事実と仮説を丁寧に分けるためのバカボンパパ。

ボンボン バカボン バカボンボン!

今日も本業(謎)の合間にくだらないことを書いてきたい、あなたがタバコ休憩とるなら僕はnote休憩をさせていただく異論は認めていく所存!と言わんばかりに書いていくんよ。

書いててロースおじさんみたいだなと思ったけどとくに影響を受けてるわけでもなくて、僕のリアルな口癖だったり・・・するわけで。母さん 今日も雲がきれいです。

バカボンパパの名前って・・・

赤塚不二夫先生が世に残した傑作のひとつ「天才バカボン」だけど、このマンガの(ほぼ実質的)主人公である「バカボンのパパ」。彼はもともとは天才だったのがとある経緯によりバカになっちゃうんだけど、いまそんなことはどうでもよくて、名前が「バカボンのパパ」。

バカボンのパパ、バカボンのママ、バカボン、はじめちゃんで構成されるバカボン一家は自宅の表札にも「バカボン」と掲げていて、そりゃいったいどういう名前なんだというそういうあいつ。

産まれたときからバカボンの父ちゃんに?

それが本名なのだとしたら、そうなることが決まっていたということ?
産まれたときから「バカボンのパパ」ということは、もうその時点で子供がバカボンになることが決まっていたということで、すごい、2世タレントより早く人生が決まっているのではないか。なんだそれ。すごい。

wikipediaにはバカボンパパの親族一家のことが書かれていて

パパ側の親族に関しては、「わしの生まれたはじめなのだ」「わしの天才がバカになったのだ」で、「一郎」という名のパパの父親(通称「パパのパパ」)と、父親の弟(つまりパパの叔父)が登場しており、

いやもうなにいってるのかわからない。

産まれたときからバカボン家の子供でありながらパパで、それはもう小学生時代から小学生なのにパパな彼は、わしはパパなのだと友達に言って父性を醸成してきたのだろうか。改めて考えてみるとエリートパパなのかもしれない。

バカボンママもバカボンのママになることが?

うまれたときから決まっていたのだろうか。いや、名前からするにそういうことになる。たしかめちゃくちゃ美人だった設定で、その子が思春期からママという名前を持ち、将来どう言うキャリアを歩むかはわからないけどバカボンっていう子を産むことだけは確定しているというのは、周りの男性もだいぶ混同しただろう。いや、「俺こそがキミのバカボンを産むための相手だ!俺がバカボンのパパになるんだ!」というそういう展開もあったのかもしれない。

だがしかし残念。すでに別の場所にバカボンのパパはいて、だから二人はもう夫婦になることは決定しているのだ。そうなのだ。

とは、限らないんよね。

「バカボンパパ」の名前が示しているのは「"バカボン"という子を持つ」ということだけで、相手が「"あの"バカボンママ」だとは限らない。まったくべつの女性と結婚して、その女性が「増田ママ」つまり旧姓が増田だったのが、結婚をしてバカボン姓に変わったのかもしれない。

これはもちろんバカボンママにも言えて「バカボンパパとバカボンママだから二人は夫婦だ」というのは、(名前からだけでは)成り立たない。
また、仮に二人が同一の「バカボン」の親だったとしても、二人が夫婦だとは限らないってのもあるんよね。離婚してるかもしれないし、そもそも結婚しないかもしれないし。

一方で、そうなると「バカボンパパとバカボンママ(という名前の人)は必ずしも夫婦ではない」ということになる。しかし、可能性の一つとして「バカボンパパとバカボンママが結婚をして夫婦になったら、産まれてくるのはバカボンである」というのは成り立つか。これも、絶対そうかというとそうでもなかったりする。お互いがそれ以前に別の人と結婚して「バカボン」をそれぞれに出産して、その後離婚して、二人が再婚したらそれぞれのバカボンは別の人間になるし。

そもそも「バカボンのパパ」は「バカボン」の父親なのか

よくよく考えてみるとここから怪しくなるなと思って。

「バカボンのパパ」は「バカボン」の「パパ」なのかというと、いや、それは"「バカボン」の「パパ」"ではあるはず。そう書いてあるから。しかしそれは「"あの"バカボン」なのかというと、確定できない。

たとえば「バカボン」っていうホステスさんがいて、彼はその嬢の太客になったのかもしれない。バカボンのパパは伝説のホステス「バカボン」嬢のパパなのだ!なんつーて。
同様に、バカボンのママもスナック「バカボン」のママなのかもしれない。(現実に実在したりして)

事実、仮説、想像、妄想

これはなぜ起きるのかというと、周知であるはずの「バカボン」というキャラクターを一度別のモノにしたからで、つまり前提や定義が変わってることになる。言い換えれば、事実(の対象)が変わっているということなんよねぇ。

「バカボン」といえば、それはマンガ"天才バカボン"に出てくる「長男のバカボン」という事実があり、それを前提にしているから話を先に進めることができるんだわねぇ。人と議論をするときにはこれを整理しないと話がおかしくなるわけで、とっても大事だなと思う。

「バカボンのパパ」の名前に関して「彼は産まれたときからバカボンを息子に持つことが決まっていたのか?」という議論をするとき、そのテーマが指す「バカボン」はあのマンガキャラクターのバカボンのことである、で良いと思う。

そして、その「事実」に対して、議論を進める中で「果たして"バカボンのパパ"の名前が指すそれは、あのバカボンのことなんだろうか?」と、一度確定として扱った事実を、流れの中で確定解除することもあり、「いま、何を事実として捉えるべきなのか」はとても重要だとオッサンは思うわけで。

人はどうしても字面からその背景にあるものを組み入れてしまう

僕にもそういう部分があるので、自戒を込めて矯正していきたいと思っているのだけど、どうしても言葉が持つイメージや、自分が見てきた体験に引っ張られてしまうところがある。

たとえば「経営者」「社長」という単語をネット上で見ると、どうしても「労働力の搾取」みたいなものがパッと出てきてしまう。それで、ネット上のインタビュー記事なんかで辛辣に叩いてしまったり。

席次の「上座・下座」が出てくると、そういう古い価値観が脳みそから離れず、若い人をそれで縛る老害だ、みたいなイメージが出てくる。でも実は、よくよく読んでみるとその記事で言ってるのは

・彼は下座に座ると思っていた
・予想を誤っていた。彼は上座に座った
・よくよく考えてみれば当然だと思った

としか書いてなかったりする。
もちろん、その記者は本当に価値観の古い人なのかもしれない。しれないんだけど、でも、少なくとも記事にはそうは書いてない。「記事を読んでればそう受け止めるのはしょうがない」と思っちゃったりもするんだけど、それはどこまでいっても捉え方の範疇で、言い換えれば「~だろう」という仮説でしかない。

仮説を持つことや想像力を働かせることは悪いことじゃなくて。ただ、仮説はあくまで仮説という前提で行動をしないと、僕は誰かを無駄に傷つけてしまうんよねぇ。それが怖いーこわいこわいー。

最後に:「バカボンのパパ」は本名ではありません

ね、最後に言うことなのかと。
公認サイトにしっかりとその記述がある。

A バカボン一家に苗字はありません。表札に「バカボン」と書いてあるのは、バカボンが迷わないで帰って来られるように、というママのやさしさです。

「バカボン一家に苗字はありません」ということなので「バカボンのパパ」も本名ではなく、どうやら「本名は不明」ということになってるらしいんよ。

ちゃんと原典をあたるって、ほんと重要やね
ネット上にはたまに「そんな、すべての情報のソースをあたるなんて無理だろ」っていうコメントを見かけるんだけど、ほんと、そうだと思う
むりやでーそんなもんーだったらもう情報なんていらんわいなー、もうー、めんどくさいなー、とか思っちゃう。良い歳こいたおじさんなのにそんなこと思っちゃう。

でも、同時に僕は「だから、発言には気をつけなくちゃ」とも思うんよ。「これは情報のソースまで見てないから、かなりの確率で間違いかもしれない」「自分はそれに加担してしまうかもしれない」と思いながら意見を出すぐらいでちょうどいいんではないかと思っている。ときには「原典が見当たらないからコメントやめとこ」と思うことも何度もある。

すべてがすべて正しい情報だけを追う、裏を取るなんてことできるわけがないんだけど、だからこそ慎重になるし、コメントするときに「もしかしたら間違った情報を鵜呑みんしているかもしれない、というリスクを抱えている」と意識してコメントしたい。これからも。

っていうか鵜呑みんだって。鵜呑みん。間違えてるし。でも、ピクミンみたいでかわいいからこれで行こうと思う。偶然から生まれた新たなるものを否定せず愛していこう、それがアラフォーオッサンのスタンス。間違いを認めないともいう。

ちなみに。
「バカボンのパパは本名ではない」というのはこのnoteを書く時点で見つけてました。知らないまま書いたわけではなく、思考の方法として「バカボンのパパ」で考えてみたかったから、そのまま書いてみた。

さささ、「この人、バカボンパパは本名じゃないってことすら調べないで書いてるの?」ってムカムカしながらここまで読んでくれた人。

すんません。

ぜひ、バカボンパパのネーミングから思考法を考えている、という目線で読み直してもらえると!

すまん!わがままだった!

でもわがまま言わせて!

これで、いいのだ!

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