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【県社協シリーズ】No.9

【県社協シリーズ】No.9 心配ごと相談所と調停

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県社協シリーズNo. 9
心配ごと相談所と調停類似行為
−その是非を考える−
昭和40年8月
徳島県社会福祉協議会
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目次
1.まえがき・・・1
2. はじめに・・・ 2
3. もめごとの誘惑・・・3
心配ごと相談所は繁昌する
一肌ぬいでやりたい気持ち
4. 個人の仲裁と調停・・・4
皆さんの御意見
調停の姿
個人の仲裁と人権の問題
もめごとの性格
もめごとは何を基準にまとめるか
法律は敬遠される
法律の世界は広く深く
法律も日進月歩
A 子さんの場合
仲裁者の願い
調停の安全弁
感情に弱い個人の仲裁
調停では感情に走らないか
確実さのちがい
過程こそ最も大切
5. 心配ごと相談所と調停類似行為・・・17
心配ごと相談所は公の機関
徳島市心配ごと相談所の話
相談者が真に期待するもの
心配ごと相談所運営要綱
まとめない相談所は無意味か
最も貴い仕事
こわい親切過剰
簡単なもめごとというけれど
6. 社会資源の活用について・・・22
7. あとがき・・・ 24
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1 まえがき
私たち県社会福祉協議会の伊東会長は地道な地域組織活動の具体策として3 つの柱を打ちたてま
した.それは各市町村に福祉大会を開催してもらうことと専任職員の配置,更に心配ごと相談所を
全地域に設置して戴く.特に心配ごと相談所は住民福祉に連なる「底ざらえ」の仕事として民生委
員を中心とした重要な役割をもつものだけにその効果も亦大ぎいものがあります。すでに4-市30
町村の既設をみて,その内容もそれぞれ地域のニードにあった自主性をもつ運営をされていますが
経済の高度成長に伴ない又そのヒズミも大きく幾多の社会問題をはらんでいます。その実態が各心
配ごと相談所によく現われています。
このたび相談所0'1方向づけの一つとして主として調淳類似行為の問題をテーマに専門家であり.
私たちの協力者ナンバーワンたる徳島家庭裁判所今井事務局長さんに忙しい公務の中筆をとって
戴きました。
今井局長さんは役所にいて役人型でない,親しさと立派な人格をもたれた方で.私たち心配ごと
相談所の育ての親とも云えまず。
つまり今日.心配ごと相談所が高度な価値を備えて参りましただけに今一層研究し努力し住民の
願いに応え「親まれる相談所。信頼される相談所.愛される相談所」になりたいものと思います。
では末筆ですが今井局長さんのご苦労に感謝して.みなさんが広くこの玉稿をご活用下さいますよ
うお願い致します。
昭和40年8月1日
徳島県社会福祉協議会
事務局長町弥一
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2 はじめに
ここに,調停類似行為と申しますのは.人と人との間のもめごとについて相談をうけれ場合に.
相談を聞いたり,専門機関を紹介するだけでなく,進んで双方の中へ立ち入って.まとめてあげる
ことを指しています。裁判所の調停に似ているところから,このように呼ぶことにしました。
最近,心配ごと相談所で行なわれる調停類似行為が,関係機関の間で問題にされるようになりま
した。理屈として問題のあることはわかっているが,実際問題としてはやっている,という心配ご
と相談所が少なくない,と見られています。
もちろん,このことについては,いろいろの考え方が可能でしょう。といって,心配ごと相談所
の相談員の皆さんが考えられるにあたっては,思い思いに結論を出す,というわけにはいきますま
い。関係方面の意見に耳を傾けられるとともに,最後は社会福祉協議会としての方針に従わなけれ
ばならないでしょう。
このたび.県社会福祉協議会の御依頼をうけましたので,調停類似行為はなぜ問題か,どこに考
慮を要する問題があるか,私の意見を,なるべく平易に述べてみることにしました。
私の独断に陥らないようにするために,裁判所全体としての考え方を把握することにつとめたのは
もちるん,県厚生課とか県社会福祉協議会の御批判もうけ,徳島市心配ごと相談所のふ考えも参考
にさせていたゞきました。
皆さんの心配ごと相談所も,私の勤めております家庭裁判所も,県民の家庭の平和を守り福祉を
増進する,という面では,共通の目標を掲げております。私どもは,心から,心配ごと相談所の発
展を期待し.そして,ともに使命の達成に向って.連絡協調の実をあげて行きたいものと思います。
この一文が.なんらかのお役に立てばさいわいです。
徳島家庭裁判所
事務局長今井盛章
-2-
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3 もめごとの誘惑
◎心配ごと相談所は繁昌する
理屈っぽいことはあと回しにしましよう。
私はここで,心配ごと相談所に,もめごとが持ちこまれやすい事情と,相談員の皆さんが,それを
まとめてあげたい,いわゆる調停類似行為をしたい,という気持ちになる,誘惑みたいなものがあ
ることを述べてみたいと思います。
戦争後大きくなった人々は,新しい教育の影響もあるのでしょうが,昔の人に比ぺ,自分の権利
というものを主張し,義理人情でなく,理屈に合った割り切り方(合理的解決)を,貴く考えるよ
うになりました。
しかし,日本人全体,とくに本県などでは,一般の水準としては,まだ主だそこまで行っていな....
いようi乞思われます。それなりに理由のあることとは思いますが.もめごとが表沙汰になることを
非常にきらう.公の場所(たとえば裁判所)へ出て解決することを極度に避けたがる,権利がどう
だこうだということをいいたがらない。理屈に合った解決を見つけようと努力するよりも.世間の
相場とか常設とか義理人情で解決することを好む.あとへ問題を残さないようにするため,きちん
とした書面を作ることなども.なんだか水くさい,相手の誠実を疑うように思われはしないかと考
えてためらう,といったぐあいです。
このような一般の考え方のもとでは,とかく個人の仲裁によって,もめごとの解決がなされがち
です。そして.その解決はしばしば'無理が通って道理が引っこむ式のものになりやすいことは.
あとでくわしく述べるつもりです。が.それはともかく,こういう一般の考え方の中で、公の機関
としてデビューした心配ごと相談所が.歓迎含れるのは当然です。
病気でもそうですが.なるべくは手近なところで治したい.と考えるのが人情です。弁護士さん
に相談するよりも,裁判所へ行くよりも,先ず心配ごと相談所へと考えるのを.一椛に理解できな
いことだとはいえません。
◎一肌ぬいでやりたい気持ち
こんな状況で,もめごとが持ちこまれる。心配ごと相談所として,その相談員とし-r:'むげに
よそへ紹介して相談者に失望を与えるよりも,自分たちでなんとか力になってあげられないものか
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と考えられるのは無理のないことかも知れません。
そのうえ,皆さんは,おそらくこういう思いをいだかれることでしよう。「われわれだって,長
い社会的験験を積んでいる。このもめごとくらい解決できないはずはない。ここで一つ役に立って
あげよう」と。
中には.自分の信仰に照らして,「ふーむ怪しからん.正邪ははっきりしている。これを放置す
るのは自分の宗教的良心が許さない」と考えられる方があるかも知れません。
また目の前に持ち出されたもめごとが.複雑困難なものに見えれば見えるほど,解決にあたるよ
るこびを強く感じ,むくむくと闘志が湧きおこる,という方がいらっしゃるかも知れません。
これらの考え方の背後に,「頼まれたことをしないと義理が立たない」「顔がすたる」「うまく
まとまれば世間から賞賛をうけるにちがいない」などの気持ちが,働いていないとはいえますまい。
誰しも多かれ少なかれいだく感情というものでしょう。
こんなぐあいで,ょほど徹底した考え方を持っていられる方は別として(そういう方も少なくな
いのですが),一部の方は「調停類似行為には問題がある」という赤信号を,すつかり忘れてしま
います。さっそくにも,もめごと渦巻く中へ飛びこんで行かれる。そういうことになりかねないの
ではないでしょうか。
「誘惑」などという突飛な見出しをつけてみた理由を,おわかり靡えるでしょうか。私どもはま
ず,私たち人間には,{也人のもめごとをまとめあげたい,という本能のようなものがある,という
ことを,一度は考えてみる必要があるようです。
と個人の仲裁と調停
◎皆さんの御意見
まだ,私は調停類似行為をよいともわるいとも申しあげていませんが,皆さんの中には,はやく
もおよその見当をつけられて「しかし」といわれる方があることでしょう。「われわれだって人生
経験を積んでいる。社会の道理くらいわかっている」「法律万能では世の中は治まらない。現に沢
山のもめごとが個人の仲裁で片づいている」「もめごとの解決は裁判所で,というつもりだろうが
裁判所でも解決しないことがあるではないか」「裁判所の調停が,わずかな費用と短い期間に.話
し合いで解決するものだくらいのことは知っている。しかし,相談者はきまって裁判所へ行きたが
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らないのだ」「調停委員とわれわれとどこがちがうのだ」などとお考えの方が多いことと思われま
す。
皆さんが立派な方々であり•豊かな経験の持主でいらっしゃること,世の中のことすべて法律で
片づくものでないこと,裁判所の調停が一般から十分に親しまれていないこと,個人の仲立ちで解
決するもめごとが少なくないこと,調停委員として裁判所の調停に参与している方が,皆さんと同じ
じょうな,地域の徳望良識者であり,決して専門家ばかりでないこと,などすべておっしゃるとお
りです。
といって,すぐに調停類似行為の是非を議論したり,結論を出したりするのは,まだはやいと思
います。
その前に,皆さんに限らず,誰しも興味をいだく「もめごとの解決」を,心配ごと相談所の相談
員としてではなく,全くの個人として行なう場合に,どういう問題があるか,それを考えてみたい
と思います。
それには,便宜,裁判所の行なう調停と比較しながら,申しあげるのがよいでしょう。個人とし
て行なう調停類似行為(仲裁)の長所と弱点が,はっきりするものと思います。
◎調停の姿
調停とは,裁判所が法律によって与えられた権阪にもとづいて,もめごとの解決をはかることな
のですが,もはや四十年の歴史を持つにかかわらず,まだ一般から十分理解されているとはいえま
せん。「ああ,調停裁判のことか」と思われる方が,皆さんの中にもいらっしゃるのではないでし
ようか。
「裁判所でなされるものだから裁判にちがいない。話し合いによる解決といったところで.結局裁
判所が権力で裁判を下す(J‘だろう」と考える方が,有識者の中にも少なくありません。
「しかし」と今度は私茄いわしていただきましょ名。調停は決して裁判ではありません。裁判所が
仲裁斡旋して,もめごとを話し企いによって解決する.それを調停というのです。個人の仲裁と調
停のちがいは,結局裁判所がするか個人がするかによるのです°
では,実質はどのようにちがうのでしょうか。もめごとの当事者双方から事情を聞き,原因はど
こ『あるかを検討し.どのように解決するかの目標を見つけ,時には諄々に考えのちがっているこ
とを説き,また時には名をすて実を取れと妥協をすすめ.誤解を解き.感情のしこりをともどもに
ほぐし,相手の立場になって考えることをすすめ.利害得失を説く.などということは全く同じで
す。ところがまず,権限のあるのとないのちがいがあります。
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◎個人の仲裁と人権の問題
法律で認められていないところに,権限のないのは当然です。ですから個人の仲裁では,相手が
いやといえば呼び出すわけにまいりません。裁判所の調停では,正当な理由がなく出ない当事者に
は'過料の制裁(場合によっては何回も)を科してでも,出るように強制することができますが,
個人の仲裁の場合は,出頭を強制したり相手の住居へ押しかけたりすると,犯罪になることさえな
いとはいえません。
権限を与えられている場合でも,それはよほど用心深く正しく用いられなければなりません。ま
して権限もなくもめごとという私事へ立ち入って行くと,よくいわれるプライバシーの侵害として
不法行為になることさえあります。
いくら親切から出たことでも.その押し売りは許されないのです。相手には,正当な権限のある
裁判所でなされるのでなければ,話し合いによる解決をしてもらいたくない,もらわなくてすむ,
という権利があるのです。
それでは,快く相手が応じる場合はどうだ,双方が希望する場合はどうだ,という方もあること
でしょう。しかし'本人が希望する,仲裁に応じる,といっても,それは自分に有利な解決をして
くれるだろうと,期待をかけている柏合が多いのですc ですから雲行き次第で.恨みに思われない
とはかぎりません。また,心から仲裁に応じているかどうか,についても十分警戒しなければなり
ません。
ぁの人は土地の顔役だから,顔を立てておかないとあとがうるさい」などと考えている場合が,
ないとはいえないものなのです。私どもは,「あの人くらい親切な世話好きはない」といわれてい
る人を知っています。その献身は貴いと思いますが,それをよろこんでいる人がいる反面,眉をし
かめている人がいることもよく見聞きすることです。
◎もめごとの性格
ーロにもめごとといっても,いろいろの性格のものがあることを述べておきましょ芯。
対立する者の間の争いであるということでは,貸金のもつれも,夫婦のもつれも同じことですが,
その性格のちがいは天と地のちがいだ,といってもいいすぎではありません。
貸金のもつれではぃ人間としての道待の問題もありますが,中心になるものは,法律上の権利が
あるかないかの問題です。夫婦のもつれでは,愛情の問題と,原因はどこにあるか,それをどのよ
うに取り去るかの問題が黛大です。もめごとの骨組みが大きくちがうのです。
夫怒のもつれなどは'とかく簡単なものに考えられがちですc それは妻としての仕え方が足りな
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いからだろう,などと,とかく常識的考えで割り切りたくなるものです。しかし,それ.くらい危険
なことはありません。
愛清とか心がけとかの,もう一つ背後にある,医学的心理学的原因を重く考えない態度は,日本
でも少なくとも20 年おくれたものといえましょう。このことについては,あとで適切な例をあげ
るつもりです。
◎もめごとは何を基準にまとめるか
個人の仲裁の場合,何を基準に話を進めて行くのでしょうか。多くの場合,一般社会人としての
道徳,正義,常識,地域的習憤,仲裁者の個人的経験や知見が,もとにされているのではないでし
ょうか。もちろん,中にはその道の専門家という人もいるでしょうが,普通はこういろことだと想
像されます。
調停の場合を申しあげましょう。社会の正義(条理とか道理とかいうもの)が,一つの基準にな
ることはいうまでもありません。調停委員という民間の方に御足労願って,民間の良識を導入して
いるのも,この点に手ぬかりのないようにするためです。
しかし,これだけでは個人の仲裁と大したちがいがありません。ちがいは,専門的法律の知識と
科学的知識が,重要な基準になるところにあります。
もめごとは常識的判断で割り切れない場合が多いのです。必ずといってよいくらい,法律的問題
あるいは科学的問題がひそんでいて'しかもそれが,最も重大な問題点となるのが普通なのです。
◎法律は敬遠される
法律などと申しますと,「法文はわかわれでも読める」「第一法律だけで世の中は治まらない」
「法律は誰にでも理解できるものでなければならないはずだ」などと,おっしゃる方があることで
しょう。
たしかに,法律は民主化されなければなりません。法文は誰でも読めますし.法律万能でないこ
とも事実です。しかし,私どもは,だからといデて.あらゆるもめごとに法律的問題点がふくまれ
ていること.個人の権利義務は法律によって定められていること・を否定することはできません。
また.たとえ道徳的問題として解決できないものではなくても,法律的問顆を解決しなければ,本
当の解決にならない場合の多いことをも.無視することができないのです。
と申しあげても,「それにしても」と皆さんは.おそらく釈然とされないでしょ気。それだけ.
一般から法律が敬遠されているのです。
法律が一般人の生活と,どこかかけはなれたところにある.と思わわるような時代なら.これで
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もよいと思います。今日はそういう時代ではなく,法律は私どもの生活の隅々までしみ渡っている
のです。その証拠に,私どもは皆さんから,「この点法律ではどうなっていますか」とお尋ねをう
けることが少なくありません。皆さんのお仕事でも,法律に関連した問題が少なくないからではな
いでしょうか。敬遠していたのでは,もめごとの解決はおろか,相談にも事欠くからではないでし
ょうか。
• 法律の世界は広く深い
法律は,御存じのとおり,一つ一つのもめごとについてきめられているものではありません。
沢山の.それぞれ顔のちがうもめごとのすべてにあてはまるように,大雑把に書かれてあります。
ですから,個々のもめごとに法律をあてはめるには,法律が正しく理解され.誤りなくあてはめが
なされなければなりません。
一つの条文だけ見て,これで万事明瞭と即断するのはまことに危険です。今ここに,人に家を賃
貸ししている人があって,返してもらいたいと考えているとしましよう。関係法文をざっと捨って
みても,これだけあります。
期間の満了=民法601 条, 604 条, 619 条,借家法8 条, 1 条ノ2,2 条,解約=民法
617 条,借家法8 条, 3 条ノ2,3 条,1 条ノ2,2 条,民法620 条,合意解除=民法52l
条ー528 条,620 条,法定解除=民法612 条, 541 条, 540 条,620 条,目的物の返
還=民法616 条. 59 ワ条, 598 条,費用償還請求=民法608 条, 600 条,借家法5 条,
損害賠償=民法620 条,4- 15 条,4- l 6 条
しかも,これらの条文は,互いに関連し,中には一見矛盾し合うよろに見えるものもあります。
正しいあてはめのためには,高度な学問的訓練が必要です。
皆さんは「判例」というものを御存じでしょうか。一つ一つの訴訟について裁判所が下した裁判
は先例として参考にされるところから,こう呼ぶのですが,これは,法律(T1専門家がつねに研究
の資料としたり,裁判所が新しいもめごとについて裁判しだりする際,必ず参考にしているもので
す。この判例を集めた本を判例集と呼びますが,要点だけを掲げた要旨集でも,全部で26 冊、合
計2 万7760頁もあります。
法律の学問は,最も古い歴史と最も徴密であることを誇っています。民法第一条第2 項に「権利
ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義二従ヒ誠実二之ヲ為スコトヲ要ス」とあいます。この誰にでもわかり
切ったことのように見える条文を研究して.「法律における信義誠実の原則」という336 頁の本
が,学者によって書かれています。これはほんの一例にすぎません。
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◎法律も日進月歩
法律の論文をのせた雑誌が,毎月何種類も出ています。新しい研究の著書が.年間何十冊も出て
いることは,朝日とか毎日新聞の広告欄を御覧になれば明らかです。
法律は.このように,学問として,専問家によって.つねに時代の進歩に合うように研究せられ
ているのです。ですから,昨日の通説が,今日の新説によって批判されるといスぐあいになること
もあれば.昨日の多数説が今日の小数説になる,ということも珍しくありません。
こんなぐあいで.一つ一つのもめごとへ法律をあてはめる仕事は.とても片手間や物好きででき
るものではないのです。六法全書を見れば条文はわかります。しかし,専門的な高い教養と経験が
なくては,とても法の適正な解釈をすることはできないのです。専門家になればなるほど,法の解
釈に慎重で,なかなか断定的な意見を吐かないものであるのは.こういう事情を物語るのです。
家庭裁判所に家事相談というものがあり.年間五千人もの方が相談に見えますが,ここでも法律
についての答えは,非常に慎重です。
相続分のような全く問題のないものにはお答えしていますが,権利がある,ないに関係したことに
は,決してお答えいたしません。法律解釈(あてはめ)の重大性を知りつくしているからです。
◎A 子さんの場合
家庭内のもめごとには,法律的な問題と並んで,科学的問題がひそむことが実に多いものです。
百聞は一見にしかず。A 子さんの場合を御紹介して,なるほど.常識では危いものだ.ということ
を見ていたゞきましょう。
A 子さん(38 オ)は結婚して1 ワ年。御主人(4 2 オ)は.ある商売をしていますが.なかな
かのやり手。一年ほど前. 10 部屋もある鉄筋の住家を新築したほどです。2 人の間には高ーと中
二の2 児があり.近所の人もうらやむ家庭でした。ところが,豪盛な住宅も.夫婦関係の堅固さを
保証するとはかぎりません。A 子さんが家庭裁判所へ離婚調停の申立をしたのです。その理由をA
子さんはこのように述ぺ走した。
「主人は元来まじめな人ですが.家を建ててから気持にゆとりができたのでしよ梵か,半年くらい
前から急に人が変わったように遊ぷようになり.近ごろでは飲んで帰らない晩はないくらいです。
まだ証拠はつかんでいませんが.帰りがおそいところを見ると.きっと女をこしらえていると思い
ますo 何回も喧かし,人にも忠告してもらいましたが.やめようとはしません。
このままでは,子供も駄目になるにきまっていますし.将来の見込みもありません。いろいろと
考えましたが.結局·無ー物になる前に.せめて家の名義でも子供のものにしてもらい.私は離婚
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して子供のめんどうを見ることにしよう,と決心しました」
よくあるケースです。誰しも, A 子さんのいうとおり,生活に余裕のできた中年男の放とうと思
われることでしょう。そして,放とうもハンカのよ的なもの.年取ってかかるほど危険なものだ。
とも。
ところが,家庭裁判所で専門的に調査してみますと,私どもの意表をつく事実が明らかとなった
のです。A 子さんは非常に洞和しい人,貞淑の点では洟点の奥さんですが,元来性生活にはてん淡
な方で,いわゆろ夫授縦法にも無頓着。とくに一年前から長女の進学を苦にし,それこそ夫のこと
など忘九てしまって,毎夜子供の部屋へ泊り込み,子供と起居を同じにする,というほどの力の入
れようでした。
一方御主人の方}ま,子供の進学を気にしないわけではありませんが,そこは男のこと,「なんと
かなるさ」というクカをくくる気待ちもあって,哭さんのようには心配いたしません。その態度が
また,奥さんのひた向きな気持らを悪化させるものとも知らず'もっぱら念願の家ができた満足感
にひたっていたのです。
こんな事情で,御主人からA 子さんへ愛を求めることもしげなくなったのですが, A 子さんは.
右のような事清でそれどころではない。かえって,それは苦労している長女に相すまないことのよ
うに思い,ついには夫君の求愛に嫌悪感さえいだくようになったのです。
するとおかしいもの(学問的には少しもおかしくないことだそうですが) A 子さんの眼には.御主
人のなすことすること,すべて不辮で野蛮でいやらしいことに映るようになりました。そのはてに
ののしり,侮辱となって,御主人を幻波に陥し入れたのです。
御主人は,はじめの間は,これによくじっと酎えていました。しかし,ニネルギッシュな活動の
できる体力の持_う.です3 しかも,まだ若いのです。いつか,不湾がつのりつのって.ついに欲求不
浩のはけ口を,紅灯の巷へ求めることになったのです。これをあながち無珪とはいえア『いかも知れ
ません。
その後,長女は無事有名校へ入学できました。ここでA 子さんが,すっかり気分を入れかえ,徊
主人の胸へもどれば問題なかったのでしょう。しかし,享実は逆に,ますますこじれて行きました。
もう,セックスがどうの,という段階ではありません。A 子さんは次第に絶望の闇へ深入りし.御
主人は元来のまじめな性格にとがめられながらも,じっとしていられない焦燥を慰めるため.いっ
そう亨楽の洞へ沈んで行ったのでした。
こういう経過であることがわかりましたぶ,ここに意外な明るい事尖応わかりました。放と勺こ
身も心も腐り切っているかと思われた御主人が.実はそれほどひど<堕落しているのではなかった
のです。元来まじめな人.バーや料理屋に入りびたっていても,底にはおどきちんとした紅全な柄
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神を持ちつづけていたのです。女もありませんでした。毎晩飲んでいるようでも,決して無茶飲み
をしているわけではなく.家計ということも決して忘れてはいなかったのです。
御主人をこの境地へ引き入れたものは.長女の進学以外何事も考えられなくなって,「いやらし
い」とか「年甲斐もなく」とか「それどころではありません」とか,御主人の人間的欲求を無視し
た奥さんの無知にあったといってもよかったようです。夫婦間の愛情というものは.相互の理解と
協力できづかれるものであることを知らなかった, A 子さんの反省を求める,御主人のいじらしい
抵抗であったともいえるでしょう。また,御主人の亨楽は, A 子さんの仕打ちに耐えるための,ゃ
むにやまれぬ手段であったともいえましょう。
家庭裁判所は,専門的分析によってとらえた真相を前に,専門の職員をして, A 子さんの治療に
あたらせました。頑な精神を解きほぐし,自分の行動(心もふくめ)を第三者の立場に立って眺め
られるようにしてあげたり,性生活というものをまじめに考えられるような気持ちにしてあげるの
です。これは決して理づめでできるものでもなければ.薬や手術でできることでもありません。
心理学的技術が必要なところから治療と呼ばれるのです。
夫婦の間には,再び平和がもどりました。私どもは.この事例を見て,話の筋に興味をいだくの
てなくて,次のような教訓を読み取るぺきだと思います。
第ーは,心理的もめごとの解明には,心理学的感覚と専門的技術が必要だ.ということです。
このケースも,このよろに全貌が明らかになってみますと,「なんだ,こんなことだったのか」と
いうことになりますが.世の中のことすべて同様です。明らかになるまでが問磨なのです。
このケースでも,もし,詞主人の道楽を責めることに重点をおいたやり方で,解決がはかられた
としたら,いったいどのような結末を見たことでしょうか。常識的な感党でのぞむことのおそろし
さを,感じない人はありますまい。また,御主人の心情や行動が専門的な着眼で正しくとらえられ
たからよかったものの,もし,そうでなかったならば.おそらく。A 子さんの御主人に対する根強
い不信感を.取り去ることはできなかったことでしょう。
「世の中に不思議なものは,いくらでもある。中でも人間くらい不思議なものはない」といった入
があります。心理の屯つれ.というものの不可解に対して.私どもは幾重にも慎堕でなければなり
ません。
第二に.ころいう種類のもめごとは.人間の最もはずかしいところにふれないかぎり.真相がわ
か9) かねるもので負それはとても個人的調査でわかるものではない.ということです。病気た例を
取って考えてみれば明らかだと思います。最もはずかしいところの病気は.狂門のところで.しか
も未知のお医者さんにかかるのでなければ.なかなか容態を述べにくいものなのです。知っている
人に尋ねられると.つい控え目にいったり.遠回しにいったりするものではないでしょうか。
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「夫婦の不和くらい」と,とかく軽く考えがちですが.こういう問題をふくむことの多いことまで
私どもは考えてみなければなりません。
◎仲裁者の願い
どうせ他人の心配ごとです。科学的問題を見落としたからといって,法律の解釈をまちがえたか
らといって,あとで恨まれるくらいが関の山,別に自分の損になるわけではない,第一まずい仲裁
かどうかわからないじゃないか,少々まずくても.それで治まってしまえばよろしいだろう.と考
えるのは,もちろん無責任な人のことでしょう。
そういう人のことは,ここでは問題外です。心から地域社会の平和と相談者の利益を願う皆さん
は,おそらく,すべてのもめごとが.法律的にも科学的にも,十分に照明をあてられて,しかるの
ちに現在だけでなく,将来にわたって円灌に解決するように,と念願されるにちがいありますまい。
まこと,もめごとにはピンからキリまであります。個人の仲裁をすべていけないというのでもあ
りませんし,それをすれば刑罰に処せられると申しあげるのでもありませんが,少なくとも,権利
があるとかないとかの問題をふくんでいそうなこと,人間関係のもつれを内容とするものについて
は,ょほど慎重でなければなりません。
私どもは'仲裁者の誤った助言や説得のため,もめごとを一層こじらせたり,一方を甚だ可哀想
な目にあわせたりしている例を,ぁ主りにも多く見るのです。そういう結果は.決して仲裁者の本
意ではなかったはずです。
◎調停の安全弁
裁判所の調停では,こかーらの点が大分安心です。「大分」と申しましたのほ,いくら裁判所です
ることでも,調停は話し合いによる解決ですから.訴訟(裁判)のように.厳格な方式の証拠調を
しないのが普通だからです。
しかし,法律的問題点について慎重なのは.裁判所の表看板です。科学的問題について,つねに
感覚を働かせるのは,家庭裁判所のお家芸です。
民間の良識を入れ.裁判所と一諸になって.もめごとの解決にあたる役目の調停委員は.多くの
塙合法律や科学の専門家ではありません。けれども.裁判官がつねに進行のぐあいを見ていて,最
後のまとめの時は.その条項について。適切かどうかの検討をする仕条且です。法律的問題を軽視し
て,どちらかの栢利を無視した・核心を突かない解決は,裁判官iこよって防がれるのです。
裁判官が必ず中心になるということが.調停と個人の仲裁の大きなちがいです。たゞに法律的な
正罰が,保滋されるだけではありません。専門家の裁判官が中心であるということで.調停委員も
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慎重にならざるをえません。
自分の知識・主義・人生観などといったものを,固執したり押しつけたりできないのです。
家庭裁判所には医師もおいてあれば,心理学など•人間の心についての学問を特別に修めた職員も
います。これらの職員でわからないことは,大学などに応援を求めてでも.調査研究することがで
きます(費用は裁判所が負担します)
このように裁判所の調停には,設備とか機能があります。もめごとを単なる道徳や常識や・義理
人清の問題として眺めるのでなくて.もっと深いところにあるもの,体とか心とかに問題はないか
についても,学問的に眺めるのです。個人の仲裁とは,質的に大きいちがいのあることが.おわか
り願えるでしょう。
また,裁判所の調停は,もめごとの処理に熟練しています。と申しますことは.沢山のもめごと
を扱ってカンが発達している,というのでは決してありません。むしろカンに頼るくらい危険なこ
とはありません。経験が豊かであればあるほど・「ああではあるまいか」「いや.こうかも知れな
い」と.自分の見方に用心深くなるものです。熟練の本当の価値はここにあります。
◎ 感情に弱い個人の仲裁
もう一つ大窟たことがありました。個人の仲裁は,感情とか信念とかに左右されやすいものだ.
ということです。
個人の仲裁を頼むとき.遠方の見ず知らずの人の門をたたくことは,まずありますまい。
同じ地域の'なるべく有力な人に頼むのが普通でしょ名。
ですから.仲裁者は.多かれ少なかれ.もめごとの当事者を知っています。関係を持っています。
それに前にも述べましたように.もめごとの当事者は.すべて自分の利益中心に考える性質を持っ
ています。なるべく話しやすい人.自分の立場を理解し.自分の方に有利に働いてくれそうな人を
仲裁者に選びたいのです。
ということは.ひっくり返しますと.当事者の選んだ仲裁者は.感情に左右さえざるをえない関
係にある場合が多い,ということです。双方全く同じ程度の関係という場合もないではありますま
い。しかし.関係の強弱は相手の考え方.感じ方によってもちがってきます。
仲裁者を心から信頼して来る本人もあれば。それほどでもない本人もあります。そこへ持ってき
て,残念ながら人間は感情の動物です。信頼の情をより多く寄せて来る本人を•より快く思わない
とはいい切れません。
また.どちらかが従Ji員で•どちらかが頑固なように見えることもあるでしょう。そこに仲裁者と
して感情が影響をうけ'片方のいろことを重く見.片方のそれを軽く見るといろことが.ありえな
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いとはいえません。
◎ 調停では感情に走らないか
このように申しますと,「その点は裁判所の調停でも同じだろう」と反問される方がありそうで
す。たしかに,裁判官も調停委員も人間です。感情に動かされることが.全然ないとはいえません。
しかし.先にも述べました「熟練」ということが.ここにも出てまいります。特に裁判官は.職
業上最も公正であるべき立場にあります。これは司法伝統と.職業的訓練によって.もはや本能化
されたものといってもよいでしょう。調停委員も,裁判所に属する公務員として.裁判所や裁判官
の伝統と気風に接しているので.つねに一方へ片寄ることのないよう自重します。
調停制度の公正を疑われるようなことをして.信用を落としては相すまない.という警戒心を持
っています。
個人の仲裁でも.全然こういう心配のない場合もあるでしょう。しかし.感情に左右されゃすい
.という心配が,どのように防がれているかを比較すると,答えは明らかだと思います。
また.裁判所の調停では,当事者が義理とか人情というものによって,不本意な承諾をする,と
いうおそれもまずありません。個人の仲裁ですと,「せっかく世話してくれるのだから」とか「世
話人の顔を立てておかないと1 あとあと肩身が狭くなる」「娘の緑談にもさしつかえる」などと考
ぇ,渋々納得することがないとはいえません。これは決して民主的ではありません。
調停の場合は.こういった顔の関係が出てきません。少くとも右に述べたよ的なことを心配する
ことな<,自由な気持ちで話し合いに応ずることができるのです。
◎確実さのちがい
つぎに.個人の仲裁と調停の..取りきめの確実さについて述ぺなければなりません。
御存じの方も多いことでしょうが,調停で話がまとまりますと.その結論を書いた調書という書
面は.通常確定した判決と同じ法律的な力を持つことになっており,もし.‘義務を負うた者が守ら
ないと.国家権力で強制的に守らせることができるのです。
そこへ行くと.個人の仲裁は.どんな名解決も.義務者が誠実に守らないとどうすることもでき
ません。道徳的に非難できても.無理に守らせることができないのです。守らない可能性は調停の
場合もありますが.個人の仲裁では,「どうせ強制力はないのだから」と,守る誠意もないのに仲
栽に応じるということがありうるのです。ですから,しばしば時を稼ぐためや.財産をかくすため....
に利用されることがあります。最初から調停で解決しておけば.こういう手おくれにはならなかっ
たのに,と歯がゆい思いをする例がまことに多いのです。
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以上で大体大きなちがいは申し述べ主したc その他のことで特に御紹介に値することを.かいつ
まんで申しあげましょう。まず,裁判所の調停では.権限にもとづいて正式の方法で証拠の取調べ
をしたり•土地の売買を一時止めたりなどといった.仮の措置をしておくことができますので. dl
き伸ばして有利に運んでやろうという悪企みを防ぐことができます。また,調停では.もし裁判所
側に不当な権力の行使があると,国家が責任を負う仕組みになっていて.当事者の迷惑は補償され
ます。不当に権力を行使したり,当事者の秘密を漏らしたりした.裁判官とか調停委員とか職員と
かが,制裁をうけることになっていることも.もちろんです。このように.裁判所の調停は.公式
に行なうように要求されているばかりでなく.公正に行なわざるをえないようにできていることに
も.御注目願いたいものと思います。
◎過程こそ最も大切
長々と.個人の仲裁と調停のちがいを述べてきましたが,私はふと.皆さんの中には.「そうい
うけれど.裁判所の調停でまとまらなかったものが.われゎれの方でまとまった.という例がある」
と·おっしゃる方があるのではないか.という気になりきした。今まで.そういうことを承わった
ことが. 2.3 度あるからです。
裁判所の調停が、今まで述べました個人の仲裁に勝る点で.つねに完全無欠である.とは私は申
しあげません。例を引きますと.昭和39 年中に徳島家庭裁判所がうけつけたもめごと(家事調停
事件)の数は865 件です(この数は人口1 万人あたり104 件.全国第1 位です)。この沢山の
もめごとを.すべて理想通り処理していると申しあげればうそになるでしょう。第一当事者は調停
へ出頭する義務を負ろとしても.話し合いをつける義務はありませんから.裁判所も.どんなによ
い解決だと思っても,押しつけることはできないのです。
しかし.だからといって.個人の仲裁に比較して.一般的に格段の長所があることを疑ろことは
できないでしょ気。右のような例があることについても。当然お答えすることができ主す。
私どもは•えてして物事の優れた点を大きく評価する半面.欠点を過小に評価することにないが
ちです。「裁判所の調停でまとめられなかっだものを•われわれの方でまとめた」と誇らしく考え
るあまり.裁判所では何もできなかった.調停はなんの役にも立たなかった.と考えることが多い
のではないでしょうか。
これは.あまりにもせっかちな見方です。といいますのは.調停でまとまらなかったのは.裁判
所での説得が下手だったからだ.と単純にはいえないからです。すでに述べきしたようiz:..調停の
場では.もめごとの本人たちは.仲裁者への義理を考えたi).あとあとの社会生活を心配したりす
ることは.無用なのです。
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自由に自分の考えを述べることができます。それに,裁判所側は,当事者の権利を尊重しますか
ら(調停がいやなら訴訟で解決できるという権利もふくまれます).押しつけを極度に善戒するの
です。ともに考え,本人が自分の意思で解決の方法を見つけるようにと•力を貸してあげるにすぎ
ないのです。
また.どちらかが,明らかに不当な要求をどうしてもすてない場合は.相手方の利益を守るため
やむをえず調停を打ち切ることもあります。
裁判所は不正不当に味方はできない.という態度に出るわけです。 打ち切られた当事者には訴訟の
道が残りますが,訴訟は無茶や頑固だけでは勝て主せん。正しい主張の方が勝つのですから.こう
いう態度に出ることが.無理にまとめるよりも.よほど善良な相手方を守り.世の中の正義に合う
のです。
こんなわけで,事情を知らない人から.「調停はたっすい(頼りない)」と非難されてもゃむを
えないのです。調停は.裁判所で,しかも法律にもとづいて行なわれるものです。「とにかく.ま
とめさえすればよい」という考え方を'断じて取らないのです。
過程こそ大切。過程が正義に即して行なわれないところに,各結論はあいえないということです。
こういうわけですから.調停で解決しなかった屯めごとが•その後個人の仲裁で解決したからとい
って,裁判所として別に不名誓ゃ残念こ桓、う筋合いではありません。
同時に,そうしてできた解決を,直ちに理想的なものともいえないでしょう。やはり.今まで述
べましたような欠陥がありはしないか,検討してみなければ。簡単に.それは成功だ.とはいえな
いと思います。
もっとも,裁判所での経過が役に立っていて.そういう解決になった.という事情の場合も少な
くないようです。調停で主張してみたが.必ずしも自分の思うとおりのことが支持されなかった.
ということで反省して主張を改めることもあるでしょう。裁判所側の説得は無理のないこととは思
ったが,面子とか行きがかりの感情上.ついつい話をまとめる機会を失ってしまった,ということ
もあると思います。裁判所の調停で熟れた実が.家へ帰ってから落ちた.という関係かも知れませ
ん。
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5 心配ごと相談所と調停類似行為
◎心配ごと相談所は公の機関
前節で,個人の仲裁を,調停と比較しながら,l くわしすぎるくらいくわしく分析しましたのは.
これから申しあげる.心配ごと相談所相談員としての仲裁(以下•はじめへもどって調停類似行為
と呼ぶことにします)の是非を考えるにあたって·一度は通らなけれはならないことだ.と思った
からです。
心配ごと相談所は.ぃろまでもなく公の機関です。私的なものではありません。それだけ,責任
も重く.行動に慎重さを要求されるものだ.といえましょう。実際に活動にあたられる相談員の皆
さんが.つねに公的立場にあることを自覚せられて.いやしくも.心配ごと相談所の信用を傷つけ
ることがあってはならないことも.申すまでもあいますまい。
◎徳島市心配ごと相談所の話
個人町中裁が歓迎されること.それに全ヽかかわらず持っている危険.こからは.いかんたがら心
配ごと相談所相談員の調停類似行為にも•あてはまるように思われます。
前節に述べました.いろいろのことを.よく考えていただきたいのです。むろんのことですが.
皆さんは.個人的興味や義狭心で.自分の公人としての立場を見失うような方ではないのですから.
冷静に是か非かを判断していただけることでしょう。
最近承わったことですが.徳島市で中四国か心配ごと相談所関係告の会合があり守した。その際
他の県の方から「心配ごと相談所では.相談をろけるだけではつ主らない。積極的に調停類似行為
をすべきである」という意見が出さかました。これを聞かれた徳島市心配ごと相談所の相談員の方
々は.「とんでもないことだ」と反対し.「こちらは.専門機関のあるものは.っとめてそれに引
きついで活用する.といぎやり方をしている。それけ仕組みがそうなっているという理由からばか
りではない。裁判所との緊密な連絡が打ち立てられていて.そへすることの方が.はるかに相談者
の利益になるからだ」と平素の素晴しい成果を紹介され主した。事実に立脚しての意見が.全体に
よって支持されたことは.いう主でもありません。
徳島の心配ごと相談所は.右のお話のとおり.家庭裁判所あるいは簡易裁判所と緊密な連絡をと
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って.もめごとの相談をさはいていられます。「裁判所は敷居が裔くてどうも」と尻ごみする相談
者には懇切に調停の利点をすすめ.紹介名刺を持たされたり.電話で紹介したり•時には同伴した
り.至れり尽くせりの配慮をせられています。心配ごと相談所の最も進んだ処置のし方だ.と私ど
もは敬意を表している次第です。
◎相談者が真に期待するもの
一般の人々にとって.最も出入りしやすい心配ごと相談所は,それだけ大きい信頼をかけられて
いると思います。自分にない知恵を与えてくれるところ.解決の道筋を見つけてくれるところ•と
期待しているのです。
口でいうことはともか<,真意としては.中途半端な世話をしてくか.ということではないはず
です。できるだけ.安全で正しい解決がえられるよう力になってくれ.という気持のはずです。で
すから.専門がないのであればやむをえないとして.あるのであれば.それを見つけてほしい.と
いうのが真意だと理解すべきものでしょう。そのよ勺に理解することが.私は.心配ごと相談所の
義務であるといろょうに考えます。
と申しますのは.心配ごと相談所は公の機関として.相談者の口から出る言葉を超えた.もっと
高い立場から.地域住民のしあわせを考えなければならぬものだ.と思スからです。
◎心配ごと相談所運営要綱
「それはわかる」と皆さんは相槌を打たれ.「しかし」と当惑顔をなさるかも知れません。もめ
ごとを持って相談に来る人々は.裁判所へ行くことをきらい.できることなら心配ごと相談所で解
決してほしい.と望むのが普通だ.といべことは.私ども本ょく聞いてい走す。それをむげに「わ
れわかにはできないから裁判所へ行きなさい」とことわるのも.実際問題としてつらいことだ.と
思われることでしょう。
そこで私は.私が申し忠げていることが.心配ごと相談所の設立経過から見ても.まちがいない
ことを証拠立てることにし主す。
基本になるのは.昭和35 年4 月12 日付厚生事務官から知事宛の「心配ごと相談所の運営につ
いて」と題する通達です。この通達の中心となろとこるを書きぬいてみます。まず•記ーとして
「心配ごと相淡所は.地域住民が気軽に相談に来られるように.民間活動として小地域社会福祉協
誤会が運営し•主として民生委員.児童委員が相談に応ずるところにその特性がある」別紙心配ご
と相談所運営要網一目的iては.「心配ごと相談所は.主として低所得者に対してその生活上のあら
ゆる心配ごとの相談に応じ.社会資源を効果的に活用して.適切な助言.指導を行ない.その福祉
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を図ることを目的とするものとする」同2 の運笥5)には「相談業務を行なうに当っては.相談内容....
に応じて関係機関に紹介する等適確な助言.指導を行なうものとする」とあります(傍点筆者)
これらの文章から.もめごとの解決.すなわち調停類似行為までするように.と要求していると
読み取ることができるでしょうかo 厚生省といえば三権の一つである行政.すなわち内閣の各部の
一つです。国民の代表が国会で法律をもって.裁判所の仕事だときめてあることを.横取りしてや
るように.と指示するはずはないと思われます。
これら.通達の内容は.右に紹介しました徳島市心配ごと相談所のような考え方をとるよろにと
要求しているのではないでしょうか。
同日付厚生省社会局長から知事宛の通達は.右通達の実施に必要な細目を通達したものと見えま
すが.これにはこうあります。「相談に当っては.市町村.福祉事務所・・・ ・・家庭裁判所・・
• •その他関係機関と連絡を密にし•その協力を得て問題の適確な解決に努めること」相談をうけ
るにさえ.ぃゃ.そかを効果的にしようとすればするほど.社会資源の活用が必要でしょう。
「こういう相談がきているのですが.家庭裁判所が扱ってくれるのでしょうか。本人に説明しなけ
ればならないのですが.どういス手続が必要でしょう? 費用はどれくらい? どういろょろに進
行しますか」などと活用するように.といっているのではありますまいか。
少なくとも.調停類似行為を要求したり.是認した通達を見ることはできないよろです。
◎まとめない相談所は無意味か
皆さんの中には•そかでば.もめごとの相談については.われわれはなんの役にも立てないのか.た
ただ一方的に聞くだけか.とがっかりなさる方があるかも知れません。もし.そうだとしたら.私
は甚だ残念に思い主す。
現に,徳島市心配ごと相談所のようなところがあり守すし.私は.それゆえにこそ.心配ごと相
談所のお仕事は貴いのだ•と考えるのです。
今日の世の中は.主すます複雑化し専門化して行きます。どれをどの機関へ持ちこめばよいか.
見当もつかないということが.普通の人々にありがちなことなのです。
皆生活や仕軍に追われていて.世の中の.iまんの一部分のことにしか通じていないといべのが.
一般人の実態なのです。心配ごと相談所のように公の施設で.同じ村同じ町.同じょスな生活習慣
の中か.しかも顔見知りの信頼している方が相談員となって.「それはここへ行けばよい」と親身
に紹介してくれることが.どれだけ必要か知れないのです。
誰しも専門機関へは行きずらいものです。役所へ行けば叱られるのではあるまいか.解決を頼め
ば沢山の費用がいるのではあるまいか•と誰でも不安で.つい足が鈍ります。「その問題なら.こ
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ういう機関がある。そこではかようかようしかじかである。紹介してあげるから安心して行きなさ
い」と.自分の住んでいる地域に.世話してくれるところがあることによって.どれだけ安心し・
元気づけられるか知れないでしょう。
◎ もっとも貴い仕事
もめごとをまとめてくれという相談tてついて申しますと•皆さんの方で.「裁判所へ行けば調停
という制度がある。それはこういうものであって.費用はこれくらいだし•秘密も守ってもらえる。
われわれが仲裁するよりも.こういう優れた面がある」と懇切に教え.すすめてあげることこそ.
最も貴いことだと思います。一般の人は.そうい二ことを知らないし.知っていても一人では決心
しかねているのです。
このょうに応待するには•一方的でも.主ずくわしく事情を聞いてあげなければなりますまい。
これだけでも大へんな苦労ですが.その上で右のょうな答え方をすれば.おそらく.心配ごと相談
所は不親切だ'と非難されることはあり主すまい。その謙虚で.本当の意味の親切な態度に.かぎ
りない信頼と好感を寄せるにちがいありません。
もめごとにかぎらず•何をどこが.どのように扱っているか.適切に説明するためには.相談員
に該博な知識を必要としましょう。平素¢並々ならぬ研究がなければできないことでしょう。無報
酬でそういう努力をされるということ.これを取るに足らぬことと申せましょうか。
本当に貴い仕事か否かは.権限があるとかたいとかできまるものではありません。どれだけ人の
ために尽くすか.社会に役立つか.できまるのではないでしょうか。
私は.いつも.心配ごと相談所は.これといった専門を持たない近くのお医者さんのようなもの
であると考えています。かぜ.腹痛.軽いけが.といった日常的な病気はふだん着のままで.「あ
のなあ」とかけ込み.内科外科を問わず治してもらろことができ古すが.むつかしい病気かも知れ
ない.といろおそれがあると.時を移さず専門病院へ行くようすすめられることでしょ名。そのこ
とによって.そのお医者さんへの信頼が薄れるでしようか。責任感の強い先生だ.ということで.
かえって信頼される例を、私どもは知ってい主す。
心配ごと相談所は.全くこれに似ています。地域の施設であり.ふだん着で飛び込むことができ
専門機関でなく紹介機関であることにこそ.最も大きい存在意義があるのです。
• こわい.親切過剰
皆さんは.人のために尽くそう.明るい社会をきづくために奉仕しょう.という熱意に燃えられ
ている方ばかりです。そし-r •こういうお仕事で坂も大切なことは.•相談者の利益をはかってあげ
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ることだ.とお気づきのはずです。繰りかえし述べましたように.もめごとを解決してあげることに
にともなう,興味とか.功名心とか.そういった自分を中心にした考え方でのぞむべきではないこ
とを.百も承知していらっしゃることと思います。
しかし.中には.親切心が高じて.公正であるぺき立場を忘れ.盲目になる例がないとはいえな
いようです。親切過痢.親切の押し売りといへベきでしょう。
本県は他県に比べ.社会教育とか社会福祉の事業が非常に進んでいるよろです。もちろん結構な
ことですが.それを運営するにあたっては.関係機関にある者は.っねに自分の分を守i).それに
熱心であるとともにバ反にも脱線しないよう注意することが肝心だろうと思います。そのような心
がけの上に.あらゆる関係機関が連絡協調の実をあげて行けば.素睛しい総合力を発揮できるにち
がいありません。
ここでは,くわしく述ぺるいとまがありませんが.裁判所なども.右のような点では.ずい分と
厳格に仕組まれています。自分の職分を脱線してはならない.自分の知見にくれぐれも謙虚でなけ
ればならない.といろことが.当然の心がけとして要求されるばかりでなく.制度として確立され
ています。
◎簡単なもめごとといろけれど
最後に.皆さんがもう一つ釈然としない.と思われるにちがいない点にお答えしましょ丸。それ
は.もめごとの相談といっても·ピンからキリまでで.簡単な名、のもある。それを解決してやるこ
とまで晉戒すべきだろうか」といスことではたいでしょうか。
「たとえば夫婦けんか.これにもピンからキリまである。ピンの方まで重大といえるだろ酌か。土
地の境界の争い.これもよくある例だが.これにも比較的簡単なものがある。これくらいは.われ
われの方でまとめてもよいのではないか」とお尋ねがあったとして.私は次のよスにお答えして責
をふさぐことにします。
簡単とい勺のは.どの段階で認定するのでしょうか。おそらく・一応の話を聞いて判断せられる
のでしょうが.ここで私どもは.もめごとの秘密性を考えてみる必要があります。ゎわわれが秘密
を守ってあげなければならない.といスことばかりでなく.当の本人たちも.なるべくなら内輪で
解決したいといろ気持ちなのです。ですから.いくら心配ごと相談所が出入りしやすくて屯、.よく
よくのことでなければ持ちこんでこない#.、のなのです。つまり.相談に来るものは.よほどもめぬ
いたものであるということです。
そわに•もめごとの当事者は.えてして相手を非難するばかりで.自分の方を正しい者に任立て
問題を単純化して述べるものです。これは家庭裁判所の家事相談でも同様です。いよいよ調停が始
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まってみて.案に相進して複雑なもめごとであることに.驚く例がまことに多いものです。
こんなわけで.私どもの知るかぎi)では.当初に一見簡単な問題ほど•容易ならざるものだ.と
魯してよいようです。「借金を申しこむときは.誰しも自分の窮状を控え目にいうものだ」とい
う名句がありますが•この場合にもあてはまりそうです。
簡単なもめごとかどうかは•実は.そのもめごとの内容について•どのように法律的.科学的問
題を感じ取るかc にかかっています。これらの分野についての専門家でないかぎり.容易に軽重の
見きわめをつけにくいものだ。ということも考えてみなければなりません。仮に相談者が.「簡単
ですから.ぜひこことまとめて下さい」といったとしても.いやしくも心配ごと相談所の相談員と
して.無分別に取りあげることはできないでしょう。
6 社会資源の活用について
さるワ月2 ~'B 小松島市で開かれました連絡会の席上。社会資源の活用と調停類似行為の問題に
ついて申し上げたことでしたが.時間の関係で申し落としたことがあります。相すまないことだと
思い主すのでe 簡単に補充させていただきます。

社会資源利用の形は3 つある。
皆さんが心配ごと相談所の相談員として,社会資源を活用する。とおっしゃることの中には. 5
つの形がちるかC はないでしょろか。
その一つは.祖談所として書この相談にどう いう処置をとるか•とでいろょろに教え。どこへ頼
んであげ。とべこへ紹介するか3 その見当がつき}こくいために•必要な知識を与えてもらいたい·と
専門撓関へ要求する場合です。たとえばe 相談の内容が家庭内のもめごとであるとき.本人へ教え
てあげるために.家庭裁判所へ雷話して.「こういうことは家庭裁判所で扱うのですかo どれくら
いの貨用がいりますかo 手続はどういうようiでするのです」などとたずねる場合です。つまり相談
所の知識を盗かにして,ーよりよき相談をうけるために.社会資源を利用する場合です。これは•あ
らゆる了;に記の沼談をうけなければならない心配ごと相談所にはぜひ必要なことで.社会資源を活用
する場合の代表的なものであるうと.私は思います。家庭裁判所は•この種の御要求に対し.よろ
こんで御協力します。郡部の裁判所へも.この点いかんのないようにいってありますので.御速慮
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なく御利用下さい。そ
その2 は·鴫所として.どのよ吐に処置すべきか見当をつけてみたところ.専門機関があるこ
とがはっきりしたので。そこへ紹介あるいは頼んであげる.という場合です。これも社会資源の活
用だ.と考えてもまちがいないことですが.皆さんの方の御処理の区別としては.「紹介」という
ことになるのではないでしょうか。家庭裁判所は.こういう御紹介を歓迎し.御期待に沿うべく最
善の努力をいたします(たゞ.紛争の場合は相手があって.たとえば.全部ではないが相手の方に
も言い分がある.ということもよくある例でありますので.相談者の希望したとおりの結末になる
とはかぎりませんね。公正ということを.心配ごと相談所も当然お心がけになるでしょうから.ぉ
わかり9.Jヽたゞけると思います)。
その3 は.相談所が自ら解決にあたるために必要な知識を教えてくれ.と要求する場合です。
こちらで治療したいから.どういう薬を与えればよいか教えてくれ.と専門医へたずねるようなも
のです。このことの危険であること.誰よりも本人のためにならないおそれのあること•は先日申
lあげたとおりです。家庭裁判所も.この種の御利用には応じかねると思います。

社会資源の紹介のし方
専門機関を紹介したり.その解決方法はころこ朽だ.と教えてあげるさい.十分気をつけられる
ことだ.と思いますのは関係の社会資瀕や解決方江ぱ.いくつもある場合が多いことです。たとえ
ば家事紛争でも.訴訟の道もあるが調停の道もある.ということがあります。事案によっては弁護
士さんに相談するのがぜひ必要な填合もあるでしょ芯どれか一つをとりあげて.これでやりなさ
ぃ.と教えろと.あとで大人が.この方法をとったのは失敗だった鼻と苦情をいわないともかきり
ません。一つ一つの方法ごとに.そヵぞれちがった長所と短所があるものです。簡単な方法がつね
に最善な方法とは申せませんo 一つの方法を選んでよかったかわるかったかは.結局すべてが終っ
たあとでわかることです。予測には危険(不確実)がつきものです。ですから,結局は本人に逸ば
せろほかあいません。相談所はくわしく事情を聞いた上で,およその見当をつけ.一具体的にではな
<.「家事紛争だから.法律的.科学的問題がひそむだろう。家庭裁判所へ行くとか弁護士さんへ
行くとかして.自分の行、>べき道を見つけることです」と大づかみに教えてあげることだと思いま
す。そしてC .その一つ一つについて.くわしく説明してあげたらよいと思います。「われわれの方
で知っていることは.こういうことだが鼻まちがいがあってはいけないから.ぜひ鼻専門のところ
へ行って聞いて下さい」という教え方であれば浩点といえましょう。このような取扱いが•決して
価値の低いものでないことは.この前申しあげました。
当日の助言者今井
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7 あとがき
私は.以上のとおりe 非オをもわきまえず調停類似行為の是非iなついて述べてきました。なるべ
く平易・実際的にと心がけましたが,それげ一面掘下げの不十分を招き.まだ述べ足りないことが
少なくないのは残念です。
多くの心配ごと相談所の中には.「裁判所なんかやめときなさい。金はかかるし.いつのことか
わからない」などと,訴訟とか調停どか.裁判所の手続の正しい紹介をなさらないで.頭から.心
配ごと相談所による解決をすすめられる例も.あるやに聞いております。また.相談員の方が相手
方の家や勤先へ出かけて行って亀紛争の解決にあたられた例も聞いております。
ころいう行勁については•心配ごと相談所の中にも.甚だ無思慮で行きすぎたことである.との
批判があるようですが.私も.心配ごと相談所相談員としての忠実なお仕事というものであろうか
本当に相談者の利益になっているのであろうか.と疑念を持たざるをえません。
以上r立述べましたことが.幾分でもそろいべ点の解明に役立てば.こんな姻しいことはありませ
ん。
調停には.民事一般調停宅地建物調停.農事調停鼻商事調停.鉱害調停.家事調停の種類があり
ますが.特に家事調停については。さきに徳島家庭裁判所・徳島調停協会が発行しました「家庭の
もめごと一その解決と家庭裁判所」を御覧下されば.よくおわかりいたゞけるはずです。その他の
調停についても簡単に説明を加えてあります。
この読み物では.目的の手前.主として調停と皆さんのなさる解決(仲裁と書きましたり.調停
類似行為と書きましたが)との比較を行なう.ということになりました。°が.心配ごと相談所とし
ては.民事訴訟およびその関連する手続.弁護士制度等についても、概略の知識を一正しく一持た
れることが大切だ.と思います。
もめごとによっては.訴訟による解決こそ最も適当なものである。という場合もあるのです。裁
判所によって裁判をうけることのできる立場は.憲法で保障された国民皆さんの基本的な権利であ
って.これを守ってあげることも.ゎわわれ公の機関にある者のt夢忘れてはならないことだと思
います。
終りにあたって.心配ごと相談所の発展と.皆さんの御健康を祈ります。(了)
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