日々雑記、あるいは文章練習として。6
・本を読み進められない。本の内容を上手くつかめない。
と、自分の読解力の無さにウンザリしていた頃。
言葉の意味や定義を明らかにする事が理解の鍵ではないか? と仮定した事がある。
例えば、教養。
あの人には教養がある、と表現された場合の『教養』とは具体的に何か? 辞書を引く。教え育てる事、学問・知識などによって養われた品位あるいは豊富な知識量そのもの、文化に対する幅広い見識…等とある。
漠然としたイメージは湧く。上品で博識、ウィットかユーモアのある人物…いわゆる教養人。
では、教養としての文学を学ぶ… とあった場合は?
ある分野を学ぶ上での基礎教養、と言われた場合の教養の指し示す範囲は?
それは常識や知識の下地としての意味合いを持たないか?
そもそも、書き手と受け手の間で同じ意味合いの『教養』が成立しているのか?
作家、中島らもは教養を定義して『独りで時間を潰せるスキル』と書いた。
教養とは何か?
言葉は同じ、表面的に見えるラベルは変わらず。
しかし中身が違う、違う可能性がある、時代によって人によって場所によって文化によって意味する内容や濃度が違う可能性がある。
その曖昧さを気にし始めて途方に暮れた時期がある…いつの間にか気にならなくなったけれど。
・ちなみに、今現時点で自分にとっての教養の意味するところは二つ。
フィルターと共通の話題。
空に浮かぶ雲を眺めて、ある人は雲の形から名前を思い浮かべるだろう。
ある人は雲にまつわる詩や小説の中の一文を思い出すだろう。
ある人は映画のワンシーンを連想するかもしれないし、音楽のワンフレーズが流れる場合があるかもしれない。
それはその人の知識や経験、趣味嗜好に基づくモノではあるけれど。
浮かぶイメージの種類の豊富さ深さが教養のレベルを表すものと考える。
また、その教養人はある人とシャーロック・ホームズについて熱く語り合い、ある人とはマーラーの音楽について議論し、ある人とはベラスケスの色彩について意見を交換し、ある人とはカール・ゴッチのジャーマン・スープレックスの表現する美しさについて感動を分かち合えるかもしれない。
…と、ここまで書いてきて思ったが。
知識。
知識への敬意と愛情、その活用。運用の仕方。
相手への礼節やユーモア。
好奇心。
そういった諸々をひっくるめての『教養』という概念?
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