見出し画像

【社会福祉徳島】第34号

※テキストの抽出可能なPDFですが、OCR機能を使用しているため精度は完璧ではありません。ご注意下さい。


(OCR抽出テキスト)

社会福祉徳島
特集…社会福祉と人づくり
34号
社会福祉法人徳島県社会福祉協議会
___________________________
表紙説明
徳島の伝統民芸、人形浄るり
の若い後継者の養成と情操教育
に役立てようと郷土芸術育成
(会長町県社協事務局長)が徳
島県阿波人形浄るり振興会(森
下長一会長)の肝いりで、児童
施設の子どもたちによる「人形
浄るり教室」がもたれている。
阿波鳴の「お鶴」「お弓」の
デコ人形も町の女性人形師、板
東米子さんから阿波人形浄るり
振興会を通じ善意銀行二贈られ
たもので、三つの市内養護施設
の小、中学生二十五人がいま、
懸命におけいこに励んでいる。
___________________________
〝新しい胎動〟
柔らかい陽ざしに支えられて
若葉がかおる
雲一つつない碧空には鯉のぼりが泳いでいる

空いつばいに
街中に
健康な子供の歌声が拡がつて
若い季節を呼んでいる

ふるい生命の殻から
新しい胎動をきく
しあわせの序曲でもあろうか
(町弥一)
−1−
___________________________

社会福祉徳島(第三十四号)
◆目次◆
巻頭詩「新しい胎動」・・・町弥一・・・(1)
福祉国家への途と社協の役割・・・山口一雄・・・(4)
特集
社会福祉と人つくり
子どもの未来像を求めて・・・(5)
小林令子・峯川好仁・中川いく・井上千寿子
会から転落防止とたたかう・・・(13)
伊祁正恵・西野卯一・富田秀一・伊藤富子
福祉活動を推進する人たちを育てるために・・・(19)
梶山伊春・吉野正・町弥一
〝動き〟福祉のアルバム・・・(23)
昭和三十八年度当初県厚生行政予算の概況・・・(27)
−2−
___________________________
福祉随想・・・(30)
/陳情に想う/飯田一平・/みつばち運動にかける夢/細川龍繁
/社会福祉行政と実施機関/河騎正己・/新たに民生委員となって/森本種八
/善意銀行明暗二題/山田政次
解説 社会情勢の変化に即応した前向ぎの社会福祉を・・・(35)
〈現地ルポ〉離島ーーー伊島を行く・・・(39)
私の記録
A子ちゃんの生いたちの記録・・・松永秀子・・・(39)
私の事例
ボーナス貯金・・・(46)
編集後記・・・(K)・・・(48)
−3−
___________________________
福祉国家への途と社協の役割
徳島県社会福祉協議会長
山口一雄
厚生省は一昨年「わが国の社
会保障は昭和四十五年までに、
一応、現在のイギリスなみにす
る。」と発表しています。たし
かに最近の我が国における社会
保障、社会福祉の進展はめざま
しいものがあります。例えば国
の社会福祉関係予算を見ても、年々僅かではあるが増額しており、
昭和三十八年度においては、総額三、三一三億余円で昨年度に比べ
て約五九0 億円の延びを示しております。その中には、児童舘の新
設や、施設従事者の処遇改善、生活保護費一七%引上げ、老人福祉
法実現に伴う諸対策費、地域福祉活動指導員の新設等積極的な姿勢
も見られ、先進国なみの水準に近づこうとする意気込みが感ぜられ
ます。
しかし、ここで一つ危濯の念を抱くのは、いたずらに形だけを模
倣して、先進国の水準に達しようという安易な考え方が先行し、中
味の精神がこれに伴つていないのではないかということです。〝ゆ
りかごから墓場まで〟という言葉で評価されているイギリスの福祉
国家への大きな発展のかげには、イギリス国民の心の中に福祉国家
思想が充満し、一人一人がイギリスの福祉を支え、育てていこうと
する生活態度があることを忘れてはならないと思います。
この点、我が国の社会福祉の発展は、住民のものになりきつてい
ないのではないかと反省されます。福祉国家への正しい途を辿るに
は、諸制度、諸施設の整備拡充という形の面ばかりでなく、国民一
人一人が社会福祉の理念を理解し、福祉国家の実現は住民お互の手
中にあることを自覚したいものです。
こうした意味からも公的社会福祉事業の推進と共に民間社会福祉
事業の重要性があるわけで、とりわけ住民の社会福祉への関心をた
かめ、住民を主体とした地域組織活勤を推進しようとする社会福祉
協議会に大きな期待が寄せられているわけです。
さいわい県民と社会福祉関係各位の絶大なご支援のもとに、県社
協の活動態勢も次第に整備され、本県が創始した「老人大学」や
「善意銀行」は全国の注目をあびるに至りました。しかし、何とい
つても、市町村社協の整備強化が緊急課題であり、この点、新年度
県社協重点目標の第一にかかげて、強力に推進する覚悟でありま
す。
どうかこの課願達成のために関係各位の今一層の御協力を切にお
願い申上げます。
−4−
___________________________
特集
社会福祉と人つくり
最近、人つくりのムードが高まつていますが、社会福祉事業界では、すでに百年前から〝人
つくり運動〟はじめられています。即ち十九世紀中期に救貧行政が改革され、貧民救助の理
想は、金品の施与でなく、「自助」の精神の高揚であるとし、彼等に教育の機会を与え、生活
改善に力を集注した歴史的事実がこれを物語つています。
そこで、現在社会福祉事業界で、どのように人つくりが進められているか、社会福祉事業の
現場にある人達の真実の声をあつめ、その人達が持つている指導理念と、人つくり推進上の課
題を特集としてお伝えしたいと思います。
子どもの未来像を求めて
親子会を通じて人つくりを
神領親子会
下川善厚
一、紙くずを散乱させない国つく
幼児を連れて道を通る親、幼児の鼻汁をふいた紙くずをどう処理
するか、幼い目でじつと、親の紙くずの処理の仕方を観察してい
る。幼い魂の中に親のする行為は、白紙に落とした墨汁のように強
く焼きつけられ、生涯の教養の方向を決定づけてしまう。
なるほど農山村の親たちが、子どもに教える勤勉素朴の美風は貴
い。しかしそれを国土を愛する愛国心に連らせるためには、まず親
たちが無意識のうちに犯しているささいな過ちを、次代に伝えまい
とする努力から始めなくてはならない。
かくて私たちは親子会を作って、子どもたちといつしよに自らの
行動に反省を加えたいと思った。
子どもに指摘されて頭をかきながら、あやまちを索直に認め改善
−5−
___________________________
を約束する栽たちの態度を、子どもたちはどんなに好意をもつて迎
えることだろうか、親子同行の民主的な雰囲気は、親子会ならでは
見られない情景であろう。
こうして善意にみちた笑声のうちに、よりよい生活習慣を形成し
ようとするのが、私たちが親子会を作った根本のねらいである。
二、社会性豊かな人つくり
「人情美わし」と言われた股山村へも、無責任時代の風は吹きこ
み、勤勉努力、勤倹貯蓄の心が行き過ぎて、自己本位、物質主義に
陥りはしないか。私たちは、これを心配して、地域ぐるみ自他の区
別を超起して活動する親丁会に期待をかけた。協力して汗を流す遊
び場作り、奉仕活動。親たちに守られてする野外活動。共同学習等
を通じて親子ぐるみ、地域ぐるみの精神を体得して社会協調の結神
を培いたい。これに投も適した場は親ナ会の場であると信じてい
る。
三、表現力豊かな人つくり
農山村のおとなに.子どもに、悲闊的なまでに欠けているものは
表現力である。私たちはできるだけ自分の怠見を大ぜいの人に堂々
と発表し得る能刀を菱わなければならない。
表現力が足りないために、どれだけ腹山村の為政者と民衆か、隣
人同志が、嫁と姑が、不満を温め無用のトラプルを起こして苦しん
でいることか。親子会は表現力を修練するのに最適の場である。
私たちはこのねらいで作った親子会でも、最初のうちは連続的な
失敗の経験を味わった。集まった親たちが互に他の欠点をつきあう
ことに終始して人の感情を害したり、会議の発言が井戸端へ誤伝さ
れていたりしたようなこともあった。
しかし私たちはこのことに反省を加え、会議のルールを定めた
り、どうすれば人を傷わずに話合うことができるかを研究した。そ
うしてだんだん改善を菫ねていくうちに、和気あいあいとした親f
話合いの運び方を体得していきつつある現状である。
四、おおらかな気持ちの人つくり
他の長所はどんどん見習つてとりいれよう。その上に自分の創意
を加えていこう、という点で神領の親たちは、極めておおらかであ
った。
隣の部落の友だちが、学校で語る楽しい自分たちの親子会の自慢
話をきいて「僕たちも親子会を作ろう」という声に親たちは即座に
応えた。忙しい余暇をさいて、隣の部落の親子会の現場見学もした
り、創立するまでの事前の手順に時閲を骰やした。
この現象は連鎖反応となつて、僅かの間に神領全地域に親子会が
結成され轡を並べてスタートしたことはまさに壮観であった。神領
の親たちが子どもの要求を容れる心の温かさや、他の長所に見まな
ぶおおらかさは実に喝釆に価する。
互に教え合い、互に学び合う辿絡会も反を函ねて深かさと円滑の
度を増していく。こうした姿勢こそ将来仲びようとするものの持た
なければならない大切な条件℃あろう。
私たちが親子会にかける夢はこうして果てしなく広がり深まつて
いくのである。
−6−
___________________________
幼児保育に思う
徳島市富田保育所
小林令子
昨夏来、にわかに「人つくり」についての論議が活発になり、現在
では政治的にも、社会的にも、積極的にこの問題を取り上げ、その具
体的実践方法について研究が進められているようです。このように国
の政策として華々しく脚光を浴びてきた「人つくり」も考えてみます
と真新しい問題ではなく、幼児教育にたずさわっている私達にとつて
は、毎日の営みが即ち広い意味での「人つくり」ではないかと思いま
す。私述は単に家庭の労働力を増すために幼児の保育をみるのではな
く、保育を通して、やがて将来民主的な社会生活の営める豊かな人間
を創造すべく日々の指導にさA やかながら精進している者なのです。
この期の子供にとつて大切なことは、知識や技能の習得ではなく、
無意識のうちに形成されていく性格や行動を規正していくことにある
と思います。幼児期に形成された人間的素地が、その子供の将来に果
たす分野は大きく、あらゆる面における生活能力を決定づけるといわ
れます。それゆえに幼児教育は重要であり、人間教育、即ち「人つく
り」の基盤といつても過言でないと思うのです。このような観点から
私は保育所における指導の目標を次の点におき、望しい人間像を求め
◯人間関係を深める
まず人間関係を正しく調整し理解させ、そこからやがて社会意識の
鋭い、社会愛にもえた人関像を創り出したいと考えています。これら
は子供達の遊びや、製作、給食等の集団生活を通して、未発達な時代
からグルー。フ意識を感じさせたり、集団の中における個人の立場を正
しく理解させることが大切なのです。
例えば、お互に仲良く協力しなければならないこと、ひとりひとり
が我儘云ったのではみんなが迷惑すること、また自分達の保育所を自
分達の力で芙しくしたり、そんな美しい保育所に通えることによろこ
びと誇りを持てるような社会愛、グルー。フ愛の芽生えた子供に育てた
いのです。こうした人間関係や社会観がやがて新しい平和な世の中を
つくり出す原動力になると思うのです。
◯判断力のある人間
現代のように科学が進歩し、世の中が機械化されてきますと、人間
も能率的に行動しないと、逆に機械に消化されてしまいます。ここで
忘れてならないことは、これ等の機械を造ったり、使ったりするの
は、あくまで人聞だということです。このように将来を見通した時
に、特に大切なことは人間の判断力だと思います。社会の機構が複雑
になり、進歩するにつれて益々適確で素早い判断力を要求されるので
す。こうした素地を幼児期から日常生活の事象を素材に、少なくとも
ことの是非が弁別できるよう指導しないと、何時迄も依存心の強い、
思慮の乏しい人間に育ててしまうことになりかねません。小さい乍ら
−7−
___________________________
自分で問題を発見し、自分で考え、自分で解決するような子供に仕向
けて行きたいのです。
◯思ったことが話せる
民主的な社会生活は「話し合い」が基盤となります。ことばを媒介
として自分の意志を相手に正しく伝えるということは、人間生活に於
て殊に現代社会において絶対的な要素であります。しかしこうした言
語活動も成人してから伸びるものではありません。幼児の時代から出
来るだけ数多く話す場と機会をとらえ、自分の考えを正しく話すこと
ができる子供に育てたいと思います。また話すばかりでなく相手の話
も正しく聞き、理解できる子供にもしなければなりません。相手の話
を正しく聞くということは、相手の人格を尊重するということであ
り、相手の話をよく聞き、自分の意見を正しく述べ合うということ
は、民主的な社会生活を営む上の原則です。こうした原則に立つて、
保育所での言語活動もさらに積極性を加味していきたいと思つていま
す。
◯責任感のある人間
民主的な社会生活では、また自由主義が尊ばれます。自己の自由を
守り、相手の自由を尊重する人間でなければならないのです。しかも
自由と責任は不可分のものであつて、責任の伴わない自由は現代社会
では認められないでしよう。特にこうした責任感の芽生えを、できる
だけ幼児の頃から育てA 行くことが望ましいことなのです。責任とい
うことばの意味は分らなくても、日々の躾を通して、いつか子供達の
身につけられていくものです。このように日常生活の基本的な行動
は、幼児の時にはある程度形から習慣化させて行くことも必要ではな
いかと思います。
研究の足りない私が、私なりに考えておりますことをかんたんに述
べましたけれども要は「人つくり」とは永遠の課題であってどこまで
研究し指導をすA めて行ってよいのか困難な問題が山積しておりま
す。しかしはつきり云えますことは「三つ子の魂百まで」ということ
わざのように人間形成の基盤となるものは子供の時期に培われるとい
うことです。それ故にこの時代の教育が果たす役割りが非常に大切で
あることを痛感しております。
ちえおくれの子らのために
徳島市富田小学校
教諭峯川好仁
この世に生をうけた者のすべてが、おのおのそのところを得て、人
間の社会を地上の楽園にしたいと願うなら、どんな者もその存在価値
が認められ、その社会の一員としての地位が与えられる社会を作らな
ければならない。
しかもこの世に生れてくる人間のうちの何割かは、将来どれほど医
学が進歩しても身休的或は精神的な欠かんをおわされてくるであろう
−8−
___________________________
し、またすべての赤ん坊が完全な姿で生れてきたとしても、その後の
生育の途上でどんな障害をうけないとも限らない。
私が受持つている特殊学級の児童も精神薄弱という障害を、せおつ
ている。このような障害を持つているがために特別な学級で教育をし
ているのである。
ところが学校教育において、如何に能力や障害に応じた教育をして
も、社会人となつてから、社会に適応できなかったり、また彼等を受
入れる社会が満足なものでなければ、前述の如くすべての人々のしあ
わせは望めない。
ここに特殊教育のむつかしさがあり使命の重大さを痛感させられ
る。
私の学級では、のぞましい人間、たくましい精神薄弱児を作るため
の目標を次のように考えている。
0 人に迷惑をかけないようにし、協力してさいごまでやりとげる態
度。
。共同生活の場を広くするようにして、社会的規律に従う習慣。
。まじめで、ねばり強く、骨おしみをしない習慣や態度。
。社会人として、社会生活に必要な最低限の知識と生活常識を身につ
ける。
。健康で、がんばりのきく体をつくる。
以上のような目標のもとに、直接子供達に関係のある生活行事や、
学校行事を通じて、できるだけ具体的に、しかも興味を持たせなが
ら、くり返しくり返し指導するようにしている。
なぜなら精神薄弱児は、教室で学習した事が実際生活の上で使えな
かったり、買物ができても、帳面の上での計算ができなかったりし
て、学習の転移がきかない。
その上彼等は知的学習に対しては、あきっぽく逃ひ的になり、せつ
かく学習した事もすぐ忘れてしまう事があるからである。
もちろん子供に対する應接的な指導のみでなく、保護者の理解と協
力を求めるべく、家庭との連絡などをきんみつにして、褒境的要因が
整理され統制されるよう努力している。
ところが精神薄弱児に対して、理解をもち協力的だと思われる親で
さえ、保護者会やその他の会合の席で、
「私が生きている間はよいのですが………。」
と涙ぐんで、一ように口ずさむ。
これは一体何を意味するのであろうか。社会に出たらどうなるので
あろうか。将来に対する不安と、危惧の念で一ぱいである。
広く地域社会や、国家の協力がなければ解決されない問匙が残され
ているのが現状ではなかろうか。
このような脊景にたつて、将来に対し明るい希望と自信を持ち現在
の教育に精進したいと念願するなら、今こそ親も教帥も一丸となっ
て、かわいそうなちえおくれの子のために、すべての人間の幸福のた
めに、広く一般社会や国家の協力をあおぐべく立ちあがらなければな
らないと思つている。
微力ながら今後共、一人でも多くの精神薄弱児をすくうべく努力し
ていきたいと念願している。
−9−
___________________________
乳幼児の健康を守るために
未熟児S子ちゃんの場合
海部郡日和佐保健所
技師中川いく
梅の花が一、二輪ほころびかけた朝、出勤の出合がしらにあわただ
しく訪ねて来られたのは日頃顔なじみのM助産婦さんでした。あいさ
つもそこそこに切り出されたのはS 子ちゃんのことでした。S子ちゃ
んはM助産婦さんのとり上げた早産児で、未熟児の届出があった時か
らM助産婦さんと私たちの間ではすでに関心を持つていた事例で、S
子ちゃんの発育状態が思わしくないから一度訪問して上げてくれとい
うことでした。
未熟児といえば、昨月のH子ちゃんもそうでした。H子ちゃんの家
は、保健所から二十二粁はなれた日和佐町河内、大越地区の奥まった
一軒家で、郵便さんでさえ一日おきでないと配達しない不便な場所で
す。H子ちゃんは出生時の体重が直か二、一〇〇 グラムでしたが、幸
い第二児ゆえ母栽も保育に手馳れていて、順調に発育し生後二十日問
で体重も二、五〇〇グラムに増加して、房々とした黒髪のツヤが健康
さを象徴し、母親の苦心の程を印象的に物語っています。訪問した
時、ちょうどミルクの缶を聞けたところで、調乳を特に念を入れて指
導しました。この家のおばあさんをはじめ家中の人が、つぎつぎと出
て来て、雑談を交わして、その間に産後の静養について産婦に理解を
もつて愛護してくれるよう要領よく説明しますと、他人が珍しい所で
あるせいもあってかみんな愛想よく応対してくれて、感謝されている
ことがひしひしと分るような気がしました。もう一日泊り込みで付添
つていて上げたい感情にかられながら、再度の訪問を約束して春が一
月以上も遅く感じられる山あいの冷気の中をオートバイで引き返して
きました。
出勤後、婦長に連絡しS 子ちゃん宅を訪問しました。届出によると
S子ちゃんは八カ月の早産児で生下時体重は一、八八〇グラム、哺乳
力良好ということで、母子手帳の記録と母親との対談によって妊娠中
の健康状態は専門医に一か月毎に定期検診を受けており、軽度の妊娠
腎をおこしていましたが、血圧は正常で浮腫もなく、変った事といい
ますと、お産の半月前約三時問汽車で旅行した位で、お産は至つて軽
く産後の肥立ちも良好であり、一般状態を観察後、ベビー毛布にくる
んだまま体重測定を行いましたところ、一、〇五〇グラムに減少して
いたので、生後十九日目でこの体重ではと、ハッと、驚ろいてしまい
ました。体直計を見問違えたのではなかろうかと何度もみたのです
が、問違いありませんでした。乳房に吸いつくS子ちゃんの小さな口
は本当に痛々しい様子で、折よく助産婦のMさんも来合わせてくれま
−10−
___________________________
したので、相談の上、とりあえず母乳を搾乳し哺乳器を使用して授乳
させるよう勧める一方、特に抵抗力が弱いので感染防止と充分な保温
その他の保育指導等を行いました。末熟児施設へ入院させることを勧
めておき、帰所後上司に状況報告の上、婦長随伴して折返し訪問した
結呆、母親もそのことを希望し、児童福祉法による蓑育医療要入院の
手続をとりました。
こうしてS子ちゃんが県立中央病院小児科へ入院したのは翌々日の
ことでした。その日は朝からみぞれ模様で、関係者の暗たんたる気持
の中を、S子ちゃんは湯たんぽにくるまり、なお暖かい両親の愛情に
抱かれて徳島へ向かいました。はやるような気持をおしての一時間余
り、準急列車の速度もさぞ心もとないであろうとお寮ししつ\見送っ
たことでした。それから九日目、病院側の手厚い看護で、やつと危険
状態を脱したS子ちゃんは体重も五〇〇グラム増え、順調に成長して
いるということでした。それを話してくれる母親はやつと愁眉を開い
た様子で、私達も一応責任を果しえた安らかさを感じました。こうし
た事例にあうたびに思うことの第一は、未熟児の出生を未然に防止す
る母性指導の徹底ということであります。第二には近隣病院に保育器
の施設が完備されることであります。S子ちゃんが一日も早く退院で
きるように祈りつA 根本的な解決が行われることを願つております。
梅の香を運ぶ風を切つて、訪問鞄を肩に今日もオートバイのハンド
ルを握りしめて私は出かけます。これからの訪問先であるB子ちゃん
の可愛い二枚歯が笑顔のほころんだ口もとからチラチラ目の前に浮ん
でくるとき、保健婦ならでは味わえぬ喜びを感じるのであります。
回想
海部郡日和佐保健所
技帥井上千寿子
今年は三十年来の寒さとか、毎朝出勁するたびにどうか、未熟児の
出生がありません様にと祈りたい気持だ。
先は、海南町川上、大内の山村を訪問、未熟児だった乳児が、すくす
くと育ち悪環境にもめげず立派に生長した姿を眺め、両親のなみなみ
ならぬ努力もさることながら、力強い生命力に今更の毎<驚かれる。
丁度、一年前の一月六日午前四時、九ヶ月の早産児体重一、三五〇
グラム、母子健康センターに誕生、母親二十一才、父親二十五才第一
児、助産婦の連絡のもとに病室訪問、乳児ベットの中にうづもれた新
生児を眺めた。顔面チアノーゼひどく、湯たんぽ、電気ストーブで室
温やつと十度助産婦と共に、コンロ、火鉢など合せて室温二十度まで
努力する。第一児誕生にて若い父親はよろこびにあふれ、無事出生の
うれしさにひたつていたが私達関係者は顔を合せ気づかった。
父親に未熟児として説明、未熟児センター入所を相談した。こんな
小さいのが普通だと思つていた父親は、すつかり驚き一時も早く入所
を希望、早速保健所の婦長に連絡来訪を願い、指示により小松島日赤
病院に電話、一、三五〇グラムと聞いて係の人も、何とかしてこちら
までつれて来ていたゞければとの事で承諾してくれた。海南病院婦人
科医帥の来診を頼みセンター入所の許可を得たが、道中むつかしいの
ではないかとの医師の言葉に少からず、不安を感じたが父親の是非と
−11−
___________________________
云う熱意に動かされ、早速酸素ポンベを取寄せ、大きなポール箱を薬
局よりもらい、湯タンボ三つ、児はほとんど顔がやっと位に、フト
ン、毛布でうづめ酸素と医帥の指示による強心剤とを最大のたのみと
し、助産婦、婦長、父親と共に午前十時ハイヤーにて出発、職員一同
の「お願いしますよ。」と云つ言葉に今更乍ら責任の重大さに身をひ
きしめた。車の中は、大きな箱をはさんで三人は身動き出来ない。助
産婦は懐中電灯にてたえず顔色の変化に目を血走らせ、私は酸索の位
置を保つのに一生懸命、婦長は注射器を片手に一般状態を観察、出発
して十分位一般状態悪化、強心剤一時停車息づまる様な空気の中、四
キロ程走る間二、三回この様な状態がくり返された。運転手には、な
るべくゆれない様にと、今思えば無理な注文、県南随一の悪道路をゆ
れない様に走れと頼んだのだから。でも運転手も顔を紅潮させ乍らハ
ンドルをしつかりと握つていた。ゆつくり早くとはこの事、一時も早
く着きたいと念じつA 車の少しの動揺にも緊張し両手で箱を抱きしめ
たい気持だった。十二粁位、牟岐町に着く頃、心なしか血色もよくな
り車中一同ほっとしたが目的地までは程遠く、前途を安じ、かなわぬ
時の神だのみとか、日頃の不信心を悔いながら祈らずにはおられなか
った。締切った車内は皆の緊張とボコポコとかすかな音を立てながら
出る酸素。誰れも語らず全身しつとりと汗ばんだ。日和佐町に入って
十二時半頃、空腹感も無く父親の買つてくれた。ハン一ケを夢中で食べ
た。強心剤五回目、親指程の大腿部に露出をさけ苦心する婦長の注射
に児は始めて声を出した。泣いた泣いたと父親はうれしさに涙ぐんで
いた。
以後悪道路を克服して産業道路に入った時、運転手もさる事ながら
一同ほつとした。午後四時未熟児センターの保育器に手足をのばした
児を眺めよく無事に来たと医師一同心よりよろこんでくれた。帰途車
中誰れも語らず疲労の一度に押寄せた感じだった。
以後母体の経過もよく退所、児も経過良好にて三十日目、三千グラ
ムになつて退院、助産婦共によろこび合うと共に医師、看護婦さん方
の努力に感謝した。
四十日目訪問、山小屋のムシロの上で児は元気に眠つていた。すA
けた鍋、カマのそばにミルク缶、哺乳瓶、風車が山小屋の空気を暖か
く包んでいた。
先は、満十ニヶ月目訪問、身長、体重共に標準となり、小さかった
あの児が、父親に似てくるくるとした目、赤いホッペ日危なつかしい
足どりで、ムシロの上をつたい歩きし、目鏡をかけた私を不思議そう
に眺めていた。
父親は皆さん方のお蔭でこんなに大きくなりました。この子の一生
のよき思い出話しとなるでしようと、一年前の苦しかった車中の事な
ど、思い出話しに時を忘れ最終のバスに向う私を親子三人いつまでも
手を振つて送つてくれた。日の落ちかけた杉林の一本道を歩き乍ら保
健婦業務の前途多難を叫ばれる昨今ではあるが、保健婦ならではの
感、身にしみてしみじみと味わいながら帰途についた。
−12−
___________________________
社会から転落防止とたたかう
今日もペタルを踏んで
母子家庭と共に歩む
県母子相談員
伊祁正恵
昭和三十八年二月十八日付の徳島新聞「続者の手紙」欄に「父のな
い子」と題して訴えている一青年の文を続んで、同じ問題に取り組ん
でいる母子相談員の一人として、胸をしめつけられる思いがします。
政府は母子福祉に対して、これほど、頻繁に法律を変えたことはな
いといわれる位、母子福祉行政に力を入れて下さつていますが、それ
とは裏ハラのように前掲の一青年のような問題は随所に見られるのは
どうしたことでしよう。はなばなしいのは、中、高校の職業指導教帥
や進学担任の先生までが「君の立場をよく考えて見よ、父のない事を
ネ」と、殊に就職希望者には一流会社は絶対に駄目だと受験の場すら
与えて貰えなかったと、昨年の四国ブロック母子福祉大会で、体験発
表として声を大にして訴えた母子家庭の子女がありました。
このように、いかほど立派な法律が出来、行届いた条令がつくられ
ても駄目で、実際に業務を扱う任にある人が、あたたかい気持で法の
執行に当つてこそ、真の母子福祉が達成されるのではないでしよう
か。
終戦という言葉も遠い記憶となり、国民生活も一おうの落着をとり
もどしたかのようですが、最近の経済成長のかげには物価高のため、
更に低い労働条件にあえぐ母子家庭の人達の悲惨な姿を忘れてはなり
ません。私たちの行くところには、いたるところに母子家庭の悲痛な
叫びがあります。
例えば、このような事例があります。A 母親は小学五年、三年、一
年の三児の母で、夫存命中は不自由という言葉すら知らずに過した夫
人でありました。夫病死後、長期療養中の借財と三人の遺児を残され
たA は、かつてダイヤの指環をはめた手にハンマーを握り、自動車の
修理工場の片隅で、荒くれ男工に混つて終日、しもやけとヒビ切れか
ら血を吹く我手をいたわりつつ、遺児の生命を支えていくのに懸命で
ありました。エ員たちから「どうせ後家じゃないか、俺とつきあえ」
という言葉に歯をくいしばり、帰ってはなき夫の位牌に「なぜ私を残
して」と泣き明した夜も幾夜とか。「そして遺児の寝顔を見ては、女
でなく母親なのだという自覚を新たにし、明日への斗志を燃すので
す。」と涙ながらに語るA さんの悲痛な決心に私も思わず涙を共にし
ました。
また、女性関係で夫から遺棄されたB さんは、三才の女児を抱えた
まま、明日の生活に事欠く状態で、中年女性と技術を持たない悲し
さ、一般失対に出る外はなく、朝七時までに労働所窓口に取番を待
−13−
___________________________
ち、二、三日に一度の勤務しか与えられず、アプレた日は一日三十円
の手袋内職に針を運びつつ、「背中の子の成長を見るまでは死にた<
ても死ねません。」とうらめしく私を見上げるのです。
c さんは昨年九月、運転手の夫を失い、八ヶ月の女児をもつ三十才
の母親です。日頃、健康体でないC さんだが、生活保護も適用され
ず、働くとて乳児を抱えている身、乳児保育所も満員で入所されず、
やむなく子を背負ったまA 或る旅館の清掃婦として働いたが、子持故
に半月程で断られました。私は母親と共に乳児を預つてもらうため、
福祉事務所に日参をしてやっと望みが叶い、子を預けることが出来、
新しい家事手伝の職場にも、つくことが出来ました。ほつとしたのも
つかの間、朝七時半より夕方七時半までの勤務の上、乳児保育所がタ
五時引取りとなっているので、特別の雇用主のはからいで、五時から
は子どもを負つての労働、遂に過労のため、四十度の高熱に医者にも
診てもらうこともできないさまです。一銭の収入もなく、たくばえも
ないこの母子を救う法的処置のないことを知った私は、はげしいいき
どおりをおさえることが出来ませんでした。福祉事務所では短期療養
だから保護は適用されないといわれ、県社会福祉協議会で扱われてい
る世帯更生資金の療養貸付も時間的に間にあわず、小口母子福社資金
も全部貸出されて、ことに年度末償還期に入っているため貸付は出来
ないということです。市の法外援護資金も何故か適用されてもらえ
ず、思案に余つて、S 病院長に事情を話して、長期支払いのお約束で
治療をいただき、先生のあたたかい善意で母子の危機を救つて下さつ
たのです。
このような事例でもわかると思いますが、母子家庭の母親は、常に
一人二役を演じ、外では父として男性に伍して働き、家にあつては、
子どもたちから信頼される母親として、家庭教育に努め、目のまわる
ような日常生活をつづけているのが現実の姿です。
父を失なうことは、子どもにとって大きな痛手です。この痛手を受
けた子どもたちに、再び鞭打つように、社会の門を閉ざさぬようなこ
とはしないで下さい。子のため身をけずつて働く母子家庭の母親たち
に、雇用主の方々は、いたわりと励ましの声をかけて下さい。また法
の盲点を一日も早く補なって、緊急医療対策をたて、母と子の生命を
守つて下さい。
大きな荷物を背負い瞼しい山道を登つていく母子家庭の母親たち
に、せめて出来得る限りの道しるべを立て、過まらず、問違えず、世
のため人のために尽すことのできる健全な子どもに育てあげ、人生の
彼岸に無事送りとどけられるよう手助けをすることこそ、私たち母子
相談員の大きな使命ではないかと考えさせられるのでございます。
今、私たちがしなければならないことは、現在の母子福祉諸施策をフ
ルに活用することと、その充実を要望しつつ、なお行届ぬ点は、私た
ちの足と努力で補うと共に、母子がいかなる苦しみにも負けず希望を
持ちつづけることのできる精神力を務うよう協力することだと思いま
す。
こんなことを思いながら、今日も又、自転車のペタルをふんでおり
ます。
−14−
___________________________
身体障害者の幸せを願つて
那賀郡身体障害者福祉司
西野卯一
私が選拳、町村合併などのはなやかな仕事から「さようなら」し
て、進んで現在の仕事へ百八十度方向転換してから、幾歳月の歳月が
夢のようにあわただしく過ぎ去つてゆきました。爾来身体障害の福祉
ととり組んで朝に夕にそれらの人々が少しでも幸せになればと念願し
つつ今日に到つておりますが、福祉司としてどのようにあるべきかと
言うことを考えてみました。そこに見い出したものは、やはり真実と
愛情と熱意であり、とりわけ障害者の場合、お互の心と心の琴線に触
れあってゆくことが、最も大切な事だと痛感しました。さまざまな障
害者の実態を取り上げてみますと、障害者であるため人との接触をさ
ける人、障害者の呼称についてすら極度に奮激する人、経済的苦境に
あえいでいる人、自己嫌悪に陥つている人、障害児の将来を憂うる母
親、或は重度の身で前途に希望を失つている人、障害者なるが故に家
族に白眼視されて重苦しい日々を送つている人、又は結婚問題に悩ん
でいる人など、その他多種多様の苦しみと悩みをもつさまざまの人が
あるとき、これらの人々を如何にして幸せに導びくか、そこにはやは
り相手の障害者の気持になって一っ―つのニードを掘り下げ、更に発
見(みいだ)してやり、問題の解決をはかつてゆきますが、種々にし
て制度を知らないためそのニードをもちあわせていない数多くの人々
があります。これらの人々に対して専門的立場から色々と掘下げてゆ
くと幾多の問題点が発見され、また解体されてゆきます。そもそも身
障法そのものがわれわれにとつてかならずしも満足すべき法律でな
く、従つてそれによる援護措置も又分類してみると比較的に少い。主
だったものを取り上げてみますと、補装具及び更生医療の給付、施設
入所、税問題、たばこ小売店の指定などその他小範囲に留まることに
なりますが関係諸制度の適用並びに援護諸策を積極的に掘り下げてみ
ますと、身障法以外に二十種類におよぶ諸策がそのニードに応えるべ
く用意されております。私逹はその一っ―っを何れのケースにあては
めるかを頭の中に整理してそれぞれの援護策を講じてまいりますが、
これら総べては福祉司のたゆまざる足の運びと、いとわざる労力が第
一義となつてまいります。(ラジオ受信料免除手続きを一件するにし
ても少くとも生活保護ケースの新規開始とほぼ同等の事務処理を要す
るわけです)或るケースを訪問してみると戦地で受傷しておりなから
傷病恩給の手続きができていない、早速手続きをすA めて二年有余も
かかつて裁定なり、年額十数万円の額が給付されるようになったり、
又忘れられていた労災補償の手続きとか、或は世帯更生資金の貸付指
導とか、テレビ、ラジオ受信料の免除に至るまで数限りない幾多の問
題が包蔵しまた発見され、そして解決してゆくのでありますが、そこ
には常に障害者に対する愛情と、熱意による行動以外に何ものもない
と考えられます。時としては夜おそく峙の山道をふみ迷ったこともあ
れば、氷雨の降る夕暮れ道をぬれながらさまよい歩いたことも幾虔か
ありますが、あと一息あと一頑張りが障害者に幾多の幸せを与え、そ
−15−
___________________________
れによって自うも仕事に対するよろこびと張合いを感ずるものです。
とかく障害者の福祉というよりも、社会福祉にとつて「発見」という
ことがその福祉を充足し、更に増進する上に如何に大きな役割をして
いるかということは過去の体験からしてつくづくと痛感されるもので
す。何故なれば昔の諺にも「貧すれば鈍する」という言葉があります
が日々の生活に追われて疲れきつている人々には新聞もテレビも見た
くても見られず、またその余裕もなくおのずと社会の窓から遠ざかつ
てゆくことになりますが、結局これらの人々を救う者こそ吾々専門的
知識をもつ福祉司の最大の使命であると心えます。ある時も山村のA
町のケースを雨にぬれながら最終のバスにと……心は焦りつつ訪れて
みると、明日への生活の道に行詰つている。早速制度の適用によりそ
の家庭に明るい希望を与える事ができ、その母親から「今日は何とい
うよい日であろう。本当に神様が舞込んできて呉れた様な気がしま
す。」と心からよろこんでくれると雨にぬれた苦痛も夜おそく帰宅す
ることも何時しか忘れさつてあA よかったと自らが救われたような思
いをしたものです。こうした事例について過去幾多の体験を重ねてま
いりましたが、要するに「法は眠れる者は救わず」との諺のとおり制
度を知らずして社会の片隅に取り残されている人々の数多くあること
を思うとき吾々は障害者の負託の重きに応えるべく自覚を新にし、そ
の職務に尽すいするとA もに、これらの入々に幸あれと心から祈るも
のであります。
世帯更生をすすめて
山川町民生委員会総務
富田秀一
福祉国家、所得倍増と世上に景気のよい声を耳にしますが私たちの
関係する谷間の人たちはいつになったら人間らしい生活を楽しんでい
たゞけることだろうか、この人たちが転落する前に救済することが何
故、出来なかったかと、いつも心をいためています。
私は二期、民生委員を務め三期目に入っていますが古人は三年にし
て実績があがらない時は職を去ると教えています。三年ならぬ三期で
すがなかなかこの道はけわしく限りなくつゞくもので自信がもてない
と云うのがいつわらぬ告白です。
しかし其の旅の中で最近タッチし此はよかったと思うことをひろい
だして記します。
私の関係区のA さん一家、このうちの老母は長男が結婚すると他家
に後妻にいつて世帯を別にし長男にも子供が三人も出来てささやかな
暮をしていました。そのうちに他家に出ていた母は発狂してA さんの
うちに送り帰されました。Aさんのおうちはこれから暗い蔭におA わ
れ始めました。毎日が面白くないのでA さんは日稼や小農ではラチが
あがらないとみて職を求め大阪で定職につき僅かながらも送金をつゞ
−16−
___________________________
けて来ました。家に残る長男の妻は健げにも子供三人を抱え老母に孝
養を尽し閑をみては手仕事で僅少な収入を得、よく身体が続くものだ
とほめられました。しかし嵐は更にこの一家の上に遠慮なく襲つてき
ました。其は大阪にいるA さんが発狂して精神病院に収容されたとい
う通知で仕送りどころではありません。ここで私はこの一家を訪れ、
生活保護法の適用を受けることを勧めましたが、健げな妻は承知せず
数ヶ月経過、母は病気悪化、子供たちも其の日の生活にも事を欠ぐし
其のうちに回復をと念じていたA さんの病状を病院に紹介しましたが
退院どころでないとの回答に接したので保護家庭の申請手続をとりま
した。それから二年、老母は死去、隣人や親類の手でA さんもいない
まA に、しめやかな葬をすませました。
其の後、一年大阪の長男も平常にかえつてポッカリ帰つて来まし
た。この時、私は役場にいる保健婦さんにお願して奥さんに会つて事
後の御指導を托しました。次にこの一家の更生を計る源はA さんを定
職につけ、収入の安定を得ることだと考えている時、近くに製材が始
りました。A さんは軍隊にも行っていた身体なのでこA に職を得て、
朝は早くから真面目に働き、ようやく明るさをとりもどしました。子
供も三人きりで、だんだん成長して手がかA らなくなったので、A さ
んの妻も又製材エとなつて今日も元気に働いています。
長女も高等教育に耐える頭脳をもつていますが、自ら進学は望まず
中学を出て女エとして阪神に働くこと一年、勤務もよく健康で休瑕に
は元気に帰つてきます。
妻は昨年早々生活保護の辞退を申し出られこの制度で助けられたと
心から感謝されました。
A さん一家の幸福な姿を見て私はいつまでも幸福であれと心から祈
り喜んでいます。それにしてもこの家に健げな妻があった事が唯一の
手がかりで、もしもこの妻が存在しなかったらどんな悲劇が起ったこ
とだろうと今も当時を思出してよく務めたとA さんの妻をたA えずに
いられません。
病気と生活苦とは連鎖反応です。身心の健康な所に生活の安定も得
られます。人つくりも生活の安定に並行して築かれるものと私は信じ
ています。
売春防止にいどむ
婦人相談員
伊藤富子
一、売春防止法施行以来六年目を迎えて。
丸五ケ年、関係椴閲の御協力を得て私述がお世話した女性は一五〇
〇人を越ています。更生資盆を借りて生業について生話の女応を見た
人、工場の女エとなつて真面目に働き五万円の貯傘を持つて詰婚生活
に入り、明るい家庭を作っている人、綱物の技術を身につけて独立出
来たケースなど幸を勝ちとった方々もかなりありますかその反面、更
生をはばむ困難な問翠点が限りなくあります。十六才から五十六才と
−17−
__________________________
年令もまちまち過去の生活状態や猿境不遇の人が大半で、知能の低い
人、性格に欠陥のある人、精神的にも身体的にも不健康な人が目立つ
ています。十七オのA 女はニオの時、両親を失い孤児になり児童施設
で中学も無事に卒業出来ましたが、大阪へ店員に就職したものの、三
ヶ月目に保護者がいないため、町で行ずりの暴力団の仲間に誘惑せら
れ、妻子のある男と同棲、ニヶ月目に売春婦に転落して、いかがわし
いところで一夜に五人の客をとつていました。又怠隋で勝負ごとの好
きなため、借金を作り家計のなりたたない夫と離婚した妻が、三人の
子供の扶養と借金の支払に困り間違った道に迷いこみました。転落の
原因を調べてみると概略、生活苦35%、誘惑12%、好奇心8% 、自暴
自棄12%、虚栄心11%、強要7 形家庭不和15形の状態であります。私
が苦労をつみ重ね指導助言し彼女達が更生しようとする意欲が芽生て
何とかまともな生活に立ち直ろうとしても家庭やヒモなど有象無象の
悪因縁をたち切ることがむつかしく、いつのまにか再転落します。こ
んな時はたまらない悲しみと悩みを味わい解決処理の道を考えて眠ら
れぬこともあります。実にこの問頴は至難中の至難事でありますが、
気永く愛の手をさしのべて好意と善意のあるところに、ものは必ず育
つことを信じています。
二、更生をはばむもの。
①売春防止法がザル法といわれる通り取締りが困難で法の
ぐりぬける悪質業者の手が伸び暴力団、麻薬団等と関連のあるこ
と。
②会の人々の婦人保護事業に対する関心が薄く「私には関係の
ないこと」「さわらぬ神にたたりなし」的考え方のひそんでいる
こと。
③性本能という人生の「きび」に触れる問題であり社会の陰にか
くれるため理解が得難いこと。
④白由のはき違いによる性道徳の低下と、青少年不良化が目立つ
てきたこと。
⑤家庭及社会環境が不良な教育の真空地帯があること。
⑥家族のために身を落すことを親孝行と考える封建性の残つてい
ること。
⑦女遊びを当然と考える向のあること。
⑧精薄や身体的欠陥のため一人歩きの出来ない人が福祉の綱の日
からもれていること。
三、売春をなくすための国民運動を。
①民主主義社会は一人一人の人格を重んじる筈である。人づくり
は四悪「売春、性病、麻薬、精薄」の追放が第一と考えます。
② 純潔教育の徹底をはかること。売春の芽は三、四才の頃に芽生
えるといわれます。男女の正しい交際の在り方を指導し青少年に
人としての尊厳性を自覚させること。
③転落防止について。不良環境におかれ転落の恐れのある女子を
社会のみんなが愛のまなこを光らせて早期発見して下されば身を
あやまる少女や夫や親のいけにえになる婦女子が救われてすべて
の女性が幸に傷つかず明るい社会を作ることが出来ると存じま
す。
−18−
___________________________
福祉活動を推進する人たちを育てるために
保母養成偶感
徳島県立保育専門学院長
梶山伊春
保母には随分沢山のことが要望される。保育所等へ新しく赴任する
と、オルガンが上手に弾けるかどうかで品定めされたりするとか。収
容施設あたりでは、児童が学校から帰つて来ると予習復習の学習指導
もしてやらねばならぬ。生活指導の面では、差し当りレクリエーショ
ン指導なども出来ねばならない。病気だからと言えば応急看護も必要
だし、兎に角児童の全面に触れるとすれば多面的活動をせねばなら
ず、其所には当然多方面に渉る知識技能が要望される。保母養成の場
に於ても、やれ履修科目を増強しろ、いや単位を拡げよ、修業年限を
三年に延長せよ、四年だと多数な要望の声が出るのも故なしとしない
所である。所で斯様な要望は仲々達成し難いことではあるが、仮りに
達成されたとしてもそのことによって保母に対して行われる要望事項
の総てが充たされたとは思われない。更に要望される事項がある。そ
れは、人間の問題である。私はこの人間の問穎を少し幅広く考えた
                、、、、、
い。前述の多面的活動であるがその活動の仕方が要点である。即ち知
                      、、、、、
識技能を駆使しなければならないのであるがその駆使の仕方に在る。
、、、
如何に知識技能を駆使し活動するかーそれは意欲なり自的に繋つて
来る。別言すれば児童を保育するということに如何なる自覚をもち誇
りを感じているかということである。自覚と誇りの無い所には責任感
                             、、
も誠意も生じまい。其所で考えたいことは要するに人間である。人間
、、、、
の出来方である。若き情熱を傾注して尚且つ悔いなしとする此の仕事
に対する理解と情熱と信念の持主たることである。これは先づ骨格と
いう所である。骨組みの重視される訳である。次に考えたいことはそ
                  、、、、、、、、
うした意欲が如何に外部に現われるか。人となりの出来方である。児
童と接するというこtは根底に於ては人格と人格との接触である。交
流と言っても良いか。或いは又、魂と魂との燃焼であるとも言えよう
か。要するに人格性の問題である。前述のものが骨格だとすれば肉付
である。豊かな人格、円満な人格、風格ある人格、近づけば親しみを
覚え、離れては光輝を発する人格、色々言い方はあろうが高く清く美
             、、、、、、
しい人格はその人の出来方、よく出来た人というのはそれを表わすも
のである。自己の再発見と言えば理論めいて聞えるが、自分の分をよ
く辯えていること即ち出しやばりもしないが、いぢけもしないこと
や、自主性自発性ということも人格を磨く上には最も大切なことで、
己の不足を絶えず心掛け、常にこれを補うよう他人の長所を見習つて
採り入れることであるし、威あつて猛からずということも程よい人格
                     、、、、、、
の半面を言ったものであろうが、これらは皆、よく出来た人の持ち味
を言ったものである。
さて、前述に帰つて、骨組も肉付も整った上での知識技能が仲々に
−19−
___________________________
意味を持つて来るということを強張したい。猫に小判でも困るし、狂
人に刃物では尚困るのである。其所で此の根底を動かすものとして愛
情の問題を取り上げねばならない。立場立場に応じて眺めた時、主錮
的な愛情と客観的愛情が考えられ、これをどう調和調整して一人一人
の児童に傾注するかを考えたい。これは単的に言って愛の広さの問題
ではないか。自己愛から人類愛、博愛にまで及び、それが時と場所に
応じてどう発現するか。愛は注がねばならぬが溺れてはならぬもので
ある。
さて斯う観て来ると、保母養成というも人つくりと言うことが誠に
容易ならぬ業であると思うのであるが、更に立ち入って、それは、人
が人を造るという所に深い契機が潜んでいることを痛感する次第であ
る。人は社会と共に生き、時代の動きの中に呼吸せねばならない。此
の面えもしつかりした地歩を固めねばならぬことであるが其所には又
人つくりの困難と妙味があることである。
青年福祉委員を創始して
ー若いヴオランテイヤを
育てるために!ー
徳島市開発課長
(前民生課長)
吉野正
新しく出発しようとする日本は、福祉国家をスローガンとしており
ます。また妓近は特に人つくりを中心に、次代を担う青少年、児童の
健全育成に関する凡ゆる施策が講ぜられつつありますが、徳島市にお
きましても早くからこの問題と真剣に取り組みまして、本市青少年問
題協議会を中心に、青少年の指導育成と、児童の福祉対策について研
究して参ったのであります。
何と申しましてもこの問題は大人の社会のみでは解決出来ないもの
であり、これらの青少年、児童の立場をよく理解しよろこんでよい相
談相手となれる人をこしらえるのが最も要請される。この意味から本
市が着眼したのが、青年福祉委員制度であります。
現在の社会福祉事業は申すまでもなく昔の慈善事業のような特定の
人による特定の人の為の救貧対策ではなく住民参加の地域ぐるみ活動
によって、地域住民全体が、すべての人の幸せを高めることがその目
的となつております。
然し乍らこれを推進していくために組織的に活動しているのは民生
委員が主でありまして、その人も殆ど中年以上の方々が多く、仕事の
内容も生活保護家庭や低所得世帯の更生を主として行っている関係か
ら社会事業はややもすると老人の仕事であり、又内容も特定世帯の更
生であるという考え方が今尚あるように思われます。
そこで徳島市におきましては、社会福祉事業を前向きの姿勢で進め
て行こうという考えから、青春のひたむきな情熱と、正義感を持つ若
いヴオランテイヤを求め、これらの力強い団結と実践活勤によって、
児童の健全育成と青少年の幸せ、ひいては住民全体の福祉増進をはか
ることを目的として昭和三十五年八月十一日
友愛(青年福祉委員はあたたかい思いやりと誠意をもつて
   すべての人の友となります。
−20−
___________________________
奉仕(青年福祉委員は常に弱いもの不幸なものの為によろ
   こんで力となります。
理想(青年福祉委員は選ばれたという自覚を常にもつて明
   るい住みよい社会の建設のために励まし合います。
このスローガンをもつて全市で一〇〇人(満十八才ー三〇才)により
スタートし三十六年八月には更に一一一人を増員し現在二一一人によ
り活躍しております。主な活動内容としては赤い羽根共同募金に対す
る街頭奉仕、オ末たすけ合い運動に対する協力、或いは第二室戸台風
の清掃奉仕、又児童福祉施設を慰問するなど、自主的にやつており、
又子ども大会、文化の日の行事等各種の社会福祉行事に際しては積極
的に出動し、青年赤十字団にも進んで参加しております。又一面立派
なリーダーとしての資質を養成するための一夜研修会を開催するな
ど、着々ヴオランテイアとしての活動を続けております。
さてこの青年福祉委員活動の強化と、これら若人に。フライドを持た
せるという意味で昨年六月広く一般県市民から「青年福祉委員の歌」
の歌詞を募集し、徳島大学近藤教授の作曲によって十二月十四日、県
自治会館において盛大にこの歌の発表会を催したのであります。さい
わいこれが非常に好評を招き、現在では、青年福祉委員のどんな会合
にもこれを愛唱しているようであります。
又この歌によって青年福祉委員は事実上、その自覚を新たにして地
域活勤においてもほんとうに選ばれたという。フライドを持つて明る<
楽しく活躍されております。
本市としましても、近く青年福祉委員その代表者による放送座談会
(テレビ放送)も計画しており、今年はより一層地域活動の強化をは
かつて明るい住みよい幸福な市民社会建設のため一歩一歩前進して行
きたいと考えております。
最後に私が強調したいことは、池田総理が提唱している人つくりの
問題であります。この問姐は今大きく社会の関心を呼んでいるようで
あります。
若い世代に浣行している、低俗な音楽や風俗のブームは何時消えて
なくなつても惜しいとは思いませんがこの人つくりだけは単なるブー
ムとして終ることなく、真理と正義を愛する次代を担う習少年を中心
として、自主性ある青年栢祉委具活動を通じて永遠に幸幅な人間社会
が建設されるよう念顧するものであります。
=市町村社協の専任
職員を育てるために=
県社協事務局長
町弥一
「人つくりは何も池田さんの専売じゃない。聖徳太子の昔からある
」と誰かが云ったが、凡そ、そこに人間があり社会が形成されている
以上秩序があり、道徳が存在し、共存への人間関係があらねばならな
いと思います。
−21−
___________________________
人それぞれの性格は違つても集団生活に処していく構え、つまり社
会性がなければ人として価値はなくエゴイストそのものと云えるでし
よう。地域組織活勤の原則は一人一人の特有の持味を出しあい、又お
互の責任を感じあい、ゆずりあい助けあつて地域ぐるみの展開に発展
さす活動に他ならぬと私は思つている。
これにはその方向づけや推進役となる大切な役割をもつ専従耽員が
いる訳であるが、この人達こそ人つくりのために若い情熱を燃やして
日夜激しい労苦を重ねている次第であって全く敬服の他はない。
ともすれば何の後楯もない自らの位置を顧みる暇もなく、遠い夜道
を歩き、幸いうすき人達を訪ね、時に自転車のペタルを踏んで映写椴
を運び部落の集会にと駈けずりまわり、小使の仕事もやって退ける。
誠に貴重な存在と云えるだろう。
然しこの人達は時に眼にみえない圧力を感じ大きく阻む壁に突`、さあ
たることが、しばしばあると云う。
その一例は市町村当局のそれも一課長の個人感情からの故なき指弾
の一画を喰つて呆然自失してしまう有様は余りにも哀れな現実であり
法的裏付をもたぬ悲しさと嘆いている。
私は同情はするが共に悲しみたくはない、なぜなら「彼らには多く
の住民が背後にいるではないか」と云いたい。
勿論行政関係えの円滑なる連絡は欠がすべからざる要務たが個人均
な人間関係に支配されて大道をあやまつてはならない。
地域の住艮のしあわせを守る悲願の活動は決して浅蓮な思慮を許さ
ない。
信ずる処堂々の一則進があってほしいと私は思う。
さいわいにして三十八年度国の予算は社協関係予算に福祉活動指導
員の配置を、全国各府県社協に平均三名決められた、これが端緒に市
町村社協にも専任職員が設けられるように必づとなる。
私連、民間社会福祉事業は公的援助を受けることが紐つきになつて
本来の目主性を失うとよく云われるが、これにも一理はあるとしても
やはり或程度の凶家3支えはあっていい。
むしろ行政面密閂直が完壁を期すると、それに伴う民間社会福祉事
業が必ず盛んになると息う。
又反面民聞活動の突上げが行政面に大きく影曹することが自然であ
り、そのための活動℃あるとも云える。
下積みの陽かげから今こそ春に蘇える若草のようにこの人逹の上に
も恵まれる目はそう遠くはない。
心めせらず、徒らのコン。フレックスをなくし、この仕事に生甲斐を
感じてやつて貸したい。
時に家庭の妻子を悲しませ、団欒も知らぬ生活は、この道の人間と
して止むを紺なしと放戸]9る指導者をよくみかけたが、今はもうそん
ぢことんJ.写うご人はなくなった。
お互|傑畏はあって然るべきだが、吾も人の子だ、自りの家庭UJヤ
和を乱ごし/3,.虹凡皐いあり得なし。私辻は刷いの社会酎業3近代仕
のためにも太し拒性ょ培つて科学的に技術的にも如何なる手段が要求
されているかこ冷簡1判勒していこう。
後からいつも追たてられている行き方は改めたい。
−22ー
___________________________
動き
福祉のアルバム 昭和37年9月→昭和38年3月
演芸慰問団を
編成して↓
結核療養所を慰問
善意鉗行
繁盛記
大工、左官、理髪、お菓子作りを
養老院や児童施設へ払出し

写真掲載

-23-
___________________________
年毎に充実第6回県大会
全社協 木村副会長を迎えて
新しく専門委員会を設置
好成績の共同募金
無人スタンドの出現

写真掲載

−24−
___________________________
ボランテイア活動促進
特別排進地区の指定による
子ども会指導者研修会
みつばちクラプ主催
年少リーダーキャンプ
人形つくりの指導を
受ける神領子ども会
学生ボランテイアの活踵

写真掲載

−25−
___________________________
健やかに伸びる子ら
肢体不自由児の
子らの
Xマスの集い
12回を迎えた
施設児童芸能祭
親子ーしょにたのし
いゲーム遊び
前進する
子ども会活動

写真掲載

−26−
___________________________
ー昭和三十八年度当初ー
県厚生行政予算の概況
徳島県厚生課長
井上治
県厚生課では、昭和三十八年度当初予算の編成に当り、憲法で定め
た「健康で文化的な最低限度の生活」を保障することが社去枷祉廿業
の基本的な目楳であり、在り方℃あるという基本方針を建てるととも
に「激勤する社会」と呼ばれる近年の囲民生活の変動に応じた新しい
社会福祉事業を推進すべきであるとの考え方から、これと正而から取
組んで、前向きの予算を緬成し財政当局と激しく折衝を重ね、最終的
に知事の決定を経て確定を見たものである。
その結果は、昨年に比し三〇%の伸びと云う飛躍的な予鉢を計上す
ることができた。
二月定例県議会で議決された昭和三十八年度当初予算の中から主な
ものを述べてみると次のとおりである。
生活保護費
栢祉事務所関係
1、生活保護関係
生活保護費
本年 五七六、七五〇、〇〇〇円
昨年 四六二、七五二、〇〇〇円
福祉事務所関係
本年  一二、六三七、〇〇〇円
昨年  一一、六九〇、〇〇〇円
昭和三十七年十二月末硯在の本県の保護状況は、被保護出帯八、
〇二四川帯.人員二〇、三四一人であり、県民一、〇〇〇人当り二
四人が生活の侃心を受けていることになっているが、特に近年の経
済緊栄を広く囚窮者にも及ほし、且つは最近の物価高にも対応する
ために昭和三十八年四月から生活保護の基準が、一七%という大巾
に引上げら九ることになった。これ等被保護者の人々に対して、福
祉事務所在整俯し、社会福祉、王叩の資質の向上を図ることにより行
き届いた生活保設行政を進めることに努めたい。
2 、身体障害(精神薄弱)者閲係
本年 三二、五二〇、〇〇〇円
昨年  八、七四九、〇〇〇円
従来の援談措闘を一陀充夷強化するとともに、次の三点を雷点と
して行いたい。
⑴聞眼運動(予算一〇〇万円)
弱視児童い早期の視刀回復訓練及び治旅の実施と失明者や高度
の視力陪害者に対し、眼球を提供する聞眼運勤を県下に阿開し視
力諒害者に対する柏極的な福祉施策を進める。
これは県が徳島大労医学部の全而的な協力を得て、大学に近く
備えつけられる特殊治療機械による蒟視児童の視力回復訓練及び
治療を行うと共に、さらに視力防害者に対する眼球の提供運動を
起し、死後眼球を提供された人にぱ、その遺族に憶謝の認を表わ
す意味で県が五万円の謝礼を出すとともに、手術貨用も低所得者
層には無料でできるよう県が負担する。
⑵盲人センターの設置(予算二、〇〇〇万円)
−27−
___________________________
盲人の人々のために福祉センターを設置し、生活向上のための
技術訓練(アンマ)を行い、点字図書舘、収容施設を併置し、明
るい援護措置を行う。
⑧身障者の体育大会の開催(予算二九万円)
身体障害というハンディキャッ。フを克服し、社会人としての自
信と自覚を促すため、体育大会を開催し、娯楽と競争の中から心
身の鍛練と精神的指導を行いたい。
3 、老人福祉関係
本年 五、四二四、〇〇〇円
昨年   一五〇 、〇〇〇円
老人問題は、今後の社会問題の中で最も大きな問題の一っといわ
れる。今般国は老人福祉法を制定し老人福祉に対処することになっ
た。県ではその施行に応じ何時でも実施できる体制で積極的に予算
を計上している。県下で六十才以上約八八、〇〇〇人、六十五才以
上約六〇、〇〇〇人がいるので昭和三十八年度に於ては次の対策を
⑴老人福祉関係審議会の設置
県における老人対策の諮問、調査、審議に当るため、知事の附
属機関として設置し、新しい施策の展開に努めたい。
⑵老人福祉専門の社会福祉主事の設置
各福祉事務所に一人づつ設置し、老人の生活相談、福祉の向上
に努める。
⑶老人家庭奉仕員の設置
とりあえず四市に一名づつ置き、体の不自由な老人家庭を順次
巡回して、身廻りをお世話する。
⑷老人健康診断の実施
老人の健康診断を行い、健康で幸せな老後を送れるよう全老人
について巡回診療等の方法で行いたい。
⑸老人クラブ運営費の助成
県下の老人クラプは全国的に活訟な運励を展開しているが、こ
れらの老人クラブ中に、一定品加のクラブに月三、〇〇〇円程度
の事業に対しその三分の二程疫の助成を行いたい。
⑹老人福祉センター
 老人ホーム     の設置
県下のお年寄りが誰でも自由に、たのしく利用できる福祉セン
ターを設置し、叉経済的には余裕がありながら孤独で身寄りのな
い人のために、月七、〇〇〇円ー八、〇〇〇円程度の生活貨で入
所できる老人ホームを設置する。この建設設は、県貨予算の外
に、お年玉葉古の利益金二千万円が中央共同募金会を通じて配分
される見込みになっている。
4 、低所得者対策
本年 一四、九四〇、〇〇〇円
昨年 一一、一〇〇、〇〇〇円
県の低所得者層は増加する傾向があるが、この対策は社会福祉の
菫要なポイントになるので禎極的に進めたい。この事業の主なもの
は次のとおりである。
⑴ 世帯更生資金の貸付(予算一、二〇〇万円)
この貸付金は昭和三十七年度までに資金量は五、七〇〇万円に
上つており、県下の低所得者屈に大きな福祉をもたらしている
が、本年度に於ては必要に応じて更に妍額するつもりである。
−28−
___________________________
⑵心配ごと相談所の設置(予算二〇四万円)
世帯更生資金と併せて低所得者層の心配ごとの相談相手となっ
て、その福祉の向上に当るため、心配ごと相談所を設置している
が、本年度は他府県の約二倍に当る七ケ所を新設するとともにこ
の運営費を補助したい。
⑶家庭内職の絵旋、授産事業の指導等、家庭の収入の増加を図る
施策を進めたい。
⑷公益質屋の運営指導
低所得者の気軽な金融機関として、これを更に育成して低所得
者層の福祉を向上したい。
5 、同和関係
本年 一九、四一四、〇〇〇円
昨年 一一、六四六、〇〇〇円
同和問題の不合理を改め、正しい理解を得るために、従来の施策
を引続いて実施するとともに次の点を重点として積極的に進めた
⑴同和地区環境改善事業
同和地区の低位性の向上のために、地区環境改善のために、予
算を多額に計上して、地区民の経済的な向上を図りたい。
⑵同和奨学金の助成
向学心があり、素質に恵まれながら、経済的な理由により就学
出来ない地区の青年に対し、奨学資金を支給することにより大
学、高校への進学を促し、地区民の教養を高め、間接的に差別感
の排除に努めたい。
6 、社会福祉振興対策
本年 九九〇、〇〇〇円
昨年 七五〇、〇〇〇円
新しい社会福祉事業の振興のために、特に新しく予算毀目を設土
し、地域社協、国民たすけあい運動を強化したい。
7 、民生委員関係
本年 二、三四〇、〇〇〇円
昨年 一、三〇〇、〇〇〇円
民間奉仕者である民生委員の活動費の増額を計るとともに、民生
委員の社会的意義を強調し、資質の向上に努めたい。
本年度における主な事業は次のとおり。
門標の配付
民生委員手帳の配付
民生委員研修費及び全国大会派造貨の増額
弔慰金を一人一、〇〇〇円に増額
民生委員活動費市町村補助を一人一、〇〇〇円に培額
援護関係
旧軍人、単属の普通恩給、遺族年金、公務扶助料等の恩給事務の
職員を強化するとともに事務能率の向上に努め、早期伝逹に全力を
挙げたい。
以上が厚生課の昭和三十八年度予算の主なものであるが、本年度予
算を咋年に比較してみると一般会計において昨年の五二九、ニ―四、
000 円に対し、本年度は六八七、四五〇、〇〇〇円であり、約三〇
%の増加となり、それだけ県民の福祉が向上することと期待をかけ、
積極的な厚生行政の実施に努めたい。
−29−
___________________________
福祉随想
陳情に想う
脇町保育所長
飯田一平
昭和三十七年十二月二十三日、
二十四日、東京都内社会事業会館
に於て開催された社会福祉予算確
得緊急大会陳情団の一人として参
加した感想を述べたいと思いま
す。
敗戦という歴史的な民族の一大
悲劇は一面考え方によると封建か
ら脱皮されるという民族開眼の機
会であったという論者もあるかも
知れぬし、又現在民主と自由と共
産と世界中のあらゆる思想を取入
れた明治初期以上の一大カクテル
に酔い疲れている段階を未だに反
復しているのではなかろうか。
明治初期に吸収された色々な法
式は独式、英式、仏式が多分であ
った様に思われるが、敗戦後は未
占領政策の流れを汲み米式の色彩
で染め尽されている感が深い様に
思われる。
その可否は別として、日本で現
在実施している各種のものが根本
的に米の持てる国と日本の持たざ
る国が同様なケースによってやる
所に無理があるのではないか。
日本にも古来、暴君に対する訴
願的なものや小規模な陳情方法を
取った時代もあったが、最近の陳
情という事は米国風の渡来物と思
われる。大は国会から小は地方市
町村に至る迄陳情プームといつて
よい位、計画すれば早速陳情に取
りかかる。
陳情とは自己の要求を対者に理
解度を高めさせ受け入れて貰う為
である。陳情者は利己的であり他
を省みない個人主義の標本であ
る。(公的職場単位に於て)対者
は限られた枠内に於て多数の陳情
者から之を取捨選択をする。
理事者は施策の軽重を考慮し、
又比較的陳情の少い部面の予算を
削り融通する。黙つていては馬鹿
だと陳情合戦となる。陳情を是認
する理事者の罪か、利己主義な陳
情者の罪か、公正な裁断は何に求
めるか。最期は理事者の良識に訴
ヘ堤案ー決議ーの過程を辿る。
という因果関係を繰り返し、役
所は愈々複雑と混乱を累加し、事
務能率を極端に阻害している現状
を各所に見聞する。
多人数が右往左往し、多大の時
間を費し、多額の資金カン。ハを用
い、お祭騒ぎをしなければ事業が
実現出来ないという。この行き方
之が近代化した文化人のやる事
か?•もう少し合法合理的な方法は
ないものかと思われる。夫れ/\
の役所役人は中央、地方末端と行
政網が構成され合法的に下情を充
分把握出来る機構の筈である。国
民大衆は黙つていても、役人は大
所高所から眺め下情を把握する各
種資料の下に客観性のある施策が
執行出来る様努力し公平妥当な措
置案を議会へ堤出すべきである。
福祉事業も敗戦後生れた近代国
家として当然かくあるべき人道的
施策である事は論を待たない。然
し他の産業生産的な部面に比し社
会の裏にひそみ社会の眼から見離
され易い性格上陳情補促により当
局乃至議会等にその認識を深める
必要は多分にあり年々陳情効果が
上昇している事は同慶に堪えない
事であるが結局、理事者は陳情を
予期して予算を編成し陳情者は選
拳有権者の権利を振りかざして議
会議員に迫る。
結論は限られた財源の一方が脹
れたり他方が容んだり、という悪
循環を繰り返す悪習慣を是正した
いものと思う。
それには、正常妥当な事業要求
−30−
___________________________
者と、国民から信頼される行政手
腕者と、良識ある議会人の裁断の
三者合一に少しでも近づく事を望
みたいなものである。
みつばち運動に
かける夢
徳島県みつばち
クラブ会長
細川龍繁
私が子ども会活動の指導を始め
てから十年になる。その間この運
動の発展の跡をふりかえつてみる
とひじような進歩をとげているこ
とに驚く。指導理念は次第に確か
さと深さを加えていったし、地域
社会人の認識の広がりも加速度的
に多くなりつつある。社会の現実
的要請から必然的に生まれたこの
日本独特の地域子ども会の活動
は、今後燎原の火のように日本全
土に広がつていくであろうと思う
のである。
xxxx
そこで、私はこんな夢を私たち
の郷土徳島県の上に描いている。
これが五年後になるか十年後にな
るか、その日の一日もはやく来る
ことを祈りながら………。
xxxx
きようは、みつばちクラブ総会
の日、各地区子ども会ごとに結成
されている蜂の巣グルー。フ(専門
指導者五、六名によって構成)か
らひとりずつ代表者が集まつてく
る日である。全県下の蜂の巣のメ
ンバー五千名あまり、したがつて
代表者も千名に近い。会場は、子
どものためにつくられた児童会館
のスポーツ室が使われ、ギッシリ
人にうずめられている。年令層は
七0 形が青年男女であるから発瀬
とした気風がみなぎつている。開
会式には、県知事、県外議員に始
まり、知名の士が次々に挨拶に登
壇する………。
各地区では、地域のおとな全員
が、学校や指導育成諸機関とがガ
ッチリ手を組んで、子どもを見守
り、子どもと遊び、子どものしあ
わせを実現する地域子ども会の理
論が、子どもの健全育成の最後の
キメ手であるということが完全に
理解されているので、昭和三十八
年ごろには、いろんな団体や機関
がそれぞれの立場からバラバラに
働きかけていたものがスツキリと
一本にまとまつてきている。県下
のおとなの大半の理解と熱意は、
大きな刀となつてきているので、
政府閲係当局も、もはや無祝する
ことはできなくなっていて、子ど
も会関係に県の予算は年問百万円
余が計上されることになつている
のである。
また、地域ことに、従来の着想
とまったく違った児童館が建てら
れている。そこには会議の為静的
な部屋は一部分で、子どもの知的
探究心や創造性や、芸術的欲求を
自由に満足さすことができる大き
な部屋と、いくら堀つてもかまわ
ない、何をつくつてもかまわな
い、あとの人にめいわくをかけな
いかぎりの活動をしてよいという
木が生えたそして山あり、川あり
の広い庭が設置されている。そこ
には、国から任命された専門の指
導員が三〜四名常時勤務してい
る。
そして、子どもの健全育成にた
ずさわる人々は、このような組艤
が確立されなかった昔は、いかに
労多く、功すくなかったか左苦父
まじりに回想している。
私は、このような如ジを切実に柚
いているのである。
−31−
___________________________
福祉随想
社会福祉行政と
実施機関
阿波麻植福祉事務所
河崎正已
川島城山の山肌にもかすかに春
の香が訪づれ多忙な三月の年度末
をむかえた。兎に角く福祉事務所
と云う役所は実にいそがしい処で
ある。現行福祉四法を基本として
福祉行政と取り組んでおるがたん
に社会事業という言葉でいわれた
時代は貧困者や心身に欠陥のある
特殊な人を中心としたものであっ
たと思われるが、戦後経済の成長
と共に福祉国家と言う言葉がつか
われるようになつて国の施策の三
本の柱の中で順次社会保障制度の
拡充されて来たことはまことに大
きい。昨年社会保障制度審議会の
勧告なり答申の中にあるように三
十六年を基点として十年計画で保
護基準を実質三倍にすべきである
といわれている。
又先に公表された厚生行政長期
基本構想も国の所得倍増計画によ
る経済の見透しを基礎として昭和
四十五年を目標における各種の社
会保障、社会福祉制度の具体的整
備計画を示したもののようであ
る。かくしてようやくイギリス、
フィンランド、オランダ、西欧諸
国の水準に近いものになると整備
目標を設定されているようであ
る。まことに有難い世の中になっ
て来たもので、殊に社会福祉行政
に身を置く者として我が世の春の
ようなよろこびを感ずるものであ
る。ところが福祉という巾の範囲
が非常に広くなつて一体どの範囲
までの広さになるのであろうかと
思われる。一月発行の生活と福祉
の冊誌の中で福祉行政の抱負と云
う見出しがある。その内容を一読
すると福祉事務所の取扱い事務も
巾広いものになって福祉事務所長
はよろずの仕事に追われていると
批判がのつている。誠にその真を
うがつているが、最近急激な社会
保障制度の前進に伴い民間社会事
業も急速に進歩したことである。
私の福祉事務所内でも町村社協郡
連絡会をはじめ肢体不自由児、精
神薄弱者、各保護者会、日赤、共
募関係、老人クラプ連合会その他
合せて十団体の事務局を以てお世
話をしているが、然し乍らいづれ
も社会福祉関係の団体であって現
在の公的な福祉行政の手の届かな
い所を補足的な役割を果してくれ
る大切な福祉団体である。その相
談相手となり指導育成の責任はや
はり出先きの福祉事務所が引受け
る以外にない。従って会の業務即
ち民間社会事業の分野に高いウエ
イトを占めていることは事実であ
る。しかも財政的の裏付けも勿論
ない処に苦労もあるが、社会福祉
事業の故を以て町村当局もよく理
解される。また相手になつてくれ
る関係の方々が社会奉仕の精神を
持ち合せてくれる。金がなくとも
以外に事業の推進が出米る処に社
会福祉事業の銀高さがあり、この
点常に感激をおぼえるものであ
る。しかし私にも常に疑問はもつ
ているが何分過渡的な格好で今の
所仕方ない。昨年七月井上岸生課
長の就任されて初めての幅祉酎務
所長会議において民間社会事業も
公的福祉行政と共に同様に捉進さ
れるよう県の方針を明確にされた
ことによってなお一層骨身をおし
まず最善の努力を続けている。何
と言うても福祉事業の推進は精神
面の指導にウエイト高く、熱情あ
るのみである。総て人生はマッチ
の火と同じである自分が燃えずし
てどうして相手を燃すことができ
よう。魂しいも魂しいのふれあい
-32-
___________________________
によって世の中も明るくなり福祉
国家の建設のために実を結ぶ大き
な要素であることを信ずるもので
ある。
新たに民生委員となって
神山町民生委員総務
森本種八
新に民生委員の辞令を受けて感
深きものがある。十年余の民生委
員として何が出来たか、反省もし
て見た。又新しい民生委員として
の抱負もと心は走馬燈の様であ
る。然し民生委員であってほんと
によかったと感激したことも一度
や二度ではない。私の町がもう
七、八年も継続して毎年正月頃施
設の子供をおあづかりして一日一
晩、楽しく遊んで頂く一日里親を
実施している。過日のことであ
る、雪の深い本町へ迎えたA施設
の子供を迎えて楽しい時を過し施
設に帰る為め送った自動車の中
「私ゆうべはお母ちゃんと寝た」
と涙ぐんだ顔、この子はお母さん
のない子であろう。又きれいな寝
まきを貰ったといつてうれしげな
顔、施設に帰つてお土産をあけ
る。お苧が出た、お柿が出た、と
よろこぶ顔々、又昨年十一月末民
生委員最終の三年を終えて世帯更
生家庭の表彰をした。受けられた
奥さんのひとみ、優良子供会とし
て表彰を受けた子供の笑顔など民
生委員ならでは味い得ない感激で
あった。
又一人の病人を救つて上げる為
め、本町民生委員が全員で大島青
松園を昨年八月視察した。此体験
を生して此病人をおすすめして十
一月ここへ入所してもらった。そ
の方よりの手紙の中に「暗い谷間
から救われました明るい人生が送
れます。民生委員さんの御恩は忘
れません」とのたよりを見たと
き、ほんとうに涙がにじんだ。民
生委員の生甲斐をつくづく感じ
た。これがいわゆる無報酬の報酬
といいましようか、少しでも世の
下づみの人々を明る<救つてあげ
ることが民生委員の務ではあるま
いか。
何といつても民生委員の活動は
民協のあり方によると思う。本町
は新しい民生委員を迎え本年の努
力すべき方向をと一月総務会を開
いた。総務、副総務ばかりでな
く、みんなで計画し研修しみんな
で努力出来る様な態勢にしたいも
のだと考えて本町の民協の中に、
児童部会
老人部会
婦人民生委員部会
保健福祉部
心配事相談部
を設け部会長、部員を全員に割当
てて研究してもらい、その部に属
する会合には必ず出席して研修し
たいと決定している。其内容につ
いては今後会を重ねて研究したい
と思っている。
善意銀行
明暗二題
悠島ライトホーム
寮長補佐
山田誠治
中四国の盲教育研究会場を引受
けてその開会を十日前に控えて気
がかりな事のひとつ、分科会々坦
にあてる予定の点字図魯舘の壁の
余りに見苦しく汚れていることで
ある。
お年玉ハガキの寄附金による浄
−33−
___________________________
福祉随想
財七〇万円の配分を受けて建てた
鉄筋コンクリート十六坪、自慢の
図書舘であったが七年間の使用の
はげしさに耐えて満面創鶉、県外
のお客様を迎えるのに少し気が引
けると思ってみてもこのような小
さな仕事はどの業者も取り合って
くれないので困つていたが窮すれ
ば通ずとやら徳島市善意銀行へ払
出し申込みを思いついた。
この銀行の有難いことは、私達
の立場からは預金してなくても払
出しが申込めることである。それ
がまた地域のニード(欲求)を表
現すると云うことで善意銀行設立
の趣旨にも添うらしい。
早速に島田で開業していると云
う左官屋さんがオートバイをとば
して馳せつけてくれた。
現地調査と打合せと云うことで
事情をきくと、期日までにはどう
しても間に合わせましようと力強
く引受けてくれたが二、三日する
とリヤカー一杯の材料を積んで約
束通り乗り込んで来てくれた。
蔭の奉仕とはこのようなことで
あろう。終日黙々と壁の修理にあ
たつている左官屋さんの後姿に尊
く教えられる多くのものを感じ
た。
善意の結晶であるお年玉ハガキ
で建った図書舘がいま溢れるよう
な善意でひとこて、ひと錢修復さ
れているのである。
これで子供たちのためにも一段
と明るい図書館になる。研究会場
としても立派に役目を果してくれ
ることだろう。左官屋さんも自分
の善意の表現とその出来栄えに充
分満足してくれているようであ
る。私もまた胸のあたたまる想い
でいつばいであった。
xxxx
お正月にまだ間のある師走のは
じめ、善一嬰銀行を通してお餅を寄
贈する篤志家が訪門するから臼と
杵を準備して待つておれと云う。
アリガタイ連絡に接し掴き手の子
供たちや識員を手配するやら内示
に従って報道関係に予報するやら
万端とA のえて待てど暮せどおも
ちは来らず。もともと預金してな
い弱さもあって督促するのも何と
やら遠慮しつA 漸く旬日を経てお
伺いをたてると、あれは預金者の
希望条件があつてあの施設この施
設と持つて廻った末に結局選拳地
      、、
盤の幼稚園でことをすませまし
た。すんませんでしたと云う返
事。
それならそれで最初からスツと
幼稚園へ持つて行けばなんの事は
ないのに、なまはんか善意銀行な
どへ入れるからとんだ人騎せをし
たりガッカリさせたり。
これなどはツミ作りの部類に属
すると云うことになろう。食べそ
こねたお餅にあと味の悪さだけが
残されている感が深い。
−34−
___________________________
解説
〝社会情勢の変化に即応した
前向きの社会福祉を〟
昨年十月、東京で開催された全国社会福祉大会
は、討議の共通主題として『社会情勢の変化に即応
して社会福祉制度、施設をどのように改善するか』
について全国的な積み上げが行われた。いうまでも
なく社会福祉事業は社会と国民の最も必要とすると
ころに応えて行われ、また発展すべきものである。
従つて社会福祉事業関係者の最大の関心事は、常
に社会情勢と国民生活の変化であり、そこから発生
する社会的問題は何か、それに対してわれわれは如
何に応えて行くかということでなければならない。
今日『変動しつA ある社会における社会事業』とい
う言葉が、世界の社会福祉事業界における合い言葉
として使われている所以である。
厚生省は昭和三十七年厚生行政年次報告書(厚生
白書)をまとめ、昨年十二月発表したが、この厚生
白書は近年特にこの『変動しつA ある社会における
社会事業』をよくつかみ、厚生行政の実情を明らか
にし、今後の社会保障の施策を推進する手引きとす
るため実によくまとめられたもので、国民の生活に
直結した社会福祉の世論をつくつて行く前向きの姿
勢で、現実的な施策の方向を示すことに重点がおか
れている。
昨年の全国大会でも現在わが国の人口革命と技術
革命の急速な進行の結果、経済的社会的諸条件は著
しく変化し、これに伴つて国民生活上の新しい問題
が発生しつつあり、特にこの際、従来の社会福祉の
概念や行政の枠にとらわれない立場で人間主体の原
則に立つて、総合的な社会福祉の長期構想樹立を確
保している。社協活動は地域ぐるみで住民のニード
を吸い上げ、新しい分野の社会福祉を推進しなけれ
ばならない機構と機能を持つとすれば、十分この厚
生白書の全貌を研究し、前向きの社会福祉を推進す
るための検討しなければならないと思う。
昭和三十七年度の
厚生白書あらまし
☆はしがき
厚生行政関係科学の振興、戦争犠牲者援護、急
性伝染病対策、医療対策など多くの課題をかA え
ているが、ここでは人口構造の変化と経済成長に
伴う今後の厚生行政の課縣を中心に、現状と今後
の方向を探つてみたい。人口革命ともいうべき大
規模な人口構造の変化は、年少人口の急激な縮
小、中高年令層、老令者に対する福祉施策の拡充
が必要となった。さらに経済の進展に伴い農村か
ら都市へ、中小企業から大企業へと人口の地域構
造や就業構造も流動的となり、喪村や都市、中小
企業でさまざまな新しい保健福祉の問題が生じて
−35−
___________________________
いる。一方、低所得階層への施策の拡充が
必要となるなど、厚生行政は多くの新しい
課題に直面している。
一、人口資質の向上について
戦後の人口動態が戦前の多産多死型から
急速に少産少死型に移行したため、四十年
以降の生産年令人口は急激に収縮する見透
しなので、人間能力の開発、人口資質の向
上が必要となっている。
◇妊産婦、乳幼児の健康=二十五才以降出
生率が急減し、いまや先進国中最低の部類
(人ロ一、〇〇〇対一六・八)となった。
このため総人口に占める年少人口(〇才〜
一九才)の割り合いは、三十六年の四三%
から四十五年には三一%に低下することが
推計される。
ところが妊産婦死亡率とくに妊娠中毒症
による死亡率が、先進国に比べ著しく高率
で、また乳児死亡率も先進国の二、三倍の
高率である。このため今後は妊娠中毒症対
策の強化、幼児の検診や未熟児養育制度の
拡充をはかるべきである。
◇リハピリテーション(療後者の社会復帰)
=障害者の人権尊重と福祉の増進のた
め、諸外国では、医師、社会福祉専門家、
ケースワークがチームを作り、能力そのも
のを回復させ、再雇用を促進している。
わが国でもこのような体系的に整備し、
リハビリテーション事業を推進させるた
め、専門施設を整備して専門技術者を養成
し、障害復帰者の雇用促進をはからなけれ
ばならない。
◇精神衛生=精神障害者は積極的に治療し
社会に復帰させる時代となった。この相
談、指導、施設収容を充実し、アフターケ
ア施設を整備しなければならない。
◇体力の向上=栄養指導の強化により体力
の地域差解消につとめ、一方スポーツ施設
などを整備する。
◇麻薬対策=最近中毒者は青年層に増加
し、その害悪は、大都市から周辺に波及し
つつある。このため現在環境浄化、収容施
設整備、取り締り強化などが行なわれてお
り、総理府に麻薬対策推進本部が設置さ
れ、総合対策が強力に進められている。
二、老令人口の増加と老後保障
わが国の老令人口(六十才以上)は三十
五年以降三十年間で、三百五十九万人ふえ
総人口に占める比率も八・九%から一五・
〇%にふえると予想される。一方老人をめ
ぐる環境は家族制度の変革などによりきび
しくなり、さらに就業構造の変動により老
人の家庭内での地位を不安定なものにして
いる。
とくに高令者世帯(男六十五才以上、女
六十才以上)では生活保設但帯が一七・ニ
彩にも達している。
◇老令者の所符保障=公的年金受給者は、
現在三百万人で、六十五才以上の人口五百
六十万人の五割強にあたる。現行年金制度
には年金額の水準向上、きよ出制度の網の
目からもれている老令者への老令福祉年金
制度の改善など、多くの課題がある。とく
に厚生年金では給付額引き上げが急務だ
が、このためには保険料の引き上げが必要
となろう。
◇老人福祉対策=年金制度による所得保障
とならんで、現在老施設などの整備、家庭
奉仕事業の推進などの施策がとられている
が、今後はこれらの施策を体系化し、責任
の分担を明らかにして、国、地方公共団体
の財政措置が必要である。
このため老人福祉法の制定も検討されるべ
−36−
___________________________
きだ。
三、中高年令層の問題
中高年令層は職場では働き盛り、家庭で
は一家の柱として両親、子供の扶養責任を
負つている。しかも人口構造からみてこの
眉の占める割り合いが増大しつつあり、一
方就業構造の近代化は雇用者を増大させて
いる。これら中高年層は技術革命に適応し
にくく、また大企業と中小企業との賃金格
差も大きい。さらに現在企業の大部分がと
つている五十五才定年制も再就職が困難で
あり、仮に再就誡しても前職より大巾に賃
金が落ちるなど、大きな問胆である。子供
が高校あるいは大学を卒菜するのがちょう
ど五十五l 六十才頃に当り、この層はもつ
とも重い教育費負担がかかり、しかも親の
扶蓑義務も負うなど、二重負担している。
このため中高年令層の問題解決はわが国経
済の成長、就業構造の近代化、労働力の流
動性の増大をはかるうえ、きわめて重要で
ある。
◇健康と体力の増進=中高年令層の直面す
る大きな問題は健康である。これらの層は
ガンや心臓病、脳卒中などの成人病が急激
にふえている。結核も少くない。
このため成人病対策は環境の改善、病気
の予防から早期発見、早期治療、リハビリ
テーションまで含め、総合施策として一貫
して実施されなければならない。
◇児童手当制度=中高年令層の生活を安定
させ、再就職を容易にし、労働力の流動性
を高めるため『年内序列型賃金制度の是正
を促進し、すべての世帯に一律に児童手当
を支給する』(国民所得倍増計画)が必要
である。
四、都市生活の諸問題と
厚生行政
◇人口移動の現状とその要因=最近の人口
の都追府県間移動(主として都市への流
入)は三十四年以降急速に活発化し、三十
六年には前年を二十万人も上廻り二百九十
五万人に逹した。このような人口移動のお
もな理由としては、地域問の所得格差と雇
用槻会の分布の不均衡があげられ、これは
いずれも地域間の経済の不均衡発展によっ
てもたらされたといえる。
◇都市問題と厚生行政=大都市の厚生行政
は、都市人口と都市収容力との不均衡の結
果現われる弊害を取り除き。健康快適な都
市生活を確保することに目的がある。
このため大都市では現在、生活環境整備
対策をはじめ保健衛生対策、社会福祉およ
び児窟福祉対策などの施策を講じている
が、同時に地方開発都市の生活環境施設の
整備などを通じ、大都市人口の分散策に協
力していく必要がある。
◇都市における厚生行政の現状と問穎点=
都市の水需要の著しい培大のため、多くの
都市の給水能力の拡充をはかるため、今後
五ケ年で現在の水不足の全面的解消を最優
先に取り上げるべきだ。また、し尿やごみ
などの汚物処理も五ケ年で八千万人分を衛
生的に処理する目籾で、下水道、清掃施設
の緊急整備をはかる必要がある。この外、
大気汚染をはじめとする各種公宮にも強力
な措置を講じるべきだ。
五、農村の動向と厚生行政
◇変容する股村=第二次産業の雇用需要の
増大が若い労働力を中心に農村から都市へ
の地すべり的移勤をきたしており、この結
果、農村労働力の老令化、女性化となり、
兼業農家の増大となっている。
−37−
___________________________
◇農村における保健福祉の問顆=農村の消
費文出は都市に比べて保健衛生費、被服
費、学校教育費などが低い。農村の死亡率
け市都に比ベ二%(人ロ一、〇〇〇人対)
高く、しかも改善のテンポがおそい。とく
に乳幼児死亡率が高い。また病気では伝染
病、寄生虫病、消化器病が多く、公衆衛生
活動の強化が望まれる。
◇農村に於ける厚生行政の方向=農村の健
康水準が都市と比べ低いのは病院、診療
所、上下水道などの生活環境施設か劣るこ
とによると思われるので、これらの施設整
備をはかるとともに、罰保の給付改善、保
健婦などの保健サービスの強化、保育所の
塩設など、農村の保健福礼水準の向上に努
るべきだ。
◇辺地の実情=辺地では診療所の開設、保
健婦の駐在確保、国保の赤字解消や簡易水
道などの給水施設、し尿、ごみなどの清掃
施設の設置、栄養士の派遣などを切実に要
望している。このため辺地へのこれらの施
設について補助率を引き上げ、補助対象を
拡大することが望まれる。
六、中小企業と厚生行政
中小企業が直面している最大の問題の一
つ一つは労働力不足である。
年少人口の減少により生産年令人口の増
加は、今後急滅する見込みである。四十年
以降若い労働力を主体とした中小企業、と
くに小零細製造業、卸し小売り業、個人サ
ービス業の労働力不足は深刻となる。
◇病気と健康=中小企業労働者にはまだ結
核が多く、主としてこれら労働者を対象と
する政府管掌健保の結核の割り合いは全傷
病件数(入院)の二四・七%に逹してい
る。
このため、今後いつそう健康診断の徹
底、患者管迎の強化をはかる必要かある。
◇福利厚生施設=中小企業の初利厚生施設
整備のため、公的機関による融資の拡充か
必要である。
七、低所得階層の対策
◇経済の発展と低所得階層=生活保護階囮
はほとんど横ばい、ボーダーライン層は漸
減の傾向にある。所待の上昇はこれからの
階層についても確に認められるが、階胴別
所得の開きはまだ著しい。厚生行政基礎訓
査(三十七年)によって家計支出の少ない
方から四分の一の階尼をとつてみると、日
雇い労働者世帯―二%、家内労働者.,ての他
の就業世帯九%など全体の約四六%がこれ
らの不安定な就業世帯や専業農家で占めら
れている。社会保障施策が所紺格差の拡大
を防ぎ、有効需要の喚起、景気変動の調整
のために果たす役割りの大きさからみて、
とくにこれら所褐の低い階層への福祉策を
強化しなければならない。
◇生活保護制度=生活保護基準は、三十六
年以降に約四〇%引き上げられたにもかA
わらず、なお東京の一般勤労者世帯と被保
護世帯との間の一人当り支出額の開きは一
00 対四二である。三十六年度の被保護世
帯は六十一万世帯、百六十四万人で、保護
率は人ロ一、〇〇〇対一七•四で横ばい状
態である。今後、保護基準の引き上げと並
び、稼働力のあるものへの就業援助などに
ついて、十分配慮を必要とする。
◇社会福祉の問題点=社会福祉施策を体系
化すべさだ。また世帯更生資金や母子福祉
貸付資金については、需要の多い生業資金
の貸付け限疫額の引き上げや、貸し付け資
金の拡大をはかる必要があり、この外社会
福祉施設の近代化を強力に推進すべきだ。
◇消費者保護=厚生行政は国民に最も身近
でありながら、消賢者保護の配慮が充分で
なかった。今後、食品衛生、医療品などの
規制をはじめ、低所得階屈に生活指導など
にも力を注ぐ必要がある。
このため米価値上げの外、低所得階層に対
する十分な措置をすべきである。
(執筆責任者事務局次長藤原普)
−38−
___________________________
現地ルポ
離島ー
伊島を行く
阿南市橘町答島から離れること、約二〇粁
陸との交通は毎日二往復、冬期は十月から三
月末まで一日一往復、答島と伊島を結んでい
るのみで、冬期にはよく海が荒れるので休航
することもしばしばあるとのこと。
私たち二人ーーニ人といつても野郎ばかり
の道中で、育成協の仕事で、県社協から藤原
次長と小生の二人が、答島から伊島の連絡船
に乗り込んだのは一月十四日午後三時のこと
である。この日は全くの好天気で、オーバー
の衿を立てながらも、心よいェンジンの音を
聞きながらすばらしい橘湾の景色にうつと
りとしていた。「こんなおだやかな航海
は珍らしい」という人たちの声を聞きな
がら、冬中の半分は休航すると聞いてい
たが、たいしたことはないと調子をおろ
したのが大きな失敗。ク行きはよいよい
帰りはこわい、と歌の文句の通り、帰り
はひどい目にあった。それはともかくと
して、途中、椿泊に寄港し、所要時間約
一時間半にして、伊島港に無事入港しま
した。丁度、椿泊を発つて間もなくのこ
と、行く手の海面に黄金色をした十米巾
の帯状のものが、延々と続いているのを
見た。これは何だろうかと、乗客の一人
に聞くと、し尿船が不情して、遠海に捨てる
のを近海ですましたらしいということで、早
速、保健福祉の問題にぶつかった感じがし
た。
さて、上陸した私たちは、伊島町保健福祉
地区推進委員会々長(傍示議長)神野喜代太
氏と広報部長(伊島保育園長)古川博添氏の
出迎を受けた。そこには想像に反して、離島
とも思えない。漁港のたたづまいがあり、岸
壁には、二億四千万円の巨貨を投じての災害
復旧の岸壁工事が勇ましく展開されていた。
「漁師の方も今日は休みだろうと思つて、旧
正をねらつて来ました。」というと、「伊島
は何年も前から新正一本ですよ。」と笑われ
る仕末。島の現地踏査は明朝にして、夜間
は、漁業協同組合長粟田千賀蔵氏と推進委員
会副会長神野亀雄氏をはじめ育成協役員が加
わって、伊島の保健福祉を高めるための座談
がはじまった。
新生活運動は都会なみ
座談の中から、いろいろ町民の活動振りが
うかがわれたが、中でも新生活運動は驚く程
徹底しており、カマド改善から新旧正一本
化、婚礼、葬祭の簡素化、迷信打破など完全
−39−
___________________________
実施されており、とても文化から遠い離島と
は思われない。この点は島の指導者に良き人
を図たのと、町民の団結力の強さを物語るも
のといえよう。もう一っ感心されることは道
芹が平地は勿論、山の中腹に至るまで補装さ
れている点だ。巡査派出所が不必要な程犯罪
もなく、町民全体が一家族のような人間関係
もうらやましいかぎりである。全く平和郷そ
のもの。若い時は島序離れて、どんどん都会
へ移住するが、年をとるとまたこの島へ帰つ
て未るということもうなずける。子どもに対
する教育も大変熱心で、小、中学校併設だが
辺地性を立派に克肱して、学校教育の水準も
高く、住民の文化センターとしても大きな役
割を果している。
一昨年第二室戸台風の甚大な被害にも屈せ
ず港湾改修作業が進められ、簡易水道の開発
自家発電の設備拡大等、積極的な町つくりの
仕事がなされている。私たちの持ち込んで来
た課題である保健福祉活動推進に対しても強
い認欲を持たれていることを、座談のはしは
しにうかがわれた。
伊島のすがた
翌朝、島の況地見聞に出かけることにし
た。伊島は面積三平方粁で島の周囲はざつと
十二粁。
人口五九七人、世帯数―二七戸、職業は殆
んど全体が漁業に従墓し、周叫を紀伊水道に
囲まれ魚介類は比較的豊宮で、アワビ、イサ
ギ、タコ、伊勢エビ等、高級魚介類か主で、
私共の行ったときには、一本千円余のサワラ
が陸あげされていた。しかし狭小な漁港のた
め漁業の規校が少さく更に風浪はげしいため
生産年令の七〇%が一本釣、建綱、海士等の

零細漁業に従事しているそうです。この伊島
で特異な存在として、潜水業があります。冬
期は季節風のため出漁日数が少いため、生活
収入を得る事が出来ないので明治中期より日
本の中部以西沿岸並に朝鮮等に出稼をして生
計を立てて来た。現在に於ては島の青壮年層
の殆どが沿水士で最近は公共投資の影鬱で従
来の時期的な慾水漁業より安定した港湾等の
土木工事に従事する者が多くなり、大阪、和
歌山、福岡等に一時的移住をする者がふえて
いる。稲作は塩害、風害のためニヘクタール
程度しかなく、畑作は食糧事情困難な折、野
菜と甘薯を六ヘクタール開墾しているが、現
在では、野菜畑として少し活用されている程
度である。最近、阿南市長のすすめもあって
塩分を好む薬草「クコ」を植え、クコ島にし
ようという楽しい計画もつくられている。山
林は三五ヘクタールの内ニニヘクタールが保
安林で松、雑木が多いが、家庭燃料の外、傍
示組織の有力な収入源となっている。
漁業組合の年問水揚は三千万円から四千万
円程で一世帯平均年間所得は五〇万円程度。
しかし、物価は高く、若い者は阪神方面へ
の移住、出稼などが行われている。住民は非
常に真面目で良く働き、積極的で純真であり
明朗闊達でいわゆるザックバランといった感
じ。都市との交流がはげしいためか、精神文
−40−
___________________________
化程度も高く、テレビも現在四一台が入って
いる。社会施設としては小、中学校、保育
所、支所、診療所、廊便局、公民館分節、漁
業組合などがある。地域組織としては生産と
生活を直結した漁業協同組合と、島の統治に
直結した傍示糾織は、大きな力を持ち、住民
の福祉向上には欠ぐことのできないものとな
つている。漁協は渡船事業、自家発電、簡易
水道等を運営管理し、傍示は共有財産の保
繕、祭礼の執行、福祉全般について計画運営
をしている。この外に消防団、壮年会、青年
団、婦人会、老人クラブなどの年令屈に分れ
た組餓があり、それぞれ、円滑な活動をして
いる。
たまたま、午後一時から酒業協同組合の二
階で老人クラブの会があり、私共二人も何か
話をせよということで参加したが、仲々出靡
率もよく、四十名余のおとしよりの元気な顔
が並ふ。夜聞は保似幅祉の映面を学校講営で
聞いたが、急に天似が一変し雪まじりの雨が
吹きつける中吝謡堂一ぱいに参観者があつま
る。文化財に乏しいだけに、こうした祝閣覧
に訴える啓唸芦い効果が高いようだ。
火端会議から生れる
住民活動
池の防彼堤にしつらえたドラム詞利用のタ
キ火に、今机も任氏の有力者たちが集つて雑
談の花を咲かしている。この雑談の中から、
伊島の住民活動がはじまる。浜に加れついた
大木がつぎつぎにくべられ、話も也閏話しか
ら、釣場の詰、日常生活の話、島の行政の
話、際限なく続けられていく。
三日目の朝、帰途につかねばならない刻限
となったが、昨夜来からの風波で、連絡船は
休航とのこと。止むなく火端会議の仲間入り
をして風波のおさまるのを待っ。
離島漁村の宿命から、保健福祉の問題点も
数多いようだ。七ケ所ある井戸は塩分が多く
飲料水には不適で、溜池を利用した簡易水道
が設けられているが、約一〇屯の給水蜀で六
〇屯需要斌には述していない。文化の進展と
不可分の閃係にある交通は依然として不便な
状態。電汰も日家発雷によりラン。フ生活はな
くなったが、維持費が高く(四国電力の料金
の四・五倍)点燈時間を夕刻より午後十時ま
でに制限しており、家庭電化、電力利用廂業
が遅れている。
し尿処理も農作がふるわないためと、約百
名の漁港工事従事者の一時的居住により、最
近深刻な語題となつている。町の中央部にあ
る廃田に拾てられる咽芥処理も大きな問題の
―っとなつている。結核は減少しつつある
が、屈出患者数は七名をかぞえて全国軍均を
上廻つている。定期仇康診断、遇労対策、家
尻椙造改修、食生活の改善等予防対策が必要
とされる。
その他数多くの閲囮があり、離島漁村とい
う特性を充分把趾し、住民のニードを適格に
とらえて、開発的行政措団と併行して、この
保健福祉活動を椎進する必要性を痛感した。
遂に連絡船は出航できず、漁協の好邸で出
してくれた漁船に身を托し、荒海にもまれな
がら伊島に別れをつげた。
(執筆者県社協主事木谷宜弘)
−41−
___________________________
私の記録
A子ちゃんの生いたちの
記録
宝田寮保母松永秀子
田んぼの畔道にタンポボ、レンゲ等の美し
い花が咲きはじめた四月三日は生悩と激しい
雨になつてしまった。しかし、雨と何の関係
もなくA子ちゃんは乳児院から全く環境の異
った養護施設宝田寮に措置された。
黒目がちの清らかな瞳、よく泣いていたの
であろうか頬にはヒビのあとがいっぱい。オ
ムツをつけたよちょち歩きのA子ちゃん。見
知らぬ人達ばかりに囲まれ、泣くまいと頑張
つて菓子袋をしつかり握りしめていた。
夕方の黄昏が濃くなるにつれ、幼いなりに
も淋しさがこみあげてくるのかついに我慢の
糸が切れて火のつくように泣きだしてしまつ
た。ただただ菓子袋をしつかり抱きしめ、そ
っぽを向いて誰にもふり向きもしない。「イ
ャ、アカン」と断わられるのみだった。
無理もないこと。生まれて間もなくからの
不幸に泣くのも当然のこと。せめて私達大勢
の力であたたかく見守つて、明る<元気な子
に育てたいと願うのみである。
幸にもその願いがかなえられつつあるのか
最近ではほがらかな笑い声とともに「アカイ
ベベキテカササシテ………」と楽しそうな歌
声までも聞けるようになった。だが、こうな
るまでの一年間、心配させられ、大笑いもさ
せられ、泣きたい思いもさせられ、いろいろ
なことがあった。とにかく成長の進歩の目ざ
ましいこと。生活習供を身につける最も大切
な時期であることを教えられた。
A子ちゃんのこれまでの成長の過程を簡単
なメモのような育児日誌をもとにして認めて
みたいと思う。A子ちゃんを引き受けた時
は、簡単な日課表と身体に関する記録、それ
に衣類とオムッ。指導上のことなどは、乳児
院の保母さんに詳しく聞くこともできなかつ
た。ニオ児として元気な子を想像していた
が、予想に反しておとなしく、むつつりして
いてこれは大変だと思った。
急に変った生活になかなかなれないのか、
抱かれたり背食われたり、ちつとも歩くこと
さえしない。絶えず人々の顔色を伺い、じつ
と見つめて怯えたように「オッチイ」と、抱
かれた人より離れないことがしばしばであっ
た。やつと二日目の夕方に、はじめて「クッ
ク、ワンワン、オチタ」と雰囲気につられて
言葉を発し、私達全員顔を見合わせて安心し
たことである。夜がくると部屋に入ることを
いやがり泣いてしがみついてどうにもならず
背負つて抱いて眠らせるよりとるすべもなか
った。はじめての二才児に神経も休まること
−42−
___________________________
もなく一日が過ぎる。やつと寝かせて夜中に
でも目をさまされると三〇分ー四〇分は泣き
通して子供等からもやかましくて眠れないと
不平がでたほどどある。一人寝の習慣がつく
までには随分と日が必要だった。
最初から背負つてねむらせるくせをつけた
のが悪かったのかも知れない。だが、不安な
気持の落ち着くまでは背負つて眠らせるのも
安心して眠らせる方法だったかも知れない。
気分をほぐすために毎日のように散歩に戸
外へ出た。オムツもおともする。タンボポ、
レンゲの花を摘みながらいろいろ詰しかける
が、やつと口を開けるのが精いつばい。自動
車を見て「ブープー」と指すくらい。言葉数
は非常にすくない。強いて教える必要もない
と思う。話の迎解は十分ともいえないが動作
の上ではできているようであり、周囲には子
供等が大勢居るし、自然に言葉も増すことだ
ろう。良い言葉も、そして悪い言葉も。
やがて満三才を迎える今日、機嫌の良い時
などうるさいほどにしやべり、歌も□ ずさ
み、年長の児童とも仲間入りができ楽しそう
な毎日である。散歩の途上で自動車、汽車、
花、石、竹等実物を見、触れ、琉具にして遊
びそして言葉を覚える。気分もすぐれ、日毎
の運動にもなり、身体の発育に大いにプラス
である。こうして、快よい散歩が終れば昼食
をとり、午睦も決まり、人形を抱いて静かに
ひとり寝ることができる。目ざめる頃には子
供逹が帰り又背負われたり抱かれたりして喜
ぶ。あまり背負ったり抱いたりせぬように注
意しておいても「赤ちゃん」であるからと当
然のように思つているのであろうか。
A子ちゃんを非常に可愛がる女子があり、
その部屋にA子ちゃんを入れた。女の子は感
心するほどよく世話をした。だが、八ヶ月頃
にはA 子ちゃんの反抗期もともなつて思い通
りにならずだんだんに叱ることが多くなっ
た。A子ちゃんは夜になれば心細く、大人へ
の愛情を泣いて、しがみついて求めるように
なった。少しでも手を離したりすれば、あわ
ててすがりつきワツと泣く。こうした情緒不
安定な日々が幾日か続き相談の結果、よく世
話をした女の子の部屋を変えた。一日二日と
日が経つにつれA子ちゃんの表情は柔らぎ、
かわいがつてくれる児童をよく慕い学校から
帰つてくるのを待ちこがれている。私逹と遊
んでいても「ミッチャンカエッタ、マチャチ
ャンカエッタ」と大喜びでとんでいく。夜に
なつても私達の方には見向きもしないで「コ
コイイ」とふられてしまう。
大小便も現在はひとりで幼児用の便所です
ませて手を洗い、タオルで拭つてズボン等身
につけることができる。オムツをつけていた
当時はいつがくればオシッコ、ウンが云える
のかとタメ息の連続だった。非常に機嫌の良
い時に失敗すれば「オムツ、オムツ」と自分
で持つてきて交換の要求をする。時には遊び
に夢中で大便の失敗があつても平気で遊んで
いるしまつ。換えるときついクサイ、クサイ
と言葉にでる。A子ちゃんも自分で鼻をつま
んで「クサイ、クサイ」と模倣する。はじめ
て便器を使用させた時、変な面持でなかなか
用が足せなかったが、ウサギの形のついた便
器はとても喜び、五月末頃には進んで使用す
るようになった。オムツの完全に不必要にな
ったのは七月下旬。何度も何度もオシッコ
は、ウンは、と聞くと反抗的になりもらしそ
うな時でも「ナイ」といつてよく失敗したも
のである。それにA子ちゃんにとつて都合の
悪い時など「オシッコシタイ、ウンシタイ」
と呼び、いざさせてみると「ナイ」とかつが
れる。今は「ヒトリデシュル」といいながら
便所の戸をノックして入ることができる。気
分の良いチャンスをみつけて「オシッコ教え
−43−
___________________________
てね」といえば「ハイ」と元気な声で素直に
答える。あまり干渉しだいて自然に教えられ
るような雰閏ぶに導いていくことの大切さを
しみじみ教えられる。
七月末から八月にかけて具休みのために、
子供等は一日中A子ちゃんのおつきあい、午
睡も思うままにできず、叉男ナ信どそばを通
るたひに頭をポンと軽く打ったり、何かいた
ずらをする。その度にA子ちゃんは大声で
「イヤーン」とヒステリックに叫ぴ、ともす
れば自分の芽の出すところさよ失って、とじ
こもつてしまう感じが見受けられた。早く学
校が始まれば良いのにと怨めしく思ったもの
である。学校が始まるとA子ちゃんもほつと
したようである。午睦、お絵かき、一人あそ
び等ようやく自分の落着いた生活にかえるこ
とができた。戸外遊びが大変好きで「イコ
ウ、イコウ」と遮んで自分から出かける。用
心深く石段を一つ一つおりて。
毎日散歩の道は同じでも遊ぶものは異なり
日日に違ったものを覚える。田んぼの仕事に
同伴してくる幼児を見つけると近づきたが
り、帰つてしまうと背伸びして姿を求めてい
る。よくころぶ。「ベベヨゴエタ、アヨウテ
ナ、テテババイ」と汚れたのを心配する。と
てもキレイ奸きである。その上おしやれでも
    、、、
ある。「オクウッケテ」と化祉することを斉
び、一つ一つ誡の中をのぞいて、笈しい、キ
レイ等の言惹を待っている。いろんなことに
褒めるとニコニコと喜びは大きく砂作は軽々
となる。風1ー1の火を燃そうとすれば詞は持つ
てくる、マッチは惜りてくる、汀かなかよく
気がつく。オシッコを教えはじめた時ほめた
ことがある。A子ちゃんは自分で「カッコイ
ナ、カッコイナ」とあっちこっち歩きまわっ
たものである。ほめると大変喜ぶが一時はい
くらほめ-lも叱つても全く効呆のない時かあ
った。又何でもないことに大声で笑つてみた
り、よく泣いたり、こわがったりもした。
九月十七日に母親のはじめての訪問があ
り、白い帽子と洋服を着せてもらつてうれし
そうだった。「オカーチャン、オカーチャ
ン」と言葉でいうが、お母ちゃんがどういう
意味を持つものかは、A子ちゃんには解らな
いであろう。白い帽子といえば「カーチャ
ン」と答えるが……。その後このお図ちゃん
の面会もなし。絵本を見ることが大変好きで
「ホンヨム、ホンヨム」と美しい色彩の絵本
を一枚一枚めくつて見る。赤ちゃんの絵を見
ると「アカチャン、ナツキョ、ナカエンヨ」
と話している。人見知りもなくなり、知らぬ
人にもこころよく抱かれ愛励をふりまく。い
つか黒のズボンにセーターで町にでると「ボ
ク」と呼ばれ、それ以来みんなが「ボクチャ
ン」とからかつて呼んだ。A 子ちゃんは「チ
ャウ、アタチ」と答えるようになった。だん
だんと愛らしさが増してくるにしたがい受帖
過多になる。甘えて我が強くなる。一人遊び
も誰かそばにいることを望み、居ないと泣
く。最初は相手をしたものだが泣いても相手
にせずに肘ると、だんだんに泣くこともおさ
まりひとり遊びに興味を持ちはじめる。針仕
事をしている時には、A子ちゃんもそばに来
    、、、、
て長時間ぬいものをする。小さい布に注訟深
<針を通す。好奇心が高まつて黙々とぬつて
いる姿をみるといじらしいほどかわいい。針
の先が少し手にさわると「イタイ」と日をク
リクリさせる。似に対しては大袈裟である。
傷らしい傷もしなかったが……。頭にできも
のができ病院に通った。白衣にマスクの姿を
見ると「オッチイ」としがみつく。乳児院で
の記憶がまだ残つているのだろうか。注射を
打つ時泣く間もなく終つてしまうが、先から
泣いて待つている。便秘で浣腸した時も同
様、痛くなくとも泣いて私一人ではできず二
-44-
___________________________
人がかりでしたこともある。毎日いくら散歩
に出て体の抵抗力を養つても、細心の注意を
払つていても、何年ぶりかのこの寒さにはつ
いに勝てなかった。一週間ほど静養した。は
じめての幼児にみんなして心を悩ました。が
心配するほどのこともなく元気をとりもどし
た。運動神経は鈍くなる。自立性は失われる
等のハンディキャッ。フはあったが早く芽を出
せ柿の種のようにあせらないことが望ましく
思われた。食欲の不振も続いた。よく食べれ
ば食べるで心配であり、食べなければ又心配
のタネである。周囲からの間食の与え過ぎも
あったろうか。そうでなくとも食欲のない時
もあった。A子ちゃんは甘党、スッパイもの
辛いものは好まない。入寮当時は食器の中を
深くのぞいて吟味して食べた。そしてカムこ
ともしないで咽に通してしまう。ゆつくりか
ませて食べさせることのできるまでには相当
な時間がかかった。
割合に早く箸を使うことになれ、上手に食べ
る。手を合わせて「イタダキマチュ、ゴチト
ウタマ」のあいさつもできかわいい。時には
食べ終つても「イタダキマチュ」にみんなで
思わず吹き出したこともあった。オャッもひ
とりで手洗いをすませて「オバチャンオヤ
ツ、オバチャンオヤツ」と催促してくる。写
真にでもおさめたいような姿に微笑もでる。
テレビ室では「プーフーウー、おかあさん
といつしよ」などみるよりも、ころがった
り、ウサギとびしたり、ままごとのような遊
びをしたりする方が楽しいようである。両足
をそろえて「ビヨンビョン」と二〇回くらい
続けてとびはね、座蒲団を幾枚も栢んだ上か
らとびおりようとするけれどもどうもうまい
具合にとべない。片方の足が先に出て走るよ
うな調子でとびおりる。片足とびは墜につか
まつて慎重にするがまだ無理のようである。
施設芸能大会の踊りの練習をはじめると喜
んで入って来てレコードに聞き入り「モイツ
カイ、モィッカイ」と幾度も催促し踊りも興
味あるところをくり返して模倣しておどる。
二、三日同じレコードを闘いているうちに歌
も党えて口ずさむようになり、遊びながらい
ろいろな歌をうたつている。子供達からいろ
んな歌を教わり一時は「カワイイベビ、ハイ
ハイ……」とうたったり、ツイストを踊った
りみんなを笑わせたりしたものである。遊び
に力が入っていても自然に歌がでるのか「ア
メアメフエフエカアタンガ……」といくつか
の歌を終りまでうたっている。じつと観察し
ていると自然にほほえみのでるようなユーモ
ラスな行動のある時がある。
こうしてA子ちゃんは、児童や大人の愛帖
に包まれて一日一日と成長を続けてゆく。時
にはいつ覚えたのか、と梵くような言葉や態
度がしばしばある。もちろん子供や大人の校
倣と思われる。一同顔を見合わせて似まねぱ
ならないことを互に知るのである。最初に感
じたことは、中間児という集団生活の中て、
A子ちゃんが索直に育つていくことができる
かという心配だった。内気そうなA 子ちゃん
に五〇人もの子供たちでは荷が翫すぎる感さ
えあった。不忍ぷにも児童の圧力はほとんど
なく順副に芽を出すところを作り、ヒョロヒ
ョロしながらも児潅や大人の扱助を受けて育
ちつつある。後々までもこの芽の折れパいよ
うに、阻にも、雪にも負けないように丈人に
育てあげたい。日々に幼児の心ととらに歩み
たいものである。完
三八年二月二〇日
−45−
___________________________
私の事例
ボーナス貯金
小松島市民生委員
根本市太郎
私の住む街は昔より小さな漁師街で住民の
大部分は漁業により生計を立てておりました
が、最近は工場誘致、製紙工場の廃液或は一
万トン岸壁の建設等により漁場は狭ばめられ
ると共に、漁獲も段々と少くなり沿岸漁業は
全く不振の状態で若者は出稼ぎに、土地を離
れることの出来ない者は失対人夫に転業する
有様で生活は段々と苦しくなつて参りまし
た。
こんな時、昭和三十四年七月小松島市社会
福祉協議会が発足し、地域社協の結成に乗り
出しました。
私の地区、即ち小松島市小松島町字今開に
は以前より今開常会(六十三戸)があり隣保
組織の―つの単位として色々な行事をとり行
つておりました。
この常会の会合に於て社協結成の必要性を
再三再四カ説して参りました。回を重ねるに
したがい段々と協力者が増加し遂に昭和三十
五年八月一日今開地区社会福祉協会が誕生致
しました。そこで私が以前より考えておりま
した倹約と貯蓄の必要性を訴え協力を求めま
した。貧困者の多い地区であるにも拘らず、
板子一枚下は地獄である、宵越しの金は持た
ないと言った漁師気質で家庭生活は乱れてお
りました。先づこの点を是正しなければなら
ないと思い無駄をはぶき倹約をし少しの金で
も貯蓄するように呼びかけを致しましたとこ
ろ、青年層数名の強力なる支援を得まして住
民の説得に勉めました。その結果、昭和三十
五年末には全住民の理解と協力を得まして、
昭和三十六年一月一日今開町内会貯金部を設
立するに至りました。
今開町内会貯金部規約及貯知の状況は左記
の通りであります。
今開町内会貯金部規約
一、目的 此の度町内会皆様の御要望
によりまして、貯金部を設
立することになりました。
此の貯金部の目的は明るい
街造りをモットーとして毎
日の生活の中より出来るだ
けの無駄をなくし少しづA
でも貯めていただき入費の
多い年末に会員の皆様にボ
ーナスとして何の不安もな
く明るいお正月を迎えてい
ただく為であります。
二、名称 ボーナス貯金
三、預入銀行 徳島労働金庫
四、貯金の名称 普通貯金
-46-
___________________________
五、発足期日 三十六年一月一日
六、期間 十ニヶ月全納をもつて一期
とする。
但1 第一年度は年末支払を目的
としていますので、十一月
三十日をが切として十二月
五日を支払日とする。
2 期間中に止むを得ざる事情
により中途引出しを要する
場合は所属の班長まで申出
て下さい。
七、貯金通帳 通帳は個人名儀とする。
八、貯金金額 金額は限定しない幾らでも
御自由です。
九、印鑑 届出の印鑑は今開社会福祉
協会の代表印とする。
但支払及び中途引出しの場合
は代表印並びに個人印を使
用する。
会長、会計、貯金部長の三
者監査に依り支払いする事
にします。
十、貯金集計方法 ⒈加入者を班別に区分し毎
日順番に廻る。
⒉月末にが切集計する。
⒊集計開箱の場所は各班で
決めて下さい。
十一、担当責任者 貯金部長木島勝治
〃副部長南谷賢一
今開町内貯金部貯蓄状況表
貯金を初めまして満ニケ年を経過致しまし
た。今日では住民の生活も少しは向上し社協
活動には全面的に協力する様になり、共同募
金は即日完納するし、地区の消毒、害虫退治
等は社協の青年層が保健所の指導により地域
の婦人達を集めて実施している。又地区婦人
会の民謡踊会を結成し適当に「レクリエーシ
ヨン」もやつております。こんな事は想像も
しなかったことであります。
又生活保護を受けることを恥かしがるよう
になりまして、昭和三十三年には七世帯あり
ましたものが段々少くなり今日では生活扶助
一世帯医療単給一世帯となりました。
特に住民の社会福祉に関する考え方の変つ
たことであります。即ち過日の会合で町内会
の基金も大分出来たのでバスを借り上げi日
旅行でもとの堤案に対し、一会員から我々の
会費は遊ぶ為に出したのではない、最近は災
害も多く困つている人もあるのだから、そん
な人に贈つてはどうかとの意見が出ましたの
で詮議の結果全鼠賛成し第一号として昭和三
十七年十二月二十七日稲町の大火の確災者に
対し参千円の見舞金を賠りました。金額は僅
小であるが一会員からこんな声が出る椋にな
ったことは誠に喜ばしいことであります。
特に最近他地区の者から貯金部に加入させ
てほしいとの希望者がありますが、目下その
取扱について研究中であります。
この組織を隣接町村にも波及拡大し、住民
の生活向上に資したいと思つております。
−47−
___________________________
編集後記
◇池田首相が「人つくり」を表明してか
ら、俄然人つくりムードが表面化しました。
人つくりという言葉の表言は別にして、その
概念は決して新しいものではなく、神代の昔
からあったことで、人類発達史の事実がそれ
を物語っているといえましよう。問題は人つ
くりの理念をどこにおくかであり、その理念
は時代の要請によって或は指導者階級の考え
方によって追つてくるのではないでしよう
か。
◇社会福祉事業においても、この事業推進
の基盤となるものは民度の向上であり、人つ
くりが前堤要素となることは必定です。そこ
で、社会福祉事業の第一線では、どのように
ク人つくりグが進められているか。そこに焦
点をあてて、本誌の特集としたわけです。
◇考えてみると、日本語はまことにむつか
しい。「人づくり」でなくて「人つくり」と
濁点は不要とのこと。また漢字で表わすと
「人造り」でなく「人作り」が正しいとのこ
とです。「造り」は原形や本質をすつかり変
えてしまうことで「作り」は原形や本質を変
えることなく、持つているものを更に伸ばし
ていくという意味だそうです。
◇英国のシェフィールド大学のスリング教
授は「ビルの掃除や主婦の手伝いをするロボ
ット」を研究しているが、このロボットは皿
洗い、床みがき、料理つくりから、夜はビル
や家中を歩きまわって夜警をするという。さ
らに火の気をみつけたり、ものの焦げるにお
いをかぐと、すぐ主人のところか、一一九番
      、、、
へ電話をするしかけになっているというから
驚く。教授の計画では、この十年ぐらいのあ
いだに「サルとおなじていどの頭脳のロボッ
ト」がまず完成するであろうと予言していま
す。
◇池田首相の「人つくり」がこのロボット
のように「右向け右」といえば右を向き「左」
といえば左をむく「人造り」を意味していな
ければ幸いですが…·…••。「人つくり」が上
からおしつけのものであったり、イガタをつ
くつてこれにおし込めるようなものであって
はそれこそ大変です。
◇ともかく人間は作られるものでなく、自
ら作るものであることはたしかです。社会福
祉事業においても自立更生という言葉があ
り、これから仲びていこうとする芽をそこな
うことなく、その人が持てる力を出しきれる
ように、客観条件を整備すると共にこうした
意味からのサービス活動が必要となつてき式
す。特に幼少人口の賓質向上や児童健全育成
においては、この滋味の人つくりが強く要望
されるでしよう。
◇また社会紺祉と人つくりを堵えるとさ、
社会福祉事業推進者の育成も忘却することは
できません。むしろ、人間の問辿をとり' Lいつ
かう斯業においては、社会栢祉を進める人の
人つくりを如何にすすめるか大きな課白とい
えましよう。
ボランテイアの育成からはじまり、社会福
祉事業専門家の喪成を積極的に巡めることこ
そ、社会福祉の近代化や民主化を促巡する晶
本的方向であると思います。
◇〝社会福祉と人つくり〟集いかがでし
たでしようか。ご批判とご協力をお願いして
編集後記と致します。(K)
___________________________

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?