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陸の王者に個性を求めるのは間違っているだろうか ~File.002 末永玲於さん~

おはようございます🌞
好評(?)につき第2弾でございます!!

日本に戻った途端腹痛に苛まれておりますが、頑張っていきましょう!!


というわけで、本日ご紹介するのがこちら!


『じゃあ農村に行こう』
末永玲於さん(経2)でございます。

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そして本日のお品書きがこちら!!

①これまで
1-1:農村の方々が私に「自信」を与えてくれた!!
1-2:「地方創生」にもいくつかのジャンルがある!?
②いま
農村での活動のために会社を立ち上げた!!
③これから
目指せ47都道府県全制覇
④おまけ
2019年冬に恵那に行ってきたよ

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1-1. これまでのこと その1



高校時代まで富山県で過ごしていた彼は、2017年に慶應義塾大学を受験するも、厳しくつらい受験勉強もむなしく合格できず、浪人することとなってしまいます。

これまで、他者と比較して優れているかどうかで、自分の存在価値を計っていましたが、、、

大学受験の失敗、そして浪人を通して、
「現役合格したほかの人たちと比べて自分は劣っているのではないか」
という、さらにこじらせたような捉え方になってしまいました。


一浪の末慶應義塾大学経済学部に無事合格はしましたが、

「都会」という、自分と似たような、もしくはそれ以上の実力を持つ同世代の学生が多数存在する、あまりにも大きなコミュニティーの中で、
自分の存在価値を示すためには、自分からマウントを取るしかなかった。

ただ、マウントを取ろうとしても、「田舎」という狭いコミュニティーとは違い、あっけなくつぶされてしまい、大学1年生の間は肩身の狭い思いをしていたそうです。


そんな中、2018年にリクルート主催で開かれた、新規就農者を募るイベント「新・農業人フェア」にスタッフとして参加したことが、彼のその後の運命を変えることとなるのです。

もともと高校時代まで富山県砺波市で過ごしていたこともあって、農業や地方創生事業には、多少なりとも興味があったそうで、そういった活動もちょいちょい行っていたようですが、

彼はそのイベントで、ビラを配るなどの仕事をしていましたが、仕事があまりにも退屈になってしまったのか、いろんなブースを見て回ることにしたそうです。

そこで、たまたま人が閑散としていた、山形県のブースの人たちにつかまり、そこで仕方なく話を聞くことになりました。

よほど人が来なくて寂しかったのか、ブースの人がかなりぐいぐい来る感じで、方言の癖が強かったそうですが、
それと同時に、何か親切さも感じたそうです。

そして、向こうが冗談交じりで、
「2週間後に遊びに来てみませんか」
と軽いノリで行ったことに対して、

彼も2週間後は空いているし行くか、くらいの軽いノリで賛同しました。

ただ、実際に行ってみて、
どこの馬の骨なのかも知らない見ず知らずの人に対して、
宿を取ってくれたり、その他いろいろアテンドしてくれたり、
手取り足取り農業のイロハを教えてくれたりと
いろいろ優しくしてくれたそうです。

そんな農家の方々のやさしさにハマり、どんどん通うようになっていきました。

こうして通っていくうちに、
定期的な訪問を繰り返していくことで知った山形県村山市の良いところ・改善するべきところと、
自分が持っているリソースなどが合致したということで、

これを活かせないかということで、事業が始まりました。

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濃いピンクの市が山形県村山市で、

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山形市と新庄市の中間あたりに位置しています。


また、これに加えて政治的な背景もあるので、そこについても軽く触れさせていただきます。


1-2. これまでのこと その2



これまで、「地方創生」に関しては、
・実際に興味を持った土地に移住する
・観光に来てもらって観光収入や外貨獲得
の二択でした。

実際の事例がこちら


そもそも「地方創生」がブームとなったきっかけは、
首都圏一極集中問題と地方の過疎化問題を解決するために、1990年のDAIGOのおじいちゃん内閣が打ち立てた、
「全国の地方公共団体に使い道自由で一億円を交付する」ふるさと創生事業という政策です。

交付された一億円をうまくやりくりし、実際に成功した地域を取材した東京新聞の記事です。
併せてご覧ください。

ただ、その政策が出されてから約30年が経過しましたが、一部の地域は成功しましたが、一極集中などの根本的な問題は解決はされませんでした。

そこで、2014年の第2次安倍内閣で、「まち・しごと・ひと創生本部」が設立されました。

行政に任せっきりだった地方創生を今後は、
・行政などの「上で実際に政治をする立場」
・そこに住む住民などの「政治をした結果を享受する受動的な立場」
・そこで仕事をしている人々などの「サービスを受けている立場」
・都市に住んでいるけどその地域のものを好んで買う人々
これらの、各地方公共団体に直接的もしくは間接的に貢献している人たち全てが、主体的になりつつ協力して地域を盛り上げることが求められるようになりました。

そして、補助事業や補助金関連も充実してくるようになりました。


その後2016年に、農村社会学のエキスパートである、明治大学の小田切徳美教授が、第三の地方創生事業として「関係人口」というワードを初めて打ち立てました。

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十代「ところで、関係人口って?????」


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ヨハン「ああ!!それってハネクリボー? それじゃあ君が遊城十代??」


説明しよう!!

関係人口とは、
「移住した『定住人口』でもなく、観光に来た『交流人口』でもない、地域や地域の人々と多様に関わる人々のこと」である!

もう少し補足すると、、
首都圏などの都市部に住んでいるような人たちが定期的に農村部に赴き、農業などの生産活動に貢献してもらうシステムです。

都市部にすむ関係人口参加者側と農家側とでの需要や供給をまとめると

参加者側の需要
・・・自己正当性、コミュニティー、うまい飯といい景色と寝床
参加者側の供給
・・・お金と労働力

農家側の需要
・・・お金(安定した財源)と人間(労働力・癒し・活気などを総じて)
農家側の供給
・・・社会関係資本を生み出せる(のではないか)

表現をするにあたって多少口が悪くなってしまいましたがそこはお許しください。悪意等は一切ございませんのであしからず。

特に参加者側の需要について、
とりわけ学生に関しては、いわゆる学歴コンプレックスや人間関係の悩みなどでうつ病になる人が10%いるとのこと。

末永さんは、この需給一致や自身の体験から、「関係人口」にフォーカスした会社を設立・運営していくこととなります。



2. いまのこと


末永さんは現在、「一般社団法人 農業から地方とつながる縁起の森」という会社を設立し、そこを中心に地方創生事業、ひいては「関係人口創出事業」の案件を受けたり、人材を斡旋したりしています。

また、2019年の村山市での活動に関しては、

・耕作放棄地を開墾
・そばの栽培
・収穫したそばをマフィンに加工
・それを東京都丸の内で販売

これら一連のスキームは、末永さんを含めた都内の学生と地元の方々が共同で行ったそうです。
結果的には大成功を収めたそうです。

また、彼自身もこの村山市での経験をきっかけに、自分に対してのコンプレックスが解消されたそうです。
というのも、山形県村山市の方々にとって、若者は珍しく、いてくれるだけでありがたい存在。
自分からマウントを取っていかないと自身の存在価値を誇示できない都会と違って、常に存在を認めて受け入れてくれる農村は、彼にとってオアシスのようなものでした。

今年は、自分も含めてより多くの方々に自己実現をしてもらいつつ、村山市などの彼が携わった農村地域を世界有数の関係人口特区とすることを目指しています。

その上で、2020年の村山市での活動に関しては、

・耕作放棄地の開墾:2019年の3倍の規模
そばとサツマイモの栽培
   :サツマイモは茨城出身の子を中心に干し芋や焼き芋に加工するまで担当
・高円寺のカレー屋に提供する用のスパイス栽培
・富山時代の先輩と共に、人口300人未満の地域で300人を集めてBBQ

の4本柱で行っていく方針です。

また、この活動に興味を持ってくれた方々に対しては、末永さんからも積極的にサポートなどを行い、ゆくゆくは新しい地域や新しい活動の中心人物として先導をしてもらうといった狙いもあります。

その一環として、昨年末に岐阜県恵那市を訪れた際の様子も、終盤に記載します。


3. これからのこと


今後はさらに活動範囲を広げ、各中心人物を増やしていきつつ、末永さんと同様に関係人口創出事業に貢献している人と連携を取るために、マイナビと業務提携をして、関係人口に関わっている人とのオンラインサロンを計画中です。
いわゆる「オフ会」のような場も頻繁に設けて、情報共有を定期的に行うほか、オンラインサロンを一つの信用担保として、互いの自宅をAirbnb等のように活用し、多拠点居住を推進する目的もあるそうです。

こういったオンラインサロンの計画も含めて、今年中に47都道府県全制覇を目標としています。

2年後の就職に関しては、子会社ベンチャーを多く持つリクルートやガイアックスなどといった企業に、事業も含めて採用してもらう形で活動を継続することも視野に入れているそうです。

「10年後の自分やこの事業はどうなっていると思うか」という質問については、「さすがに想像はできないし、10年後について意識したこともない」としつつ、「仲間ふえていたらいいなあ」とつぶやいていました。

また、現状彼は「大学は関東地方だけど主な活動拠点は村山市」となっていますが、これを地方創生における「あたりまえ」にし、地方創生の常識を変えていくことを目指しています。

そして10年後という具体的な未来の話ではありませんが、いつか無人島を購入し、関係人口創出事業で得たノウハウを生かして、仲間と共にDASH島のように開拓することが夢だと語っていました。



4. おまけ


昨年末に、この事業の一環で岐阜県恵那市での2日間のフィールドワークの案件をいただき、私もそちらに同行させていただきました。

こちらが岐阜県の地図で、恵那市は濃いピンク色の部分です。

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最終的な目的として、先日開業した高輪ゲートウェイ駅前で開催されるイベント「フード&クラフトマーケット」で、恵那産の食材を使った料理を販売します
これにあたって、恵那市の農家の皆様と触れ合いつつ、どういった商品にするかの構想を固めるのが今回のフィールドワーク研修の目的です。

まず最初に、恵那市の図書館前で行われていた「たべとるマルシェ」に足を運びました。

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私たちが訪れた日は、イチゴの加工品・黒ニンニク・刺身こんにゃく・有機野菜などが売られていました。
いくつかの商品も試食させて頂きつつ、出店者の方々からお話を伺いました。

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刺身こんにゃく(トロコン 写真は唐辛子入り)は、噛む度に味が拡がっていき、喉越しもよく大変美味しかったです。

刺身こんにゃくを販売されていた方は、刺身こんにゃくを手作業で作っていらっしゃるため、一日に作る量にどうしても限界が出てしまうという話をされていました。
また、この方は居住地域の自治体の役員もされていたのですが、治水工事などのインフラ整備による財政の話などもしてくださいました。

こういった地域では、都会と違って「直接民主制」の色が濃くなっています。みんなが住む土地だからこそみんなで守りみんなで継承していかなければならない、だからこそ自ずと地域内での結び付きや地域内交流も深まっていくのだと感じました。

黒にんにくも、二郎系ラーメンにマシマシで載せるようなあれと同じ「にんにく」とは思えないくらい、甘くて臭みも全然なかったです。スイーツとかデザートにもできるくらいです。

続いて、栗商品などの地元食材を中心としたお土産物屋さんを複数訪ねました。

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写真は栗の甘露煮です。瓶の中にぎっしり入っています。
やっぱりこうやって見ると恵那の栗はかなり大粒ですよね。

この栗の甘露煮を取り扱っているお店でお土産として栗きんとんを買いました。自宅で食べましたがしつこ過ぎない栗本来の甘さが出てて非常に美味しかったです。

その後、恵那峡に向かいました。

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あいにくの曇天、付近は改良工事中でハエも大量にいましたが、恵那峡の景色自体はご覧の通り、大変美しかったです。
付近の山の頂には観覧車が見えた他、この近くのソフトクリーム売り場でおじいさんが物凄く楽しそうに写真に写っていたのが印象的でした。

そして、次に向かったのが坂折棚田と呼ばれる場所です。
日本の棚田百選にも選ばれているのだとか。

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この近くの交流施設で、地元の農家さんや市議会議員さん、町内会の役員さんなどと意見交流会を開きました。 

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「恵那」とはいったいどういったところか、そして今回高輪ゲートウェイ駅で販売する料理はいったいどういったものにするのかの話し合いをメインに行いました。
話し合いも非常に盛り上がり、かなり密の濃い時間となりました。

その後には、話し合いに参加した地元の方々と共に飲み会も行いました。

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この日は農家の方のお家に泊まらせていただきました。
飲み会の際にも栗おにぎりやプレートなどを用意していただいたのですが、ここでも大変美味しいお料理をたくさんお出ししていただきました。もう本当に感謝しかない。

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特にこのニンジンが甘いんです。
この時期は特にそうなんですが、全体的に冷涼な中央高地の気候なので、食材が寒さに耐えうるべく糖分を多く蓄えるみたいなんですよね。

にしても生野菜特有のえぐみや辛さは一切なくて、マヨネーズなどをつける必要もなく、フルーツのような感覚でパクパク食べられました。

宿泊先のおばあさんは
「皆さんみたいな若い人たちを自分の息子たちだと思ってもてなしている。来てくれればいつでも実家みたいな感じでもてなすよ。」
みたいなこと仰っていたんですけど、だとしてもこれはもてなしすぎでしょ、、www

ほかにも、ご家族の話などもしてくださり、非常に気さくで面白い方でした。ありがとうございました。


2日目はまず、笠置山栗園という場所に行き、収穫した栗をどのようにして加工しているのかなどを見学しました。

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栗の木です。

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収穫した栗は、上の写真のような高温の石が入った機械の中に入れて回転され、殻をむきやすくしています。

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一定時間機械の中に入れた後の栗です。

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こういったサイズ表もありましたが、栗で40g以上って、、w

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付近にはイガの残骸がこのように山積みになっていました。

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殻をむき、別工場でパウチした後の栗です。
この状態で日本全国様々な箇所に出荷されます。 殻をむいてある程度型どりしたこの状態でも一粒が大きいのがよくわかりますね。

工程を一通り見学したのち、今度はフィールドワーク参加者全員で、どういった商品にするのかなどの話し合いを行いました。

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その後の話し合いやフィールドワークなどで、6月1週目と2週目に、おにぎり2個+おかずのおにぎりプレートを販売することになりました。

お時間がありましたら、ぜひ高輪ゲートウェイ駅まで足を運び、恵那をふんだんに詰め込んだおにぎりプレートをお試しくださいませ。



まとめ


第二弾、いかがでしたか??
内容が濃すぎた結果超大作となってしまいましたw

今回恵那を訪ねた際に末永さんのことを知り、彼の奮闘ぶりを見ていくうちに、自分にできる範囲でこの活動に貢献したいという意味もあって、この連載を始めたという部分もあります。

話し合いやあらゆる場面で、私たちや地元の方々を主導し、信頼し、また地元の方々から信頼されていた様子が私の末永さんに抱いていた第一印象だったため、自分にコンプレックスを抱いていたという話はものすごく意外でした。

でも、そんな様子を感じさせないようになるまで彼を変えた農村の皆さんの人柄に、実際に恵那に赴いて申し訳ないくらいにもてなしてもらった際にも感じましたが、今回取材をして改めて感じました。

そして、図々しくはありますが、またコロナが収まって時間ができたら、先日宿泊した農家にまた改めてお世話になりたいです。
先日お世話になったご家族の皆様は元気しているかなと、思いをはせながらこの記事を書きました。ここまで読んでくださった方々の中で、地方出身の方々は、ぜひこの記事を地方創生に励んでいらっしゃる自治体の皆様、農家の皆様にも広めていただきたいです。

ありえん長くなってしまったのですが最後に、
取材に応じてくれた末永さん、そして恵那の皆様、誠にありがとうございました。

次回もどうぞよしなに👍






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