5
きらいなもの。いろいろある。嫌悪感のあるもの。たくさんある。
例えば、私の嫌いな現代美術家を、さらに囲うひとたち。おまえらもろとも嫌いだぜ。芸術には所有権をもっていい人がいると信じきっているひとたち。だいきらい。褒めてほしそうにしてる人も好きじゃない。私も褒めてもらいたい時はあるから、困る。でも、芸術家は孤独でいいと思う。もちろん、集団で芸術をするのは嫌いじゃない。そういうのもある。だけどそういう人たちは孤独を嫌って集団になっている訳じゃないと思う。孤独を受け入れられない人が、情で作品を公開する様子をみるのが苦手。作品がかわいそう。あなたのつくったそれは、褒めてもらわないと成立しないの?と思ってしまう。
でも褒められたいよね。わかる。孤独こわいよね。わかる。めっちゃ讃えられたいもん、私。嫌いなものを言っておきながらこういう自分もあるのは事実で、情けなくて仕方ない。
ジョルジョ・モランディという画家がいる。このひとは生涯「孤独」を貫いた人だ。もちろん友人はいた。家族もいた(妻はいなかったが)。だけど絵を描いている間は「孤独」の力を信じきっている人だった。ジョルジョ・モランディの人物像は、岡田温司の「ジョルジョモランディ-人と芸術-」を読むとわかりやすい。付箋があちこちに貼ってある。私の目にはかっこよく映って仕様がなかったのである。まったりとした色使いの、微細な揺れをみせる静物画は、何よりもまず「共感」を思い起こさせた。結局私たちは自分の目で、自分なりの尺度をもってしか、この世界を見ることができない。無数の目が蔓延るこの世界では、無数の解釈があって、しかたがない。ほんとうのことを探るには、数々の自問自答が必要で、その自問自答を繰り返す時間には、孤独がつきものだ。ひとつよりも多くの、自分の目による「こたえ」を残してこそ、芸術は発揮されるのだと思う。人によっては、ジョルジョ・モランディの絵はつまらないのかもしれない。説教がましく感じられるかもしれない。でも私は好き。ああいうの好き。ああいうの好きだし、ジョルジョ・モランディのことをこんだけ褒めておきながら、たまに「狂ってるよなあのおっさん」って語りたくなる感情をもたせてくれるので、もっと好き。ふつうに考えて、あんなに瓶をたくさんかくの、ふつうにあたまおかしいとおもうよ。でも好き。真面目すぎるジョルジョ・モランディに憧れる。私もそうありたいよ。
さいきん、私はクトゥルフ神話TRPGという遊びにはまっている。discordというべんりなボイスチャットのツールを使って、ゲームを楽しむのだけど、苦手なひとが少しずつ増えてきた。苦手なひとと会話することを通してみると、じぶんの性格をより深く知ることができるから、いいのだけど、なんだかなあが少しずつ増えてきた。そこで知れたのは、なんだかんだ私は「孤独を受け入れられる人が好き」ということ。要は、個人の時間を保てる人のことだった。そういう人と話すのはとても楽しくて面白い。良質な「個人の時間」を保てる人は、私にないものを持っている。だってお互いに違う人間だからだ。なんだかなあ、は例えば、現在も未成年でありながら喫煙・飲酒自慢をする人。論外。かっこよくないし、タブーの冒し方としてありふれたものだから、非常につまらない。タブーの手っ取り早い冒し方のなかで、かつやる人が少なくて、自慢できそうなのは、ディズニーに喧嘩を売るとか、そういうものを教えてあげたくなる。ミッキーに男性器とりつけたリアルなフィギュア作ったら怒られたったわ、とかだったらまだ笑って話しが聞けるかもしんない。利口ならやらない方がいいとは思うけど。あと、「俺(私)狂人だからさ」アピールする人。つまんない。本当の狂人に失礼。狂人は狂人を自覚しないから。なんでわかんないの?っていうか誰だって病院にいけばそれなりに診断名は作ってるから。もともとおかしいからね、人間は。つまらないのに、それでも愛してほしがる人間は大勢いる。私もそのうちのひとり、なのかも、しれない。TRPGは、ルール上、キャラクターを作ってそのキャラクターとして会話しながらゲームを進めていくものが多いのだけれど、最近は名前も顔もすげかえて、内面はどこぞのアニメか漫画とそっくりそのままなキャラクターをつくる人も苦手になってきた。せっかくオリジナルのキャラをつくって遊べるのに、もったいないと思う。失敗をするのが恥ずかしいんだろうなと思う。そりゃ、私も失敗をするのは恥ずかしいけどさ。遊びなんだからそれぐらいいいじゃん、という意見もありそうだし、否定しきれないけどさ。でもなんかもったいない、オマージュにもなってないじゃんそれ、とか思っちゃう。薄ら寒いありふれたセリフを浮かべて、それをまるでオリジナルであるかのように仕立て上げて、「エモいね!」なんて喜ぶのとか、ちゃんちゃらおかしいよ。だったら私は自分で考えて自分で作って、失敗してもいいから、そっちを選ぶよ。こんなことぶつぶつ言ってる自分がキモいのは重々承知なんだよ、ちくしょう。
あと礼儀のない人。普通にこわい。親しみとか、感じない。ありがとうございますが言えない人、超怖い。どうしたらいいのかわかんなくなる。私が敏感すぎるのだろうか。ありがとうございます、という言葉の価値観があわない人も怖い。
しようがないことを書き連ねてしまった、なんだかんだで一番こわいのは、じゃあ何がいちばんきらいなのって聞かれた時に、答えられない自分だと思う
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?