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【社会福祉徳島】第32号

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社会福祉徳島
徳島県社会福祉協議会編
社会福祉法人徳島県社会福祉協議会
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表紙絵の紹介
表紙の絵はIQ36の精薄児故貞方康男君の描いたものです。故貞方君
は昭和27 年にあさひ学園に入園し,昭和35 年4 月卒園するまで,絵が
42

大好きで,絵を描きつづけて来たが,川内町のある農家へ就職後間も
なく,水難事故で死亡した。
貞方君の絵は,東京の宮武画伯からも,色彩と絵画感覚について,そ
の異色ぶりを認められていただけに,その絵は夜尿症をもつ精薄児と
は思えない程の力があふれている。
ここに故貞方君の霊をなぐさめありし日の貞方君の絵を紹介します。
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梅雨明けの碧い空は私達のものだ
貧しくとも
力足りなくとも
何のこだわりもなく
共に肩を組んで仰げる愉しさ
これこそ生命(いのち)あるもの4 特権である

広々としたみどりの樹かげは私達のものだ
病める者も
悩める者も
共に慰めあい励ましあって憩える悦び
これこそ生命ある限り続くいとなみである
ー町与一ー
−1−
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★社会福祉徳島(第三十二回号)
目次
巻頭詩「空」・・・町弥一
社会福祉事業の進路・・・山口一雄
○施設の近代化とは・・・(6)
○社会の理解をこの子等に・・・(8)
実例⑴交歓行事から結ばれた子供会と施設の子ら・・・(11)
実例⑵社会へ奉仕する施設の子どもたち・・・(11)
実例⑶胸を打つ〝不具ゆえに社会奉仕を〟・・・(12)
実例⑷養老院は墓場ではない、施設児に愛の鯉のぼり贈る・・・(12)
実例⑸施設の理髪奉仕者グループ結成・・・(13)
実例⑹心の里親としてのつとめ・・・(14)
○職員の身分は施設児の幸せにつながつている・・・(16)
−2−
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民生委
員活動の中で・・・県厚生課・・・(22)
青少年をめぐる諸問題・・・県母子課・・・(24)
刃物を持たない運動について・・・県防犯課・・・(26)
(解説)社協活動における用語の意味について・・・(28)
お母さん!貯金旅行をしましよう・・・(30)
さながら老人大学ブーム・・・(32)
起る!子ども会館づくり運動・・・(35)
(紹介)新しい施設(吉野川育成園、脇町学園)・・・(38)
私の研究、あなたの研究
神滞弱者福祉のある在り方・・・奥尾貞雄・・・(42)
世帯更生資金のお世話をして・・・中谷徳一郎・・・(43)
明るい保育所・・・中西勝子・・・(45)
保健福祉活動二題・・・(48)
編集後記・・・
−3−
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社会福祉事業の進路
ー社会福祉事業法制定福祉事務所発足 十周年にあたってー
県社協会長 山口一雄
社会揺祉事業法が昭和二十六
年三月に制定公布され、続いて
幅祉事務所が発足し、本年を以
て十周年を迎えたのであります
が、この法はあらゆる社会揺社
事業の中核となり、進んで福祉
国家建設の基点をなすものとし
て、当時のわが国にとっては正しく画期的なものでありました。果
して、終戦後の混沌とした日本の社会に大きい光明を点じ、この法
律によって、各種の事業と施設は急速に拡充、整備され、その後、
年ごとに社会福祉の各般に手が加えられ、現在わが国社会保障制度
も、漸やく世界の水準に近づく迄、進展を見ようとしております。
しかしながら戦後の短い期間に生活保護を出発点として、老人に
児章に、或は母子家庭に、身体障害者に9更には国民年金ゃ国民皆
保険等に至るまで、飛躍的な発展をとげてまいりました。この背後
には多くの人々の献身的観牲的な努力がつみ重ねられていることを
看過してはなりません。わけてすべてのもの事の創成期には、言誇
に絶する幾多の苦難がひめられているものです。私は斯の道に尽く
された方々や、今なお努力を重ねている同志の方々に深甚なる敬意
を表するものです。
さて、私はここで社会椙祉の真髄について一考してみたいと思い
ます。近来、わが国においてはしきりに福祉国家の建設が唱えられ
てまいりました。洵によろこぶべき現象であります。しかし、それ
が先進国の例をまねて、一種のアクセサリーを身につけるような浅
薄な意図の下に口にするものであるならは、むしろ警戒すべきもの
と申さなければなりません。もともと褐祉国家は、資本主義の矛盾
や欠陥に対する反省、批判から生れ出たものであります。従ってそ
の内面には人の上に人なく人の下に人なしという人間平等の思想や
正しいこと正しくないことをすべては神が見ているのだという信仰
や、人間相互の愛情を基調とするヒューマニズムの伝統が脈々と洗
れていることを看過してはなりません。幅祉はパンの問題を離れる
ことはできませんが、その基盤には、人はパンのみによって生きる
に非ずという教訓がひそんでいるのであります。.ここにこそ社会福
祉の真髄があり、幅祉国家の倫理があるのであります。アメリカに
於ても一九―― -0年代の頃ルーズ・ベルト大統領のニューデイールが
失業は個人の責任ではなく、社会経済制度に欠陥があるためだと断
じて静かな革命をもたらした歴史を忘れてはなりません。
今日わが国の経済の成長発展は文字通り素睛らしいものがありま
すが、反面それに正比例した社会の安定を見ることができないばか
りでなく往々にして民主主義の混乱さえ叫ばれているのでありま
す。いわばここに社会の断層があり。ヒゞがあるのであります。こ
の穴を埋め安定した社会を招来することこそ揺祉事業本来の責務で
−4−
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あり、又これをなしてこそ始めて幅祉国家建設の理想に副うものと
申さなければなりません。又この故にこそ昭和三十五年度の厚生白
書にも明記されている通り「国の経済発展と社会事業発展の優先順
位は社会事業」でなければなりません°少くとも併行して進展しな
ければならぬと断言してはばからないのであります。
わが固の福祉事業がようやく世界の水準に近づいてきたと申しま
しても、欧米の先進国に比較する時、決して現状に満足することが
できないのであります。何としても、わが国斯業の歴史は日まだ浅
く、この際その基盤において一段と強固な態勢を固めると共に、そ
の巾を広めより深く堀り下げるべきであります。いわば太陽のあた
らぬ谷間にいる人々に対する施策を強化すると共に積極的に、すべ
ての人々のしあわせを高め真の明るい社会をつくる面に巨歩を進め
なければなりません0 今や私共関係者は思いをこ4 に致し、この崇
高にして限りない使命を達成するために、偏々たるイデオ尺キーを
超越し、ヒューマニズムの精神のもとに邁進すべきであると信じま
す。
醗つて、私共社会福祉協議会をみますに社会福祉事業法制定の昭
和二十六年に全国社会福祉協謡会が結成され翌二十七年に各都道府
県の社協が発足をし、現在では各市町村における社協活動が具体的
に推進されているのであります。社協の仕事も遂次改革が加えら
れ、公的資金の貸付、保健と幅祉を―つにした育成協の仕事、老人
大学や心配ごと相談所の開設等に発展し公的機関と緊密な連携の下
に進展しつつあることは私共の深くよろこんでいるところでありま
す。周知の通り福祉事業はその性格上、国民すべてが参加し自主的
に推進する面がなくては到底効果があがりません。その推進機こそ
は社協であります。
今後私共県社協は県民の幅祉を高める推進機としてますます力を
傾注する所存でありますが、地域住民の多くがこの仕事に参画し得
るような`ンステムを強化し明るい社会の建設を促進していくこと、
今―つは特定の人ばかりでなく、みんなのしあわせを高めるようお
互いの協力によって建設的な方途にもつていくことを念願している
のであります。
最後に私事になり恐縮でございますが、去る五月二十日全国社会
福祉協議会の評議員会において、はからずも、満場一致の推せんを
いたゞき`全社協副会長並に予算対策委員長に選任せられ、ぞの要
職を担うこと4 なりました。もとより、浅学、非オであり、この重
責を果し得るや否やを懸念しておりますが、微力を捧げて、人間の
しあわせを高める理想と幅祉国家建設の使命のために努力する決意
であります。関係各位の従来に倍するご支援を賜はりますよう心か
らお願い申し上げる次第であります。
(本文は社会福祉事業法制定、福祉事務所発足十周年記念大会における挨拶の要旨です。)
−5−
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特集 施設の近代化をめぐって
〝施設の近代化〟という言葉が数年来より言われて来た。しかしな
がら畜今まで施設の側においても.また社協活動の面においても、積
極的な手が打たれていない。久しく施設の近代化を呼びながら、いま
だに一般社会人より「孤児院」視されている現実を等閑視しているこ
とは、うなづけない。
最近、ようやく全社協でもこの問題を大きく取り上げ`今年の重点
事業として、全国的に推進しようとしているが、施設の労務管理を含
めて、真剣に取り組んでゆかねばならぬ当面の課題であろう。
本県では、五月の児童福祉月間の行事として、「旋設奉仕者の実態
調査と奉仕者座談会」「施設の一日保母」「保育所の一日所長・一日
保母」「母子寮児童の一日おとうさん」などの実施を行い、施設の社
会化への第一歩をふみ出した。更に施設の近代化への道は、多種多様
の問顆を含んでおり、巾広い施策が必要である。ここに焦点を集中し
て、施設の近代化をすヽめるための足がかりとしたい。
〝社会福祉施設の近代化〟とは
現代の社会稲祉事業は、その対象者が進んで福祉に欠けた状態を
克服するように努力することを助長し、その解決の促進に協力する
ように運営することを目標としています。この理想実現のために施
設の近代化が必要とされます。
施設の近代化とは、まずその前近代性をとり去ることでありま
す。施設の前近代性としては、次のようなことが指摘されます。
①施設が閉鎖的で地域社会から孤立している。
②施設経営者に慈恵的観念が残り、又施設を私有物視する傾向
もみられる。
③施設経営者と従事者との人間関係が封建的である。
④地域社会の住民が施設について関心をもち、これを支持する
ように啓蒙されていない。
⑤社会事業の遂行に専門的科学性が軽視されている。
そこで施設を近代化するためにはどうすればよいかということが
問題となってきます。
①施設の社会化を促進すること。その一っは経営の公開であ
り、他の一つは地域組織活動への参加協力である。
い施設経営の公開とは、地域社会において社会福祉、保健衛
−6−
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特集・・・施設の近代化をめぐって
生等に関心のたかい住民を経営委員会に参加させるとか、
施設経営の実際を地域社会へPR することなどが考えら
れる。
(ロ)地域組織活動へ積極的に参加すること。
施設はその対象者の社会復帰を容易にするためには、その
復帰すべき地域社会をよく知らなければならない。地域社
会の福祉に欠ける状態について関心が強まるにつれてそれ
を予防する努力もおのずとたかめられ、その結果施設はそ
の施設内活動にとゞまらず、地域組織活動にも参加し、こ
れを促進する役割をになうようになる。
これはまた地域住民の施設に対する理解と協力をたかめ、
施設活動を容易にすることになる。
②施設の労務管理を合理化すること。
施設の経営管理の合理化のうち、特に労務管理の合理化を促
進することが重要である。その理由は、施設活動を効果的に
展開するために、その施設職員のサー·ビス改善が必要であ
り、その前提として労務管理の合理化が必要である。特に重
視すべき点は
(イ)施設内の人間関係、特に経営者と従事者の人間関係を中心
とする労務管理の改善をはかること。
(ロ)施設職員の給与、労働時間等.労働条件の改善、施設従事
者の身分の確立をはかること。
「孤児院」視している社会の眼
五月二十六日と二十七日、一泊どまりで一日保母を体験した
徳島市内の婦人会代表の人達は、施設を知る前と後の施設観の
相異をこのように諾つている。
A さん「施設へは今までも暇な時に来てみたい気持ちはあっ
たのですが、手伝いに行って、かえつてジヤマになるのでは
ないか、と恐れていたんですよ。」
B さん「うちの娘もいま.保育専問学院に通つているので
す。娘にはじめ保母になりたい、と聞かされた時、猛烈に反
対したのですが、結局負けてしまつて、でも施設を見て、娘
の気持ちもよくわかりました。」
c さん「それにしても、施設の子供たちのしつけはよく行き
とどいていますね°恵まれない子供たちばかりだから、相当
ルーズだろうと予想していたんですが:;:。」
D さん「施設つて暗いところ、という先入観念を持つていま
したが、以外に明るいのに驚きました。これも保母さんの苦
労の結晶でしようね。」
E さん「私が気がついたことなんですが、へやのスミになん
だかボロのようなものが一杯積んであるのです。なんです
か、と聞いたところ、一般のみなさまからの贈り物です。と
いう答です°見たところクッ‘ンタの片ちんば、タビの底の抜
けセもの、シマウマみたいにカビのはえたオーメーなどで、
悪息プンプン°保母さんは「いただきもので文句はいえない
のですが、使いものにならない品物を下さる方が多いので困
ります。」といつていましたが、送る人ももう少し思いやり
をこめて、使えるものを上げなければいけないと思いました
ね。」
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社会の理解をこの子等に
あさひ学園長(前二葉学園長)
藤野井親仁
私逹は遠い子供の日の思い出ー腕白小僧やお転婆でならしたあ
の友この友のこと、隣の柿の木にのぽつて叱られたこと、あるいは
釣つていけないお寺の池に糸をたれ追つかけられたこと、人知れず
いたずらをして悦に入っていたのに、みつけられてびつくりした日
のーこんな数々の思い出を懐しさをもつてふりかえることができ
る。
考えてみれ咲眼に余るようないたずらや、悪さもあったし、両
親を困まらせたことも沢山あったことだろう。しかし今、それらを
懐しい思い出として誇ることができるのは、つまるところ温かな家
庭の中で、つつがなく育くまれて来たからではなかろうか。
こうした、子供の日も過ぎ、いつの間にか時を重ね大人になって
いく。
×××
人生の道は、きのうの出来事のあとにきようの出来事がつゞき、
きようの後にあすが続いて切れ目のない一すじの道の連続である。
きようの日だけをどんなに考えてみても、きようだけで解決つくも
のではない。
「うそ」をいう子は、きようになって急に「うそ」をいうことを
覚えたのではない。「ひがんでいる」子は、きようだけひがんでい
るのではない。毎日毎日の生活が.きのうきようと積み重なってい
ま目の前の子供になっているのである。
子供にとつて、家が貧しい、親がない、身心に欠陥がある、細か
い心づかいをしてもらえない、社会に適応しない親等は決してうれ
しいことではない。だからといつて、このような悪い条件を、どの
ように切り開いて行くかということはそう簡単に出来るものではな
い。
こうした、少くともいくつかの恵まれない条件をもつて入所して
来る子供のために、どのようにこれらの悪条件を回り開き、強く、
正しく、明る<育ち、社会の一員として世に送り出して行くかとい
うところに児童施設の大切な役割がある。
xxx
レヴインが、人格形成は環境と行動の函数であるといっているよ
うに、行動はその人間の性格と共に環境の函数として考えることが
できる。このように考えてみるならば、人格形成や褒境に最も大な
る影轡を与えるところの「施設」の果たす役割と責任は、実に大な
ることを痛感する。
そこで私達は、もう一度この子供の生い立つて来た過去を知り、
現在を眺め、又将来を思う時、いまのま4 の在り方でよいか、もつ
−8−
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特集・・・施設のをめぐって
と考えていかねばならぬ多くの問頸をもつてはいないかと常に心を
配る必要がある。
×××
私の施設に一才から育つて、この春入学するようになったA児が
いる。先日その母が何年ぶりかにこの子を訪れた。その時四、五十
円の一袋の駄菓子を土産にもって来た、久し振りに対面する母と
子、いくばくかの時を経て、母は再来を子に約し園を去つていつ
た。それから旬日を経たある日、A児のまるまる太った元気な姿に
「おごちそうたべてよく太ったね」と話かけると、すかさずA児は
「ちがうわい、母ちゃんの持つて来てくれたお菓子をたべたからだ
い」・・・A児にとってはどんな高価なご馳走よりも母の携えた駄菓
子の一枚がどれ程価値だかいものであったことか。
又B子の父は、働きもないのにB子に盲目の愛をもつてだびたび
学園に訪ねて来る。あまりの頻度のはげしさに、自分の生活の建て
直しに努力するようすすめ、しばらく子供の事は忘れ迎え入れる準
備に専心するよう申し渡した。しかしその父は親子の仲を割くとの
のしり、わめきながらも形式的な挨拶をして学園を辞した。しかし
それからは、子供の学校から帰る途中を待ちぷせ、十円の飴、五円
のせんべいと子供に与え、親としての喜びを満足していた。しかし
子供はむしろこうしたことをさけ逃げて帰ることがしばしばあっ
た。勿論この父には充分理解を促してつつしませているが・・・
又C子の母は。用件があって何度連絡してもなしのつぶてであ
る。子供の出す手紙の戻つて来ぬのも屈いているからであろうが、
自分の子供でありながら全くそ知らぬ顔である。
D児の場合は·明るい元気な子になっているが、この家庭の話に
なると貝のように口をとじてものを言わない°思い出したくないの
である、暗い思い出を。
こうしたさまざまな親、又いちじるしく歪んだ環境の中に人格形
成の最も大切な乳幼児期を過して施設に入ってくる子、千差万別で
あってその状態を抽象することは容易でない。
×××
施設の子を健全に育てるということはた易い業ではない。しかし
これらの子が健全な人間として世に巣立つて行くためには、教えて
ゃらねはならぬ多くのこと、自らの体で味わさしてやり度い数多く
の経験、愛情の数々。
しかし又一面、子供への愛情故に、心配もし、世話もやき、あれ
これ希望や期待をかけるのだと信じ切つてやつている事も、いも少
し冷静に、客観的に分析してみると、案外子供にとつては迷惑な事
であったり、私達を満足さすためにやっているのではないかという
事に気付く事もしばしばある。
私達は子供の正常な発達を願つている°過干渉になる事もさけね
ばならない。いずれ社会の一員となり自分一人の力で立つて行かね
ばならぬこの子等のために、先づ自分の出来ることは出来る限り一
人でする習慣をつけるように育てるべきである。洋服や髪のしまつ
でも、フトンのあげさげでも、子供が一人でやれる年令になったら
一っ―つ適当に仕事をふやしていき、その中で自分に課された責任
を果たすことの意義を知らせ、その実行した後には立派にやりとげ
たことをほめてやり、その喜びも味わさせてやるようにする。
更に「施設」という、共同生活の中で果しあう仕事の意義を教え
つつ、独立感や責任感を育てて行く、こうして子供は自分のことは
−9−
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自分でやるようになると共に、施設という、共同生活の中で、より
よく協力しあい、他を認めていくということを、毎日の実生活を通
し学んでいくのである。
こうして子供述は、静かに今の自分の場を知り、自分自身をも知
つて、そこには何等暗い影の宿るものもなく成長し、社会人への過
程をふんで行くのである。
×××
児童施設が、末だに前近代的な所謂「孤児院」視され易く、子供
に対する眼も、憐憫や同情はあっても社会一般の児窒とは全く別の
ものであるかのように思われている面も多い。施設を訪ねた人逹
が、必要以上に子供を憐み、中には「本当にあなたは可愛想ね」と
直接子供に話しかける等、もっとこの子逹を眺める眼をもつてほし
ぃ°若しその子を本当に愛らしく思われるのなら、なぜ隣の子をほ
めると同じ態度で接してもらえないのか。
叉慰問品の名の下に贈られた衣類が、あけてみると恐らくその家
の兄弟が何人もで荒古した使用にたえないものであったり、表紙の
とれた三年前の古雑誌であったりしては、どうして素直にその儘子
供に与える事が出来るであろう。若しその人の子が他からこのよう
なものを貰った時、その子やその親は何と思うだろう。施設の子も
同じである。感謝の気持より「自分は気の毒な子で、普通の子とは
違うのだ」との氣持をもたすことになる。
叉施設で、いつも学用品を粗末にするものがいる。かりに下敷を
紛失したとする、きのう与えたばかりである。保母はそれを補給し
てやらない、物の大切さを知らすためである。ところが学校の教師
の側では、施設の子と云うことで不憐に思い下敷とノート買つて
くれる。児章は喜んで帰りそれを保母に示す、これも変な気持であ
る。
このように、社会が、他人が、教師が、成は施設職員自身が、ふ
とした気持で簡単にとる行動や,軽卒な言葉が、児直自身からとい
うよりも、多かれ少なかれ、先づ周囲のものが感じとらせ、味わさ
せることの方がはるかに多いと言えよう。しかしいまの施設の児童
はむしろこうした事も逆に批判する眼さえもつて来たとも思われる。
×××
社会の多くの人々の子供の日の思い出が、ほのぽのと心を温めて
くれるように、この子達にも施設での生活が、生涯を通じあたたか
いものとし、又なつかしいものとし、そして長い人生を渡つて行く
その子の性格形成の上によりよいものとして育つてくれるよう、広
く社会の理解を得、知つてもらい、はぐくまれていく事を願つてや
まない。
その望むところは多く、私達の果している事の少なさも静かに味
つてみよう。
−10−
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■それは施設の努力と社会の協力がなくてはならない。
【特集】実例⑴
交歓行事から結ばれた
子ども会と施設の子ら
養護施設阿波国慈恵院
徳島市福島本町二丁目、市街地にある養詭施設、阿波国慈恵院で
は同市東富田中央通子ども会と昭和二十九年以米のおつきあいをし
ている。最初、子ども会
が慈窟院の子供たちを招
待して津田海水場へ合同
海水浴に行ったことがき
つかけとなり、その後、
中津峰へ昆虫採集に行っ
たり、施設へ招いたりし
て、兄弟のような親しい
間柄となっている。
昭和三十三年からは毎
年定期的に交歓野球、ソ
フトボール試合を行って
おり、中央通子ども会の
親たちも共に、心を通じ
あっている。こうしたこ
とから慈恵院の子どもた
ちは、社会性を伸ばし、明るい性格づくりに大きな影習を与えてい
る。この好事例を経験した同施設では、更に施設を地域の子供会や
婦人会、老人クラプに開放し、共にゲーム遊びや映画会、童話会を
楽しみ、地或ぐるみ活動を一層活発にしようとはりきっている。
■それは施設の努力と社会の協力がなくてはならない。
【特集】実例⑵
社会へ奉仕する
施設の子どもたち
養護施設 加茂愛育園
加茂愛育園(三好郡三加茂町)の子供たちが社会奉仕をはじめ
て、十年余になる。同園は昭和二十四年創立当時より、地域と密接
な連けいをもち、一家族のような間柄で往来をしている。ことのお
こりは、施設の子どもたちが、腹繁期に手間の少ない腹家の様子を
見て、日頃のお礼にと、手間が少なくて困つている家庭へ保母さん
のゆるしを得て、手伝いに行ったのがはじまりで、それ以後十年間
農繁期の奉仕活動はかがしたことがないそうです。
また、阿波加茂駅の草取りも。子供たちが先輩からひきつぎ伝統的
につづけているもので、地域の人達から感謝されている。
こうした奉仕活動は子どもたちの自屯性を尊重して行われます
が、子どもの社会性ゃ労働意欲の向上に役立つています。更にこう
した感心な行いが、社会へ反響を与え、地域の施設への脇力態勢を
強める大きな原因となっています。
−11−
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■それは施設の努力と社会の協力がなくてはならない。
【特集】実例⑶
胸を打つ
〝不具ゆえに社会奉仕を〟
徳島県身体障害者更生相談所生徒会
県身体障害者更生相談
所(徳島市昭和町三丁目
奥尾貞雄所長)には波風
荒い社会にのり出すため
謄写、洋裁、毛糸編等の
技術を身につけようと不
自由な体に鞭打って努力
する若人三十余名が入寮
している。この若者たち
が全国でも珍らしい、運
転合のマスコット人形づ
くりをはじめて三年目に
なる。安全運転の悲願を
こめたこのマスコット人
形はいままでに六五〇人
の速転手に渡され交通安
全に役立つてい。
この人形づくりをはじ
めたのは昭和三十四年五月一日.四日と続いて、吉野川堤防と清水
峠でメスが転落、一人死亡、九五人重軽傷という惨事に、自分逹と
同じような悲しい境遇の人逹がふえるのをじつと見ていられない気
持が、このマスコットを作らせた。
最近、東京で起った交通惨事に東京警視庁へ送ったマスコット人
形がバスやトラック協会の運輸手の手にとどき「こんご安全運動に
っとめます。」と礼状とともに、世界文学全集、現代長編小説全集
が贈られてきた。この図書はマスコット文庫として愛読されている。
この外に同所の生徒たちは日赤の目の銀行へ集団角膜提供を行っ
たり、県立養老院や阿波養老院を訪ねて読書奉仕を行ったりして、
社会奉仕をつづけている。こうした奉仕活動は社会の理解を促進
し、同所身障者卒業生の就職に好影聾を与えているということです。
■それは施設の努力と社会の協力がなくてはならない。
【特集】実例⑷
阿南市大潟町養老院 福寿荘
今年の五月子供の日に起った佳話。
福寿荘のおとしよりは身寄りのない、さびしい人達ばかりだが.
「養老院は墓場ではない。これからの人生を皆なで仲よく話しあっ
て、楽しい生きがいのあるものにしようではないか。」というとこ
ろから、「福寿家族会議」という自主的な話し合いが行われている。
たまたま、子どもの日が近づくころ、この家族会議に、子供の頃
の楽しかった思い出話が花を咲かした。その時、ある老人から「私
達と同じように家族的に恵まれない抱殷の子どもたちは、どんな気
持で子供の日を辿えるだろうか。」という意見が出て、せめて鯉の
ぽりでも見せてやりたいと話が発展し、早速五月分のこづかい一人
五十円を全員が供出、「コイだけではさびしいからお菓子も一しよ
−12−
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に」も養老年金を貰つている人たちが、余分に出しあい、中には
この貯金をと、いままでコッコッとためた貯金を全部なげ出すもの
も出る仕末。この話を聞いた幅寿荘の職員も、感激してこれに協力
し、六千余円でコイのぽりを八流とお菓子をそえて、市内四つの児
童施設へ贈った。
この話を聞いた社会人は養老院の老人をもう一度見直したことで
あろう。
施設差と地域差
県下の施設の社会化の現状を見ると、施設によって大きな差
を持つているということと地域によっても差があることがわか
る。
一、施設差
①施設の種類によって差がある°保育所などのように、
地域性のある施設は社会化されやすいが、県下に一、
ニカ所しかないという収容施設や養護施設に比べて母
子寮などが、社会化がおくれている。
②施設長や職且の考え方や、経営の方針によって、当然
差をつけている。
③施設の生いたちによって、ひらきがある。
④施設の経過年数によっても差がある。
⑤施設により、協力者や、来訪者数、寄附金品など大差
をつくつている。
二、地域差
①住民の共同意識の高い農村と比べて都市部の施設が社
会化を低めている。
②施設の附近に人家の少ないところは、社会性がとぽし
③施設の存在する地域の民度の差によって社会化も差が
ある。
■それは施設の努力と社会の協力がなくてはならない。
【特集】実例⑸
施設の理髪奉仕者グループ結成
個人奉仕からグループ奉仕へ発展
昭和三十四年十一月頃より個人で理髪奉仕を行っていた小松島市
川北東山橋忠治氏は、自分だけの力でなく同業者がグループで奉した方が効果的だと考えて、同市理容師会津田勝氏(前会長)金武雄氏(現会長)の協力を得て、同市にある県立乳児院と自由児施設ひのみね学園周辺の業者二六店と青年罪容師一六名施設理髪奉仕者グループ
を結成した。
丁度、昭和三五年四月
一五日日赤県支部十周年
記念式に三笠宮妃殿下が
両施設に立ちよるのを機
会に同年四月十一日両施
設六一名の子どもに第一
回の理髪奉仕を行った。
このグループの人たち
は「やつぜり、うちの先
生よりうまいなあー」と
のこどもの歓声に「また
この次も」とカク月の奉
仕をたのしみにしいると
いうことです。
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■それは施設の努力と社会の協力がなくてはならない。
【特集】実例⑹
心の里親としてのつとめ
鴨島町殿郷 筒井進
「おじさん!僕が自転車にのせて国府の町まで送ってゆく」「そ
うか、すまんなーしかし原君大丈夫か」こう云つてお互に笑い乍
ら、子どもを尋ねての帰途は、決つて、こうした子どもの厚意に甘
んじるのが私です。
我家に帰つてこのことを話しますと「父ちゃんは、原の兄ちゃん
をのせてあげないで、自分が自転車にのせてもらうなんて、反対じ
やなー」と我子逹に笑らわれます。私も共に笑います。又そのとお
りだと思います°知らない人がこの姿を見ると、我子の言葉と同じ
ように、常識のない人間として価値をつけられることは問違いのな
いものだと思いました。
しかし`子どもの厚意は常々素直に受けてやることとしている私
です。
私は現在、国府町の常楽園に、前記の子どもがお世話になってお
ります。
岩根園長先生をはじめ他の先生方の温かいご指導のもとに、中学
校も無事に終え、その上高校まで進学させて頂き、今年の春には早
や高校二年生となるまでになりました。
この間、いろいろな想出を残し乍ら三年余の月日を送りました
が。今もってこうした深いお互の気持が結ばれておりますことは、
岩根園長先生、又他の先生方のご厚情はもちろんのこと、家にあっ
ては、両親、愚妻の理解ある協力のお蔭と深く感謝しているところ
です。
一昨年、県社会幅祉協議会が発行している機関誌「青い風」に
「僕のおじさん」と云う題で、私のことを害いた作文が、はからず
も特選しました。その内容は何であろうとも問題ではありません
が、数多い子どもの中から「特選」したと云うことが自分のように
嬉しく、「よくやった」と云う心が先に立つて、そのよろこびは、
実子が「特選」したよろこびと何等変りがなかったことを、より以
上に嬉しく思いました。はじめて自分の心を試してみるよい機会が
与えられたように思われました。
特選した作文の一部に、「おじさんを自転車にのせて国府の町ま
で送ることは、常に僕の役目であり、おじさんを自転車にのせて走
るこの道が、どこまでも続いておればよいと思いました。」と書れ
てありました。
私は、人知れず涙が流れました。子どもの気持が心から嫁しく、
又可愛いかったからです。「可愛いい」と言う言葉は、言いやすく
して、又應味の深いものだと考えます。
まして人間対人間である場合、しかも血のつながりのない者に対
し、我子同様な気持が持てると云うことは不思議なことであり、こ
れが真の愛情と云うものかと、子どもを通して教えられた次第で
す。
しかし、こうした気持で結ばれるまでの私は、不幸な子ども達の
ために、長年関心を持ち続けてきましたものの「心の里親」とし
て、県社協のお世話になるまでは.どうしたらこれを実行に移すこ
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とができるだろうかと、考えていたことでありました。
又「心の里親」となるには、自身が、見栄や外聞にとらわれず、
ひたすら蔭の役で、子どもの倖せのために、この道に打込む決心を
した私ですが、経験のない私には、何か大きな不安の中に包まれる
思いで一ばいでした。
どうかして先輩各位の経験を聞かせて頂き、今後、自分の道に役
に立てることができたらと、いろいろと照会の手紙を書いたり、又
直接お目にかかつて、話しをきかせて頂いたこともありましたが、
その結果は、「心の里親」と名前だけにとどまり、期待はづれとな
ったことを淋しく思いました。
しかし、ここで私は考えました。
「心の里親」と名前だけにとどまると云うことは、何が原因だろ
うかと真剣に考えずにはいられませんでした。結局は、私は私なり
の道を選ぶことに決め、今日に至ったわけですが、私の経験からし
て、今後「心の里親」の方々が、今一層不幸な子ども達のために、
心の灯となり、希望とよろこびを与えるため、九牛の一毛でもお役
に立つことが出来たらと存じ、私の経験として知ったことを、次の
ように書き並べた次第です。
一子どもの世界を大人の世界に結びつけないように自身がよく
知ること。
二子どもと根比らべをするつもりで、子どもの心を明るくする
便りをどしどしと書き送つてやること。(この場合、子どもか
らの返事は期待しませんでした。それは、大人が考えたり思っ
たりする以上に、蔭で子どもは、便りを友達に見せたり、又話
したりして大変よろこんでいる事実を知ったからです。子ども
の世界には、義理と云う二字は必要がないと思いますうえに、
ただ、よろこびだけがあってよいと考えます)
三子どもの心を束縛しないよう、常に自心に注意するととも
に、子どもの心を、常に自分の方向にむけることは間違いだと
思いますし、むしろ、物事に感謝のできる方向にむけるよう
に、いつまでも蔭の立場でありたいと考えます。
以上のことが、末熟な私の経験からして申し上げられることであ
りましたが、子どもと接すれば接する程、自分のつとめを忘れず、
自己を修養し、特定の子どもだけでなく、ひいては、こうした不幸
な子ども達全員のために.「心の里親」となりたいことを念願して
います。
冬が去り、やがて花が咲き、鳥が唄う春の訪れとともに、この子
ども達の上にも、社会の人々が一人でも数多く関心をよせられ、人
並みの倖せか与えられたらと、我が身、我子の倖せに比較して、不
幸な子ども達の倖せを心から念願する一人であります。
ボランテイアとは
篤志家、篤志奉仕者などと訳されているが、必らずしも適切
でなく、最近は原語のまま使用されることが多い。
ボランテイアとは、保健衛生や社会福祉をはじめとする公共
の福祉のためのサービスの分野で、専門的知識、訓練の有無を
問わず、その事業を理解し、それを援助するため、これらの機
関や団体に対し、自分の技能と時間を自主的に無報酬で提供す
る人たちのことである。
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民間児童福祉施設は、国の委託を受けて、不遇児童を収容し、養
護の万全を期しているのであって、ここに働く職員は当然公務員並
の待遇を受けるべきであるに拘らず。何時までも奉仕に生きる者と
しての扱いを受け、公務員の半額にも満たない給与で、子供への愛
情に曳かれ、黙々として、涙ぐましい努力を続けている。
最近物価の値上りにより益々生活が脅かされ、はては児童施設職
員を希望する者さへ無くなり、子供の幸せのためにも打開の道を講
じなければならない事態に立ち到った°而し大切な子供のために、
「ストライキ」は出来ない。だからと云つて叫ばない者は、何時ま
でも捨て置かれて来た現実を見て、去る十二月より、この実状を一
般に理解して頂き、世論を以て待遇改善を勝ち取ろうと決意した。
職員の身分は施設児の
幸せにつながっている
民間児童旋設従事者の実態
県社会福祉協議会に於ても、社会福祉関係職員がこの様に冷遇さ
れているのでは、社会福祉事業の向上は望めないと、この運動に一
体となり、全力を挙げて努力を続けてきた。
その活動状況と児窪施設職針の勤務と給与の実態を記すと、
一、給与改善運動のあゆみ
十二月一日第一回給与改善対策委員会を開催し運動方針を決定、
直ちに次の事項を実行に移した。
十二月二日陳情電報を中央関係諸機関並に県選出国会議員あて発
送。
十二月三日陳情書を作成して各施設毎に薯名捺印の上中央関係機
関、県選出代議士に発送。
ゞ徳島県民間児章施設職員給与の実態を調査し、十二月五日より
十二月十五日まて
施設職員の給与と勤務条件に関する白書を作成、県下各機関団
体並に中央諸機関報導関係、四国四県児童施設等へ広く頒布し
一般の理解と脇力を深めた。
十二月十日児童施設指導員会を開催し、この運動に対する職員の
自覚を促すと共に、新聞、ラジオを通じて一般の理解を得るよ
う務めた。
十二月十五日児童施設書記会を開催し給与改善運動について協議
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特集・・・施設の近代化をめぐって
した。
十二月十七日保母決起大会を開き、一般の世論を喚起し大会の名
を以て県知事を始め関係機関への陳情を行った。
十二月二十日四国各県に呼び掛け、四国民間児童施設職員給与改
箸研究会を開催して、四県の同意を待て四国総決起大会開催を
決議し、更に他の三県も徳島県に同調して各県内で給与改善運
動を展開するよう申合せを行った。
一月十五日四国総決起大会の打合せ会を開催し、一月二十旦高松
市に於て四国民間児童施設職員待遇改善期成大会と名称を変更
して決行することになった。
一月二十日四国民間児童施設職員待遇改善期成大会を開催、四国
い四県より二百余名が参加したほか遠く九州、中国地方の代表者
も参加して、満場一致で期成同盟を結成し会則、役員の誕生も
見.今後永続的にこの運動を続け全国統一運動に推進すべく着
々と歩を進めている。
この四国同盟会長には、阿波国慈恵院長山口義晴氏が選任され、
心事務局は徳島県社会福祉協議会に置くこととなり、既に全国統一運
動に推し進めるよう、全国八百ヶ所の民間児童施設あて檄文を送っ
ている。
二、民間児童施設職員の勤務について
(精薄施設保母の手記より)
朝六時半起床して手早く身づくろいをし、廊下の窓を開けたりし
(ます。七時に子供の起床です°衣服の脱着、寝具の始末等を年令や
知能程度によって手伝ったり指導したりします。
その後洗顔、歯磨、排便の指導を行い、七時半朝食、食堂での食
事指導を行い、子供達と一緒に食事を取ります。
それから·施設内の清掃指導、洗濯(夜尿した衣類)八時四五分
全員朝礼、九時から学習開始、保母は主としてコーラスを担当し、
其の他音楽や家庭科の指導を受け持ちます。
学習担当時間のない時は、洗濯、繕い物をしたり、病気の子供を
病院に連れて行ったりします。
十二時屋食、その後トラホームの子供達の目の治療や、傷の治療
一時から午后の学習、担当時間のない時は繕いをします。
三時に「おやつ」、その後子供と共に屋舎内外の清掃を行い、入
浴のある時は入浴の世話をします。
五時半夕食、六時から七時までは子供と共にテレどを見る。七時
「夕の集い」全員講堂に集り、一日の反省をし、小さい子供は就寝
で、寝具を敷いたり、衣服の脱着を手伝う。
大きな子供は八時半就寝、それから保母は、生活記録といつて、
児童一人一人の行動観察記録や医務日誌などを書きます。
それで保母の就寝は午後十時を過ぎることが多く、又夜間は夜尿
児起しを九時、十一時、午前=一時の三回行います。
その上子供が病気になると徹夜で看護することもたびたびあり、
子供が入院すると附添として病院へ看護に行きますが.そのための
代休等は、出来ません。
この様に保母の仕事は複雑多岐で屈夜を問わず子供の指導をして
おり、自分の時間は殆んど持てないのが現状です。
三、児童施設職員の給与(昭和―――十五年十二月調査)
次の様な給与であり昇給の道も開けていない。その上、何年勤め
ても恩給はおろか退職金もありません。
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施設長の給与
賢I 本俸1 繁塁I 性別1 年令!最終学歴1 輩靡書塁犀はの1 住
1 I 25,300 I 33需月男56 旧大3年自宅
2 I 17,900 闊り月女65 旧中住込
3 I 22,soo I ~り月男55 旧中27年自宅
I ` , グ 43 旧高小 2年 __
7年
8 ヶ月
6 18,000` I 占I
7 I 20,300 I6需 月グ 55 [日大中退 26年 ク
8 17,700` ノ., I 46 I r日大17年ク
9 I 18,400 ¥ 5嘉女49 旧中I I ク
37年ク
11 ―(兼叩I~五―/,l | 45 師範23年グ |--
12 I c兼附5年ノ._, I 46 師範24年ク
平均I 19,545 |

4
20,000 4:~
5
18,600 女59 I 旧

9年ク


,,,,
7年ク
施設ボランテイヤのつどい
県下児童福祉施設で奉仕活動を続けていられる十数人の人た
ちを招いて座談会を催した。
ある散髪屋さんは「十年も奉仕していれば、子供もりつばに
成長し、社会に出てゆく。ことしのお正月など、私をみんなで
招いてくれ、感謝会をしてくれた0 私は大臣から表彰されるよ
りもうれしかった。」
また「ひのみね学園」花壇づくりを続けている子ども会の指
導者Yさんは「私たちはよいことをするには、何も遠慮はいら
ないと思う。いままで余りにも人に知られないようにとの配慮
が過ぎたきらいがあった。もつと堂々と前向きでやるべきだ。」
と主張。花壇用の土壌もらいに事情を話してみて初めて先方が
喜んで提供してくれたと体験を話し、「やはりどこにでも
善意はころがつている。それを引き出すのは私たちだ°私ひと
りでとてもこの花壇づくりはできない。みんなに呼びかけてい
るうちにたくさんの人が協力してくれた。」阿南市婦人会のK
さんも「いままで施設側が門戸を閉ざしていたんでしよう。も
っと施設が地域へ呼びかけるべきです。私たちはある施設から
、うるさいぐらい、いろんなことを頼まれます。ゃつばり頼ま
れりや越後まで米ふみにゆきますよ」と施設の社会化を暗に提
唱する。
今後はその子らのしあわせために働く保母へも、もつともつ
と理解を深めてのほしいもの。
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特集・・・施設の近代化をめぐって
指導員の給与㈠
本俸1 塁霰I 性別1 年令l 最終学歴1 贔貪喜贔塁盆の!住宅
1 16,000 18年
女52 短大15年住込
2 11,400 曙月男33 県校立本盲科学3年借家
3 15,300 10年
49 43 旧中13年自宅
4 13,500
9年• -
ク34 1日中中退4年ク
5 18,300 I9年 ,,7 52 社研大究所 19年 ク
6 12,800 7匂女32 旧専1年住込I
7 11,700 5年,,7 57 旧中ク4月
8 14,100 7年
男42 1日専7年,,7 , 11,200 6年
ク38 旧中15年
10 ,,? 46 旧中22年
11 ク37 旧大中退10年
12 9,300 4 月ク69 旧大中退6年
13 13,400 5年 ク 56 旧大 30年
14 13,600 5年女39 旧中5年
15 15,700 ~]月男52 旧大24年
16 9,800 ノ/ 26 大学
17 8,400 グ25 大学6 月
18 6,700 女22 短大住込
19 6,600 男20 高校自宅
20 ク58 旧大33年住込
21 6,200 ク23 高校自宅
22 8,500 ,,,, 32 大学10年住込
23 8,200
5且
,,ノ25 大学ク
24 6,400
8 月女41 旧中3年借家
25 9,000
2 月
男29 大学2年住込
平均11,500 I
−19−
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保母の給与
平均月額経験平均資格取得1 勤務
人員1 本俸年数年令:t定1 保専卒\条件本俸の個人差
17 I 6,315 I ~腐23 5 12 住込息嘉。~信篇。
10 | 6,620 以塁24 4 6 /7 7,400~ 5,200 ~I 6,750 I2 ノ/年 23 2 6 ク 7,900~ 5,300
5 i 7,400 _3之年ー23 2 3 ク8,000~ 6,900
6 1 7, 76 0 4ノ ノ年 25 2 4 ク 8, 000~ 7, 000
4 | 8,075 5 グ年25 1 3 ク,, 200~ 6,800
3 I ,,230 _6 グ年 35 0 3 ク 10,300~ 8,00 0:I
5 1 ,, 18 0 7,, ノ年 36 2 3 ク 11 ,3 00~ 7, 40 0
2 | 7,100 8 グ年40 2 0 ク7,400~ 6,800
3 i ,,2709 烹31 3 0 ク,, 800~ 8,800
2 | 10,0001!/年47 2 0 ク,, 200~10,800
I 平均I 7,970
書記の給与
`名1 本俸l 性別1 年令!経験年数\最終学閂_]: 居
I 1 1 17,100 女ー亙11年7月旧中自宅
| 2 15,000 _男55 10 6 旧専借家
I
1 3 | 8,800 女57 9 0 旧中住込
4 | 8,300 ク34 7 7 旧中ク
I 呈1 7,000 ク24 6 0 高校ク
6 9,000 男24 5 3 ク_自――—宅一
7 | 7,000 ク23 4 0 クク
肛| 11,500 /7 60 3 0 旧専住込
9 ! 7,400 ク21 I 2 o 高校間借I· —
10 I 9,100 女47 2 0 旧中自宅
11 I 9,600 男60 I 1 10 クク
12 I s,ooo 女50 1 1 クク
—, 1
1 平均| 9,1 I I
!1 7
−20−
__________________________________
特集・・・施設の近代化をめぐって
調理婦の給与
人員I 胄額本塁I 経験年数\塁塁I 女1 勤務条件1 本俸の個人差
4 1年末満22 女住込
最高最低
5,475 6,100~4,800
2
4,600 1年以上45 ク,,7
5,200~4,000
4 2年ク35 ク住間借込2
5,800 2 6,100~5,500
住間自宅借込3
5 3年ク44 ,,ノ1
5,740 1 7,000~4,400
1 5,800 4年ク49 ク住込
85,,08000 ~6,000 住間自 借宅込 I 1
5 5年ク36 ,,ノ3
7,000 1
2 9年ク 45 .,7 住間 借込 ‘1
7,500 1 8,400~6,600
1 6,300 11年ク 55 ク 自 r毛
6,300
(24)
平均6,290
栄養士の給与
賢I 本俸1 性別1 年令1 経験年数1 最終学歴l 住居
1 I s,600 女25 I 41:f=:。月栄養学園
2 I 7,400 ク23 I 4 o ク住込
3 I s,600 ク24 I 4 o 短大自宅
4 I 7,soo ク2538 ク住込
5 I s,ooo ク24 I 3 3 グク
6 I s,ooo ク24 I 3 o ク間借
7 7,200 ク222 8 \ク住込
s I 7,ooo ク22 I 1 2 ク自宅
9 I 6,600 ク20 8 ク住込
10 I 7,200 ク21 I 5 グク
平均7,こI I
−21−
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生委員活動の中で
徳島県厚生労働部厚生課
民生委員・児窪委員の活動範囲は、大変広
くなり、その活動状況もようやく活発になっ
てきましたが、その基本となる考え方や或は
社会福祉協議会との関係等についてまだまだ
理解が十分でない方があるようですので、今
回はこの点特に民生委員活動に直接密接な関
係のある面のみを取り上げて解説をし、今後
の活動の方針としていただきたいと思います
〈民生委員の職務の範囲〉
現在の民生委員活動の軍要な一面が、地域
社会の福祉増進にあることからみて、法第十
四条の規定のままで現状のような活動をして
よいものかどうか、又職務内容に明確に、民
生委員の指導対象が単に要援護者に限らない
ことを規定すべきではないかという意見があ
ります。
これは民生委員の本来の姿である自主的な
奉仕活動という点から考えてみても又法第一
条に規定された社会福祉の増進に努めるとい
う趣旨からしても、地域杜会の福祉の増進の
ために、活動を進めてゆくことは、当然その
職務遂行の結果期待されているのであります
から現行法にもそうした意味は十分取り入れ
られてありますので、広く地域のニードを満
たすための活動を行うていただきたいと思い
ます。
〈民生委員活動と社協活動の関係〉
民生委員の活動の中で一番すつきりしない
面のある問題だと思います。
民生委員活動については、法に定めた仕事
以上に範囲の広い仕事が期待されているので
その中には、どうしても民生委員独りでは解
決のできそうもないことが多いと思います。
民生委員の仕事は、大別すると二つに分けら
れます。―つには直接に要援護者の相談指導
に当り、その家庭の更生指導を図る。所謂、
個別指導と、二つには、広くその市町村の住
民全体の篠祉の増進を図ることに分けられま
す。後者については、相当広範な人たちの協
力を得なければとてもできるものではなく、
この多くの場合は社会福祉協議会の活動を通
じてその目的が果たせられると考えます。
民生委員協議会が民生委員中心の話し合い
の場であるのに対して畜社会幅祉協議会は、
専問家や住民の話し合いの場であり、役所や
民間人の話し合いの場であります。そこには
いろいろの地位や立場や或は、職務の違った
しかも、社会的に夫々影輝力のある人たちが
社会幅祉のために一肌脱ごうと集つていま
す。民生委員としては、そこでは、これらの
人々よりは、この道の専問家でありますが、
あまりにその肩書きを振り廻すと折角の著意
の人々の意欲を挫くことになり、仕事が円滑
に進めることができません。
住民が、一丸となって自主的に問題解決に
立ち上がらうとする意欲を昂揚するように、
所謂、潤活油の役目を果たすような役割を演
じていただくことが又民生委員の仕事でもあ
るわけです。民生委員が社会幅祉協議会の中
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核であるといわれるのは決して社会幅祉協議
会の会長その他の主要の位躍を占めるべきで
あるという形式論ではありません。
民生委員としては、この二つの仕事をよく
使い分けて綜合的に住民の福祉を図ることが
大事だと思います。
〈証明事務等〉
国民年金制度が施行以来、何かと民生委員
に証明を求めることが多くなってきました。
これが適法か違法かは一応おくとして、あま
りに多くなると本来の仕事がおろそかになる
°又対象外の世帯の証明には責任が持てない
又間違った証明をするおそれがあるという意
見が大分出てきました。
法的に申しますと、自治庁行政部で、市町
村長が民生委員に事実の確認を求めることは
民生委員法に規定する職務に関しては差支え
ないという見解をとつておりますが、民生委
員は、何といつても受持区域内の世話役であ
り、必要とするあらゆる人々の相談相手であ
るから、証明の機会を持つことによって、一
層要援護者の実情把握やケースワークが可能
になることが考えられますし、又そうするこ
とが活動を促進することにもなるのでできる
だけそうあっていただきたいと思います。
〈福祉事務所に対する協力〉
昭和二十五年の生活保誉法の改正によって
、公私分離の原則により、民生委員は生活保
護事務に関して、協力するということになり
ました。しかし薔社会福祉事業の発展には、
とくに公私の社会幅祉事業関係者の一層の協
力と援助が不可欠であることは申すまでもあ
りません。夫婦のお互が夫々相手の性格や趣
味或は考え方を知り、長短相補うて協力し合
つてゆかないでは、円滑な家庭が築かれない
ように社会福祉主事と民生委員との関係は、
丁度これと同じであり、社会幅祉主専のする
仕事を事務的機械的なものに流れさせず、血
の通ったものとするために、その範囲内での
活動が強く望まれているわけであります。
〈民生委員協議会〉
民生委員は一応法律できめられた制度では
ありますが、本来は、自主的な活動でありま
すから、法第二十条にも規定されているよう
に、お互の仕事や受持区域を決定するととも
に、仕事の研究討議をして、自主的な活動を
進めるため民生委員協議会を組織することに
なっております。
民生委員の中には、厚生大臣の委嘱だから
県や市町村の言うことを聞かなくてもよいと
か又反対に、役楊の云うとおりするのが民生
委員の仕事だと思っている方があるようであ
りますが、これは誤った考であります。受持
区域も市町村長がきめるのではなく、民生委
員脇議会でお互に話し合って法めるものであ
ることも知っておいていただきたいと思いま
す。特に昭和三十六年度から、活動状況報告
を毎月提出しなければならなくなったので、
月々この民委員協議会を開いて一層ご活躍を
お願いしたいと思います。
〈身分及び経賓等〉
民生委員が公務員であるかどうかと云う論
議が出されたことがあります。今迄述べたと
おり公務員であると云う考え方は、本来おか
しいのでありますが、法的に根拠をとるとす
ると大体次の三つによって判断が下されま
す。第一は、誰が任命するのか、第二は、そ
の指導や監督権は誰に薦するか、第三は、費
用は何処が負担するかということです。
民生委員の場合、第一の点は、厚生大臣の
委嘱であり、第二、第三は、民生委員法第十
八条、第二十六条によって県となっておりま
す。
第一点の厚生大臣の委嘱となっているのは
過去において民生委員が国の生活保護事務の
−23−
__________________________________
執行機関としての役割を荷った等の歴史的な
事情によるものでありますから別とすれば、
民生委員は、県の段階の公務員ということに
なるわけです。しかし.民生委員の場合は、
身分を明らかにすることは、活動費の支出や
指導監督を徹底するうえからみると必要と考
えられますがあまりにこれにとらわれる余り
四十余年に亘る歴史と誇り高き制度の特色を
見失うことがあってはならないと思います。
ただ、現状では、市町村から主として経費か
出されておりますが、この場合でも、経費の
支出にいろいろと難点がありますので、必要
ならば、市町村長の名で更に委嘱することも
結構だと思います。
〈むすび〉
あまりにも急惑に、発展してきた4 め、戦
後の我が国の社会福祉事業は、ともすると本
来の姿である実践的な性格から離れ、一種の
流行現象に堕ちているのではないかと思う心
もとなさがあります°法律制度だけでは国民
の福祉が図られるものではなく、勿論一段と
その内容を充実する努力と、法律制度を人々
に適応させる人間的な運営に工夫をすべきで
ありまして、この意味に於ても民生委員の行
う仕事は極めて重要な意義があるのでありま
すから世帯更生運動を中心にした民生委員活
動は益々増加するものと思います。
青少年をめぐる諸問題
徳島県厚生労働部母子課
昭和三十五年もまた、青少年をめぐつて明
暗さまざまな出来事が繰り返された年であり
ました。
国民経済のめざましい成長を背景に昭和三
十五年の新規中学校卒業者に対する求人は、
かつてないほどの激増ぶりを見せたため、そ
の就職戦線は明る<、東北、九州、四国等の
各地からは、大きな希望と一沫の不安を顔に
みなぎらせた少年たちが都会へ相次いで就職
しております。
また今後数年間にわたる学校教育、年少労
働者対策等のあり方に大きな影曹を与える戦
後のベビーブームの尖端を行く昭和二二年四
月〜二三年三月出生の少年逹が、この年の四
月には中学校に進学しております。
しかし、こうして明る<成長して行く青少
年をよそに、一方では、少年の悪質犯罪は後
をたたず、しかもこの年における少年犯罪は
粗暴化、兇悪化、集団化、年少化の傾向を強
めております。
又この年の一〇月一二日に発生した一七才
の少年による社会党委員長刺殺事件は奮社会
的に大きな反響を呼び、暴力追放と青少年問
題についての再認識を求める世論が高くなっ
てまいりました。
更に六月上旬から始まり、六月一三日の国
会構内乱入事件を頂点とした安保教訂反対デ
モは、全学連を中心とした大学生のほか、高
校生の一部がこうした政治的抗争に参加した
という意味で、青少年問題に関心のある人々
に新たな不安を投げかけたのであります。
また、この年には「悲しき一六才」「恐る
べき一七才」といった、青少年から見れば大
人の悲情さを示したとしか感じられないと思
−24−
__________________________________
われるようなキャッチ・フレーズがマスコミ
を通じて宜伝されており、一方では、青少年
問題の掘り下げと、青少年に対する深い理解
と愛情にもとずいた青少年対策を樹立せよ、
という声が、新聞、テレビ、ラジオ等の報道
機関を中心に高まつてまいりました。
以上は青少年をめぐる諸問題についての昭
和三五年の回顧でありますが、青少年なり、
青少年問題という言葉がこれほど世人の関心
を呼びおこし、しかもそれを我々の身近な問
題として考えなければならなくなったという
ことは、一方ではそうした問題の深刻さを物
誇るものでもあり、従って又、そうした問題
についての対策は、単に直接その衝に当つて
いる者のみでなく、家座、戦場、地域社会を
通じて広汎な人々がその解決に当らなければ
十分な効果が期待できないほど底の深い問題
であることを示唆するものであります。
およそ子どもが大人として、あるいは社会
人として成長するためには必ずといつてもい
いほどその成長の過程で心理的なストレスに
ぉちいり、それが青少年期に特有な反抗、激
情、自由。奔放といった形で行動にあらわれ
ることは古今東西を通じての真理でありまし
よう。
しかし問題は、そうした一般的認識のうえ
に立つて、現在の日本の青少年たちが何を考
え、何をやって識いるか、つまり青少年の生
活の実態と意を深く見きわめることでありま
す。
僅かな紙数でこれを論ずることはできませ
んが、例えば最近行った世論調査(青少年に
関する世論調査ー青少年のマスコミ利用状況
について」昭和三年五月内閣総理大臣官房
審議室、この世論調査では、満一六才から一
九才までの全国三九都市在住の少年を無作為
抽出し、それらにつき個別面接聴取法を行っ
た)の結果は、次のとおりであります。
問:.今の日本は、あなたがた青少年にとつ
て、努力のしがいのある世の中だと思
いますか、あまり努力のしがいのない
世の中たと思いますか。
答..努力のしがいがある三二%
努力のしがいがない二六%
わからない四三%
多数の少年は努力のしがいがあると見てい
るが、努力のしがいがないという考えを持つ
ている少年も多いという事実がうかがわれま
す。
青少年非行が増加している現状を見て「大
人が悪いからだ」「政治が悪いからだ」「社
会が悪いからだ」と批評する人々から見れば
恰好の資料であろうが、それだけでは問題の
解決にはならないでしよう。回答をよせた青
少年のそれぞれが、おかれた環境についての
個人的不備は勿論、一般的にいえば、従来の
価値体系の崩解とくに国家共同体に対する認
識の欠除、大人たちの生活を醜いと思われる
までに露骨に表現するマスコミの影響等が、
このようにかなり多数の青年に否定的解答を
させる所以でありましよう。
何れにせよ、こうした科学的、実証的デー
タに基いて、青少年に対する認識を高め、適
切な対策を樹立することが今後の急務であり
ましよう。
「青少年問題とそれについての対策はもは
や議論や研究の段階ではなく男気と決断の問
題である」といわれるが.どの問題をとりあ
げてみても、国政の基本にまで触れる難しい
問題であります。
−25−
__________________________________
刃物を持たない運動について
徳島県防犯課長
昨年末から全国的に起つてきた「匁物を持
たない運動」は、成人を除外したわけではあ
りませんが、どちらかというと少年の凶悪
的、暴力的犯罪の予防を目的としたものであ
ります。この運動は昨年七月東京中野区の青
少年問題協紙会が区内青少年の匁物による犯
罪が多いことに手を焼き衆知を集めてその対
策を協議した結果――ーカ月にわたって「匁物を
持たない運動」を行ったのがはじまりで当時
すでに全国的に注目の的となつていたもので
ありますが、これがさらに昨年十月におこっ
た山口二矢少年による浅弼委員長殺害事件に
よって剌激せられ全国的国民運動にまで発展
したものであります。
本県においては、昨年十二月一日から二十
日までを第一期としてこの運動を行っており
ます。
ご承知のように、匁物は我々の日常生活に
はなくてはならぬ物の―つであるがこれを使
う人の心の持ちかたによっては凶器ともなり
殺人、強盗、傷害などの凶悪犯罪をひき起す
原因ともなりますし、また。これといった理
由もないのに身につけて持ち歩きすることは
思わぬ災いを招き社会の安全をおびやかすこ
とにもなります。
とくに青少年の中には、通行中に「他人の
肩にふれた」とか「顔をみられた」とかいつ
たような何でもないことから口論やけんかを
して、つい匁物を身につけていたためにこれ
を使う破目になり、「切つた」「切られた」
というような血なまぐさい事件がひん発して
おります。そこで、あぷない匁物は持たな
い、持たせないことによって、こうした事故
から青少年をまもり暴力的風潮をなくしよう
というのがこの運動の趣旨であって、持つな
というのは青少年の自主性に訴えたものであ
り持たすなというのは、保護者やP.T.A
・学校の先生やその他の指導層に強い関心
と、正しい指導畜適正なる管理を要望したも
のであります。
昨年末に行った運動の成果については、今
にわかにはつきりしたものをつかむことは、
至難でありますが、タイミングがよかったこ
とと各報道機関の全面的な協力と各機関、団
体、学校、家庭の自主的な協力によって予期
以上の成果を収めたことと信じております。
ことに学校や家庭の指導が徹底し不必要な
匁物を持ち歩く者が減少し、また匁物を正し
く使用することが徹底してこれによる不測の
事故が減少したことをよろこんでおります。
しかしこの運動は一時的のものであったり
花火線香式に消滅してしまうものであっては
なりままん。各関係機関、団体、個人がそれ
ぞれ横の連絡を保ちながら、繰り返し、繰り
返し、自主的に行われることによって初めて
その効果が期待できるものでありますので常
時積極的なご協力をお願い申し上げたいもの
です。なお、本年は五ー六月ごろに第二回の
匁物を持たない運動を予定しております。
注参考までに過去における銃砲刀剣類に
よる犯罪を別表に掲げます。
−26−
__________________________________
(徳島県) 銃砲刀剣類による犯罪調物件数
(全国) 銃砲刀剣類による犯罪調物件数
話のロータリー
ー希望の鐘、余談
春はさくらの花霞から、夏はみどりの
眉山に朝は七時、夜は九時に快よいメロ
デーを流し街の人々に親しまれてきたミ
ュージックチャイム徳島希望の鐘はもは
ゃニヶ年の歳月を経た。
特に夜の「子守唄」は旅人の旅情を慰
め「情緒豊かな徳島の街」としての印象
は深いと聞く。先日故障で鳴らぬ日が続
いたとき市内某書店からの電話で「私の
店の商用で毎月くる大阪の商人が出張の
度に希望の鐘の音に旅情を癒やしていた
のに鳴らなくなったのでどうしたことか
尋ねてほしいと云つて帰りました」との
こと。
又市内藍場町の子供会では朝は鐘の音
と共に起き晩は一斉に「子守唄」で就寝
することを申合せ明るい生活の実践を試
みている。
それから一寸風変りな話で富岡町の料
理屋に遊ぶ大人族も、九時のチャイムを
聞くと「お父ちゃん早く帰つて」の声を
連想して心落ちつかぬとうそぶくそう
な。
毎日鳴り渡るチャイムよ、よからぬ心
の扉をたたけ。
−27−
__________________________________
解説
社協活動における用語の
意味について
最近社協活動の中で〝ニード〟とか〝地区
組織活動〟とか、横文字を使ったり新しい用
誇が沢山出てくるようになりました。
このことばの意味を簡単に説明しますが、
このことばは専門的な用誇ですから、指導者
の方々の間で使われることは結構ですが、一
般の人たちを相手に話される場合にはなるべ
くニードなどと英語のことばをそのまま使わ
ない方がよいと思います。
一、〝ニード〟とは
ニードというのは正確にいうとソーシアル
・ニードをいいます。社会的な問題という
ことですが、それを略して普通ニードとい
っているわけです。
ニードということばは、必要とか要求ある
いは欲求とかいった意味をもつています。
従ってそれは解決を必要とする問題という
ことにもなります。
地域内で蚊ゃハエが沢山いて不衛生であ
る、児童や老人が福祉に欠ける状態に放任
されているといったような、解決を必要と
するニードがあるからそれをとりあげて皆
で解決しようということになるわけです。
二、〝ソーシアル・アクション〟とは
社協が地域住民への問題(ニード)を発掘
して対策を計画した楊合、それが当然国や
県や市町村当局など公的な機関はもとよ
り、他の団体や事業体の責任で実施すべき
だと考えるものは少くない。このような堤
合、社協は関係者や住民の理解を高め、そ
れらの公的機関や団体その他の事業体がそ
れをとり上げ、実施するように組織的、計
画的に働きかけることが必要であります。
このような活動をソーシアル・アクション
(社会行動)といいます。大きくは法律の
制定や国家予算の獲得から、小さくは市町
村当局に対する保育所の設置、また害虫駆
除の器具、薬剤等の経賀要求など、これを
実現するための住民活動はソーシアル・ア
クションです。
三、〝住民参加〟とは
1、近代社会福祉事業は専門社会事業の活
動を必須条件とするが、同時にそれは専
門家の一方的な立場でのみ行われるので
なく、常に地域住民の欲求に即し、住民
の参加協力を得て専門家と住民が一体と
なって進められることが重要です。
2、社会福祉事業の主体は納税者であり、
寄附者である地域住民こそ社会福祉半業
の真の主体であり、社会事業専門家はそ
の住民の委託によって専門的な福祉活動
を行うとするのが近代社会幅祉事業の理
念であります。
そこで専門社会事業家は、常に住民の意
志と要求に基いた稲祉活動を行うために
−28−
__________________________________
住民参加を求めることが必要でありま
す。
3、社協はこのような現代社会福祉事業の
考え方によって社会福祉活動への住民参
加を促進することが肝要です。
4、社協への住民参加の方法としては(社
協の会員、役員、委員等として、また実
践者として)
①ボランテイアとして参加
②婦人会、青年団、部落会、町内会等
の住民組織の代表者或いは会員として
参加
③農協、労組等職能組織の代表者又は
会員としての参加
5 、しかし社協が住民の参加を促進するに
当つては、これを機械的な方法や形で行
うのでなく、あくまで社会福祉事業に対
する理解を高め、住民の責任を納得さ
せ、自主的、積極的に協力参加するよう
仕向けることが重要である。
四、〝社会福祉の地域ぐるみ活動〟とは
社会福祉事業は住民の幅祉のために、究極
的には地域社会の責任において行われるべ
きものであります。従ってそれは地域住民
の総参加によってよい成果をあげることが
できるものです。
従来このような住民総参加の福祉活動は、
子供会や老人クラブ等一般に〝地域福祉活
動〟とよばれるものにおいて不充分ながら
その実践が見られる程度で、全般的には社
会幅祉事業はむしろ地域住民から孤立し、
専門社会事業のみによって行われているも
のが多い現状です。
そこで日本の社会福祉事業が近代化するた
めには、地域幅祉活動と呼ばれるすべての
活動が専門社会事業家と住民との一体的な
協力による社会福祉推進の活動を〝地域ぐ
るみ活動〟と呼びたい。即ちそれは地域ぐ
るみの体制で、地域或は施設の椛祉活動を
推進するということです。
このような地域ぐるみの福祉活動が促進さ
れるためには、社協は次のような点に努力
する必要があります。
1 、福祉活動として採り上げられたいかな
る問題も.専門社会事業家や行政の働き
だけでは解決できないこと、住民が参加
し協力してこそ住民の福祉を綜合的に高
める活動ができることを、専門家にも公
務員にも、一般住民にも理解させるこ
と。
2 、どんな福祉活動でも、その中に社会事
業専門家と住民とそれぞれの担当分野が
あることを具体的に示して理解させるこ
と。
3 、施設が地域ぐるみ活動に参加すること
が、施設とその専門従事者のために大き
な。フラスとなることを理解させること。
4 、地域住民のボランテイア活動を育成
し、組織化し活用すること。
5 、社協自体を真に地域住民の総参加によ
る活動をなし得るような組織たらしめる
こと。
解説
−29−
__________________________________
母さん貯金旅行をしましよう
地域ぐるみで母子福祉活動を推進
あらぎ世の風に堪へつつ手ひとつに
子をそだてゆく母に幸あれ
このお歌は昨年十一月に、東京日比谷公会
堂に皇后陛下をお迎えして開催された全未協
創立十周年記念全国母子幅祉大会の際、秩父
宮妃殿下より全国母子家庭の母にたまわった
御歌でありますが、夫をなくした母子家庭の
母は、子供に対する深い愛情と、境遇を同じ
くした人々の強い結びつきによって。現在の
母子福祉の諸対策の推進にあたったものであ
ります。
いよいよ本年度より新発足の生別母子家庭
のための児童扶養手当制度、母子福祉年金の
支給制限緩和、あるいは母子福祉資金貸付等
の法律の大幅改正など、母子福祉の推進はす
べて未亡人会活動の大きな成果といつても決
して過言ではないと思います°然しこの末亡
人会活動も十周年を迎えましたが、果して地
域ぐるみの母子幅祉活動が推進されているか
どうか畜反省し、検討されなければならない
時期にも来ていると思います。
県末亡人会連合会では昭和三十二年度の軍
点事業目標として次の四点をかかげ、健全な
る母子福祉活動の推進を計ることになりまし
こ。。
☆昭和三十六年度重点事業目標
一、地域ぐるみで田子幅祉活動を推進す
る。
二、楽しみはわが手で、お母さん貯金旅行
を実施しましよう。
三、公約機関、団体と十分連絡をとり、研
修と話し合いの場を多くする。
四、母子幅祉に関係する法律の大巾改正運
動を推進する。
☆お母さんの旅行計画
本年度は全末協の新しい方針としてそ地域
ぐるみで母子梱祉活動を推進しようクとお母
さん貯金旅行を全国的に推進することを決
定、本県でも県下一万世帯と云われる母子家
庭に新しい、楽しめる運動をと本年度の一番
大きな事業計画に決定したものであります。
お母さん貯金とし旅行コースて、県内コー
スは各地区で自主的に計画し、県外コースと
しては次の六つを決定している。
−30−
__________________________________
1 、室戸岬、桂浜、竜河洞めぐり(一泊二
日)
2 、西日光(耕三寺)、道後温泉めぐり
(一泊二日)
3 、白浜温泉、潮岬、勝浦温泉、那智山め
ぐり(二泊一1一日)
4、山陽めぐり(岩国、秋芳洞、宮島、広
島)(―-泊車中二泊五日)
5.別府、阿蘇、雲仙、長崎めぐり(三泊
船車二泊六日)
6 、東京、箱根.大島めぐり(一泊船車三
泊五日)
会員は全員毎月少額でもよい貯金して、楽
しい旅行をしながら母子福祉活動の基礎づく
りに、本年度の事業目標の焦点を合したいと
努力することになっている。
☆新生活と貯蓄運動の推進
泣いていた未亡人、社会からあわれみをこ
うような時代はもう過ぎた。末亡人会は母と
子の問題~婦人の立場を中心に考えた社会福
祉問題にとりくまなければならない。
一般家庭の主婦と違って、収入、消費の両
面について十分考えなければならない母子家
庭にとつて、家計簿の記帳などむつかしいよ
うに一般的に考えられ勝ちであるが、問題が
あればあるほど、トコロテン式にただ安易な
生活をおくるのでなく、家計簿を記帳するこ
とによって自分の生活の実態を見つめ、企画
性を生活にもたせて少しでも明るい生活へと
みちびかなければならない。
所得倍増計画にもなかなか緑遠い低所得者
としての母子家庭が、諸物価の値上り攻勢の
中でどのように賢く生活するか畜話し合いと
研究の中から具体的な新生活遅動と貯蓄を実
行しなければならないと思います。
☆母の就労対策
最近各方面で内職の問題がさかんに取り上
げられているか、今までの例から見てもその
収入は一日平均八十円程度で、これによって
母子家庭の経済面の援助など到底考えられな
いことである°根本的な母子家庭の母の就労
推進については、未亡人等に家事一般の基礎
的な知識と技能を与え、ホームヘルバー(家
事補助者)として就労の途をひらき、或は各
業種別における母子家庭暮しの教室などの開
催により、技術的な工夫により母子家庭の経
済的援助を計らなければならないと思いま
す。そのために家政婦、臨時看謳的な技術を
身につけるための研修会等、母の独立自活で
きる就労勉強を企画することになっています。
話のロータリー
ー一日お父さんー
五月五日の子供の日に母子家庭の子供
逹のために「一日お父さん」を実施して
大きい成果を得た。徳バスの配車と水族
館の開放、森永と明治のおみやげ寄贈な
ど温かい恵みとおもいやりに励まされ二
十六組のインスタント親子が嗚門の浜辺
で心ゆくばかり一日を楽しんだ。
その後日講のひとコマを紹介すると、
「お父さんお元気ですか、この間はあ
りがとう、生れてはじめてお父さんと一
しよに遊べて楽しかった、あれから毎日
お父さんのことばかり考えています。ニ
人でうつした写真はまだですか出来たら
送つて下さい、今日こうえんでしやせい
たいかいがあり、わたし一人、にゆうせ
んしてごほうびをいただきました、テレ
ビのおぢさんがわたしがえをかいている
のをうつしてくれました、お父さんニュ
ースをみてくれましたか.それからお父
さんのきてくれるのをたのしみにまつて
います。さようなら。」
こんな手紙が届きました。優しい一日
お父さんのS氏この純真な子供心に感激
し、どう応えるべきかに頭を痛めている
と云う。
蔭の声「将を射んとすれば先づ馬を射
よ、勇気を出して……」
神の声「めつそうもない、桑原々々子
供の純情を傷つけないよう滝にでも打た
れて精神の統一をはかり神に誓つて行動
しなさいヨロシイカ」
−31−
__________________________________
さながら老人大学ブーム
徳島で播いた種、全国各地で花が咲く
おとしよりが、現在の生活を明る<楽しく
暮せるように、また社会の人達からも家族の
者からも愛され尊敬せられるよき「おとしよ
り」となるように、徳島県社会幅祉協議会で
は、昭和三十三年十月に徳島老人大学を企画
して第一回を鳴門市で開講した。
開講期間は一週間で、一日三時間受講し、
二時間は、現代老人の心の持ち方や、長生き
するための健康法や正しい宗教観や、新しい
時代に遅れないよう判り易い時局問題や新し
い民法と家族制度、はては天文学に到るまで
話術の上手な専門家によって講義され、うち
一時間は娯楽の時間として、人形劇を見たり
簡単な踊りや手品を習ったり、一日中退屈し
ないで楽しく、面白くためになる受講が出来
るよう計画されている。
今まで鳴門市を皮切りに十三ヶ所で開講せ
られ県下で二千五百四十二名の「おとしよ
り」が、この老人大学を卒業して「若返り
証」をもらっている。
この老人大学を卒業した「おとしより」
は、僅か一週間であったが、私逹の日常生活
に直切必要な、いろいろのことを教へてもら
い、大変役に立った。老後を最後まで社会の
お役に立っような仕事をしたいと、卒業式の
日に行なわれる全体討議で.次の様な申し合
せが行なわれ、大いに若返へつて実際に社会
のために活動している。
因みにその一っ二つの事例を拾つみよう。
◎鳴門市では、今まで養老院に入っている人
と一般の「おとしより」とは非常に仲が悪
く、全く交際が閉されていたが、この大学
卒業式のとき、一受講生より「私達の考へ
が間違っていた、小遣を出しあって、気の
毒な養老院の人逹を慰問しよう」と提案早
速実行に移した。
その後は老人クラプで行う色々な行事には
必ず養老院の人逹を招いて仲良く暮してい
る。
◎阿波町老人大学
阿波町老人大学卒業生は町の新生活運動に
協力しようと、今までなかなか実行に移せ
なかった、正月の一本化を取り挙げ、老人
クラプが先頭に立つて町民に呼び掛け、三
十五年度から、お正月は旧正を廃して新正
一本化に踏切り、その内容も現代庶民にふ
さわしい行事が盛られ楽しいお正月として
先ず成功
−32−
__________________________________
◎徳島市老人大学
徳島市老人大学では、不遇な人蓬を助ける
ための募金運動に私逹も協力しようと、十
月一日共同募金の赤い羽根を、沢山の「お
としより」が徳島駅頭に立ち広く県民に愛
の運動を訴えた。
◎小松島市老人大学
小松島市では、「おとしより」が地域を明
るくする福祉活動の推進母体となるよう申
し合せ、市の民生課、市社協の行事に全面
的に協力して、一般から感謀せられ、それ
が心配ごと相談所開設になり、保健禍祉推
進の力となった。
◎鴨島町老人大学
鴨島町では老人クラ。フが「心配.こと相談
所」と「結婚相談所」を開設して、最近大
変多くなって来た、家庭争議や、個々の心
配事を解決して、明るい町にしようと努力
して大いに成果をあげている。
◎市場町老人大学
市場町でも新生活運動の一環として時間励
行をさけび、老人クラプの会合には必ず開
講時間を厳守して一般の範を示し又祝祭日
には国旗を掲揚することを申し合せ、日の
丸掲揚は老人の家庭からと張珂つている。
◎上板町、板野町老人大学
何れも阿波時間をやめて、「おとしより」
が卒先して時間を守ること。又純粋な近代
感覚による愛国心発掲のため、祝祭日に国
旗を掲げること等が申合された。
このように老人大学は「おとしより」に、
まだまだ社会のために働き得る、若さと気力
を与え、精神的に大いに若返えらせることに
成功している。
最近では県婦人会の総会に於ても「老人大
学」を出た「おとしより」は、人が変ったよ
うに、もの解りがよくなり、家事を手伝つて
くれるようになったので、老人大学を度々開
いて欲しいと要望している。
次に老人大学受講生からの批評を聞くと、
板野町A氏は、
こんな面白い大学とは思わなかった。お互
にお金を出し合ってもよいから度々開いて
欲しい。
小松島市B氏
第二回の老人大学には第一回卒業生は会場
の都合で受講させないとのことであるが私
は落第して毎回参加させて慾しい。
上板町C 氏
家庭内のイザゴザの原因についても、よい
知恵がつきましだ。ただ困るのは、近頃何
か云うと、ツラおぢいさんは、家中で、た
った一人の大学卒業生だからと云われるの
には閉口です。
話のロータリ
ー日本一の町長にー
徳島県で初めて生れた「老人大学」
は、もはや全国に紹介され、すごい勢い
で拡つている。県下でも十六ヶ所を終え
梅雨明けには阿南市など三ヶ所が予定さ
れている。つい最近羽の浦町でも盛会裡
に卒業生百八十二名を出したが学長であ
る松原町長は「こんな楽しい、ためにな
る大学は他にない。卒業しても就職の心
配はいらないし、老人が確かに若返る秘
訣がちゃんと仕組まれている。」と老人
大学の大のファンになった、その町長実
は変りもので町長以外の肩書は決して持
たぬ、町長としては日本一になりたいと
仰言る。誠に胸打つ名言である。世の多心
くの町村長方名剌の肩書が裏にまで一杯
詰つている現状、この言葉味つてみる価
値あり。さて、この松原町長がこんど羽
の浦町社協会長に就任した。
「町の福祉を推進することは町長とし
て第一の仕事だ、頑張りたい。」と力強
く挨拶された。こんな町長をもつ羽の浦
町民はしあわせである。
−33−
__________________________________
以上の如く三十三年十月発足した徳島老人
大学は三十三年にニヶ所、三十四年に四ヶ
所、三十五年度には七ヶ所、三十六年の三月
には一度に五、六ヶ所からの申込を受け県下
に老人大学ブームを巻き起している。
また、徳島でまいたこの種は全国の各地で
もとりあげられ、好評を博していることをお
知らせする。
徳島老人大学開講について
徳島老人大学鴨島町教室講義日程
−34−
__________________________________
起きる‼子ども会館づくり
育てよう〝子どもの夢実現を〟
地域子ども会が出来て、活発な活豹をはじ
めると、何をおいても設備してやりたいの
が、遊び場と遊具であろう。その中でも、子
ども会が日常活動を行うためには、是非ほし
いと思われるのが子供会館である3 子どもの
集会所ともなり、雨の日の遊び場ともなって
誰にも拘束されない自由な子供の城である。
子ども会活動のすすんだ地域では、子ども
の自由につかえる集会所が用意されている。
例えば、神社の会堂とか個人の納屋を改造し
てもらった子供部屋とか、公民館などの公共
施設とか、地域の大人が、交渉して子供が集
団活動の出来るように配慮されている。
惧下でも子ども会活動で有名な半田町で
は、このような子供集会所が数多くつくられ
ている。最近地域子ども会活動が高まつてく
るにつれて、その他の地域でも子供会飽づく
りの熱が高まり、地域ぐるみで子供専用如立
派な子供会館さえ実現されるようになりまし
た。
次にそ的実勿をあげてみましよう。
旧校舎の廃材で三六坪の子供
会館を建設した池谷子供会
高徳線、カジャ原線、撫養線の三本の鉄道
線を集めている板野郡大麻町池谷では、子供
を事故から守り、健全な校外生活が送れるよ
うにと、昭和三十二年子供会を結成し、大人
たちも後援組織をつくり、特に子供会運営委
員会(会長石川官一氏)の指導よろしきを得
て、活発な活動をすすめています°過去に大
人たちの奉仕によって立派な遊び場をつくつ
た経験を生かして`雨の日でも集会のできる
会館建設を決意、周到な準備のもとに昭和三
十五年四月一日着工した。
−35−
__________________________________
幸いなことに、同町にある堀江北小学校老
朽校舎を五万円で落札することが出来、児童
遊園の隣接地の山の一部をきりくずし·地盤
工事をとりすすめた。
この山のきりくずしや地盤工事は勿論のこ
と、建築についても素人で出来るところは、
すべで町民の自主的な勤労奉仕によるもの
で、実に延七四0人の奉仕者が参加したとい
うことです。
こうした町民あげての努力は八月末、山す
その景勝地に一二〇平方米余(三六坪半)の
みごとな子供会館となって実を結んだ。
この会館は大ホール八〇平方米、読書室一
三平方米、炊事場一〇平方米、物置一〇平方
米、玄関七平方米からなっており、建築費は
何と三八万円ということ。一坪当り一万円少
々で出来たということは.大人たちの汗と裟
情がいかに大きかったかということを示して
います。主な財源は、町内全戸約二〇〇 軒
全子供のない家庭を含む)からの寄付による
もので、大麻町役場から四万円の補助が出て
います。
同年九月十八日原県知事の揮奄になる看板
もかけ、名士や功労者、父兄、子供たちが集
り盛大な竣工式を開きました。やがて大ホー
ルにはビンボン合も置かれ、運動に、読書·
珠算・習字などの勉強に、映画会、親子会な
どのたのしい集いの場所として活用されてお
ります。
子供の実行力に親たちが同調
して完成した子供会館
小松島市和田島東子供会は昭和三十五年七
月会員七十二人で結成されたが、遊び場も勉
強する場所もないため、同年十月開いた定期
大会で〝自分たちの力で資金を集めて集会所
をつくろう〟と相談。それから和田島海岸で
の松葉拾い、同市櫛淵町の山で正月用のウラ
ジロ取り、映画のキップ売りや廃品回収など
をつづけ、合計九千五百二十円の資金をつく
った。そして片山博正さんら地元の子供会補
導員に「この金を基にして集会所をつくつて
……」とさし出した。
この子供たちの実行力に大人たちはすつか
り感心して、続々と寄付の申し出があり、部
落の総会でもとりあげられ、総額五万八千五
百円の建設資金が集まった。部落会では部落
所有の集会所を改造、木造平家建四十平方米
のりつばな子供会館を完成した。
この話をきいた原知事は、感心な子供たち
のため「東子供会館」と書いた表札を贈つ
た。また、近くの和田島東婦人会からも勉強
用の机が贈られるということです。
もつとカコプを入れて児童館
の建設に
このように子ども会活動と併行して民間人
による子供会館の建設がなされていますが、
〝すべての児童はよい遊び場と文化財を用意
され悪い環境からまもられる〟と児童憲章に
もある通り、国や県並びに市町村においても
積極的に考えるべき施策の一つである。
現在ではわずかに児童椙祉法で定められた
児童遊園のみが国庫補助の対象となっている
が、これも、五万人以上の都市に一ヶ所とい
う制限があり、満足すべきものではありませ
ん。本県では昭和三十五年度に小松島市新港
にはじめて誘置され、昭和三十六年度は阿南
市富岡町に設置が予定されている。この児童
遊園は法で定められた児童厚生施設の一つ
で、盛り場、住宅密集地域、交通量のはげし
い地域·環境の悪い地域等に設けられるもの
で、プランコ、砂場、すべり台、シーソー、
便所、飲み水設備、ベンチ、休憩所、さく、
電灯工事などが整備され、一ヶ所五十万円
−36−
__________________________________
(国.県と市で各%補助)の補助によりつく
られている。
この他にやはり児童厚生施設の一っとして
「児童館」という室内施設が法律できめられ
ているが、これに対する国費補助の道はまだ
開かれていない。しかし、全国には地方行政
機関、団体、有志等の英断により一〇〇有余
の児章館が認可を受けており、本県では嗚門
市撫養町齊田の祥瑞児童園と那賀郡那賀川町
の黒地児章飽がある。
この種の児童飽は、悪環境下にある児童の
苦導に大きな成果をあげており、先進県で
は、公費でもつてこの種児童館の建設を積極
的にすすめている。
次に児童館ではないが公民館分館を誘置し
て、公費で児童図書館を設置した一例をあげ
てみよう。
町民の熱意が市立児童図書館
を誘致
徳島市助任本町金の星子供会が最初にはじ
めた活動は児童文庫の開設です。
そのはじまりは金の星子供会の育成に中心
となって努力してきた美馬誠一氏が自宅の倉
庫の一室二六•四平方米を提供し、子供達が
持ち寄った古本九〇〇冊で文庫を開いたのが
最初です。
この頃の図書棚や椅子、ゴザ等は市役所や
学校からもらったお古で、図書の整理はお母
さん達が輪番で行い、子供をまもる会を組織
して、子供たちの健全育成に努めていたが、
誰いうともなく、独立した児窪図書飽を建て
ようと声が上り、その後、町内で児章図書館
設置の運動がくり広げられた。
この金の星子供会は神社の境内に遊園を持
つており、これに並んで図書館を建設するこ
とになった°町民の熱意に感激した市長さん
もこれに協力、渭北公民館分館として工費四
十万円、八五、八平方米の児童図書館が実現
した。現在では県立図書館や助任小学校児童
文庫から館外貸出を受け、二、〇〇〇冊の図
害を集め、子供蓬の知識の宝庫として、また
たのしい遊び場として活用されています。
話のロータリー
ー鳩に結ぷ愛情物語—
徳島航空自衛隊と児童施設を結ぶ明る
いニュースとして徳島新聞に掲載され話
題を呼んでいる。この鳩物誇は今年の一
月から始まる。
自衛隊の隊員グループから「一円貯金
や旅費の余り」を集めて慈恵院に匿名で
屈けてくれた。
三月に入って自衛隊の一日見学にいつ
た子供達が作業服の胸の名札を見付け、
早速文通を始めるようになった。その後
五月の児童福祉月間に隊員七、八名が施
設を訪ね小鳥の巣箱をせつせと造つてく
れ箱は上下二段に仕切り上は鳩舎、下は
小烏を入れることにしたが、肝`心の鳩や
小鳥は近い中に買求めて届けるように約
束して帰ったが、その記事が新聞に出て
名西高校からヒナ鳩四羽が贈らた又、徳
島市内一高校生から「鳩を買つて下さ
い」と云つて千五百円が届けられ丁度愛
鳥週間に因んだ明るい話題をなげかけ
た°街の善意は何処にでも転つている、
しかし、これを堀りだす最初の勇気がど
こかになくては美しい実は結ばない。
施設の子らが毎日鳩や小鳥の世話をし
ながらこれにまつわる愛の物語の主人公
達に思いをいたし「よい子としての成長
に芽生えていくことだろう。」
−37−
__________________________________
新しい施設
精神薄弱者施設
吉野川育成園
徳島駅から徳パスに乗って吉野川橋を渡
り国道十一号線を北に走ること二十分余、
板野郡松茂村向喜来東停窒所で下車する
、国道の東ぞいに赤い屋根の白い建物が
緑の田畑の中にクツキリと芙しく見え
る。これが救護施設吉野川育成園であ
る。
吉野川育成園が開園したのは、去年の
七月十八日で、あれから丁度一年を迎え
ようとしている。この園は、社会福祉法
人徳島県精神薄翁者愛育会が建設し、以
来同会の手によって経営されている。生
活保護法による救護施設本来の趣旨から
いうと身体あるいは精神に著しい欠陥が
あって、そのために自分自身の力で生活
することができない者を収容して保護す
る施設であるから精神薄弱者のほか、老
人、身体障害者冨精神病者こども併せて
収容しなければならないのであるが、は
じめの目的が児童精神薄競者収容施設、
つまりあさひ学園、沖洲学園、淡島学園
等の収容児童のアプター、ケアーを作る
ことであったので、ここでは、精神薄弱者
ばかりを収容している。従って救護施設と
しては、一寸変則的な行き方で、経営の実
質からいうと、むしろ精神薄弱者福祉法に
よる援護施設に近い。
育成園は、総工費二千三百万円で昭和三
十四年十二月に着工、翌年五月に竣立した
がエ費のうち二千万円は·郵政省より昭和
三十四年度のお年玉つき年賀はがきの配分
年を受けその他は、県共同募金会の配分
金、寄付金等によって完成した。敷地二千
四百坪は、県有地を無償で借受けているが
園外には、篤志家の寄付による四反の農地
がある。建物は七棟で総坪数は五五三坪、
定員百名を収容する二棟の建物は、何れも
鉄筋コンクリート造りで収容者を災害から
護るために万全の考慮が払われている。現
在全国に精進薄弱者の援護施設は公立、私
立等を合せて二十一ヶ所あるが収容定員百
名というのは、ここだけで定員の多いこと
では全国第一位ということである。また、
建物の規模、構造の近代的な点や大きさの
点でも、他の施設より断然優れているとい
つている。
六月十日現在の入園者数は九十七名(男子
五十一名、女子四十六名)で、県外より七
名の男女が入園しており、目下数名の入園
希望者もいる状態で定員をこえる日も間近
に迫つている。現在収容者の平均知能指数
は、極めて低く普通人の五、六歳程度とい
うところ。しかも白痴級、重度の痴愚級な
ど重度の精神薄弱者が全体の六割一分を占
めており、精神薄弱のほかに、てんかん、
発言不能者等身体的障害のある者が十数名
に上つている。 収容者の平均年令は二四歳
−38−
__________________________________
新しい施設
で、これは二十歳未満の者が全体の五割余
を占めているためであるが。十五歳の少年
から六十四歳の老婆まで年令層の巾は極め
て広い。
育成園は、生活保詭法による救護施設で
あるから立前として収容者中八割は生活保
護法によって保護を受けている者を収容し
なければならないことになっているのであ
るが、現在の収容者の中で費用の全額(五
千九百八円)を保護者が負担しているのは
僅か四名で、殆んど全部の者は、国や県の
費用によって、あるいは保護の大半を、ま
たはその全額を支出してもらっている現状
である。
育成園の入園者は畜精神芍弱児施設から
送りこまれた者と十六歳以上になるまで特
別な指導も受けないで家庭から直接入って
きた者がある。施設出身者は夫々の施設で
長い歳月の間先生方の熱心な指導を受けた
が、社会に巣立つことができなかった者で
知能的にも性格的にも幾多の難点のある者
が多く、しかも年令のいくに従って社会的
に自立更生することがますますむづかしく
なく。また家庭からの入園者は、生活保護
法の対象となり家庭や社会の負担となって
いた者が多く、基本的な生活訓練さえもで
きておらず、その保護と訓練は、胞設出身
者にもまして、きqめて困難である。園の
職員は現在十四名であるが、知能的にいえ
ば四、五歳の子どもを百名ちかく抱えてい
るのであるから職員の苦労もまた普大低の
ことでないと思われる。
収容者の保護指導については、一、明
朗、二、協調、三、自立の三点に重点を置
き、生活保護を中心として生活指導とこれ
に加えて最近若千の基本的な職業訓練を行
つている。補導種目は、農業、ミシン加工
であるが、将来は、もつと職種を拡げたい
と言っている。
精神薄弱者の保護特にその自立更生を図
るための指導となると社会橘祉事業のうち
でも最も困難なものとされている。しかし
この困難に打ち勝たなければ真に精神薄弱
者たちを幸福にすることができない。こう
した事業の第一線に立つ者は勿論直接保護
を担当する職員であり、社会福祉事業に従
事される方々であるが、また一般の方々の
精神薄弱者に対する真の理解と協力こそ、
知恵遅れの人たちに光と幸福をもたらすも
のであることを信じて疑わない。
精神薄弱者施設
脇町学園
恵れぬ精神薄弱児教育の必要性という事
はヒュマーニズムの精神から一人一人の幸
の教育として昭和二六年六月二〇日脇町小
学校に特殊学級が設置されたのである。こ
の設慨こそはこの子たちを幸にするもので
あるとして地域社会の認めるところとなり
こうした愛情教育が更に高められ愛情の結
晶として学級の後援会「脇小手をつなぐ親
の会」が結成され多数の人々を中核として
の活動が展開されたのであるがその途上に
おいてたまたま自転車の取り扱いの指導を
するにあたり、こうした子供の真の幸は施
−39−
__________________________________
新しい施設
設を作り職業的なものまでの教育が必要で
あるとして有識者や情熱を捧げる人々の中
からこの子たちを救おうという合言葉が井
口町長~藤田県議、議会議長、試会議員、
町当局、「脇小手をつなぐ親の会」が中核
となり全町運動まで発展し全町の愛情のシ
ンボルとして脇町学園が完成されたのであ
る。その沿革左記の通りである。
沿革
○昭和三三年三月――日
・職業的なものまでの教育の必要性とし
ての施設建設が呼びだす
○同年三月二八日
・建設についての設立準備委員会生れ

○同年五月二〇日
・施設建設期成同盟会結成の機運高まる
○同年七月四日
・町議会に調査贅おく
○同年七月二二日
・脇町精神薄弱児施設建設期成同盟会結
成す(会長藤田武雄県議)
○同年一二月二六日
・建設について町議会採決
○昭和三四年三月二七日
・当初予算七百参万五千円計上する
○同年一二月三日
・募金対策協議会を開催
○同年一二月一五日
・県下一円募金運動開始(一ヶ年実施)
○昭和三五年一〇月二六日
・建設に着工
○同年一二月一五日
・募金運動の結果五二万九千六百一六円
募集
○昭和三六年三月三一日
・脇町学園完成
○同年四月一日
・開園
このような町民の熱意によって四月一日
町立で開園することになった精神薄弱児施
設脇町学園は城下町として発展した西阿脇
町の風光に恵まれた静閑な高台にあり右に
町の中央を流れる大谷川原を見下し後には
雄大な阿讃山脈を眺めることが出来る自然
美の中に総工潰七、〇三九、〇〇〇 円で木
の香も新しい平家建三棟が敷地総面積一、
八四八平方メートルの上にコ字型念①図参
照)につながり(建坪七五三、二三平方メ
ートル)恵まれない五〇名の児童が職員一
四名(②図参照)とともに学園生活を楽し
く送っています。
②図職員構成
収容児童の概要
脇町学園の歌
一、大谷川原を右に見て
土手には柳が並んでる
橋も川も眼の下に
見えます明るい脇町学園
二、みんなで仲よく勉強や
お仕事はげむ元気な子
今日も一日にこにこと
楽しく明るい脇町学園
−40−
__________________________________
新しい施設
① 平面図および各室名
ー41ー
__________________________________
私の研究、あなたの研究
精神薄弱者福祉のある在り方
奥尾貞雄
一、薄弱者と福祉の問題
遅ればせながら精神薄弱者に対し単独の幅
祉立法が制定せられ、長い間社会の谷間にお
き忘れられてきたこの人達の幅祉に、不充分
ながら国家の眼が注がれるようになったこと
は、なんといつても意義深いものがある。
そこで薄弱者に対する福祉であるが、日本
では福祉施策を大きく二本の柱立てによって
行なつてきた。公的扶助とか社会保障といつ
た経済行為による幅祉的な措置と、育成、援
助、保護、扶助を目的とする施設的な措置が
それである。
然し精神池弱者の場合こうした椙祉施策前
の問題即ち人間的処遇乃至は人間性の問題を
閑却することができないと思う。即ち薄弱者
に取って生活を扶助せられることも重要であ
るが、同時に普通の人間として社今的に受入
れられ、また扱われることが軍要なことであ
るからである。その点では薄弱者福祉は、強
力かつ積極的な国家施策とヒューマニズムに
侯つものが極めて多きいといえる。
二、薄弱者と薄弱者観の問穎
本来人間という高度に発蘊した生物では、
ひとりひとりできぐあいに差があったり、あ
らゆる時期に故障を起しやすい可能性も持つ
ている。精神薄弱者がいるということは決し
て例外なことではない。たゞこうした現実を
社会がどう認容し、またどう受入れるかとい
うことによつで薄弱者の福祉は大きく変つて
くる。
殊に日本の社会では立身出世主義による人
間の価値判定が古くから行なわれてきた為
に、人間の価値決定に当つてオ智を軍視して
きた。また`人生を生存競争の場と考える生
活の競争主義乃至経済偏重の人間の価値観も
近代においても根強いちのがみられる。従っ
て精神薄弱者はいつもこれらからくる人間の
英智主義、生活能力の欠除、氏族生存の能力
欠損としった面からのみ評価せられまた社会
−42−
__________________________________
的に処遇せられてきたのである0 然し、こう
した観方、考え方についても、この際一考す
べきものがあるのではないだろうか。
三、薄弱性と反社会性の問題
次に薄弱者の反社会性についても取上げら
れている。また精神薄弱者を社会的な問題と
して仮にみるとすれば、前述のような前世紀
的観念論によるべきではなく、現実的な反社
会性によって諭ずべきだともいえる。そこで
この反社会性の問題であるが、これにはゴダ
ード(米)の所説である知能欠陥こそ犯罪の
重要原因とする犯罪という反社会性との直結
の問題がある。現に少年鑑別所取扱件数の一
五ー二〇%、少年院二五ー三五%に精神の薄
弱がみられており、更に女子刑務所収容者及
び売春婦の五〇%までに精神の薄弱が認めら
れたという統計もみられる。
然し非行の内容及び動機付等についてみる
と、薄弱者非行の特長として目立つものに、
窃盗と性的非行がある。更に性的非行では末
遂の多いこと、対象が年少者であるというこ
とにも特長がみられる。即ち智的な欠陥は善
悪に対する判断力の欠除を来したり、意志能
カの不足は環境影智に弱いため使そされ易い
とはいえるが`犯罪を内容的にみると単純さ
がある。このことは智的欠陥は犯罪への素因
とはなりやすいが、精神薄弱そのものは犯罪
でないといえる。むしろ斯る素因を認めると
すれば福祉及び教育の対象として措置すべき
であって、犯罪との関係に立つての薄弱者観
は訂正されてもいいのではないだろうか。
四、薄弱者と社会適応の問題
そこで当然考えられる福祉の―つに、薄弱
者を如何に近代の冷厳な社会に適応させるか
ということがある。こうした揚合観念論の上
に立つて相手を考えることも多くあった。比
較の上に立つて決定しようともしヤ。また一
般論や先任意識の上にも立つと考えもしてき
たものである°然し精神薄弱者の場合の如く
社会適応の障害が智的内容にある場合におい
ては、それぞれの薄弱者が持つている能力の
上に立つて、それからくる人間欲求や限界を
意図しながら決められることがより必要では
ないだろうか。その点で弛弱者福祉には科学
性と技術性が最も強調せられてもいいと思は
れる。
普通の健常な人間を主として構成されてい
る社会であるだけに簿弱者に対する期待や願
望においても健常を求めようとする所に因難
と無理が認められる。現に洒弱者の中にもあ
る面では勝れた能力を示す場合があり、施設
などではよいリーダーぶりを発揮する場合さ
えみられる。
以上は一っの試みとして薄弱者の極祉にか
らむ二、三の問題を取上げてみたが、精神洵
弱者の問題は、社会幅祉における新分野とし
て、関係者によってもっと究められ解明せら
れ、かつ対策付けられねばならないことだと
いえる。
世帯更生資金のお世話をして
神山町民生委員 中谷徳一郎
「もう一時も一緒に生活が出来ませんから
別れる話をして下さい」と泣<泣く私の家へ
ころがりこむようにいつて来た近所に住む三
十五、六才の人妻があった平助さんの妻花子
−43−
__________________________________
さんです私が民生委員となって間もない頃で
した。まあおちつきなさいと事情を聞くと夫
の平助さんは毎日酒を呑みばくちを打ち仕事
はせず妻や子供に当り散らし妻が少し持つて
いる小使銭を煙草代に出せといきまいて仕方
がありませんから子供を分けて夫と別居した
いと言ひます、芝居に出るやくざの型を地で
行くのですからたまりません。
妻は他県人で土地になぢみもありません別
居するとしても他からの援助もなく、第一そ
の住居もありまん私は考へました、如何に貧
困でも人為的に子供を分けることが将来子供
に対してどうか現今の非行青少年が家庭環境
の不良即ち貧困、両親の欠損放任等が原因す
ることを述べ死別は止むをえぬとしてもあな
たの考へはよくないと諭しましたがこの解決
には簡単に行きません°夫の平助さんは当地
の素封家の次男坊で何不自由なく育ち大阪に
出て現在の妻と結婚し終戦後帰郷しましたが
生家は見る影もなく衰へたよる親類もなく暗
い間借生活で十五才を頭に六人の子供があり
生活保護も受けて居りました。魚の行商をす
ると言って生業資金五千円を受けたが長続き
せず妻がA土木工事に労務者として毎日働い
て居たが作業場で負傷し傷害手当の一時金五
万円加入ったので生活保護も打切りとなっ
た。
平助さんは生来の怠け者で他人の批判や悪
口は遠慮なくしやべり酒乱で乱暴を働き毛虫
のように嫌はれ誰一人として同情する人もあ
りません、口が上手で一度はその口車に乗り
お金を踏み倒された人は沢山あります。
妻の花子さんから度々夫のふしだらを訴ヘ
なんとかして下さいと度々話しがあるので或
日地区民生委員協議会長さんとも相談してそ
の夫婦を私の宅へ呼び茶菓子を出して会長さ
んと共に色々話をしました。平助さんはこれ
から堅気となり一生懸命働きますからと私等
に誓い干魚の行商を前通りしたいが金がない
資金を都合してくれとの言葉によって、其当
時は更生資金もなかったので平助さんを救う
道は自分逹の手で資金を調達しなければ致し
方がないと考へ会長さんと相談の上金二万円
を腺協から借つて平助さんに貸与し月賦で償
還を約束した。其後の彼の行動は行商資金に
は使用せず酒とばくちに使いはたした。尚よ
つばらって言うにはまた資金が不足だ、もう
一度貸してくれと言はれた時は私は何とも返
事の仕方もなくあいた口がふさがらなかった。
それから三ヶ月、平助さんは支払の意志な
く無一文で致し方もありません、農協で借つ
て居れば利子もかさむ私達の負担も重くなる
会長さんと半分づ4 返済した。
平助さんの更生を題つて手数と金をつぎ込
んだが却つて益々悪い道へふみ入れる結果と
なり自分等の不明で大失敗をしました。
それから数ヶ月世帯更生資金貸付制度が実
施せられた或日妻の花子さんから更生資金借
り入れの話しがあり私も何とかしであげたい
と思って居る時であり花子さんに更生資金を
貸付して更生するより外はないと考へた。
花子さんは誠実な人柄で「御迷惑をお掛け
して居りますことは忘れません°子供逹が大
きくなれば御返済も致します.しばらくお待
ち下さい」と言い又長男の広助君は親とちが
い真面目な子供で中学卒業すると賑業補導所
の無線科に入り母の花子さんもその学資には
苦労に苦労を重ねて卒業させ現在石井町某電
機商につとめている°花子さんは「日用品の
行商をして子供を養育したいが資金がない、
私逹は信用がありませんから問屋が品物を出
してくれません是非共私達を救つて下さい」
と言います、然し平助さんに浪貨せられては
国のお金ですからと説明して花子さん名義で
−44−
__________________________________
世帯更生資金弐万円を県社協を通じて貸付を
受けました。花子さんは、返済計画は利益の
内から毎日引のけて郵便局の日掛貯金をして
それで返済金に当てますと誓いました°然し
又連帯保証人にも苦労しました。これも出来
て借り入れが出来花子さんも大へん喜んでそ
れから毎日天秤棒で日用品を担い農家を廻つ
て行商を続けて居ります。壱ケ年の据置期間
も過ぎた今年の八月第一回の返済期もどうな
るかと心配して居ましたが立派に返済も出来
ました今年の夏の暑さにもまけず元気でしつ
かり働くようになり又平助さんも宴の働きに
感動せしか此頃は酔払い姿も見えず妻の行商
の手伝をする様になり子供も次第に成長し生
活も豊になりつつあります。完全な更生は尚
遠く母は子供に将来を託しつ、希望に生きて
居るのであろう。
明るい保育所
板野郡吉野町柿原保育所長
中西勝子
桜の名所阿波高校を背景に、赤芳樫の生垣
に包まれた赤い屋根、昭和三十年一月十八日
の小雪の散る寒い日に開所致しまして六ヶ年
を経過しました。
私の保育所は三つの特徴をもつています。
その一っはスタートが良かった事です。
町内方々の児童福祉施設の熱望が達せられ
まして当保育所を「正しい保育所にしたい」
と県及び地方事務所、町当局、児童委員、町
民各位.職員の盛り上る力で誕生されまし
−45−
__________________________________
先づ措置において、職員組織について、又
設備の充実にと、順調に運びました。
町内各戸に「保育所とは」というパンフレ
ットを配布し、保育所の内容の理解と協力を
得ました。
保育に欠ける児章を措置し専任所長、有資
格者(保母二名、調理士一名)と小使の五名
で運営に保育に給食にと研究を進めました。
幸い開所と同時に有志より多額の特別寄附
を頂き設備を致しました。
毎年の措置会議におきましても定員六十名
を越す現状ですし「出産し役場へ入籍すると
同時に保育所へも籍を入れてもらわねば」と
いった笑い話もあります。
設備の方も其の後毎年の予算と寄附金や勤
労奉仕等によって追々充実して参りまして楽
しい保育が営まれています。
現在ある設備の大要を記します。
屋外。スベリ台、プランコ、遊動木、雲梯
付はんとう棒、。プール、砂場、山、三輪車一
〇、トロッコ、ボール四、ビニール纏飛び四
〇,水遊び用具、鳩二。
屋内、電蓄二,オルガン三、スベリ台、木
馬、輪投四、シーソーニ、積木大一組、小一
組、スケート―二、屋台二、ままごとセット
二、色葉セット大小、ベビー車二、コマ二
〇、羽子板一〇、人形三〇、指人形四〇,虫
かご二、絵本(声の絵本一〇、其の他)レコ
ード七〇、打楽器一通り、身長計、体軍計、
洗濯機、毛布三〇
私共は児童の幸福をはかるにはどうすれば
よいかということを、いつも考えています。
児童憲章にも児童は「人として尊ばれる。
社会の一負である」と歌われている如く、私
共は児童各児の一挙一動を尊重し無理なく、
根気強く、範を示して躾をし、明るい児童に
育てて行きたいと忍つています。
「保護者の声」の調査の中に
先生の言いつけをよく守る、社会性が出来
た。子供なりに規律正しくなった°物を見る
目が出来た°遊びが良くなった。一日安心し
て仕事が出来る。偏食がなくなった。言葉や
行儀が良くなった。健康になった。後始末が
よく出来る様になった。等色々ありました。
この様に保護者に感謝される事が度々あり
ます。幼児を保育する私共は保健に躾に細か
く気を配ばり心配もありますが、すなおで、
よくなつき、すくすくと伸びる楽しみは他の
教育界には味うことの出来ないよろこびでご
ざいます。
只入所児のみに止まらず各種団体と手をつ
なぎ、保育所が幼児教育のセンターとなり、
幼児の憧の的となる様努力しています。
第二は環境に恵まれている事です。
敷地一反一畝余をもつて柿原地区の中央に
あり、幼稚園、小学校冨高等学校と並んだ学
校町に小さいながらも独立していることで
す。
併設している保育所の先生方から色々とお
話を聞く度に私の保育所の有難さがよく分り
ます。
県道より百米離れて危険のない場所に建て
られ、夏は藤の柵や朝顔を透して吹いてくる
風も涼しく、冬は南日射しをうけた廊下のま
まごと遊びも楽しそう°広い庭で美しい四季
の草花の咲く国で三々五々喜々として戯れる
児童の姿こそ天国そのままの様に思われま
す。位置に恵まれ明るいそして便利に設計さ
れたこの保育所を私共は清潔整頓に留意し、
その活用に一層工夫して環境の美より児童の
芙的情操を養生して行きたいと思っていま
す。
私達職員は誰の束縛もなく、不満もなく保
育が出来ますことを感謝しています。
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第三は職員の和です。
「進み行く人こそ指導が出来る」という事
と同時に「人と和せる」人こそ指導者だと思
います。
いくら知謝として実力があっても、暗い性
格で孤独な立場を好む様では指導の効果は上
らないと思います。
幼児は明る<元気で、人なつこいものです
が、中には、はにかみやで、先生は好きだけ
ど何んにも言えないという児童も多いのです
が、何かの機会をつかまえて親しくしてやる
と思いがけなく元気になり、よく話かける様
になる事があります。
特に幼児保育にたづさわる人は明るい性格
でいつも、にこにこしてよく気のつく人が望
ましい。私の保育所は六ケ年間職員間に不和
の日がなく、家庭的で町朗な日々が遥ごせる
ことは大きな特徴と思います。
明るい保母は明るい保育が出来るし円満な
人格の持ち主は、すなおな児童に導くことが
出来るし楽しい保母は進んで研究が出来ま
す。
開所して六ケ年の間に未婚の保母さん五人が
次々適令期に結婚しまして、みんな円満な家
庭を作っています。
「保育所は育児、洗濯、炊事等花嫁の
よい場所ですね」といつて続々結婚の申込み
がありました。現在では優しい嫁でありよき
母となって勧務しています。
職員信条として
◎幼児に和する心の豊かさ。
◎幼児と共にあり。
◎時に臨んでひきしめる力。
◎慈愛優美そして権威を。
又、「和気致福」の額を掲げ心の糧として
います。
以上私逹は暖かい関係者に包まれ恵まれた
環境をもつ保育所で手をつなぎ合って生き生
きとした保育を続け、児童福祉の道に邁進し
て行きたいと念願しています。
!老いらくの恋みのる!
清一(七〇才)=大麻町板東出身)、新婦は岩浅ワサ(七一才)=板野町那東出身)であ
る。ご両人をとりもったのは竹内院長代理である。
ご両人は、いつしよに入所した去年の五月から大の仲よし、部屋をたずね合ってはお茶
を飲み、話しをかわしているうちにどちらからとも無く芽ばえた恋心、その老いらくの恋
をみのらせたのである。
その日、板野町下庄、理髪業、岸田友一さん一家の散髪奉仕、徳島学院のこども二人が
花束をおくり竃森大麻町助役がマクラを送つて二人の門出を祝った。
大麻町社捺でも林会長が参列して二人を祝稲すると共に、二十日夜には浪曲師海地吉広
氏夫妻を招いて二人の門出を祝うと同時にお年寄りを慰めた。四畳半の別室をあてがわれ
たお二人、いつまでも仲よくやって行きますと、喜びをかくす事が出来ないと言った表情
がしわちゃくれた顔にうかがわれ、まことにほほえましい風景であった。あの善びをかく
しきれない、と言ったお年寄りを見ていると、後いくばくもない余生を少しでも楽しい、
幸せな日々が送れるよう考えて上げねばならない事を痛感した。
広報委員 
仁田珪峰
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保健福祉活動二題
ポスター•標語でPR
保健福祉推進地区として一昨年より畜活発
な活動をしている、小松島市坂野地区社協で
は、保健福祉のポスター並標誇を募集してい
たが、このほど審査会を開いた。応募された
作品は標誇六三点、ボスター九八点で、県社
協事務局長、保健所長、市社脇事務局長、当
地区社協会長、副会長などが、審査の結果、
入選一三点、佳作一四点を決めた。
入選作は次の通り
ボスターの部
一等坂野中学校二年大西央子
坂野小学校三年船越節子
坂野中学校二年加地茂子
坂野小学校六年村瀬峯子
坂野中学校二年勝浦一
坂野中学校一年平井啓子
坂野小学校三年西崎栄子
標語の部
一等坂野小学校三年福島寛隆
はえたいじぽくらも一役おてつだい
二等坂野中学校二年樫幅博幸
梅雨ですはえです赤痢です
二等坂野小学校五年中江陽子
そらでたかはえやまいの使い
三等
坂野小学校二年
加地貞文
三等
坂野小学校二年
高瀬満秋
三等
坂野小学校五年
樫山悦子
(小松島市
坂野地区社協)
育児相談
!赤ちゃんデー生る!
大麻町社会幅祉協会では、種々保健福祉活
動を推進して来ましたが、此度赤ちゃんデー
として育児相談所を開設する事に成りまし
た。
乳児時期の育児方法如何によって人間の知
能の六十%までも左右する、と言われている
この大切な時期をお母さん達に安心して育児
にあたつて頂く為に、毎月定例日(第三火曜
日堀江地区、水曜日板東地区)を設けて育児
相談に応じ、健全且つ優秀な赤ちゃんを育て
て行こうと言うものです。
尚この育児相談にあたって下さる方々は、
町役場保健課、鳴門保健所、町立診療所の医
師等の協力を得ている。又お母さん逹には、
育児手帳を渡して毎月の自分の赤ちゃんの発
育情況及び医師の育児指導等を記入し、それ
を参考に育児に当つて頂くわけである。
又この育児相談を通して、若いお母さん達
の知識向上をはかると共に、社協活動推進に
益々活発度が加わるよう若いお母さんたちに
とけ入って行く計画である。
(大麻町社協広報委員 仁田珪峰)
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編集後記

セクト根性
お役所のセクト根性(纏張り根性)が団体
ヘ腕染しようとしている。人間に見栄があ
り、自己中心の考え方がある以上、セクトを
抹殺することは、なかなかむつかしいことで
ある。しかし、この縄張り根性は、民主的な
社会をつくるには、大敵である°少なくとも
地域ぐるみの活動を進めようとする、関係機
関や団体だけは、セクト排除に心がけるべき
である。
社協は、お役所や団体のセクトをはずし、
社会資源の集中的な効果をねらう、はたらき
をもつているといいながら、社協自身が、セ
クトをもち、そうしたムードをつくりあげて
は大変だ。
何事も住民の中にとけ込んでいって、もう
一度、お役所や団体のセクト排除に目を阿け
てみよう。
住民の福祉の集い
小松島市社協の「お母さんの福祉の集い」
と大麻町社協の「住民福祉の集い」が、大き
な成果をあげている。
住民のためにある社協が、住民から浮き上
つて`看板社協に終った過去を繰り返しては
ならない。住民が「社協活動は我々のために
ある。いや我々のものだ。」と意識して、は
じめて、社協活動が軌道に乗ったといえる。
いくら紅派な活動を行っていても、社協は
社協、住民は住民なら、これ詫大きなセクト
をもつている団体は他にないことになる。
〝住民にとけ込む社惰〟こそ真の社協活動
といえる。
住民にとけ込む方法として、日定非つみあげ
たいのは、住民を中心とした福祉懇談会の開
催である。
毎夜のように社協職員が、地域に出向いて
行って、時には夜半に至るまで、話し合うこ
とは非常な忍耐と努力が必要だ。しかしこう
した努力は、発足当時の社協が一度は味わね
ば本ものとならない。
最近、小松島市では、この福祉の集いが、
住民のものとなり、盛んに、社協へ問題を持
ち込んでくるようになったそうだ。
旋設の近代化
もう一度施設を社会へ帰す運動が必要とな
って来た。社会人が施設や収容者に対して差
別観を持つていることはたしかだ。だから施
設出身者は同志会をつくつて団結しようとし
ている。施設出身者が第二の同和問題になっ
ては大変だ。
施設経営者も職員も、もう一度謙説な気持
になって、施設の社会化にとり組もう。地方
行政機関をはじめ、国の行政においても、積
極的に施殿の近代化の体制をつくることに懸
命になってほしい。
×××
年一回の社会紐祉総合詰だが、関係者のカ
で、お互の研鑽の場とし、親しめるものとす
るため、ご協力をお願いし、本号の批判と建
設的ご意見を編集子までお届け下さい。
(K)
__________________________________
昭和三十六年三月三十一日
社会福祉徳島

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