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【社会福祉徳島】第33号

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社会福祉徳島
特集…町ぐるみ活動
33号
社会福祉法人徳島県社会福祉協議会
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その流れが如何に汚れていても
そのなりたちが如何に不純であっても
ひとたび……
渦の中に触けこんでいくとき
新しい色彩と香りを湛え
 々と大洋にに押し出きれていく
円熟した容姿
ダイナミックな迫力
渦のもつ魅力、渦の無限大の風格

この大自然の営みは、私達の憧れであると共に
人間の醜さを悟り、人間の弱さを知る

でも渦は無言である
M生
−1−
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社会福祉徳島第三三号
目次
巻頭詩「渦」・・・M生・・・(1)
特集 紙上座談会
町ぐるみで地域活動をどう進めるか・・・(4)
解説 社協の新しい課題・・・(11)
写真で見る福祉の歩み・・・(15)
ご挨拶に代えて・・・徳島県厚生課長井上治・・・(19)
子ども会活動から・・・和田島地区社協部長(民生委員総務)加古英夫・・・(21)
思いつくまま・・・徳島市民生委員高瀬召・・・(22)
私の一言・・・神領小学校長横山義信展・・・(22)
−2−
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流れゆく吉野川の水・・・(23)
福寿家の会・・・養老院福寿荘院長吉積政一・・・(24)
高松遠足と交換会・・・阿南市セニヤクラブ吉田巌・・・(25)
A子さんの育児日誌・・・宝田寮長武田琢円・・・(27)
名神を迷信で導いた相談・・・小松島市心配ごと相談所主任相談員笠原林蔵・・・(28)
社会福祉に想う・・・勝名福祉事務所長海老川二美夫・・・(29)
箱根土産・・・県社協事務局次長藤原普・・・(30)
善意銀行の出発・・・(32)
私の研究あなたの事例
精神薄弱児の福祉について・・・(37)
老人クラブの診断・・・(39)
編集後記・・・(40)
−3−
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特集
紙上座談会
町ぐるみで地域活動をどう進めるか
最近、町ぐるみで地域活動を推進し、成果をあげているところが増加してきたことは、まことによろこばしい。杜
協活動の新しい課題として地域ぐるみ活動に目を向けるようになったのも当然のことで、こうした意味から、県下で
町ぐるみ活動を進めている四つの地区の指導者に集つてもらって、貴重な体験の中から地域ぐるみ活動の進め方につ
いて語ってもらうことにした。
選ばれた四地区は、それぞれ違った特色をもつもので、部落会活動として、昔のお大師講を現代化した農家ばかり
の石井町の友愛会、住宅地区で町内活動をすすめている徳島市内の親協会、それから一小学校校区単位で組織された
二つの型、一っは新生活運動を中心にした鷲敷町にある中山新生活推進協議会、もう一つは社会福祉活動を中心にし
た小松島市新開地区社会福祉協議会を代表にご紹介しました。
出席者
徳島市中央通り親協会々長藤井安市
小松島市新開地区社会幅祉協議会々長柚木直一郎
名西郡石井町高原字中島南郷友愛会々長片岡初枝
那賀郡鷲敷町中山新生活推進協議会中矢嘉明
徳島県社会福祉協議会事務局次長
司会者
徳島県社会福祉協議会事務局次長
藤原普
活動の沿革
司会皆さんようこそ。日頃は町づくりのため、尽力され大変ご苦労
様です。今日は皆さん方が地域ぐるみの活動を進められてのご苦心
や体験などをお聞かせいただき、これから、すすめられようとして
いる地域の参考にしていただこうと思います。まず、何時からどの
ような活動を始められたかお伺いしたいと思うのですが。
藤井私のところは住宅地で、昭和八年に固成会という町内の親睦会
のようなものが生まれ昭和十四年頃に町内会として戦時体制にそつ
て物資の配拾など隣組活動を続けてまいりましたが昭和一一十年敗戦
と共にアメリカ軍政部の命により解散をしました。しかし、その翌
−4−
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年の二十一年中央通り親協会という組織をつくつて、新生活動や衛
生活動を中心とし、いろんな幅祉活動にまで巾広い活動をすすめて
おります。
片岡別に大した活動も致しておりませんが、昔からしきたりとなっ
ていた大師講をとり入れて、時代に即し
た合理的な生活が出来るようにと、毎月
一回部落民が集合し、色んなことを話し
合ったり研究したり、日常生活の簡素化
や衣食住の改善向上に努め、納税貯蓄組
合や用水組合なども設け、部落のお互の
助け合い活動をすすめてまいりました。友愛会という新しい形で部
落活動を始めたのは昭和三十三年二月からです。
中矢中山の場合は終戦後間もなく、青年団、婦人会、公民舘等によ
つて、今でいう新生活運動を行っていましたが、新生活運動とハッ
キリ銘打つて全村的に現在の課題を取り上けたのは県教育委員会か
ら新生活の指定を受けてからです。その課題は二つの重点目標をと
りあげました。―つは家や村の経済生活の向上ということで、農業
経営の在り方を検討する活動、もう―つは日常の食生活改善.この
二つが中心になっております。
柚木私共の新開地区では昭和三十五年四月、社会福祉協議会が生れ
てから、住民の意識が急足に高まり、従来の部落活動にない、新鮮
さと積極性が生れてまいりました。まだ日が浅いので沢山な活動は
行なっておりませんが、文字通り、婦人会も青年団も老人クラプも
一丸となって地域ぐるみの活動をすすめてきました°住民の保健衛
生としては一斉健康診断の実施や保健衛生講座の実施、児童遊園
づくりや子ども会の育成、婦人部の一日保母さんや福社施設の慰
問、敬老会の開催や老人と若人の交換会の実践などを行って来まし
た。
活動の動機
司会そうした地域活動を始めるようになった動機は如何でしょう。
藤井戦前のものは何でも悪いというのはおかしいと気がついたので
しようね°私共の町内会は本当にうまくいつていました。軍政部か
ら解散を命ぜられたが、お互の教養を禍めたり、平和な明るい町を
つくり出すには、どうしても町ぐるみでなければ、出来ないことで
す。こうしたことから町民の有志が集つて、民主的な親睦の会をつ
くろうと申し合せたのが、そのはじまりです。
片岡同感ですね。古いものの中にも立派な精神が宿つているものも
多いようですから、お大師謂というのもその一っではないでしよう
か。ただ、そのやり方が時代おくれの方法をとつているように思わ
れます0 私共の会がはじまった動機はお大師講組の一老人がなくな
り謡組一同がお手伝に行っていた時、二、三の人から、お大師謡も
結構だが、昔ながらのものでは時代おくれの感がするから、何とか
話し合いで今の時代に逼した集いにしたらという意見が出たのが、
発端でした。
中矢私の村では山村でありまして、所
得の低い零細農家が多く経済的に恵ま
れない割に生活改箸とか因習打破とか
いった面ではある程度進んでいるため
に新生活運動と申しましても切実にピ
ーンとこない。そこで最も皆んなの関
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心のある産業振興を目標においたわけです。また調査によると消化
器系統の病気や神経痛の多いことがわかりましたので、一口に云え
ば逃食が原因だろうという事で、栄養食の実践を推進しようという
ことになったわけです。
柚木私共の村でも、早くからお大師講や、部落会活動が起つていま
したが、小松島市に社会幅祉協議会が生まれ、更に小学校区単位に
地区杜協が結成されたのですが正直な話、最初のうちは、何をして
よいか`わからないで過しましたが、市社協の熱心な指導と、いろ
んな研修会に出席するうち、民主的な人間関係による、地域活動の
必要さが次第にわかつて参りました。そこで、話し合や、調査によ
つて、活動の方向を見定めて.地域ぐるみで実践するよう心掛けて
まいりました。
組織づくりの進め方
司会それでは、どのようなしくみで活動を進めていられますか。ま
た、今日お集りの各地区は、どこも皆、全住民が活動に参加してい
るわけですが、そうした地域の協力体制をつくりあげるにはどうさ
れたか、お伺いします。
片岡私共の会を友愛会と名付けておりますが全戸会員制で、もつと
も一部落単位ですから会員数は二0名となっています。役員は顧問
一名、会長一名、副会長一名、幹事三名です。毎月定例会を設け
て、各家庭を巡回して、懇談を続けております。年一回総会を開い
て話し合いをしたり、レクリエーションをして、一家族のような雰
囲気です。
善意銀行
そのプロフィール①
菓子作り五〇年
市橋善平さん(六五)
徳島市富田橋五丁目
さあこれで上手にアンコを入れて下さい°包みかたが下手で
すと出来上りが醜いものになります。」市橋さんは長い人生経験
でまんじゅう作りも人間づくりによく似たもんだと仰言る
心賊意を込めて作り上げると自分でも吃驚りするほどの快心作
が生れるものだと、この適の修業の極意を語る。
市橋さんは一六才で菓子屋に奉公し、十年間は掃除や水くみで
暮らし肝心の手ほどきは仲々してくれなかった、と云う、二十六
才で徳島に帰り市橋長栄堂と云う独立の店を出した。
今では息子さんに店を譲り隠居してアパート経営をやっている
が、「どうも、てもち無沙汰で仕方がない、五十年の修業の腕が
夜泣きする。」と只管菓子づくりの愛着のきずなが断ちきれなか
いったが、幸い善意銀行と云う市橋さんにびったりするものが出来
たことを知ったのでいの一番に技術預金の登録をされた。
このほど児童牧容施設や職場グルプで引張りだこ。「これで
私も生甲斐を感じます。」とは市橋さんの真実、腹の底からの喜
び……
−6−
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藤井親協会のしぐみは、町内一二〇戸全部を会員として、会長一
名、副会長二名、会計一名、監事二名、
その他役員二十名という役員構成で、こ
の外に七つの部会組織をつくり、出来る
だけ多くの会員が一役を買うように工夫
しています。七つの部会は納税部、衛生
部、婦人部、健部、子供会部、教養
部、庶務部となっています。多くの人に責任を持つてもらうという
ことが、地域の協力体制をつくるのに最も効果があるように思われ
ます。
中矢中山での活動推進の主体は公民舘が主体となっておりますが、
各種団体の役員や学識経験者などによって新生活推進協議会があ
り、ここで企画立案を行っています。また実際に活動する場合はそ
の下に実行委員会があります。
部落ぐるみ体制をつくるためには、先ず公民舘が中心となって部
落内を新生活巡回座談会を開いてまわる一方、村内各種団体のリー
ダーの参集を得て、話し合いの場をもち、現在ではこの人達によっ
て新生活推進協議会がつくられました。PR の方法としては、館報
の発刊、映画、新生活炊事帽の作成、新生活予定黒板の各戸配布な
どによって、新生活の意識づけを行いました。
柚木小島松市では、全市に亘つて十一小学校単位に校区社会福祉協
議会が生れております。私達の新開地区社協もその―つにすぎませ
んが、この社協には部落会が全部参加しており、事実上、全戸が会
員となって地域ぐるみの活動を進めています°企画某集をつかさど
つているのは、組織部、保健衛生部、老人椙祉部、婦人部、児童福
祉部の五部会で、住民代表と専門家によ
つて組織され、ここで企画された福祉計
画は全住民によって実践されます。
こうした協力体制をつくるまでには、
市社協の指導よろしきを得て、部落毎に
数多くの説明会、懇談会を開き、一番住
民に身近かな問題から事業を進めて来ました。
指導者の発見と動員
司会組織活動の盛衰は人にあると思われます。指導的な人に適任者
を得るということが大切であり、まだ、ご苦心をされている点と存
じます。皆さんの地区では、このような指導者をどのようにして発
見し、また育成をされて来ましたか。
藤井中央親協会は先にも申しましたように七つの部会があって、そ
の部長が、全くよくやつてくれます。
中矢中山地区は各種団体のリーダーがこの運動の推進委員になって
います。例えば、公民飽の役員、村出身の町議会品員、青年婦人会
の役員,部落会長、実行組長、学識経験者等です。従って、苦労し
て適任者を見つけ出すというよりも、活動できる立場の人を総動員
し`実行するのは全部落民であるという気持で、やっています。
袖木町民参加の創立総会において会長一名、副会長二名、会計係一
名、理事―二名、評議民一六名を選出し、こうした人達が頭脳とな
り、或は手足となって、町づくりを推進しています。この世話人
は、町内の有識者、青年団、婦人会、老人クラブ等の役員、民生委
員、保母などの社会揺祉専門家、部落代表者、住民から信頼されて
いる人々からなり、たえず講習会や研修会を開いて、お互が研究を
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軍ねていますが、さらに若手のボランテイアを養成しようと考えて
います。
片岡指導者と云う程ではありませんが戸全会員の推せんできまりま
したので発見とか育成したものではありません°何とかして良い指
導者になりたいと努力している次第です。しいていえば熱心に会の
発展のために努力していられる中心の方々が、ほとんど家庭の主婦
であることが特色といえるでしよう。
活動経費の調達
司会次に活動経費の問題ですが、これはどことも苦心されているこ
とと思います。どのようにして調達されていますか。
中矢新生活運動即公民館活動であるという見地から、公民館の予算
に、県の指定を受けた交附金を加へてやって参りましたが、指定が
終りましたので、特別の資金調達でもやらない限り苦しいと考えて
います。
柚木市社協から共同募金の配分を受けて、これを主な財源としてい
ます。一般住民からは現在のところ会費は集めていません。ただ
し、事業によっては、協議の上、一部負担をしてもらうこともあり
ます。
片岡毎月二十日の月例の時、各戸から五十円づつ持家り、これを貯
蓄して経費にあてております。なお、月例会の費用は、その当番の
家から出費することになっておりますが、できるだけ経費を節約し
て、お菓子代として二〇〇円位使っています。当番は会其の順番制
になっています。
藤井町費として一戸当り、平均月一〇〇円を徴収しています。この
外健康保険の集金手数料、汲取料金手当、納税の奨励金などあわせ
て年間三万四千あります。
社会資源の活し方
司会経費が少ないため、当然、公的機
関や公共施設、制度、などを上手に利
用しなければならないと思いますが、
こうした社会資源を、どのように利用
されましたか。
柚木保健所をフルに利用しました。また町内外の開業医が積極的に
協力してくれ、保康診断など心電図検査まで、すべて無料で奉仕し
てくれました。この点社協組織は便利で、役場や、医師会、などの
専門家が会員となっているので、住民の要求が、行政に反映されや
すくなっていることはありがたいことです。
片岡私の方では生活改良普及事務所の普及員の方に依頼しまして藁
マットの講習会を開いたり、納税貯蓄組合や用水組合、納杭組合結
成などのとき役場や組合の係の人から親切なご指導をいただきまし
た。
藤井保健所には何時もお世話になっていますが、最近では夜間の健
康診断まで行ってもらっています。
中矢まず産業講座の面では経営を根本から考え直そうと云う事で学
習活動に重点を置いたので県の指導機関を利用しました。日常食の
改善の方では栄養のイロハから研究すべく阿南保健所の本田さんに
度々来て頂いて学習活動と実習を行ってゆくうちに野菜の計画栽培
が問題としてうかびあがつてきました。それでこの問題は普事移所
の佐藤さんにというように協力していただきました。
ぐるみ活動の効果
司会こうした地域ぐるみ活動によって、色々と効果が現われたと思
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いますがーーー
片岡本会の目的にそつて、冠婚葬祭、出産、祭礼、神社、お大師
講、合所改善、貯蓄、農業経営、依食住、家庭教育など全般に亘つ
て改善され、特に台所改善は殆ど全戸完成、貯蓄の関心も強くな
り、家計が豊かになったようです。地域ぐるみのおつき合いが簡素
化され、お五が図軽る<話し合いが出来る様に親密化されました。
何事も一速協力して一人勝手にすることは全々なく、共によろこび
共に憂うるというところまで前進しました。
藤井町内一斉消毒によりヵ、ハェが大変少くなりました。便所の汲
取りも町内一斉に出来るので、消毒も速やかに出来て町民が喜んで
います。その外赤ちゃんの体位も向上するし、町内が本当に仲よ
く、お互の教養を高めることが出来ます。
中矢産業方面については、まだ色々と問題点はありますが、難しい
なりにも前向きの姿になってきつつある事が心強いと考えます。特
に以前から行われていましたみかん栽培研究会の如きは大変盛んで
益々発展してゆくものと思われます。食生活改善の面では相当改善
されて来たことはたしかで、それに加えて副産物として登場した野
菜の計画栽培などは意外の成果と思います。
柚木何といつても農村の問題意識の低さということが改善されたこ
とです。病気にしても、治療よりも事前予防が大切であることを知
りました。その結果、安心して生活が出米るという大きな収穫を得
ました。新生活運動にしても、一部の人の意見でなく、調査をした
上で民主的な話し合いで.事が運ぷようになりました。子供の遊び
場が地域ぐるみの労力奉仕で完成したことも、助け合い精神が向上
した―つのあらわれと思います。
活動の溢路は
司会かなりの成果をあげていられるようですが、活動をすすめてゆ
く中で、硲路とか、問題点はありませんか。また障害にぶつかつ
て、それを乗り切ったという苦心談などはありませんか。
片岡時には感情のゆき違いから、この会を止めさせてもらうという
様な事もありましたが、日を置いて落ちついた時、おもむろにお話
をすると、また考へなおして下さつて、元どうりおつき合い出来る
というエ合で苦心談をお聞かせする程の事は今まではありませんで
した。
藤井衛生部の活動で町内の便所を消毒する相談がまとまったもの
の、反対者が出て困ったことがありました。しかし役負が自ら消毒
薬を一軒々々の散布して廻ったために.今まで長続きするものか
と、調子を下していた人までも反省し、反対者が一緒に廻つてくれ
たりして、毎年続けられるようになりました。
中矢何と申しましても新生活運動に対する意識の低い事が一番のな
やみであったと思います。そのために会を持つても人が集まらな
い。これは当初一番悩んだことです。たび重なる研究の結果、結局
こちらから課題を設定して、皆んなに相談して、関心を高めるとい
う方法を取った訳で、近頃の行き方とは逆な方法になりましたが、
課題の設定には苫労しました。
柚木農村での民度の低さといいましようか、新らしいこととか、か
わったことというと、これに抵抗を感ずるのか、反対するものが出
ます°殆んどは、活動をすすめてゆけば.わかつてくれるのです
が、中には有識者で反対の理屈を言わないと気がすまない人があっ
て、こんな人には困りますね。
こんな行政援助を
司会皆さん方の地域では民間活動として、自主的にすすめられてい
−9−
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善意銀行
そのプロフィール②
小松島日赤看護学院二年生
栗栖光子さん(十九)
渡辺代美子さん(十九)
善意銀行が発足した今年の五月.逸早く二人コンビの看護婦さ
の卵栗栖、渡辺連名で、「私達はまだ学生ですが今年の夏休み
を有効に費したいのです0 昨年は全く無意味に過ごし後悔してい
ます。児睾収容施設か養老院にでもいつて私達のできることをお
手伝いしたいと思います。それも恵まれない辺地を希望します。」
との登録をされた。
やがて暑い夏がやってきて、二人は勇躍東祖谷の児章施設つく
し寮に十日間の奉仕生活を送った。その間子供の勉強をみてあげ
たり、炊事やお描除を手伝つて毎日の子供の生活に融けこんでい
った。そして彼女らは「本当によかったと思います。第一、寮の
先生方が真剣に子供達のしあわせのために努力している姿を目の
あたりみて真実と云うものを知りました。」と身を以て体得した
人間関係の美しさを賛えひるがえつてこれからの自分達の「ゆく
道」をより意義あらしめようとの決意が清らかな胸を燃やしてい
るかのようだった。
「可愛いい寮の子供らから時々便りがきます」といい乍ら、そ
の一つひとつの、ったない筆の跡を確め乍ら、楽しかった十日間
の思出をかみしめているような眼差しの二人だった。
るわけですが、さらにこうした自主的な地域活動を活発にするため
に、市町村や県、国に要望することはありませんか。
片岡時には県や中央の教育者や指導者の立派な方をお迎えして講演
をきいたり、地域ぐるみ活動についてご指導が願えたらどんなによ
いだろうと思います。また、町役場から、このように小さなグルー
プにでも少しの補助でも頂けたら大変助かると思います。そうすれ
ば、もつと活発な活動も出来るのではないかと思います。
藤井私達民間活動でも限度があって、出来ないことがあります。例
えば、私共の近くの通学道路を拡張してほしいし、近くに大きな溝
があって、いくら消毒しても、蚊の発生は絶滅できないし、こうし
たことは、もつと、根本的な問題で、積極的にやつてもらいたいと
思います。
中矢新生活の指定も終りましたが中山の場合は今ようやくスタート
した所で成果は将来の事で問題はこれからと考えます。役場や県の
方で産業育成に指導をお願いします。
柚木市町村社協からさらに地区社協として私共は、町づくりに懸命
になっていますが、民間の自主的な活動といつても、お互の健康と
しあわせを高めてゆく大切な仕事でありますから、組織指導の専門
家の養成、社会幅祉施設の増設、市町村社会福祉協議会の育成等に
最大の努力を払つていただきたいと要望します。ただし、私共民間
活動に対しては補助金や委託金など公費は出来るだけ辞退した方が
よいと考えています。
司会どうも皆さん`ありがとうございました。皆さん方の努力が、
県下の全地域に伝わって、明るい住みよい町づくりが起つておりま
すが、今後とも、お互に力を合せてますます精進されますよう。こ
れをもちまして、地域ぐるみ町づくりの座談会を終了したいと思い
ます。ごくろうさまでした。
−10−
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解説
新しい社会福祉事業の進展を
国民経済発展に伴う社会化、近代化
☆住民主体とした自主的組織
戦后十数年にわたる社会幅祉事業発展の跡をたどると、その間いく
つかの段階を経て、発展してきたことがわかる。これらの諸段階は社
会福祉事業の内部事情によるよりも、むしろ国際的な社会、経済情勢
の変化とそれにもとづく国民生活の変貌に影轡されて形成されたもの
であり、社会幅祉事業はその都度新たな展開への努力をはらってき
た。
このような諸段階を経過する中で、社会福祉事業が一貫してとつて
きた基本的方向は、社会稲祉事業への国民総参加とその専門化の促進
であり、そのために住民の自主的な組織化をはかることであった。こ
の住民の自主的な組織として畜一定の地域社会において、住民が主体
となり、社会幅祉、保健衛年その他住民生活の向上に関連のある公私
関係者の参加と協力によって諸活動を推進しようとする社会福祉協議
会が誕生して十年の年月を経過した今日、果して住民主体の福祉を増
進する仕事が進められているかどうか、地道な反省と再検討を加える
必要があると思われる。
最近特に地域社会を主体に考え、これにじつくりと目を向めている
ものが多くなった。
現在の政治が、労働組合が、宗教、教育等すべてが地域住民を如何
に結束さすかと真剣にとり組まうとしている。何も社協活動だけ
が、地域住民の声を下から上へと積み上げているのではないのだとい
う事実を十分認識しなければならない。
然し又、健康にして文化的な生活を営むには、勿論政治経済の発展
に待っところ多いが、住民の碑解と協力なしでは、その進展は誰にも
悦ばれない空文化された政策となってしまう。ここでやはり地域住民
の意志を十分に反映できる民主的手続きが保証された組織は、現在の
社協組織だとも云えると思う。
☆社会福祉とは何か
従来の社会幅祉は保護救済的な仕事のみに終始していた感が強かつ
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た。困った者を救つてやる。そのために生活保護、児童幅祉施設や養
老院を活用する等の仕事に重点がおかれていた。勿論この保護救済的
な仕事が社会福祉の中核であることは将来も変りないが、地域社会、
地城住民を主体としてものを考えることになると、福祉に欠けると思
われるような単純な問題だけでなく、もつと多くの社会問題を複合し
て考える場が必要になつてくると思う。社会保障、保健衛生畜教育、
職業安定等.住民の生活向上に関連のあるすべての問題を複合して、
これを縦にみるような仕事を推進しなければならない。
例へば.某部落で一病人が出た。これが伝染病であれば町全体の大
きな問題となろうが、これが結核でも神経痛であっても.この一病人
の体質だけでなく、この地域の気候.風俗~習慣、住民のものの考え
方等あらゆる地域の特殊性がこうした病気を発生したのかもしれない
のである。
この部落全体のことを考え、あらゆる角度からこの病人に関係し
て、明るい町づくり.村づくりを考え、又実践することがこれからの
社会福祉の大きな仕事だと考えなければならない。
☆厚生白書が教えるもの
近年特に厚生省が年一回発表する厚生白書はすばらしいことを教示
するようになった。昭和三十六年度の原生白書は、国際社会の動き
と、その中におかれている日本の現状をお役人らしくないするどい力
で国民に訴えているように思われる。この内容を推察してみると、
一、地域社協活動の必要性
社会福祉は、地域住民の立場にたって、地域住民の協力と支援を

得て行われなければ真の社会福祉事業とは云えない。
このことを一番よく知っているのは、全国の民間社会福祉事業に
従事する者と、厚生省等一層部のお役人である。地域住民と直結し
ている現在のお役所ーー現在の地方自治体は認識しているのか、い
ないのかーーと疑問をもつのである。
自治体は議会で議決されたものに金が出され、この金は均衡と能
率を考えて使われている。従って住民の自主的組織である諸団体
等は、この補助金を多くとることが組織の発展であるかのような間
違った考えが優先しているようにも思われる。
諸活動に活動貨、事業費の必要性は十分わかるが、地域住民の総
意によって、問題を協議し、話し合いの場を深め、幅祉に欠けると
思われる問題を自主的にとり組まうとする協動の場を与える指導と
支援を考えなければならない。
社会福祉事業とは、専門社会事業家の活動を必須条件とするが、
この専問家の一方的立場だけでなく、同時に地域住民の欲求に即
し、住民の参加協力を得て行わなければならない。社会揺祉の主体
は、常に納税者であり、寄附者である地域住民こそ真の主体であ
り、この主体の社会福祉教育にもう少し重点をおくぺきである。
二、住民の自主的組織(現在の町内会、部落会〉の検討
日本の古くからのしきたりと、習慣によって現存する現在の町内
会、部落会は、良い面と悪い面が最近特に顕者にその特色を表して
いるようである。
この町内会、部溶会の歴史をみるとき、戦時中の活動は忘れるこ
とができないと思う。
あの人を殺す恐ろしい戦争のために、封建的なしかも軍閥の上か
−12−
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ら下への命令系統によって、実にすばらしい団結の元に食糧増産、
竹槍訓練、防火訓練を実践して来たのである。ところが戦争が終つ
て、住民の真の平和としあわせを高めるために、現在の町内会、部
落会はどのような働きをしているだろうか、命令的でなく上意下達
でなく、下から上への住民の自主活動の主体であるべきはずの町内
会、部落会の組織を大いに検討すべきではなかろうか。
又現在の部落会の組織範囲はこれでよいかも検討すべきである、
国の行政、市町村の行政区画として、又教育の単位としての小学
校、中学校等の通勤範囲として住民の組織の在り方を再検討してよ
いのではなかろうか。保健福祉、学校教育活動から考えた場合、小
学校区を単位とする住民組織が一番よいとも云われるが、十分今後
の研究課題とする必要がある。
このことは最近急増する団地においても云えることで、住宅難の
解消のみに住宅を急造し、住民の話し合いの場(公民館的なもの)
保健衛生の相談(保健所)、子供の保育、指導する場(保育所)を
全然考えずに、団地族は野倣しになっているのではなかろうか。地
域社会は、住民の階層と、世論と指導関係をすつきりと指導育成す
る方向を打ち出すべきである。ーーこの運動はもう古い。
今までの社会福祉は前述の通り、保護救済的な事業が重であっ
た。国民たすけ合運動としてスタートした共同募金も、終戦後の戦
争未亡人、親をなくした恵まれない児童等の支援のために、米軍民
生部が指導して発足したもので、一時は共同募金活動のプームが起
ったことは周知の通りである。ところが日本の経済発展はすばらし
いものがあり、共同募金運動も一時行きづまりつつあったため、改
めて共同募金倍加運動として、心の助け合い運動が展開され、社会
幅祉事業への募金の窓口は一っとしてこの共募連動が推進されてい
るものである。
ところが、一般地域住民のものの考え方は、未だょ貧しい者をく
れてやるグ式の社会幅祉に対する概念が残っているようである。
日本の社会保障制度も次第に進展され、低所得者に対する生活保
護、各種施設も充実されて、本当に困った要するに低辺の人逹は国
の施策として救済する方法は整備されている。従ってこれらの人逹
にものをくれてやる式の運動は必要ないもので、むしろ地域ぐるみ
で福祉に欠ける人達の出ないような事前対策、予防対策に力を入れ
なければならない時代となっている。
最近社会椙祉施設が経営者の慈善的観念から、地域社会から孤立
化しているとの声も再々聞くが、これでは施設が真の地域社会から
の積上げと要望によって運営されているとは云えないのあって、こ
のような理解を促進するための住民自主的協力がこれからの新しい
社会福祉とも云えるのである。
施設児童の一日お父さん、一日園長、保母さん、著意銀行運動の
促進等を大きく広報し、協力と支援を求めるべきではないか。
☆お役所と住民の関係
お役所行政のセクトの強いこと、同じような明るい美しい町づくり
運動を推進しようとする地域住民側に立つて考えてみると、厚生省内
でも保健と福祉は別個に指導され、又社会教育面とも十分連携がとら
れないままに仕事が進められている。
−13−
__________________________________
一ケースの指導をするにしても、民生委員、福祉事務所、保健所、
保育所等づフバラで主務官庁のケース会議が開かれていないのではな
いかと思われる。一番迷惑するのは地域住民である。昭和三十四年中
央では、保健福祉地区組織活動育成中央協議会(育成協)が生れ、国
庫補助金も支出されてこのお役所行政を下から統合して行うとする自
主的な住民運動が展開されていることは悦ばしいことである。
次にお役所と住民の関係であるが、指導者とは多くの協力者、支援
者があることを必須条件とされる。お役人も地域住民の一番身近かな
指導者であって、お役所行政が住民の要求を十分満し、往民の社会資
源としてその機能を十分発揮しているかどうかを反省して戴かなけれ
ばならない。もしもお役人(指導者)が上から下へとパイプの水を流
すような指導をしているとすれば大きな問題で、このパイプを水平に
するーー民の声を聞き、住民の要求を満し、そのための行政を住民
側に押し流して行くようなーー連絡調整が緊密でなければならない。
社協活動は常にお役所と住民間の媒介休として、その機構と機能を発
揮するような積み上げ活動をしなければならない。お役所の民主化以
上に、この社協活動の社会化、近代化に特に強く要望されている時代
であることを認識しよう。
☆社会福祉事業は何を対象とするか
社会福祉は恵まれない人ーー福祉に欠ける人を対象としているので
はないかーーとよくこのような質問をうけるが、社会福祉は人でな
く、課題ととり組む社会行動だと云われている。この課題とはぞ住民
が共通して感ずる矛盾を克服しようとする意識(要求)〝である。私
達が健康にして文化的な生活をするには、多くの法律、制度を改善
し、地域の積極的な支援と協力を行い、一人残らず住みよい、楽しい
生活を送らなけれはならないと思う。ところが現在の地域社会では、
いろいろと住民が不便を感じたり、正常であるべき条件が侵されてい
る場合が多い。これらを、ケースワーク、グループワーク、コミニテ
イ・オーガニゼーション等をコミニテイ・ワークすることによって社
会行動しようとするものである。
この数年来、日本の経済発展はすばらしいものがあり、今後の国民
経済、国民生活の変化を考える場合、日本の社会福祉事業も大きくそ
の体系を変えるものと思われる。
今後十年後の国民生活の実態をもつかみ、これに即応した社会福祉
の進展を考えなければならない。
社会福祉は『経済成長を促進するばかりでなく、近代国家としての
義務を果すこと』にもなる。社会幅祉事業を自主的に下から上への積
み上げしようとする社協活動の進を、心から期待するものである。
−14−
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(写真掲載)
動き
福祉のアルバム 昭和36年4月→昭和37年8月
善意銀行のスタート
本店における預金者の受付風景
払い出し1号若い散髪屋さん養老院へ 右下
ライオンズクラブの施設児童キャンプテント村開設 下左
−15−
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(写真掲載)
ゆりかごから墓場まで
(写真掲載)
赤ちやの幸せをみんなの力で 徳島市中央通親協会の月例乳児検診
地域ぐるみで建設した子供会館前で遊ぶ藍場町の子ら
さあ頑張ろう四国養護施設児童交歓野球大会の開会式
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__________________________________
(写真掲載)
心あたたまる身障者の集団結婚
母と子のたくましい生活の記録体験発表する母子家庭の子供
成人病の追放を徳大医学陣の協力で
青年ボランテイア,レクリエーション技術を学ぶ
−17−
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(写真掲載)
県下13ケ所に生れた心配ごと相談所
老人ののど自慢腕自慢
エライヤッチャ,
エライヤッチャ若い者にお負けなよ阿南市老人クラブの大阪遠征
−18−
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ご挨拶に代えて
徳島県厚生課長
井上 治
私は、今回はからずも厚生課長を拝
命することとなった。
いささか私事にわたつて恐縮だが、
二十数年の私の役人生活の中で、始め
て「主任」となったのが厚生課(当時
福祉課)であり、当時三一才という
若輩で、新しい生活保護法の施行、それに伴う福祉事務所の発足、
その職員の充足等それこそ夜も日もついで取り組んだ四ヶ年は、今
にして想えば全く無我夢中よくもやったものたと思う°爾来十年始
めての「課長」生活を再びこの厚生課で送るようにならうとは……
全く運命の不思議さというか、社会幅祉との不可思議な縁を感ずる
のである。
今、再び社会福祉行政と取り組むに当つてこの膨大にふくれ上が
った制度機構など十年の変遷の跡が偲ばれて感慨一しお深いものを
覚えるのである。
しかしながら厚生課の所管事務~いわゆる社会福祉行政は、その
沿革なり、歴史なり、又その巾の広さなりにおいて、広範な県行政
のなかにあって、常に重要なウエイトを占めているし今後も亦それ
は大きく変るとは思われない。
それだけに、吾々に課せられた責任は、なかなか軍大ということ
にもなるのだが、一般的にいつて、経済的貧困をはじめとする生活
上のハンディキャップを対象とするこの行政は、ともすれば消貨的
事業なるが故に消極的となり、公的責任が強調される余り、権力
的、画一的となる弊を伴いがちのように思はれる。
その故にこの行政に参加するお互は、消極的性格の中に現代社会
における真の生産性というものを見出して、消極から転じて、施策
のよりょき発展を考える必要があるとともに公的青任と人間性の調
和とを土台にして、制度の効率的運用を実現することに、懸命のエ
夫と努力をつくさなくてはならないと思う。
現在は、あれこれと思いつつ慌しい勉強に忙殺されている毎日で
あるが、何とか吾々の努力が県民の幸せによりよく寄与するよう
に、そして又この行政に参加する閃係者が少しでも仕事のし易くな
るように一歩づつでも前進させたいものと考えている次第である。
それにしても「社会袖祉行政の成否を決するものはその人にあ
る」という言葉は、古くしてなお新しい真理であるとしみじみと想
うのである。
−19−
__________________________________
福祉随想
雑感
徳島県老人クラブ連合会常任理事 近藤末吉
⑴民間福祉事業員の待遇
福祉徳島第三十二号で社会福祉事業職員の
待遇実態調べを読んで余りにも低いのに鵞い
た。公立幼稚薗職員の待遇が一般教職員待遇
より低いのが問題になっているのを聞いた事
があったが幼稚園保母よりも何倍も労力や苦
労の多い民間保育所保母の待遇が幼稚園の二
分の一にも及ばぬ待遇を知って何と不公平の
世間であるかと歎かはしい。保母ばかりでな
い民間幅祉事業所の事務局員栄養土、調理師
等の待遇も同様に低い。それでは人材が民間
福祉事業に集まらないではないか。国、地方
公共団体は反省してそう大差がない様に改善
すべき事を世論に訴えたい。こんな事は一般
民衆は知らぬのであるからどしどし社会に発
表して世論の喚起に努めたい。退職金、年金
もないとの事、近時は議員までそれを要求し
て既にその目的を達している時民間福祉団体
が全国的に一まとめとなり、共済組合でも設
け国の補助を得て速かに制度化する必要があ
る。
⑵社会福祉団体の奉仕はだれがなるか
民生委員、防犯委員、児童委員、司法保護
司など民間福祉団体に奉仕する人は従来どん
な人がなっているか多くは名刺のかた書に書
き切れぬ程十も·一十もの役を引受けている人
が多い。中には熱心な感心する人も多いが、
中にはかた書を悪用するとかかた書だけでど
れも熱心にしない名士、悪く言えば社会のボ
ス的人物もないではない。何もせぬからはず
すと何とかいんねんつけて復醤されるのが恐
ろしいので留任/\で死ぬまで、離さぬ心臓
の強い人もある。そんな人に最初から頼まぬ
こと、町や村の魚屋、八百物屋、本屋などの
おじさん、おばさんに頼めば実に頼もしい働
きをして呉れる町の交通安全指導員とか子供
の指導員などその方がよいではないか。ある
所の交通安全運動推進委員に二百名近く頼ん
だが初日の事業に集った人はその十分の一に
も足らなかった事実は名士依存がいかに頼り
ないものであるかを物語っている。
⑶阿波時間を追放したい
昔ののん気な時代は時間が大切である事も
知らず集会におくれて来る者があっても、早
く来た人は世間話しでもしておればよかった
が、今は皆が忙しい時代であり一時間所か十
分の時間も惜しい時代になっている。東京、
大阪間が十数時間も掛った時代もあったが、
今はその半分も揆らず、やがて三時間位で走
れる高速道路もできる。いまだに昔の儘の阿
波時間を保存している事はいかにも愚かな事
である。会合には自分で開会時刻を定めなが
ら最初から半時間や一時閻かけ値の予定して
いる会合もある。開催時刻に主催者幹部さえ
遅刻開催間ぎわに準備に掛るものさえある。
−20−
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本県の文化向上の為め断然これから阿波時
間を追放したい。老人クラプ関係の会合には
断然として阿波時間追放を実行している。
序に会場の清潔保持も実行したい。老人ク
ラプ関係の会合では紙屑、果物屑等は解散の
際にめいめい出口の屑物入に入れる事にして
いるので清澤保持が実行できている。
子供会活動から
和田島地区杜協部長
民生委員加古英夫
七月十七日朝、ラジオ天気予報で今日も睛
天とのこと、手後れになっている田の草を涼
しいうちに早くとろうと朝露の野道を私は田
へ急いでいると、私の地域子供会のお母さん
達が手甲脚絆をつけて十人余り集つているの
である。「お早う皆さんどうしたの、えらい
いでたちで勢揃いして何事が初まるの」と尋
ねた。皆くすっと笑ったが一番年長のお母さ
んが「加古さんは、どの田の草とりなさる」
と問ふので「私はこの土手の下の田をこれか
らとるんじやが皆さんは一体何事が出来たの
話してよ」と繰り返して尋ねると「今日は勤
労奉仕よ、常日頃子供会の為にお骨折りして
くれとるのに朝ちょっとの間お手伝いさせて
もらいます」と私の田へ皆這入って来た0 私
は全く面嘆った。「何を言われます。そんな
に皆さんにされては私は反つて心苦しいし、
感謝される程のことは何も出来てをらんので
皆さんも忙しい人ばかりじゃどうか御無用に
して下さい」と何度も断ったが、そんな遠慮
こそ御無用、御無用とさつさと一例に並んで
這い出したのが十四人で中には否農家のお母
さんが四人いた。そして朗らかな笑声あげて
クラプゾングやら民謡やら、なぎさの歌の輪
唱が初まるやら明るい笑声の中に見るみる草
が消へて行く大勢の力に今更に目を見張っ
た。そして何日もかかると思うたこの田が昼
迄に奇麗にすんでしまった0 私はこんなにさ
れてよいのであらうかとくり返し反省し感謝
で胸が一杯になった。子供の幸を守る地域ぐ
るみの子供会活動から人の和が意外な面に迄
現れたのに気がついた。
卵を吸った殻に紙をはり重ね古端害の切れ
で啄をつけ雀の頭を思いつき子供と考案して
作った指人形劇舌切雀をやった時.衣裳はお
母さんの応援で夜集つて我児の指に合せて楽
しそうに縫い上げた。子供の熱演に首をかし
げて見入るし注意している光景はほほ笑まし
いものであった°何かの為隣が円満を欠いて
いたらしい話もあったが、子供会活動から奇
麓に消へてこれも人の和が大人の世界に迄及
ぽしているのは心温まる思いがするのであ
る°何卒この調子、何所迄もI \続いて行き
度と只管念じるのである。
−21−
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思ひつくまま
徳島市民生委員 高瀬召
花咲く春を楽しみ、逝く秋を惜しみ五十有
余年の幾星霜をいつも新らしい気持で送り迎
へ、その日/\の生甲斐を感じられる事は有
難い限りである。
子供の養育に家事の雖事に追われ平凡な生
活を送つていた私に十年前民生委員をやれと
の天下り式のお言葉、有難くおうけするには
あまりにも不適任な仕事、二度、三度御辞退
申したが結局家族一同の協力を得る事、且
又、当局の方や先ばいの御指導を賜わる事を
心頼みにおうけしてしまった0 過ぎし十年間
惰性で動いた時期もあった。何だか自分一人
で気負い立つて少しも仕事の成果が上らぬも
どかしさ、一生懸命になっても通じないお役
所というところ、腹も立てたり投げ出し度<
もなったり、だが腹の立つのはまだ私に真面
目さが残っているからだと自分を慰めはげま
し、私のような者でも力にと頼つて来られる
人達の為少しでもお力添へ出来るその喜こび
の大きさは民生委釦故と.とうとう十年この
仕事を続けて来た。
十年の歩みを反省してみる時一貰して言ヘ
る事は民生季員としてのお仕事にはお恥か
い事だらけ、だけど気持の上ではいつも一生
懸命真剣な態度でいたと信じている。又保護
家庭の人達としても十年前頃のような依存的
な頬嚢的(デカダニズム)な態度の人は最近
殆んど見られなくなり、自分の道を切開いて
行く努力をそれなりの現境に応じて自主的に
やつている°喜こばしい事だと思う、私とし
ても今後一人でも多くの人に明るい気持や正
しく生きる道を見出させて上げ。それにもま
して次の世代を背負つて立つ子供達に正しい
人間の道を知らせる事が出来たらどんなにす
ばらしい事であろう。その事を楽しみにこの
仕事を続けて行き度いと思っている。
私の一言
神領小学校 横山義信
老人福祉の活動として各地で敬老会や老人
大学が開設される。一年に一回老人を喜ばせ
る行事はまことに結構であるが私はこの敬老
会と並んで老人に真に幸せな余生を送らせる
ための行事として
「老人をもつ息子と嫁の会」
−22−
__________________________________
の開設を提唱したい。
私たちは児童、心理や青年心理についてはよ
く聞かされるが、老人心理については全く無
知識であり老人の扱い方がすこぶるまずい。
このため世の中には老人と若い者と意見が
合わず、いつも家庭内でいざこざが起こっ
て、老人を悲しませている例は非常に多い。
敬老会や老人大学での、宅催者や来賓、講師の
祝辞や講演の中にも、ややもすれば封建的に
とじこもろうとする老人に近代思潮が如何に
あなたたちの時代と変つているかを解き老人
の民主化、近代化をうながそうとしている場
合も時々ある。
それもいいけれども、老人というものは自
分の人生観を樹て直すなどという若者にもむ
つかしい離れ業はとうていできるはずはない
のである。陶冶性は年と共になくなっていく
のが老人の正常型なのである。このように陶
冶され難い老人を再教育する努力をし老人に
努力を要求するよりも、若い息子や嫁が一日
寄り合って勉強し老人の心理はどんなもので
あるかを十分研究討議して老人に対し温かい
理解をもち、温<遇する能力を旋うことが、
かえつて老人を擁する家庭を平和にし老人に
安らかな余生を楽しませることができて、大
きな老人福祉になるのではあるまいか。
一年一回の敬老会の日には老人室ではさか
んにレクリェーションで老人を楽しませ、隣
りの息子と嫁との部屋では「老人心理研究購
座」を開設する。会が終つて手をとり合つて
家路に帰る嫁と姑、息子と親の語らいも、朝
、会場へ来る時よりも一段と和やかさを増し
て和気あいあいの美しい情最が展開されるも
のと思っがどうであろうか。
流れゆく吉野の水
美馬町民生委員総務 四宮 繁美
その流れのように
山も里も、若者達はー働ける者は
東へへと流れ去つて止む事を知らない
御隠居さん顔をしていた親達も
手鍬を取らねばならなくなって来た
そして山田を、家を守るのは老人と子供と
婦人たちになってしまった。
このままで行くと私達の仕事は
益々軍要さを増す事だろうーー
今年こそ老人大学をおしすすめて
此の人々に若返つて頑張つてもらおう
心配ごとの相談になつてあげよう
今こそみんなが手を取り合って
明るい町づくりのために
田舎ほど私達のやり甲斐のある
時が訪れて来た。
−23−
__________________________________
福寿家の会
養老院福寿荘医院長吉積政一
「福寿家の会をするから、役員は面会室に
集つて下さい。」と、しわがれ声の院内放送
が伝る。福寿家の会長Kさんの声である。
各棟から役員がバタバタと集る。若い時か
ら百姓で鍛えあげた体格のよいKさんを真中
にして、爺さん三名、婆さん三名が机を囲
む。K さんは目を細めて、みんなを眺めなが
ら、ボツボツと話し出す。
k 「去年、端午の節旬に鯉織を児童施設え
あげたが、こんどの雛節句には人形をあげた
ら、子供が喜ぶと思うが、どうだろうか。」
s 婆さん「そら、ええこっちや、ええこっ
ちゃ。」
A 爺さん「どのくらい銭がいるだろうか。」
k 「事謗所に調べてもらったら、この位の
もの(手で三十糎位の高さを示す)が二千
円、この位が三千円位する。」
K 会長さんは職員のGさんにきてもらい詳
しい説明を聞くことにする。
・・・・・・・・・・
k 「部屋え帰つて、皆に相談してくれん
か。」
そこで役員は各棟に帰り、各部屋を廻つて
意見を聞く。異論はなかった。年寄達は適宜
小使銭を出し合うことになった°職員もこれ
に協力し、六、二四0円集った。
K 会長さん、SさんはGさんと一緒に富岡
の人形店を廻り、日本人形二つを買い集会所
に飾った。年寄達は集つてきて喜んだ。
節句の前日代表者十数名はたちばな学苑と
宝田寮を訪ね、これを子供達に賜った。
年寄は子供を膝に抱かせてもらい、子供た
ちと茶菓を御馳走になり、顔をほころばして
のご浩悦であった。
養老院の老人は孤独で社会の底辺に喘ぎな
がら生活を送り、常に社会の人々の世話にな
つてきたためか、人と協調することや、他人
に尽すという心に欠けている者が少くない。
したがつて、小さい自分の殻に宿じこもり消
極的戸何にごとにも受け身で物を考えやす
ぃ。したがつて、喜びや楽しみも自分の力で
作りあげるというより、他から与えられて得
られるものだと思いがちである。これでは日
々の生活に張がなく老い込んでゆき易い。
そこで養老院を大家族として融け合い、助
け合い、楽しみも悲しみも共に分かち合って
いこうということから、昭和三十五年五月牧
容者だけの自主的な会として幅寿家の会が生
れた。職員はこの会と緊密な連繋を保ち全幅
の協力に努めているが、自、主性を重じ、職員
は、この会議に出席しないことを原則として
いる。
役員は世話係と呼び各棟から一〜ニ名選出
され、任期は三ヵ月である。任期が長くなる
と役員がボス化するので交代性となってい
る。世話係に選ばれた者は収容者の代表とし
て.養老院の運営にあづかり、自分の棟の世
話もする立場になるので、日常生活に張り合
いが出るのであろうか、生活態度のよくなる
者が少くない。
Y さんは利己心が強く、我が儘者で一般に
−24−
__________________________________
好感を持たれていなかった。そのyさんが昨
年+月世話係に選ばれた。ところが、棟の代
表者だとの誇りはYさんを一変した。
棟内の弱い人々の世話から紛争事の仲裁を
始め食堂の手伝い、室内外の掃除等卒先して
行い、棟内の意見などもよく事務所に伝え、
Yさんの活躍は目ざましいものがあった。
Y さんは忽ち年寄の尊敬を受けるに至っ
た。Yさんは世話係を交代してからもいそ
くと院内を駈け廻つて世話をしている。
E さんは八十五才のお婆さんであるが、人
一倍の元気者であり、気の強い大の動き者で
ある。また気の強い大の凡板面好きでもあ
る。そこで思ったことは他人の迷惑も考えず
行うし、他の年寄のすることで気に入らぬ場
合は言葉ぎたなく指摘し、自分の気のすむよ
うやり直す癖があるので、ワンマンだと非難
を受けていた。ところが世話係になって幾回
目かの役員会で、このワンマンが問題にされ
た。役員が威張るといけないということで…
…。Eさんは反省し世話係として自覚したの
であろうか、人の嫌がる言葉も行動も少くな
り、親切に世話をする良い婆さんになった。
病室に通つて花や小枝を活けている姿もよく
見られるようになった。今では詠歌グループ
十六名のリーダーにもなっている。
椙寿家の会は秋の運動会、エ夫作品展から
老令年金のすそわけ、冬のうがい運動等諸種
の事業を行ってきた。私共も院内諸行事から
献立表の作成まで、極力この役員会に下相談
することにしている。
養老院を自分の家だと思う明るい雰囲気に
したい。そうして福寿荘の会が、養老院の老
人も一般社会の老人に劣らず,日々の静かな
生活のうち自分の力を知る喜びと、地域社会
に希望を繋ぐ―つの助けとなってもらいたい
ものである。
いまもまた幅寿家の役員送は、四国霊所七ヶ
所詣りの計画に余念がない。・・・
高松遠足と交歓会
阿南市セニヤクラプ 吉田巌
四月二十日午前七時阿南市セニヤクラプ会
員三百四十名は好天気に恵まれ楽しい高桧遠
足に出発した。そろいのゆかた、たび、うち
は・・・とおどりの用意おこたりなく小学校
の子供の時を思い出すかの様に昼弁当も楽し
い持物であった。数且即から仲間同志であれ
これと打合せをしたのも楽しい事であった。
六台の.ハスをつらねて出発した。テレビ写
真にうつされ乍ら徳島を過ぎ鳴門の小橋が夢
の様に浮かぶ下を素通りして北灘海岸をすぎ

十一時半高松市粟林公園東入口に到着した。
そこには香川県老人会々長岡田直氏と香川
県社会福祉協議会主事長谷川久倫氏及香川県
老人クラ。フの会長様十数名が居並んで我々一
行を待ちうけられていた。聞けば十一時の到
齋予定には国分寺クラブ員三百名の方々が入
口で待っていてくれたのが我々の到瘤が予定
より半時間おくれたので会場へ入られたと
の事であった°係の方々に案内されて会場へ
入ってみると香川県国分寺クラプ会員の皆
−25−
__________________________________
様が拍手でお迎へ下さった°広い青い芝生が
会場だ。芝生の中央に大きな木が茂り芝生の
周囲は林となっている°早速香川県民生課長
武村徳一氏の歓迎御挨拶、香川県老人クラプ
連会会々長岡内直氏の歓迎の弁があり、阿南
市老人クラブ連合会代表で吉田会長謝辞を述
べて昼食に入り、食後由井副会長の指揮に
より揃いのゆかたとたび姿で元気よく円陣を
作りうちわを右手に相馬盆踊りを二百余人が
踊った。ァンコールの声が各所におこり花笠
踊りも踊った。津峰むつみ会の有志による津
峰音頭も桜の枝を両手に持つて踊った。最後
に全釦阿波踊りをした°香川県の有志の方も
之に混つて踊った。香川県の老人クラプ会員
はこんな広い場所での踊りは用意していない
との事で又の機会に譲ることとしてなごやか
な交歓談話で終った。「会員がよく一致して
いる事は、ほんとにうれしい事だ…·:」と岡
内会長さんのおほめの言葉を戴いた。聞けば
国分寺のクラブでは、毎月講話会を聞き講師
は岡内会長さんが最も歓迎されて常にお話し
をされている由、総会には八百人位も集会せ
られ来賓は知事は何時もこられ其他数十人の
有志が出席される由で会員は実に整然と席に
つかれ、いかにも整備された整ったクラプで
踊りはせなかったが其行動の整然としている
事は驚くべきものであった。会員の家庭には
―つもいざこざが起らないそうです°私も一
度その講話を聞きたいものと考へ次回の日時
決定次第御知らせ下さる様依頼した。我クラ
プの前途に対し―つの指針を与へられた様に
感じた°修養に重点をおかれた国分寺クラプ
と踊りを通じて身心両面の修練を目的とする
我クラプも目的は同じである。外面的には相
当異る様感られるが、そこに我クラプの今後
に課題が残されている様に思はれた。後高松
市内随一の繁華街丸亀町を一l一味の音に合して
阿波踊りをした。数町もある長い道を、見物
の人々は口をそろへて「元気ですね」を連発
していた。四国テレデで放送された時、終戦
後強くなったのは「靴下と女の人と言はれる
がその上に老人を加えることになった。」と
ほめられた°確かに強くなっている。我クラ
プでは連続五時間踊つて尚平気、世話役の私
がまいったこともあった。後屋島の頂上に登
ると又元気に歩きまわって景色を十分なが
め、午后八時家に到着した。
何の故障もなくメスによう人もなく。そし
て楽しかった。また行こう。お世話になりま
したの連続であづた。
善意銀行そのプロフィール③
車の御用はどうぞ
武岡孝之さん
徳島市佐古町十三丁目
善意銀行、払出し控に六月二十四日婦
人ホーム児童二九名、小松島市櫛淵のや
まもも狩りに運ぷ、七月二十七日県立母
子寮にオルガンの輸送、九月十五日とし
よりの日に理髪回転椅子を県立養老院、
阿波養老院、吉野川育成園の三ヶ所に運
ぶ、と、まるで大繁品している運送屋そ
のものだ。
これでは本家の運送に支障を来たしは
しないかと案ぜられるが、当の武岡さん
は「いつでもお気易く仰言って下さい」
と気軽に云う。
筈意を運ぷ自家用車一合、トラックニ
合を登録されてから、すでに尊い実蹟は
荒々と挙げられている。而も運転も御主
人が自ら、荷物を扱うには人夫もいろう
と奥さんまで動j見しての協力ぶりには涙
の出るほどの感瀕だ。
お宅は陶器問屋で大変忙しい中を一寸
でも、不幸な人や困った人のお手伝いに
なればとの健げな実践は、ともすれば荒
み勝ちなこの社会に明るい光りを導びく
人として袈えたい。
−26−
__________________________________
A子さんの育児日誌
宝田寮 武田琢円
宝田寮は中間児を、お預りする養護施設と
して発足したのだったが、そればかりでなく
て、幼児をも育てなければ完全な養護施設で
はないので、開設後始めて、2才の幼児A子
さんを迎へることにした。
保母先生達は子供を産んだ経験のない方ば
かりで、私くし始め寮の皆んなは、之れに対
して大変な慎重さと用意を以つてのぞんだ。
入寮までに数回に渉つて、職員会も開いて
協議もした。そして遂に迎へねばならぬ日が
来た。それは児童相談所から指定された、四
月三日の記念すべき日であり、叉この子の運
命付けられた日でもあった。この日は避悪
く、大しけで、私はこんな日に、いたいけな
い、小さな赤ちゃんを迎へることは可愛想に
思って迎へることを、天気のよい日に変更が
してやりたいと思って、相談所に電話をして
みたが、既に、この天気でも相談所は予定を
変更せず、00 先生がA 子さんの居る小松島
日赤病院に行かれたと云うことで望みの綱も
切れた。待つま程なく午前十一時頃A子さん
は日赤の保母T 先生に守られ自動車で雨の中
を抱かれて、寮へ走りこんで来た。
色の青白い弱々しい、人おじのする、不安
顔をした、見るからに、強よさうでないこと
に胸がうたれた。それでも寮では全員揃つ
て、この子を喜んで迎へ、皆んなが立派に育
てねばと、深く心にちかった。引渡を終る
と、T保母先生は、したって泣かれては困る
と思ったか、いそいで、自動車も待たせてあ
った関係もあって、雨の中を別れていった。
引渡は至極順調にいった。しかし、この子の
経歴をみた私は、ひとしほ、琳しさと.可愛
さとを催うした。これがほんとうの母なれ
ば、どうして、こんなに、あっさりと受渡し
が出来ようか。母もそのたもとが涙でぬれる
ほど泣いたであろう、A 子ちゃんも、仲々母
をしたつて離れなかっただろう。生れながら
にして目に見へない運命の糸にあやつられた
A 子ちゃんは、こんな順序で、こんなふう
で、宝田寮に引渡された。思へば胸のつまる
ことである。これを最初に受取ったのは主任
保母さんのM先生のやさしい手であった°可
愛いい黄色な洋服にくるまれ、ちいちゃな、
やわらかな手には、何だかしれない御菓子の
袋をしつかりつかんで離さない。おずおずし
て今にも泣かんばかりの表情だった。たよる
のは、その御菓子丈が命の綱と思っているの
かその無心のすがたに泣かされた。
この時から私はこの子の日記を作って、親
として母代りとして、充分に養ててやりたい
と心にちかった。
これは、あながち、私ばかりの願いでなく
て施設に住む皆んなの先生方の願いでもあろ
う。
−27−
__________________________________
迷神を迷信で導びいた相談
小松島市心配ごと相談所主任相談員 笠原林蔵
或日空はどんよりと鹸り今にも雨が降りだ
しそうな陰気な天気でした。相談員の斎藤、
浅井両君と私とで世間話をして居た時相当年
配の老婆さんが見えて嫁の事で相談したいと
申されましたのでヒョット老婆さんの顔を見
たら何と眼は釣り上り一と癖も二た癖もあり
そうな面容、実に陰気な顔でした。それで相
談の内容を聞きますと近頃嫁が姑の言ふ事を
聞て呉れませぬ。之れは嫁にわ何とも形ちの
知れぬ四足が付いているからと申しました。
是れを聞きまして私等相談員はハハア1 此の
姑めさん一寸御出でて居るなーと思いました
ので姑めさん貴女は神様か何か信仰して居る
のではありませんかと申しましたら姑めさん
わ俄に気位を付け我は或神を信仰する事既に
二十五年今は神の申す事は我には良く分かる
と申し中々の迷神振り、そこで相談員等は此
の姑めさん相当迷神の途に入られていると思
いましたので是れは寧ろ迷神を利用して円満
に導くのが善いと思いましたので姑めさん貴
女の信仰なさる神様は御径は何と申しますか
と聞きましたら仏説摩阿般若波羅蜜多心経が
第一だと申されましたから其れでは貴女が嫁
の事で腹が立った時には必らず此の御経を神
様の前で百遍以上も御唱えして心の落ち付い
た時に嫁に静かに話をなさい、必らず神様の
御利猟がありますと申しましたら此の姑めさ
ん中々の正直者で御教えに従い実行して見ま
すと申し掃りました。其後御合いした時姑め
さんの申されるには近頃は嫁の四ッ足も帰り
家庭が静かになり一家幸福になりましたと嬉
で申されました。
相談員も其の効きめの現われには驚きまし
たと同時に是れは笑い事ではないと深く考え
させられました。
善意銀行そのプロフィール④
徳島女性自動車クラブ
奥村倫子さん
徳島女性自動車クラブの顔ぶれは他種
多様で、いろんな女性が入っている。
代表である奥村さんは一家の主婦で夫
君重雄氏は徳島大学工学部教授をされて
いる。
「女が自家用車を乗りまわしケシカラ
ン、有閑マダムの見本じゃ」と弥次馬連
に騒がれたのも遠い昔のこと。
児童収容施設の子供のため運転のママ
さんとしてビクニックや、やまもも狩
り、果ては一日里子にゆく子らのための
運搬係などクラプの連中は奉仕に大童、
中でも突村会長を始め犬伏喜代美さん、
松崎あやさん、串ひろ子さんらが活躍の
中心である。「私達は自家用車をもつてぶ
ぶいることで特権階級のように見られるの
どは心外です、少しでもこの車で社会のお
二役にたてばと念じつつ菩意銀行に登録し
ました。」とみなさんは云う。
この徳島女性自動車クラブは六十名ほ
どの会員があ々つて仲々盛んな行事をや
っている。
−28−
__________________________________
社会福祉に想ふ
勝名福祉事務所長 海老名二美夫
地方の第一線で、十幾年ぷりに再び社会幅
祉の仕事ととつ組んでいる私にとつて、今一
番大きい関心は、私達をも含めてこの地方の
人々や団体などが、社会福祉についてどれだ
けの熱意と理解があり、どれだけの協力が期
待できるかと云うことである。
私達は、毎日の大部分を経済的に恵まれな
い人々を相手にしているのであるが、こうし
た仕事の性質上所謂「馴れ」ということを一
番薔戒しなければならないことだと思ってい
る。不幸な人達のことを一時的にもせよ手を
批ねいて軽視してはおらないかと毎日の仕事
の中で反省をしているのである。
又、こうした問題が始終頭の中を占めてい
るせいか不幸な人々がなくなり、明るい社会
が生れるために、最少の予算で最も効果のあ
がるような方法がないものであらうかなど妄
想に似たようなことを何時も考えるのであ
る。
果してそんな忍術、奇術のようなことが、
現実に可能なのであろうか。
手前味噌のようだが、私はこう思ってい
る。赤い羽根の共同募金と赤十字社費募集運
動が発展し、国民の間に滲みわたってゆくこ
とがそれだと碓信を持つている。
この二大運動こそが、この奇術の種明しで
あり、又これ以外にはないのではなかろうか
とさえ思っている。所謂「奉仕精神」の振興
である。名づけて「社会奉仕」。
「奉仕」といえば、赤十字ほど大きな奉仕
的な組織はないであろう。この赤十字の旗印
とする「博愛」、「人道」、「平和」の三大
原則を一人一人が理解し、唱道し、明るい社
会建設のために社会人としての自覚をたか
め、身近な社会奉仕活動を実践してゆくよう
になったときこそ始めて私の妄想は現実とな
るのである。
リンカーン日く「私は一っの痛切な願いを
持つている。それは私がこの世に住んだが故
に、少しだけ世の中が良くなったということ
が、確められるまで生きたいということだ」
私は、この言葉が忘れられない。
私は、人々が人間として当り前のととを平
然とさりげなくやってのけてゆくような世の
中を夢みているのである。
−29−
__________________________________
〝箱根土産〟
県社協事務局次長 藤原普
いのちこそは一番大事。この大事な生命を
守る仕事が、いま日本中のすべての処で日一
日と盛んになっている。
私は去る七月、この大事ないのちを守るた
めに、ク地域住民の自主的な地区組織活動を
どのように推進するかクこうした課題ととり
組む、育成協全国指導者研修会(箱根会議)
に出席した。
国際的な社会、経済情勢の変化とそれにも
とづく国民生活の変貌に影響されて、新しい
方向へと進展する社会幅祉事業をいろいろと
研究討議さして戴いたが、一番ありがたかつ
たのは私自身で、五日間うだるような街中の
暑さを忘れて、山の緑も一段と美しい箱根小
涌谷の旅館で、温泉気分をたっぷり味い乍ら
のセミナーは、十年程も私のいのちを延して
もらったように思われた。
地城開発の概念と原則に関する研究、現地
踏査など、新しい勉強もできたが、話術と性
教育の大家.ラヂオドクター石垣純二先生か
ら荷物にならぬ立派な箱根土産まで戴いたの
は全くありがたかった。
私逹の最大のしあわせは長寿であり、この
ク長寿の秘訣、それは女房を大事にするユー
モアたつぶりの七ヶ条の教えであった。
私一人でしまっておくのはもったいないの
で、皆様に御紹介した。
自分が長生きしようとすれば、まず妻に長
生きされることだ。孤独が死を招く。男女と
もに一人者は必ず早死する。
すべからず男性よ、妻を大事にするコツを
学ぷべきである。
一、神は力性をガメック造つている。女性は
贈り物なら何んでも悦んで受けとる。
女房も女だ、贈り物を悦ぶが、高い品は
絶対禁物。なるべく安い物を多くプレセン
トすべきである。百円か最高三百円止り。
それも理由のある日、旅行の土産等で、
それ以外はおこられる°モッタイナイ••…•
と。
二、女房の前で第三者の女性を絶対にほめて
はならない。隣の奥さんをほめたり、週刊
紙の女性をほめても女房旅は御気嫌が悪
い。上手に第三者の女性を意識してけなす
コツーーーこのコッを日常の会話としてとり
入れること。
三、外の仕事、これは九十九%まで報告しな
さい。男は一度家の敷居をまたげば、七人
の敵があると云う。その七人の敵とどうた
ち廻ったか、交通事故はしないか、上役と
衝突しないか、心配しながら主人の帰宅を
待っている哀れな動物である。詳細にその
日のことを報告しよう。但し後の一%は絶
対話してはならない、−−それはプライベイ
トのことだ。
四、釣りあげた魚に餌やるなー|もったいな
い。これでは飼つている金魚も死んでしま
う。時々水を変え、餌をやつてこそ美しく
金魚鉢の中で泳いでくれる。
さりげなく女房をほめるコッを研究しよ
う。
−30−
__________________________________
五、男性よ、すべからず三十五以上にして
オシャレをしよう。ワイシャッ、ネクタイ
等身の廻り品を美しくして、散髪代二百五
十円も月二回は奮発しよう。
女房には、常に不安感を与えることであ
る。
六、あらゆる機会にさりげなく手をさわるこ
と、さわらせること。不自然でなく、靴を
はく時女房の肩に手をもたすとか、ネクタ
ィをしめる時.耳垢をとらせるとか・・・。
元気な人は、出勤前の握手、それ以上でも
尚結構
七、年一回は夫婦で一泊二日の旧婚旅行をど
うぞ、但し千円以上の立派な旅館・ホテル
は使うなかれ、金銭的に不安感を持たせて
はならない。安心して、佃似使いをしない
旅館で、飲みたいビールも三本を二本にし
て、新婚旅行の二分の一の経費で楽しい旅
行を、但し子供達等附属物は絶対に連れず
に、二人だけのムードを生して。如何でし
よう。この七ヶ条を守ることが私達のしあ
わせを保証すると云うのです。
クしあわせを高める運動ヽが今全国的に
民生委員が中心となって推進されている。
地域住民のクしあわせグを、ーーーそれに
はまず指導者のみなさんがこの長寿の秘訣、
女房を大事にする七ヶ条を、慎軍に実行され
ることをおすすめする。
善意銀行
そのプロフィール⑤
徳島バレー研究所 国頒朝子さん(二七)
「秋立ちぬ」と云えど残暑酷しい九月八日の午さがり、西麻植の
国立徳島療養所は時ならぬ賑いで、てんやわんや、善意銀行慰問団
として日舞の水木流喜久和と共に可愛いい踊り子達が繰り込み、日
頃鍛えた洋舞の見せどころを舞台一ばいに展げ、患者さん達をゃん
やと悦ばした。寮養所徳和会の湯城委員長は「私達患者は、ともす
れば荒みがちな心をどのように支えていくかが大きい悩みです。こ
うして純真な幼ない人達の心からの慰問に触れ、心暖まる思いがし
ます」と感激の謝辞を述べられた。
主宰の国頒さんは「私達の踊りがこれほど役立つとは考えていま
せんでした0 人に悦んで戴けることほど幸せなことはありません。
子供達の親達から踊りを通じて社会のお役に立たせてほしいーー'
の願いはありましたので今度筈意銀行ができ早速と預けました。子
供達も社会性を感じとり自覚と誇りを得たようです°今後大いに活
用してほしいと思います」と話された。
国頒さんは戦後外国に渡り新しいバレーの研究を終えて新進バレ
リーナーとして東京で活躍していたが、老父母の住む徳島に帰られ
、末開拓の地の開眼に努力されている。
最近テレビなど芸能番組にも、よく出演しつつある。
−31−
__________________________________
「あなたの善意を預かります」
徳島善意銀行の出発
徳島で誕生した善意銀行は素敵なアイデイアとして、一躍脚光をあ
び全国から注目を受けています。開設は昭和三十七年五月ですがこれ
と時を同じくして大分県においても、善意銀行がスタートしたが、本
県の善意銀行は技術預金、労力預金と精神的なものが主体で畜善意が
善意を呼び日毎に著意の波紋が大きくなっています°徳島県下には、
今までになかったダイナミックで、創意工夫に富んだまごころからの
善意の表現が、毎日のように展開しています。
そこで、善意銀行の概況をお知らせすることにしました。
善意銀行のできるまで
昭和一=+六年の県社協の軍点活動の一っとして、こ施設の社会化グ
をとりあげ、その推進の強化に努めた。特に同年五月の児童幅祉月間
行事としてク一日お父さんグ(母子寮の子供とボランテイアの一日.ヒ
クニック)ク施設奉仕者懇談会グク一日園長一日保母グ(児章収容施
設並びに全保育所にて実施)などを行なったが、これらの行事に参加
した社会人が、異口同音に「大きな感動を受けた」「今後とも続けて
いきたい」という意思を表明し、湧き上つてくる著意をひしひしと感
じることが出来た。こうした一連の行事の中から県社協が得た教訓は
〝社会人の一人一人の心の中に埋もれている菩意の発掘を忘れていた
のではないか〟ということである。
たまたま、県社協と市町村社協の専任戯員の会である渦の会で「ボ
ランテイアの育成について」研究をもったが、その中で出された問題
点は
⑴大衆が理解するには社会福祉津業が専問化しすぎている。
⑵大衆はいまなお社会事業を昔の慈意事業として受取っている。
⑶社会福祉事業の住民参加の場である共同募金は反省期に至り前
向きにすべく努力が払われている。
⑷社協活動がマイナスのニード(ボーダーライン層以下の人達の
問題)ばかりを対象としていたがプラスのニード(生活に困らな
い人が社会につくしたいというニード)を忘却していたのではな
いか。
以上のような反省から住民の自発性にもとずく、著意を前向きのか
たちで動員できる場の必要性が痛感された。こうした要諧のもとに誕
生したのが徳島のク箸意銀行グの構想である。
昭和三十六年八月二十九日、この構想を知った徳島新聞は〝埋もれ
た愛生かす、善意銀行来春開く〟という見出しで一斉に取あげた。
−32−
__________________________________
県社協では.この計画が公表されると、着々準備をすすめ、善意銀
行預託者の中革となるボランティアの組織化に着手した。
昭和三十七年四月十五日地域子ども会育成みつばちクラプ誕生
会員県下子ども会指導者ベテラン四〇
名毎月定例会をもち、地域子ども会の
理論と指埠技術探求に懸命となってい
る。
昭和三十七年四月十八日
こころの里親会誕生会員施設奉仕者
六〇名五月五日〝子どもの日〟に「心
の里親バス」を出し、施設の子どもと一
日ビクニックを開いた。常時文通によ
り、心の交流をはかつている。
昭和三十七年五月十一日
市町村椙祉活動推進研修会を開催し、正
式に善意銀行の支店開設を決議した。
〃〃五月十八日
小松島市社協にて善意銀行支店を開設、
当日三〇人が預託し、即日市内養老院へ
理髪屋さんと一人三部合奏の音楽家を女
姓ドラメーが移送し貸出第一号となっ
た。
〃〃五月二十三日
預託者代表、利用者代表、関係機関団体
代表からなる株主総会が開催された。善
意銀行本店の一般受付を開始した。即日
阿波踊遮が払い出しを受け、養老院を慰
問した。
善意銀行とは
趣旨 ◆私は子供の交通事故を見るにしのびない。事故防止に交
通整理を買つて出ます。」「私は女性ドライバーです。身
体の不自由な子供を車に乗せてあげたい。」「夏休みの三
週間を施設のお手伝いに参ります。」最近こういう善意の
サービスや寄付金3申出がぞくぞくと続いています。
◆社会につくしたいという善意は誰でも持つている。しかし
どのようにしたらよいかわからないままで心に埋もれてい
る善意も多い。また恵まれない人で、まだ一度も人の善意
にふれる機会のない人も多い。そして社会の責任において
やらねばならない事柄で、見さ落れていることも多い。
◆うるおいの少ないめまぐるしい社会情勢のなかで、明るい
町づくり、住よい村づくりをすすめている人々の善邸は限
りなく尊い°善意が善意を呼び、お互が善意で結ばれあっ
て、強力な社会改良の原動力となって.新しい社会づくり
がはじまつている。
◆このような人たちの善意を受け止めて、幸せな社会を築く
ためにあなたの持つている、どのようなささやかなもの
(技術、労力、金品)でも最大に生かして、社会に役立せ
てゆこうとするものが善意銀行です。
性格 この銀行は民間有志奉仕者の自発的任意の奉仕活動を助長す
るもので、あくまで預託者の意思を十分に尊重します。もち
ろん金品の割当や勧誘は行いません。
しくみ この銀行は県社会紐祉協議会に本店を設け、県単位の預金畜
払出業務を行う外`支店間の連絡調整や、ボランテイア活勁
(民間有志奉仕活動)の組織化を図ります。
−33−
__________________________________
支店は各市町村社会福祉協議会に置き、受付窓口を設けて善
意銀行業務を行います
運営 この銀行は、社会絋祉協議会が本来行わねばならない主要業
務の一つであるボランテイア活動の育成を大衆化したもので
ありますので、業務は県叉は市町村の社会幅祉協試会におい
て行います。
さらに、本店において、年二回株主総会(預託者代表、利用
者代表、関係機関団体代表よりなる)を開き、公正な運営を
期します。資妾は特別会計とし"事業報告書、収支計算書、
を株主総会に提出します。
預金口座御案内
◆技術預金◆
○運転、映写、理髪、大工、左官などの技術
○スボーツ、演芸、芸術、珠算、武道などの技能
○社会、宗教、科学、医学、文学、経済などの学問
その他どんなささやかな菩意でもご和談下さい。
◆労力預金◆
○施設奉仕・・・洗濯、裁縫、遊び相手など
○公共奉仕・・・道路補修、樹木草花手入。清掃など
○地域社会福祉活動奉仕・・・共同募金運動、新生活運動、交通安
全運動、防犯運動、褐祉活動、衛生活動など
◆金品預金◆
○現金・・・香典、祝儀等のお返し、社協賛助会員加入、預金
委託(預金利子のみ提供する)、一円玉募金、バ
ザーに協力
○物品・・・衣料、遊具、建築資材、樹木など
特別口座◆奉仕グループ加入預金◆
こころの里親会
会員がお互の連絡、研究、親睦を深めながら、児章福祉施設とつ
ながりをもち、子供との文通や訪問活動、一日里親などの活動を通
じて、施設児蛮の慰問、激励をすすめるグルーブです。
地域子ども会育成みつばちクラプ
地域子ども会を育てるために、クラプ員がお互に児童集団指恐技
術を研究し、身につけた技術を生かして、地域の子どもの健全育成
につとめるグループです。
点訳奉仕団
盲人の目といわれている点字を学び、一人でも多くの盲人に明る
い希望と光を与えようとお互にはげまし合いながら、点訳奉仕をつ
づけ点訳書を本県点字図書館に寄贈しているグループです。
善意銀行の三化作用
社協活動が十年の間に果すことのできなかった課題が、善意銀行の
窓口を開くことによって、少なくとも三つの機能が促進される。
一、社会福祉幸業の大衆化
地域ぐるみ福祉活動が、最近になって、やかましく云われている
が、必ずしも社会福祉事業に住民参加の場を提供していない。社会糾
祉事業関係者の側から、地域ぐるみ活動をとなえているが、住民から
見ると高嶺の花で、ピンとこないのが事実ではなかろうか。これは社
会事業が専門化しすぎているため、子供の教育は学校の先生にといつ
た面が見られる。しかし最近の学校教育は進歩している。父兄が身近
な自分たち自身の問題として感じてきたからである。社会福祉事業
−34−
__________________________________
も、「恵まれない人に愛の手を。」とか「共同募金に協力願います。」
など、「お願いします。」は最早、前近代でなかろうか。「お願いし
ます。」ではなくて、「自分達自身の問題だから、自発的にするの
だ」という気持を醗成し、動員していこうとするのでなければならな
ぃ。共同募金が行詰つているといわれるのも、義務感を与えているか
らで、人間が等しく持つている「まどころ」や「善意」を引き出す努
力が不足していたためであり、方法が真逢つていたと反省される。社
会福祉事業がお互自身の為であることを意識せしめる場が善意銀行で
あり、社会福祉事業を大衆化せしめる狙いを持つものである。
二、ボランテイアの組織化
社会幅祉事業でのボランティアは得難い存在である。いま一人のボ
ランテイアを得れば、明日には二人のボランテイアを得るように配慮
されなければならない。しかし、そのためには手ばなしでは駄目で、
ボランテイアお互の共通の広場をつくり、ボランテイアがボランテイ
アを生む仲間づくりの意識を盛りあげ、更に、地域が競つて、社会福
祉事業を自発的に進めていこうとするムードをつくりあげてゆかなく
てはならぬ。善意銀行はこうしたムードをつくりあげボランテイアを
組織化してゆくにはもつてこいのシステムである。
三.ボランテイア活動の合理化
ボランテイア活動が、任窓に行なわれる揚合、社会梱祉の専門家で
ないために、誤った善意の表況が行なわれたり、受ける側のニードと
異なったり、善意行為が一方に遥して厚く菩意のとどかぬ均所があっ
たりする。こうした善意行為の固要供給の,ハランスを調整する機関が
あった方が良い。こうしたことから菩意銀行はボランテイア活動を合
理化するはたらきを見事に果してくれる。
善意銀行
そのプロフィール⑥
水木流喜久和会
和田俊子さん(三二)
徳島市昭和町一丁目
県社協の民謡学校を担当して明るい町づくりに大きい足跡を残
した和田さんは、老人大学が昭和三十四年に誕生して以来「すぐ
踊れる氏謡の手ほどき」でレクリエション課目を受持ち今日まで
四十回延五千人の老人と親しみ、その他未亡人会、婦人会や職揚
など県下の町村の隅々まで足を迎ばない処はない。
筈意銀行ができて第一に払出したのが共同募金主催の大島青松
園、長島愛生園、邑久光明園の慰問阿波おどりだった。一行三十
余名、特に若い娘逹の多い「水木連」を編成して瀬戸内海を渡っ
た。それは八月二十九日だった°和田さんは徳島市の戦災で右手
を失い戦後、凡てを踊りの道一筋に生きてきたーーそう云った人
生のハンディキャップが島に住むライ患者に何物が大きい感動を
与えたのは事実だ。「来年も必づと来て下さい」とハンケチを振
り乍ら帰りゆく慰問団の船をいつまでも、いつまでも見送る患者
達に深い親しみを覚えた喜久和会の若い人達は「この感激は金で
は買えません」と話る。「ほんとうに金で買えない尊い仕事が踊
りを通して出来ることは誼しい」と和田さんも云う。
−35−
__________________________________
善意銀行の効果
滉在、翌詞霜以行本店が出発して四ヶ月になるが、預託者の状況は、
本店、にけでも約二00 件、人員にして約二、000 人に達している。
このうち約七りまでが払い出しを終つている事実を見ても、その成果
は予想以上のものがある。
また筈・話銀行を連営して、次のような思わぬ副産物が生まれ、善認銀
行の構想が予期以上のすばらしさを持つことが証明された。
一、善意の預金に善意の利息がつく
大工さんの技術預金の払い出しを受けた精薄児施設あさひ学園の子
供たちは、侯たちも社会へ、こ恩返しにと、近くの西部公園のチリ拾い
を買つて出た。また市民プールで心臓マヒで死亡した中学生が、家庭
が賛しいので徳島市の善意銀行から葬知費一切を負担し、善意銀行葬
を行ったところ、学校の先生やお友達、寺のお坊さん、葬具店までが
奉仕協力したり、これを伝え聞いた町内会全員が善窓銀行に登録を行
ったり、造朕からは香典返しが善意銀行へ預金されたり、善意の利息
が続々と出たのには、今さらながら善意銀行のありがささが身にしみ
たとか。
二、善意の二重奏
善意と菩意が重なって見事な愛の花の咲いた話。
小松島市櫛淵股協から施設の子供たちを山桃狩りに招待をした。そ
の往復は、女性ドライバーや、自家用車を預金したおじさんたちの車
に分乗して、子供たちは大はしやぎ°善意の二重払い出しが効を奏し
た出来事である。
また、お菓子製造技術を払い出すには菓子の材料代がいる。これは
現金預金から引き出された。
精泊者施設育成薗では、お盆の阿波踊りを熱望している収容者の願
いに答えて、踊り浴衣の払い出しを善意銀行に申し出た。早速、県保
育事業連盟と、徳島市役所、徳島市旅舘組合から八十着の浴衣が寄贈
された。浴衣だけではさびしかろと、三味線など芸能預金が引き出さ
れ、おはやしつきの二重払い出し、育成園ではことの外たのしい今年
のお翁ではあった。
三、まこころこもった善意の表現
奉仕者の活動といつても、善意銀行が出来て、今までに見られない
まごころからの表現がみられるようになった。
例えば喪老院へ百人前の江戸前ずしが贈られたが、単なる物品寄贈
でなく、定休日を利用し、一家総出で、養老院食堂に、すし屋さんの
模擬店までつくり、お年寄りの眼の前で、お店そのままのふん囲気
で、心こめたにぎりや巻きずしがおくられた。
また、県菓子工業組合青年会では、クとしよりの日グに県下十施設
の養老院の牧容者約六百名に八万円相当のお菓子を贈ったが、このお
菓子は、出来たてのものを召上つてもらおうと、前日にわざわざ心を
こめてつくりあげたもの。
四.谷間にともす愛の灯として
現在の制度や民間活動の中で、うつかり手のとどかない谷間があ
る°重度心身障害者の福祉やボーダーライン層の子供の問題、父子家
庭の問題等々・・・。
そこで徳島市社協善意銀行では、一級程度の軍度身体障害者三十名
程を一日バス観光に招待した。中には三人がかりで運ばなければなら
ない人もある。ほとんどの人が、一歩も家から出ることのない生活を
送っているので、その感激は一しおであった。
−36−
__________________________________
私の研究あなたの事例
精神薄弱児の福祉について
薄弱児の幅祉について国が孵神蒋弱者福祉法によって成人に対する
法的な処遇がなされ又社会的にも漸くこの子たちに関心と理解を深め
てきたことは親達に勇気と目信を与へ更にこの子たちに多くの光明を
与へたことは誠によろこばしい次第であると力強く思うのであります
が、こうした法的な処遇と社会の近代化となりながらこの恩恵に浴せ
ず社会の谷聞におる数多くのこの子等を思うとき一抹の淋しさを思う
のである。
一部の応泊旧心に対しての絋祉を論じ又精沌児福祉注によって枢祉の
逝代化だと安心するという事は危険であることは誰しも感ずる事であ
り納得することであるが、こうした状感が現在低流としての社会現象
として残っていることである。
この現象を打開しいま一歩つきすすんだ精薄旧心に対する招置を考へ
るべきだと思うのである。そうした意味的立場から私なりに次のこと
を考へるのである。
一、睛薄教育の義務化
社会の発展は教育によってそれが期待されるのは当然であり社会の
近代化は一に教育のメロメーターによるものであるが、その教育から
枠外におかれている闊応児教育は社会の発展を後退させているという
ことがいえるのではなかろうか。
義務教育により数多くの児章造が教育を受け社会の一員としてその
役割を果し生油へのよろこびをもつているこの子逹は法的な恩恵と社
会的な承認を受けているのである。
しかし法的な処遇を全然受けず社会の谷間において埓外視されてい
る精苅児に↓義務教育の措骰がないということは現代社会の現象とし
て恥ずべき社会思想ではなかろうか。
こうした子達こそ国において義務教育化し凡ゆる施策の中において
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何等かの形において社会に奉仕する人間形成を育成すべきであろう。
イソップ物語りにキツネがツルに御馳走したときに皿に盛り上げた御
馳走が食べられなかったということを思い出すが矢張りこうした子供
達にもこうしたキツネとツルとの関係のように義務化するという事に
よって、この子たちの幸をはかることが出来るのである。
二、人権の平等的価値観
福祉法により経済的な処遇とか、保護育成について施策が法的にと
られて来たということは非常によろこばしいものである。
しかし、法的な処置によって柄薄児に対する福祉が万全を期し得た
ものであるということは早計である。
社会は、身分、オ能、財力等によって人間の価値観を決定しまさに
立身出世主義の場として重要視している根強いものが現存しているの
である。こうした社会の人生においては、人権の平等というのが個人
的に破壊されているために精薄児の人権の平等的な価値観は受け入れ
られない状態である。かかる社会思潮から差別的な価値感情を払拭し
真の民主的な社会構造をうち立てなければならないことが重要であ
る。
誰れでもどんな人々であろうと法的な処遇のもとに社会の一員とし
ての世界に安心と自信をもつて奉仕出来るための国家的構造を形成し
て行くことが、人間価値観の現代の思醐を打ち砕き平等的価値観の社
会が形成されるのである。
国が精薄児の教育と保臨について、凡ての責任と義務とをもつて
「ゆりかごから墓場まで」の施策をもつてどの子供達も社会の一員と
して何等かの形で奉仕出来るための法的な裏付を固め社会人としての
人権が保持が出来るようにべきである。
三、経済偏重による問題
現実の社会は経済的な偏重によって人間の価値決定観が根深く残っ
ているのと相倹つて、経済生活における生活態度が困難な状態からし
て生活能力が個々に要求されるのである。
かかる状縣からして何かと欠陥の多い精薄児については、この社会
に適応するということは困難であるため経済的価値観からくる人間の
価値決定が必然的産物となってくるのである従ってこうした精薄児に
ついて経済的偏箪から守るために経済的な自立が出来るというために
就職指導について多くの研究がなされているが現在の社会においては
科学の進歩によりこの子逹の職場が限定されるというよりも閉め出さ
れている現社会である。
よしんば就職したとしても生存競争の激しいこの社会では自立が難
しいし又就版の出来ない子供逹が多いのである。
従って、こうした子達に対して経済的な自立の出来るために安心し
て生活日立が出来るための法的経済自立保護ができる対策を立てるこ
とが重要である。
そのために精池児の程度に応じた年金制の実施、就職に対しても厨
主に対する年金制又は公立の集団農場のように公立によってこの子た
ちのすべてに対して生活が十分出来るための法的な経済自立の対策を
立てるべきである。
三、社会自立
知的欠陥から反社会的な行為によって犯罪視され烙印的存在となっ
ている精薄児が必ずしも犯罪的な行為的存在であろうかc
むしろ、核実験により世界人類に恐怖と死を与へ震駿の淵に追いや
っている行為こそ犯罪的率からいうと精薄児よりはるかに上回る状態
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あり九牛の一毛しかすぎないのである。
知的教育により社会的自立を可能度に高めていくことは事実である
として、そのために国においても義務教育とか凡ゆる補助的手段によ
り更に教育の度合を高度に高めるために研究と努力をはかり社会的自
立におしみなく力をつくしているが精薄児については、保護、教育に
誠に微々たるものである°将来、社会的自立が困難と思われる者に対
しての対策が自立の出来る人々との関係とは国家的な立場から相当な
開きをもっているということは実におかしな状態ではなかろうか。
こうした自立困難な児童に対して、自立のための国家的援助をもっ
て国において精薄児の社会的自立の保障制度を確立し能力に応じた公
立的な施設において、保詭と教育を与へることである。
知的欠陥をもつ精薄児の教育と保護が社会的な愛情と努力によって
解決出来ないものである。いくら心理学的、医学的、教育学的な見地
から研究を加へても社会の精薄児に対する感覚的立場からしても精薄
児の教育と保護の完遂は出来ないのである。
国家的な援助と法的な処遇によりこの子達を育成しなければ現代社
会の一員こして他の多くの入々と共に自立出来ないのである。
精薄児の福祉は一に国家的全体的な責任のもとに計らなければ福祉
はただの空文に終るのではなかろうか。
老人クラブの診断
近藤安次郎
宇宙の原則は進歩にある。人間がこの世に生れたのも世の進歩に貢
献するところにあらねはならぬ。曾子日<°吾日に吾が身を三省す。
と反省は向上の母で老人クラブも自他の幸福のため常に反省が行われ
るべきである。わけても老人は年令的にお釈迦様のいわゆる生老病死
の四苦をひしひしと身に感するもので従つて今日老人クラブが遠足娯
楽に傾いているのも蓋しこれによるものであろう。ところが一時的で
はなく真正なる人生の幸福それはいつどこでどんなことに出合っても
常に神や仏のみ声が聞こえる人にして始めて安心と平和の法悦が得ら
れるものである。又愛されることを考えるより愛する人間としての道
徳的教養とか奉仕的事業も今後老人クラプの運営上重要課題である。
老人クラプの運営これを端的に形式的には毎月の常会の外同好クラブ
にできるなけ多くの種類と回数とが望ましいが、今老人クラプの診断
として百点満点に質と量に分けて検討するに(採点は一問題五点を原
則とする。)
一、老人クラプの質的反省(五〇点)
㈠会の運営が目主的に運営されているか(一五点)
⑴今の運営が総会により月別計画表が立てられているか。
⑵会贅の額と徴牧の方法は適正であるか。
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⑶寄附金助成金はいかになっているか。
㈡事業の内容が目的にそうているか(二五点)
⑴クラプの三大目標である教養娯楽奉仕の配分(予算と回数)
が適当であるか(-五点)
⑵外来の講師見学の外会員の研修体験の発表がよく行われてい
るか。
⑶対外的一般の社会奉仕も必要であるが、家庭奉仕い制が行わ
れているか。
㈢会員ならびに会の向上に見るべきものがあるか。(一〇点)
⑴クラブに入会してから必身向上の幸梱感と、家庭の和楽生活
の改善はどうか。
⑵クラプは社会的にいかに役立つているか、又老人幅祉のため
にいかに努めているか。
二、老人クラブの量的反省(五〇点)
日入会率(一〇点)
⑴該当会員(例えば六十才より七十四才まで)に対する入会の
割合はどうか。
②会員勧誘の時期(一月、四月、九月)方法は適当に行われて
いるか。
㈡開会率(二五点)
田常会(例えば年十二回の標準)に対して開会率はどうである
か。(一〇点)
⑵同好クラブ(例えば男女各一クラブを標年)の数と回数(各
クラプ月二回を標準)はどうなっているか。(一〇点)
⑶開会閉会の時間の励行と、会場準備あとかたづけは(当番
制)できている。
出席率(一五点)
⑴入会者に対する出席の割合はどうであるか。
⑵出席向上のため、いかなる方法が行われている。
⑶歓談の場として会の始まる前、会の閉ぢてからの会員の動向
どうであるか。
編集後記
壮大な鳴門の洞。この渦にあやかつて、市町村杜招専任岐員と
幅の職員で、「渦の会」という名称の同志の会が誕生した
月第一土犀日の午后が定例会で、二十名が、しやべったり、
ったり、たまには一ばいを飲んだりして、たのしい一時を過
している。
この渦の会という名称を思いついたいきさつはふるついる。鳴
門の渦は左巻さか右巻きかという議論が起つた。「左巻きなら我
々と似ているのじゃないか。昼も夜もなく、〝福祉〟〝福祉〟で
と日が暮れないのだから。」またこんな意見も出た「あの
ダイナミックな洞の力は地域福祉活動にもほしい。そして、徳島
のいたるところに福祉の渦を巻き起してみたいものだ。」
そこで渦の会が生れたというわけ。
×××
よく考えてみると、私達社会幅祉事業関係者は嗚門海峡の表面
に現われていない岩床のようなものではないだろうか。
面には見えないけれども地域住民のかくされている組織力を
起きさせる投術ーーコミニテイ・オーガニゼイションの技術を、学
びつつ福祉の渦を広げてゆこうではありませんか。
×××
本誌は表紙から巻頭言、後記まで渦ずくしとなって恐縮。
編集子もつとめて嗚門の岩床になりたいと念ずる一人です。
K生
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