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あの写真について

昨日(2022.10.17)お昼過ぎにホビがインスタを更新した。
喜んで見に行った。
何枚かあるうちの後半に衝撃的な1枚がまぎれこんでいるとも知らずに。


・・・なんてツイートをしようと思っていたのに
あの発表があったもんだから。
(我慢できずおふざけツイは何個かしてる)
(この件についてはまた改めて)

……。ひどいw



インスタに話を戻す。
あの発表があるほんの少し前にあの写真を載せた意図は…?
何も考えていないわけがないのだ。
我が推し(j-hope)はそういう人だ。


...…そういえば過去にも似たような投稿があった。
昨年の大晦日(2021.12.31)
こちらも数枚の中に衝撃の1枚を紛れ込ませるというお馴染みの手法(?)が使われている。
長いコメントが添えられているのだが、
その内容は(当時の)これからの事、つまり今現在のなかなかのスポであった。


What kind of a year was 2021 for me?
A year of trying lots of new and different things.
A year of reflecting on the person Jung Ho-seok and his life.
Maybe a year like the brilliant flames of a finale for both j-hope and BTS.

The definitions if I look for them are innumerable.
For the first time I’m spending the end of the year as my own self, with a chance to look back on 2021 and contemplate its meaning.
“This is what it really means to have time just for me,” that’s how I feel now.

It was a year of boundless love, expectations and encouragement for which I’m thankful and thankful again, and I ready myself so that in 2022 I can give back what I’ve received.

The midpoint between a great end and another beginning.
I feel only one thing now!! I still feel excitement.

Barring something unforeseen, I think I’ll continue doing music and performance that I love.
I think that’s how I take a step towards happiness for myself!!
It was so hard but I had fun and I was happy.
Adieu~ 2021. 😝

https://www.instagram.com/p/CYI1KhMJqK4/?utm_source=ig_web_copy_link

2021年は私にとってどんな年でしたか?

本当に色々な試みをしようとした年。
人間のチョン・ホソクという人生自体を見直すことができた年。
たぶんジェイホープにもBTSにもフィナーレの花火のように華麗だった年。

定義をしてみると数え切れないほど多い。
初めて年末年始をありのままの僕として送りながら、
2021年を再び振り返って整理することができる時間をきちんと持ったような気がする。
「本当に自分のための時間がまさにこういうことなんだな…」が感じられる今だ。

多くの愛、多くの期待、多くの応援もあまりにも多く受けて感謝し、また感謝し、それに対する恩返しを2022年にできるようにまた私を準備もさせてみる。

大きな仕上げともう一つの始まりの中間点。
今感情はたった一つ!まだときめく。

大きな異変がない限り、私が好きな音楽そしてパフォーマンスを続けるだろう。
それがまた私のための幸せに近づく一歩ではないかと思う!
とても大変でしたが、それでも楽しくて幸せでした。
さようなら~2021年


中でも特にこの2つはまさに今の気持ちではないだろうか。

The midpoint between a great end and another beginning.
大きな仕上げともう一つの始まりの中間点。

Barring something unforeseen, I think I’ll continue doing music and performance that I love.
大きな異変がない限り、私が好きな音楽そしてパフォーマンスを続けるだろう。



これをうけてこんなことを考えていた。


過去の経験からの直感というか、ただの当てずっぽうなのだが。
まあまあ、このとおりになっている。

それでだ。
この時のインスタの写真(祝・鎖骨と肩披露)はなんだったのかと
それこそことあるごとに考えてきた。
ロラパルーザの「What if…」でバックモニターに映るホビらしき男性の写真のスポ?とか、Proof全体のスポ?とか。鎖骨の意味まで調べる始末だった。

結果、何が正解なのかはわからなかった。
もしかしたら意味などなく単に載せただけなのかもしれない。

しかし。今回2度目の鎖骨と肩披露が行われた。
しかもニット帽をかぶっているではないか。



またしても、ひどいw


そういえば
昨夜、友人とのやり取りで気づいたのだが

「帽子をかぶったままではかぶりものの服は脱げない」
のだ。つまり、

「服を脱いでから、帽子をかぶった」ことになるのだ。

いったい彼は、何をしているんだ。

(この行数の使い方とそこに言及したのはほんの箸休めなので深追いはご遠慮願いたい。)


結論から言うと

2021年12月31日 の肩&鎖骨 も
2022年10月17日 の肩&鎖骨 も
重要なことを伝える際の、彼なりの気遣いなのでは…?

言葉だけを聞いたら不安になるし、
キラキラ写真と言葉では回想みたいでしんみりしちゃうし。

そこで、満を持して(MANG を持して)
あの写真を混ぜることにより、
我々の意識を少しばかり朦朧(もうろう)とさせて痛みを和らげる方法なのではないか。


どうだろう。(異論は認めるし何なら聞きたい)






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