乱読乱文、あるいは積ん読要塞攻略記ー2
本日の乱読ラインナップ
『ニュートン 2021年10月号』
『乱読のセレンディピティ』 著:外山滋比古 扶桑社
『原稿用紙10枚を書く力』 著:齋藤 孝 大和書房
『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』 著:倉下忠憲 星海社新書
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・脳の仕組みを解明する。
まず、私的なイメージとして。
脳とは人体におけるブラックボックスだと思っていた。
我々は脳を用いて思考する。
謎を見つけ、その形を捉え、やがて解明する。
しかし、活動している脳自体は常に謎である…と。
当たり前だがそんな訳はない。
科学は脳の機能を急速に明らかにしつつある。
鍵を握るのは人工知能(AI)だそうだ。
人の頭蓋骨を切り開いて、直接観察したり電極を差したりするのは倫理的にしてはいけない事である。
だが間接的に観測する事は可能だ。
人の脳は頭蓋骨の中に納められたおよそ1000億個の神経細胞のネットワークに過ぎない。
そこでやりとりされている電気と化学物質のシグナル。
遅滞なく流れる血液。
その動きを観測し観測し観測する。
集められた膨大なデータ。
それは人の手に余る。
巨大すぎるが故に読み解けない答え。
それを解析する『ブレイン・デコーディング』という技術。
AIは情報を集積し、分類し、判断して正解を人間に認識できる大きさに加工して出力する。
脳が捉えた世界を、人が作った技術で再構築しようとする試み。
そこに何が見えるか?
脳は一個の情報処理装置である。
五感は世界を捉え、データを脳に送る為のセンサーである。
我々は直接的に世界を認識しているわけではない。
五感に与えられた刺激を元に、脳が再構築したものを我々は世界と呼んでいる……そう考えた場合、この世界は夢か幻か?
我々が、私が『水槽の脳』ではないと誰が証明できるのか?
証明する手立ては『ある/ない』
ブレイン・デコーディング。
特定の画像を見た時に現れる、特徴的な脳の血流の動きを元にAIが画像を再構築する試み。
ただし、写真のように鮮明な画像として蘇らせるのは未だSFの世界だ。
加えて復元の為にはAIに膨大な量のパターンを情報として学ばせる必要がある。
脳から画像を取り出す技術が実用化されるまでには、クリアすべき課題が沢山ある…幸いな事に。
ここで少し脱線をしてみる。
もし、脳から画像を。鮮明な画像を取り出す技術が実用化された、と仮定して。
私の認識している世界と貴方の認識している世界は果たして同一と言えるのか。
世界とは…人間の認識できる世界とは脳が頭蓋の中に描き出した蜃気楼に過ぎないとして?
一羽のウサギの写った写真を見たとする。
その時の脳の動きをAIが解析し、克明にその画像を復元する。
しかし、そこに写ったのがウサギとは似ても似つかぬ化け物だったとしたら…
それはAIの失敗だろうか?
それとも、化け物は存在するのか?
存在するとしたら、それは『何処』にいるのか…Are We Cool Yet?
脱線終わり。
AIは学習する。
ディープラーニングという技術。
それは人の脳の学習機能をモデルにした方法だという。
二つのAIで互いを評価させ、判断の精度を高めていく方法もあると言う。
二つ。
精神と肉体。
本能と知性。
二つという数字は人人人、何だか人を想起する。
・問い:私と貴方、認識している世界がまるで違うとすれば文明はそもそも成り立たない。
世界を認識する際に用いる共通のコードがDNAには予めインストールされていると妄想する事はできるか?
・世界でもっとも長い間、広く世代を問わず読まれてきた本は何か?
答えは聖書…というのが模範解答。
模範解答という事になっている。
だからといって、世の善男善女悉くキリストの教えを理解しているとは思えない…少なくとも日本において。私において。
ともあれ、その聖書について笑えない事件が起きたのが1631年。
場所はロンドン。
原因は印刷ミス。
…そう、口にするのもおぞましい『姦淫聖書』の一件である。
モーゼの十戒の一つ、姦淫するなかれ、の一語が誤って印刷され、姦淫せよ、と書かれた悪徳の聖書。
当然、教会は即座に全てを焼却処分にしたが…三冊だけ浄化の炎を免れたといわれている。表向きは。
逆説。
人は禁じられるから見たくなる。
禁じられたモノは面白い。
万人受けするモノには毒が無い。刺激が無い。
万人が忌避するモノは恐ろしい、恐ろしいモノに人は誘惑される。
エデンの園で、アダムとイブは何故に禁じられた知恵の実を口にしたか?
逆説。
子に本を読ませたければ、読むなと命じる事である。
読ませたくない本を隠してしまう事である。
そして大人だけがこっそりと、読んで楽しむ事である。
安全で健全、消毒液の臭いのするモノはつまらない。
腹が減るから食欲は湧くのである。
・書く事。
量を書く事。
書くトレーニングとして、映画について書くことは良い。
丁寧に作られたモノは、どこを取り上げても一文書くに値する。
あるいは、書くまでも無いと思った事を理由を添えて書く。
いずれにせよ練習である。
文章は流れである。
そこには論理が流れている。
長い文章を書くためには、論理が滞りなく流れている必要がある。
流れを整えるものは構成である。
構成をないがしろにすればどこかで文が破綻する。
書き始める際、どこから手を付ければ良いか?
どこに最も多く労力を割くか。
書くために読む。
書き手の意図を想像しながら読む。
書き手はプロである…プロの文章を読むべきである。
プロの文章には意図がある。
構成には意味がある。
論理の流れを想像する。
・ノートの役割。
記録、保存、伝達。
情報の共有する事は集団としての同一性を確保する。
情報を保存する事は個体としての連続性を確保する。
ノートを情報媒体として定義するなら、肉体もまたノートである。
DNAは記録である。
そこに刻まれた情報は種の同一性・連続性を保証する。
DNAはノートである。
そこに情報を保存させる事はできるか? 可能である。
あらゆる情報は情報である限り、それが記述可能なモノである限り、ノートに保存する事ができる。
塩基配列を利用して情報を保存する研究があると聞き及ぶ。
・ノートは書き換える事ができる。
DNAは改竄できる。
遺伝子組み換え。
ゲノム編集。
品種改良。
あるいはデザイナーズベイビー。
人は幾つかの生命を自分達にとって都合の良いように変化させてきた。
それを進化と呼ぶかどうかは立ち位置による。
その技術を人に応用する事は可能だ。
技術そのものに善悪は存在しない。
歯止めとなるのは倫理である。
正義である。
しかし、絶対不変の倫理など存在するか?
時代や場所によって正義は中身を換えはしないか?
・妄想する。
AIとは何か。
ノートに記述された膨大な量の情報、情報を参照し判断し出力するペン。
人間とは何か。
身体に刻まれた情報、情報を生み出す情報、情報を集め分類し参照し判断し出力し進歩する者。
考える葦。
自律的に記述するペン。
人は生まれて、生まれる前から、人という種に刻まれた本能というコードに従って行動し、学習し、成長し、言葉という概念をインストールしてからはより多くの情報にアクセスして学習して行動する。
AIは人の学習プロセスを模倣して進化したとするならば。
人とAIの違いは何処にあるのか。
得た情報をフィルタに掛けて評価して点数を付け、その軽重に基づき判断材料とする。
その点数の付け方に偏りがある。
あるいはそれを個性と呼ぶ。
刻んだ情報の量と質。
軽重を判断する基準。
ベースとなる基本プログラム。
人とAIの違い。
情報に更に付加価値を付けるという行為。
ある数字の羅列はランダムに増加していく数字群に過ぎないけれど。
あるいは我が子の健やかな成長を示す記録かもしれず。
数字はただの数字である。
そこに意味を見いだす事は人間的であるか?
加えて、仮定する。
人とAIの違い。
AIは合理的に正解を導き出す。
人は『正しい不正解』を見つけ出せる。
・問い:AIはビーフシチューを作れと命じられて肉ジャガを作るか?
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