朝影
カランカラン。
来店を告げる鐘の音。
日曜の午後にはボサノバが流れる店内に響き渡る。
食器が触れ合う音といつもの香り。
温かい湯気が乾いたそよ風を湿らせる。
緑溢れるテラス席へ通じる白い扉から、朝いっぱいの日差しが、屋内の大きなテーブル席を照らしている。
居るだけで心地よい店内をぼっーと眺める。
今日はカウンターのあの子がいないな。
だから、ボサノバが聞こえないのか。
まだ夢とこの世界の境界線を彷徨っていた時、突然、脳内に聞いたこともないない衝撃音が鳴り響いた。
大テ―ブル席に座り、いつものように仲間と朝食を楽しんでいた大柄の男がバタリと倒れた。
焦げた匂いと見えない煙が充満する。
いつか美術館で鑑賞した戦慄の瞬間のように、全ての時が止まった。
息をせず、思考停止して、ただ皆がそこにいた。
あの匂いが明らかにトーストの焦げた匂いではないことに気が付いた頃、人々の叫び声が飛び交った。
皆が必死に持っている限りの力と知恵を出し合う。
震える手が、ざわついたカバンの中にある携帯電話を捜索する。
助けを求める内なる声が余計に手を振動させ、いつもの短縮ボタンを押してしまう。
大切な人の声で、自分がまだ生きていることを思い出す。
店名と場所を伝えるだけで、足が竦んだ。
真っ白になった瞬間、黒い闇が私の右手を掴んだ。
運動会の綱引きのように、手繰り寄せられる力に負けそうになる。
必死に抗い、最後の力を振り絞って振り払う。
急いで店を飛び出し、とにかく走った。
走っても走っても、何かに、誰かに、狙われている気がする。
いつもの道を通って家路に向かっていたはずなのに、気が付いたら再びあの店に辿り着いていた。
カランカラン。
吸い寄せられるように扉を開ける。
何事もなかったかのような、穏やかな店内。
いつもの音といつもの香りといつもの光り。
そして、またしばらくすると、あの銃声音が鳴り響いた。
今度は誰も倒れる者はいなかった。
そこには油絵もなく、恐怖に慄く者もいなかった。
ただ、朝日を浴びる大テーブル席の大きな影が浮かんでいた。
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