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東北旅行記 初日前半

2024年3月9日から11日の3日間、東北太平洋側3県(福島・宮城・岩手)にいってきました。
この日程で何目的かわかる方もいるかとは思いますが、東日本大震災から13年がたったので、就職して旅行に行くお金もできたので行ってみようとなりました!

3月9日

早朝5時前に起き、事前準備しておいたバックを背負って家を出ました。(後々悲劇がありましたが💦)
5:54 最寄りのバス停から所沢駅へ🚌
6:01 所沢駅到着
土曜日の6時だったこともあり、人はまばらで静かでした。

午前6時の所沢駅の様子
西武鉄道001系「Laview(ラビュー)」

6:09 所沢駅から西武特急むさし62号(ラビュー)に乗って池袋へGO!
6:29 池袋駅到着。西武線改札を出て小走りで山手線ホームを目指します。池袋からは事前にとっておいた切符で入場。
(もともと青春18きっぷで入る予定でしたが、特急乗車券に「[区]東京都区内」の表記があったのでそれで入りました。山手線内であればどこでも乗れるそう。)

6:52 上野駅に到着。山手線ホームから8番線に移動します。
移動した先は「常磐線(特急)ホーム」!
そう、ここから特急ひたちに乗っていきました☆

8番線「常磐線 特急 7:00 いわき 10両」
8番線 常磐線「柏・土浦・水戸・いわき方面」

今回乗った「JR特急ひたち1号 いわき行き」ですが、奮発してグリーン車を取りました☆(今回かなり奮発しているため、こんなシーンが結構出てきます(笑)

今回乗った「JR特急ひたち1号」
グリーン車は車内ががなり豪華
グリーン車に乗車。リクライニングシート付き

7:00 上野駅発車
グリーン車のリクライニングシートを倒そうとしたものの、後ろにも人がいたため断念。
途中、車内販売で俗称「シンカンセンスゴイカタイアイス」と呼ばれるアイスクリーム「スジャータ スーパープレミアムアイスクリーム」を購入。
最初のうちはほんとにプラスチックスプーンが入らないほど固く、手で少し温め、溶かしながらスプーンが入るようになってやっと食べることができました(笑)

シンカンセンスゴイカタイアイス

アイスを食べ終わりしばらくすると、途中停車駅である「日立」駅に到着。
駅前に広がるHITACHIの工場群。さすが本拠地ですね!

HITACHIの文字が掲げられた建物。

そうこう言っているうちに、終点のいわき駅に到着しました。
さて、ここから常磐線普通列車の原ノ町駅行きに乗るはずだったのですが…
「現在、常磐線の原ノ町方面に向かう列車につきまして、強風の影響により運転を見合わせています。運転再開の見込みは立っていません。」

えぇ…💦
ひとまず、階段を上り駅窓口にて特急券と乗車券に無効印を押してもらい、青春18きっぷに切り替えるためハンコをもらいに行き、再度ホームに戻ったのですが…
「現在3番線に泊まっている原ノ町駅行きですが、強風のため運転打ち切りとさせていただきます。」
ガーーーーン…

初めての一人旅、入念に分単位で計画を練っていたため、突然の打ち切りに唖然。
ひとまず18きっぷのハンコを取り消してもらい、改札外に出ました。

いわき駅の改札を出る
いわき駅

どうしたものか…
ひとまず、栄えてそうな南口の階段を下りました。
駅前には大きな複合施設があったり、駅にホテルがくっついていたりとかなり発展しているなという印象を受けました。

下にロータリーがあり、ひとまずバス停で双葉駅方面に行くバスを調べるものの…数分前にすでに出てしまっていました。
ならば仕方ない。
近くのコンビニで念のため2万円を下ろし、さらにスマホのPayPayに2万円分を投入。タクシーで目的地を目指すことにしました。

早速乗ったタクシー。
「どっからきたの?えっ、所沢から!遠くからよく来たねぇ」
「私の親戚も埼玉の川越や熊谷にいるんだよ」
「熊谷はやっぱり熱いよねぇ」
運転手さんが話をいろいろ振ってくれて、終始盛り上がりました。
そしてこの運転手さんから、あの時、そう3.11のことも聞くことができました。
福島第一原子力発電所事故後に浜通りはじめ福島県のほとんどの人が福島から避難するよう指示があって、埼玉の親戚の家に1・2か月ほどいたそうです。その後は帰ってくることができたものの、帰還困難区域によっていわきなどはほとんど入れなかったそうです。


いわき駅から海岸近くの国道に入ったとき、とある看板を目にします。
「津波浸水区間」。
実際に津波が押し寄せて家屋などが流されてしまったところと教えていただきました。


海側を見ると、海が見えないほど高い堤防。
少しすすむと、津波で流されて2人亡くなったという健康ランドが現在でも営業されていました。

しばらくすると、ラグビー場のあるJヴィレッジの横を通りました。
ここら辺は福島第一原発事故による帰還困難区域が解除されたところ。
富岡の駅前を超えると、道路わきの様子が一変します。


ところどころにバリケード。「この先、帰還困難区域のため立ち入り禁止」の看板。車は通っているものの、人影はほんとにありませんでした。

時間が止まったようなかっぱ寿司
オープンを迎えらせずに13年たったケーズデンキ


13年の年月を超えてなお当時のままの「かっぱ寿司」。
ネットなどで話題となった「震災後にオープン予定だったケーズデンキ」。
ほんとにそこだけ時が止まっているかのような状態でした。



さらに先を行くと、放射線をかぶって処理された「処理土」が積まれているところや、保管施設などがありました。



そこを抜けてたどり着いたのが「東日本大震災・原子力災害伝承館」です。
チケットを買って中に入ると、円形の常設展示室に導かれ、入口のシアターで5分間映像を見ました。語りは西田敏行さん。震災前まで生まれ育ってきた人の役を演じられています。
双葉のまちがどんな街だったのか、原子力政策が始まりどう変わっていったのか、そして原子力事故についての紹介でした。
原子力発電所ができて、そこで働く人が増え(雇用の場が生まれて)それによって町が発展してきたこと。事故前は恩恵を受けていたということを知ることができました。


映像が終わると、横のらせんスロープで上に行きます。
そこの壁には双葉町や福島第一原発の年表が大きな写真とともに描かれていて、事故後の動きなども分単位で記されていました。


スロープを上り終えると、様々なテーマに沿った展示が行われ、東日本大震災と津波、それに続く原発事故の事故前・震災当時・震災直後の状況を資料や証言、調査書の記録などをもとに展示されていました。
学校に置きっぱなしだったランドセル、おもちゃ、作文。原発の標語などもなども展示され「明るい未来のエネルギー」と書かれ可能性が込められた作品の数々を見て息が詰まりました。

その先の展示では、発生当時の役所のホワイトボードが展示してあったり、作業員の防護服や処理土を入れていた袋など様々な展示を見ることができました。


伝承館の周辺は現在復興祈念公園の整備が進められ、そのほかにもドローンの発着場や研究センターなどが作られて、少しずつまた新たな街づくりが始まっているように感じました。

伝承館から双葉駅までバスに乗ってむかいました。
あと数分で出発時刻になり、バス停を探しているうちに刻々と時間が近づいてきてしまい、大慌てでバス停へ…

目の前で出発されてしまいました💦
ただ、途中でバスが止まってくれて何とか乗ることができました。
…予定より早いバスに乗ってしまったんですw


双葉駅に到着し周辺を散策。
ほとんどの家が解体されている中、残った建物には笑顔の人の絵が描かれており、アート空間になっていました。
まだ当時のまま解体されていない建物ももちろんありました。
工事の関係者以外の住民の姿は見かけず…


JR双葉駅は2020年に常磐線とともに営業を再開。
もともと使われていた駅は交流センターのようなものになっていて、双葉のまちについての資料が置いてありました。
すぐ隣に新しい大きな駅舎が作られています。とてもスタイリッシュでしたが、無人駅のため人もあまりいませんでした。
改札に入って次の電車を確認…

1時間以上も先💦
強風の影響により、運転は再開されたものの1時間以上のダイヤ乱れが発生していました。
18きっぷで入場したので、むやみやたらに改札外に出ることもできず、橋上とホームを行ったり来たりしながら時間をつぶしましたw

つづく。

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