2019年を振り返る(個人編)

!! WARNING !!
※※この記事は多くの自分語りを含みます※※

昔の僕なら、

振り返るとか意味のない行為だ。

と節目とかそんなイベント無視し、もらえる祝日だけは都合よくいただくということをしていただろうが、
丸くなったのか賢くなったのか、
わりと意義のある行為だと思えるようになってきた。

節目といえば、2019年こそ自分の人生で節目となる年になるだろう。

令和元年6月14日、私は新卒より2年と少し働いた会社を辞め、
次の日東京に出てきた。

本格的に音楽活動を行うために。

夢を追って上京など、世の中的にはありふれたことだが、
我が人生を自分で決めるということは個人的に初だったため、
そういう意味で大きな意味のある一歩だった。

というのも、進学とか就職みたいな
それなりに重要な人生選択をする際、
わりとなんとなくで、親にそう言われたから、くらいの感覚で
それらの決定してきた。

例えば、
高校の進学先を公立の普通科にすることや、
大学も公立に行くことは
我が家ではほぼ強制、
を通り越してあたりまえだった。
高卒とか、専門学生とか、ありえないし、
なんなら見下してるくらいの感じだった。

今思えば、そういう時代を生きた親世代の価値観が
そのままスライドさせて平成中期にも適用されたという
マーケティング的に見れば愚行極まりない行いであったが、
確かに、「勉強してよい企業に入ればよい人生が待っている」
という価値観はわりと強固だし、
なかなか捨てるのは勇気のいることだけれども、
だからといってそう決めてかかるのもギャンブル性高すぎないか、おい、
と両親に激しいツッコミを入れたくもなる気分にならなくもない。
さて今私はいくつ否定語を用いたか、時間があれば数えてみてほしいね。

まあ、勉強することは悪いことではないけれども、
安牌狙いすぎて人生というギャンブルそのものの楽しさを失っては
本末転倒じゃないのか、ということを親には言ってやりたい。
多分わかってくれないけど。

なので、自分で金を貯めて、親に一切借りを作ることなく
辞職や引っ越しの段取りをできたことは大きな一歩であった。

というわけで2019年1月より貯金生活開始。
2018年12月のボーナスには手をつけない。
自炊を徹底。
自販機は使わず水筒を購入。遊びも行かない。
(遊びたきゃ曲作る)
居酒屋イベントは友達会社問わず全て断り、
どうしても飲みたいと言うのなら僕の家で宅飲み。
次回ボーナスである6月をめどに貯金を行った。

結果、想定額を超える80万くらいまで貯めることができた。

GW明けの社内面談で辞職を宣言。

僕はそれなりに優秀だったので惜しかったとは思うが、そんなことは知らない。
(いや普通に申し訳なさもあったけどそんなことで留まる私ではなかった)

そして
令和元年6月14日最終出勤。
令和元年6月15日引っ越し。

引っ越し当日は尾崎氏(大学の先輩、現音楽同志)の車で
東京へ向かった。
PCなどの精密機器を業者に預けるのは不安、ということで
尾崎氏カーにPCとついでにわが身を預けたのだが、
今となっては一緒に行きたかっただけな気もする。
車内でビートルズを交互に流したのは後になってもよい思い出になりそう。


引っ越し以降していたことといえば、
○DTM技能の修練(ミックス、マスタリング)
○曲を作る・詰める
○マーケティングの勉強
(音楽的なところは)ほとんどこんなことばっかりしてたので、
特におもしろいことはないんだけど。

それらの集大成ともいえるライブが2020年1月に決まったのは
年の架け橋として良い作用をしてくれそうである。

2020年もがんばります。

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