らねば話し合えない時代となりました。
老人クラブ,子ども会,婦人会,組織指導者の方々に。」
┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉┉
斡旋申込は
徳島県社会福祉協議会へ
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