見出し画像

成田先生感傷日記(10/22〜10/31)

10月22日(日)

クリント・イーストウッド『真夜中のサバナ』を観る。ずっと退屈だったけどラストだけエモくてよかった。

小林達夫『カントリーガール』を観る。渡辺あや脚本サイコーすぎ。男子高校生4人がうさんくさいジジイの謎計画のために外国人観光客から財布を盗みまくる話+舞妓はんとの恋が絡んでくる。カタルシスとか問題の解決とかなんもなくて、暴力的な音楽でうやむやにしてしまって虚しさだけが残るの最高。盗んだ外国人の財布から広島原爆ドームチケットと広島の風俗の割引券が一緒に出てきて、「同じ日に行ったんかな」ってとこすごい。そのあと近くの席にいた女子高生をナンパしたところで音楽が流れてタイトルが出る。

渡辺あやすげーってなって15分の短編『懲戒免職』を観る。オダギリジョー演じる美術教師に恋する生徒の話。やっぱディティールで話作るのが上手いし、ずっと可愛げがある。渡辺あやもっと見ていきたい。

京田知己 原口浩『交響詩篇エウレカセブン ポケットが虹でいっぱい』を観る。タイトルめちゃくちゃ良いけど全然面白くなかった。マジで無。

U-NEXTでキングオブコント反省会ちょっと見ながらコロッケパン食べる。ZONE黒にハマって毎日飲んでる。箱買いしよかな。

ポラリス聴きながら伊藤剛『マンガは変わる』を読む。エロマンガ全然無知だから勉強になる。「美少女エッチ漫画の究極形態は"ショタ"だ」らしい。エロマンガ読みたくなったので積んでた もりしげ『子供の森』を読む。大して面白くない。ロリ興味無いのかも。「ねえねえ知ってる?初潮前の女の子ってオシッコの味しかしないんだって」

また『マンガは変わる』を読み出す。『エイリアン9』論で「マンガのなかに流れる時間には「時計で計測されるような、物理的に流れる時間」と、「登場人物が主観的に感じている時間」の二種類がある」と書いていてハッとした。「つまり、マンガは読者の主観によって時間が伸縮する「無時間性」を有しているというのだ」なるほど。

10月23日(月)

舞城王太郎「裏山の凄い猿」を読む。これめちゃ読みやすくて鬼オモロかった。「うん?と俺は思う」とかめちゃくちゃ舞城節。人語を喋る猿が山にいて、いたずらしてくる蟹の噂もあって…っていうヘンテコ話が爆速で描かれる。とにかく速いし、こんな会話はもう舞城にしか書けないと思う。

シャワー浴びてちょっと寝て、起きてビーフシチュー食べながらラース・フォン・トリアー『エレメント・オブ・クライム』を観る。今のリアリズム演出とは真逆のファンタジーチックな撮り方で全然面白くない。

電車乗って鷹の台駅で降りて武蔵美へ。学祭展示設営の手伝いをする。初対面の人だらけで興奮してぺちゃくちゃ話しちゃったけどたぶんなんだこいつ…と思われて引かれてた。ケンカとかするんですか?って聞いたらしないです。って当たり前みたいに帰ってきてショックを受ける。武蔵美は教授も生徒もみんな弱くておとなしいだとか… 純粋にケンカするために俺たちはそれこそ小学生まで遡行しなければならないのでは…と考えて絶望的な気持ちに。そこら辺にいる学生全員に話しかけたい気持ちをぐっと抑えて運搬を手伝う。

終わったあと近くのガストに向かってたら子供たちがワーワー騒ぎながら走ってて嬉しさと共に悲しくなる。いつから僕らは自由奔放に叫んで走り回らなくなったんだろう。ノスタルジーを滅ぼすためには現在地点で恋をするしかないのでは?とか思う。コーラとコーヒーがぶ飲みしながら舞城王太郎「うちの玄関に座るため息」を読む。思ったことズバズバ言って雰囲気悪くなって、分からない、こういうことなのかなあ、という紆余曲折を経てなんとなくの答えが導き出される、自分は完全に舞城マインドで生きてる。

電車間違えたりしながら家に帰る。

10月24日(火)

昨日のことがショックすぎて激鬱になって爆睡する。起きたら夕方で、ご飯食べながらキングオブコントとかM-1見て、Twitterのスペースで2,3時間話す。

10月25日(水)

今日は映画を観にいこうと思ってたけどまた爆睡して1日を無駄にしてしまい激鬱。夕方に起きてコンビニでご飯買ってきてAマッソYouTubeのななまがり森下&初瀬が相方になりきる動画見ながら食べる。家の空間が入ってくるのが嫌だから家でご飯が食べれない森下、ヘパリーゼをおいしいジュースとして飲んでる初瀬、2人ともガチ奇人でオモロかった。

YouTubeのおすすめに出てきた(JAIHOで配信始まったからかな?)ので清水宏『恋も忘れて』を観る。子供がキショい動きしててオモロい。

ウダウダして友達としばらく電話する。喜ばせようと思って唐突にじゃがいもって世界に何種類あると思う?とか聞いて、ちょっとだけ盛り上がる。嫌いな物の話になって、にんじん食えないって言ったら「ガキだ」つって、急に見下しが入って嬉しかった。

10月26日(木)

ホワイトの板チョコ食べながらラース・フォン・トリアー『エピデミック〜伝染病』を観る。マジでおもんなかった。脚本の映画。初期トリアーきついかも。

シャワー浴びてテレンス・マリック『天国の日々』を観る。初マリック。つまんなそーと思ってみたけど、人が結構動くし水辺の所とか特にジョン・フォードを彷彿とさせて意外と面白かった。イナゴの大群がやってきてそこら中に火を放つ。そして百合。

電車に乗って国会図書館へ。『動きすぎてはいけない』を読んでいたら具合が悪くなったので隅っこでしゃがむ。池袋に着いてからも気持ち悪かったので少しベンチで休む。くらくらしながら永田町駅まで。久しぶりに国会図書館きたのでたくさん読もう。

たらちねジョン『海が走るエンドロール』1巻。大したことなくて安心した。陳腐なものしかない。作者もろくに映画観てないんだと思う。もっとちゃんと老人を描いてくれ。

町屋良平『ショパンゾンビ・コンテスタント』前に途中まで読んだけど最初からまた読む。完全にリズム文体で気持ちいい。「天才は現象にすぎない。人間ではない。人間が人間の言外へすすむ束の間の運動にすぎない。言外へむかう肉体はしあわせではない」←これPPPPPPかと思った…。マポロ3号って純文学とか絶対読んでるよね? 誰かそこんとこインタビューで聞いてください。
カップルアカウントのことを、「そうしてインターネット上の人格を共有し、法人めいたレコード化をすすめて互いのおもいを揃えていくようである。それはどこか昭和的な愛の手つづきに似ていなくもない」と書いていて確かに、と思った。
「覚悟を決めます。才能のない、愛のないぼくは、まだ孤独すらしりません。でもそのことすら、書いてしまいます。ぼくはほんとうにダメなヤツです。でも、覚悟だけはいつでもしておかないと、ひとはある日とつぜん、否応のない天才にまきこまれる、やもしれないのだから、それを宿すからだを、つかの間でも耐えうるからだを、生活をつくっていかないと、ですよね……」ここかなりグッときて泣きそう。

マヌエレ・フィオーレ『秒速5000km』読もうとしたけどすぐギブアップ。海外マンガ全般無理かも… 

一旦お昼休憩。スーパーで買ったおにぎりを食べる。ココナッツミルク売ってたから買って飲んでみたらあんまりおいしくなかった。

菊地成孔『戒厳令下の新宿 菊地成孔のコロナ日記2020.6―2023.1』を読む。(uku kasai『coldsmokestar』を聴きながら。なんだこの神々しいアルバムは…)。癖のある文章で面白い。だが眠くてしばらく寝てしまう。起きたら友達からLINEがきててさっさとバイトしろ!みたいなこと言われたので激鬱になって廊下の椅子で半寝みたいな体制になってうつむいてたら警備員にそういう寝方はやめていただけますか。座ってください。と言われて更に憂鬱になる。みんなおれに正しいことばっか言ってきやがる。

おれはどこへ行っても間違った存在だ…と落ち込むけど頑張って起きて鬼頭莫宏『なるたる』読み始める。新装版1巻、遅いし全然面白くない。セリフも当たり障りのないことしか言ってないし、続きを読みたいと思わない。

さらにその友達とLINEでケンカになって全てのやる気を失い、とぼとぼ帰る。帰りの電車で松浦理英子と笙野頼子の対談本、『おカルトお毒見定食』を読む。ずっと笙野頼子が変人でめちゃめちゃ面白い。ちょっと元気出てきた。

家に着いてマルコポロリ見ながらご飯食べてちょっとだけ続き読んで寝る。

(笙野)そして外国の名作だけが文学だと思ってて、口先だけで「文学は終わった」とか「文芸誌はいらない」とか言ってる人達もゴミの日に出してやると思ってます。名作でも、ぜんぜん読めないものはあるし。つまり、「これだけたくさん名作が出ておるのに、まだ何か書くわけ?」と。そうじゃなくて、「そういうものを一度壊してやりたいんだよ。違う事するから元気なんだよ」みたいなところが、私はいまあります。

10月27日(金)

早く起きてモンスター飲みながら散歩する。AマッソYouTube見ながらご飯。今日暑い。

笙野頼子「てんたまおや知らずどっぺるげんげる」を読む。制作会社の女性が主人公の住むマンションにやってきてドッペルゲンガーを扱う番組に出演してほしいと頼んできてそれをどう断ろうかと考えるところから色々な脱線があって親知らずを抜いた話になったりたまごっちの話になったり最後は妖怪?の話になる。ずっと何言ってるか分かんなくて面白い。

そのあとキュウの漫才みて爆笑。これすごい

本読んでたけどすぐ眠くなって寝てしまう。起きたら夕方で、スーパーでカップラーメン買い込んできて家で食べながら中島貞夫『ジーンズブルース 明日なき無頼派』を観る。とにかく梶芽衣子かっこよすぎ。ヤバ

洗濯とか掃除片付けする。

10月28日(土)

小倉考誠 編『批評理論を学ぶ人のために』を読む。結構分かりやすくてありがたい。構造主義の章、アルブレヒト・デューラーの素描の例えですげー理解出来た気がしてきもちよかった。レヴィ・ストロースとかソシュールとか読んでいくべきか。

シャワー浴びてピンドラ見て8時くらいに家を出る。電車に乗って『動きすぎてはいけない』ずっと読むがずっと理解できず。途中でお腹壊しながら2時間近くかけて目的の駅について友達と合流、会った瞬間ものすごい勢いでベラベラ喋ってきて迫力があった。さいきん未来人とよく話すんだよねーとかカントの話とかずっとしててブンガクかと思った。

行くとちゅうで小学校が運動会やっててテンション上がった。俺も混ざりたい。

友達が通ってる大学の文化祭へ。木とか自然が至るところにあっていい感じの景観。ステージで男性ブランコとニッポンの社長とカゲヤマの漫才を見る。めちゃくちゃ笑ったしやっぱ芸人って華があってかっこいい。男性ブランコは温泉旅館のネタ、ニッポンの社長はケツが「私上手く笑えなくて」を歌って辻が爆音ハーモニカで邪魔するやつ、カゲヤマはお尻出してた。校舎に入って短編映画の上映を観る。レベルひっくい。こんなもんか。次の上映まで時間あるので落語見に行く。2人の見たけど結構おもしろかった。聴覚情報に物語が委ねられて、映画を観るときと全く違う筋肉を使うのでムズいし疲れる。文化祭で落語って、ちょっと『花とアリス』を思い出した。丁度いい時間に終わってすぐ映画をみにいく。こんどは30分くらい。一緒に自殺しようと集まった男女がやっぱ辞めよーってなるまでを一室の中でやる。こんな0点なことあるんだ。頭の中でこき下ろして外の出店行って焼きそば食べる。みんなめっちゃ大学生でキツい。美術とか写真の展示も見たけどレベル低かった。友達と別れて帰る。

疲れ果てて家に帰ったら酒飲んですぐ寝た。

10月29日(日)

1日中寝てたので捨て回……

10月30日(月)

『批評理論を学ぶ人のために』を半分くらいまで読む。ユリイカ村上龍特集の蓮實重彥と村上龍の対談を読む。話題がくねくねしててめちゃくちゃオモロい。

ネーム描こうとして憂鬱になって、何回も散歩する。ピンドラ見ながら音楽流しながらやっと1ページ描けたけど、だらだらボーッとしてたらいつのまにか眠ってしまった。映画も観れてないし漫画も全然進んでないしお金無いしゴミカスすぎる。

10月31日(火)

起きてコンビニでご飯買ってきて食べて、ジョン・カーペンター『スターマン/愛・宇宙はるかに』を観る。タイトルかっこよすぎ。女優も良く撮れてるし、説明をセリフではなくなるべく動きとか反応でやるようにしてて面白い。ド派手な爆発も気持ちいい。セックスまでの導入が完璧でめっちゃ映画。ラストとか激エモでヤバすぎる。

散歩して、ピンドラ見ながらネームに取りかかろうとするも憂鬱でやる気が出なくて死にたくなってきたのでサイゼリヤへ行く。

たまねぎのズッパはじめて食べたけどめちゃおいしい。『批評理論を学ぶ人のために』をかれこれ2,3時間くらい読む。ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンがやったシステム理論について書かれた第14章が面白い。

人の心や思考は、コミュニケーションできないということである。コミュニケーションされるのは、あくまでコミュニケーションであって、人の思いや考えではない。コミュニケーションが続くこと、つまりコミュニケーションが次のコミュニケーションを生み出すことにより、社会システムは維持される。コミュニケーションの意義はまさにそこにある。

コミュニケーションはその自明性をはぎとられ、起こりそうもないこととして眺められる。われわれは日頃、コミュニケーションが成功することに慣れきってしまっているのではないか? しかしコミュニケーションの成功は、じつはほとんど奇跡的な出来事ではないのか? あるコミュニケーションはつねに、無数にあるほかの可能性のなかからの選択として生じている。コミュニケーションを構成する情報、伝達、理解それぞれの契機において、じつは現状とは異なる無数の別の選択がありえるからである。そうであれば、コミュニケーションがいまそうあるように成り立っているという事態は、じつはほとんどありえそうもない、「きわめて蓋然性の低い事柄」として現れてくる。

ずっと座ってるの疲れてきたので帰る。家に帰ったら疲れ果ててすぐ寝てしまった。結局またネーム進まなかった。ゴミカス!

最近はこればっか聴いてる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?