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遠足

「来週、お父さんの遊園地に行くよ」

出勤の支度で着替えている後ろから、息子の英介にそう声を掛けられ、英二は思わず「え?」と答えた。
と、同時にお父さんの遊園地とは、レジャー施設を経営する富豪みたいだなと思った。
「どういうこと?」と小学二年生の息子に問うと、なんで理解できないかなーという表情を浮かべながら、「だから、学校の遠足でお父さんの働いている遊園地に行くの!」と口を尖らせながら答えが返ってきた。

英二は自宅から車で1時間ほどの、よく言えば味のある、古びた遊園地に務めている。自宅は都心から電車で1時間ほどのベッドタウンにあるが、勤務する遊園地はそこから更に車で1時間、都心とは逆方向に行き、さらに県境をまたぐ。遊園地のある県の中心部からも車で1時間ほどという微妙な立地だ。そこで英二は主に園内整備の仕事をしている。

英二の働く遊園地に小学生の団体が遠足で来ることはよくある。しかし、県をまたぐため、自宅付近の小学校から来ることは今まで無かった。自宅のあるベッドタウンから都心方向へバスで30分ほどの場所に、Tパークというアミューズメント施設があり、自宅付近の小学校は遠足はそこに行くことが多いと妻の美咲が言っていた。

朝食のトーストを齧りつつ、妻に「英介が、うちの遊園地に来るって言ってたけど?」と問うと、美咲がキッチンで洗いものをしたまま、「そうなのよー、毎年Tパークだったんだけど、今改装しているらしくて、今年はあなたの遊園地らしいわよ」と答えが返ってきた。英介は「ごちそうさま!」と言いうと、ダッシュで玄関へ向かっていった。美咲がその後を追って、見送りに行く。

英二の勤務する遊園地には早番と遅番があり、今日は遅番なので朝に余裕がある。しかし、その場合は夜の帰宅が当然遅くなる。帰宅に車で1時間かかるので、遅番の日の夜には起きている息子には会えないし、逆に早番の日の朝は同じく会えない。

食後のコーヒーを啜っていると、妻が玄関から戻ってきて、
「英介が行くって言ってたの?」と聞いてきた。
「あぁ」と頷くと、
「あの子、お父さんの遊園地に行くの楽しみにしてるみたいよ?」と美咲が続けた。
「へー」と英二は意外そうな声で応えた。
普段は、母親にべったりの一人息子は、父親のことは嫌いではなさそうだが、それほどの興味も無さそうな風情だったからだ。
でも人並みに自分がどんな仕事をしているのかは息子に話していた。

「友達にも言っているのかな?お父さんが働いている遊園地だって」
逆に英二が美咲に問う。
「たぶん言ってないんじゃないかな。。。ほら、この辺りはエリートなお父さんが多いじゃない?」と意地悪そうな、それでいて悪意はない顔で美咲が答えてきた。

英二たちの住むベッドタウンは、国際空港と航空宇宙工学の国立研究所が近くにある。必然的に、パイロットや航空会社勤務の会社員、博士号を持った研究者とその家族が多く住んでいる。英介の学校でも、友達の半分以上はそういった所謂一般的な労働者よりも収入が高そうな家庭の子が多いらしい。

「失敬な!ぼかぁね、こう見えて体育大学を優秀な成績で卒業してて!」と英二がふざけて答えると、美咲は「はいはい」と言いながら、キッチンで洗い物の続きに取り掛かっていた。

英二が体育大学を卒業しているのは本当だ。体操部に所属して、卒業するまで選手としてやっていたが、社会人選手としてやっていけるほどの実力はなく、結局、スポーツクラブを運営する会社に入社して、インストラクターとして勤めていた。しかし、丁度このベッドタウンに一軒家を購入したすぐ後に、会社が傾いて、英二は職を失った。その時英介は1歳。どうしようかと思っていた時に、たまたま見つけた今の遊園地に職が決まった。とりあえず体が丈夫そうに思われたことと、体操部という経歴が目に泊まったらしい。

英二の仕事は園内整備が主な業務で、遊具の整備や園内の清掃が主な仕事だ。簡単な遊具の整備であれば自分たちで行う。機械関連は業者に頼むこともあるが、そんなに流行っていない遊園地では予算にも限りがあり、できることは自分たちで行う。
ただ、英二にはもう一つ仕事があった。
それが、スーツアクターとしての仕事だ。ちょうど英二が入社する頃に、社長が売上向上のためにヒーローショーをやりたいということで、メンバーを集めて始めた。英二が採用されたのも、元体操部ということで、バク転ができるからというところが大きかったらしい。
社長は本当は人気のキャラクターのショーをやりたかったらしいが、人気のキャラは使用料などで莫大な費用が掛かるらしく、断念したとのことだ。
英二の他にもう1名、こちらも元体操部の女性を採用していた。本当は男性をもう1名と考えていたようだが、希望者がおらず、女性を採用したと聞いている。昨今のジェンダーフリーの考え方に配慮してかどうかは分からないが、配役としては女性がヒーロー、英二が悪役を演じて、その他のキャラは既存の社員で賄うというお手製感の満載のヒーローショーである。

スーツアクターは動きの派手さが必要とされる。特に悪役は派手にやられてあげなければならない。どちらかというとバク転よりも横方向にクルクル回転しながら倒れて受け身を取る、といった動きが求められる。
初めのうちは上手くできなかったが、ネット動画を見たりして研究しているうちにできるようになった。
元体操部二人が派手目なアクションを行うので、ショーはそれなりの人気を博している。女性がヒーローというのも話題の一つに挙がる。お手製感はあるものの、それも一部の遊園地マニアにはウケているらしい。

その日の夜に、帰宅して晩御飯を食べていると、美咲が話しかけてきて「あの子、やっぱりお父さんが働いている遊園地ってことを友達には言ってないみたい」と伝えられた。
小学2年生と言えども、親の職業というのは多少は気になるところなのかもしれない。ましてや、同級生がパイロットの子とかだとすると、遊園地の整備業務とは言いづらい可能性は否定できない。

翌日は仕事が休みだったので、昼過ぎまで寝ていた。
起きてリビングに行くと、妻はパートに息子は学校にということで、誰も居なかった。
適当に冷蔵庫を漁って軽めの食事を取ったのち、運動靴を履いて庭に出る。
我が家の庭は家から壁までは普通の広さだが、横方向に広めである。軽く準備運動をしたのち、腕立てやスクワットを行う。スーツアクターとしての仕事もあるので、トレーニングは継続してやっている。一通りのルーティーンをこなした後、庭の端から3回連続でバク転をする。ヒーローがよくやる動きで、悪役の英二はショーではほとんどやらないが、ルーティーンに組み込まれているのでやらないと気持ち悪い。3連続バク転をした後、腰を落とし、左こぶしを前に、右ひじを後ろに引いてポーズを決めた。

「だから、そのポーズ何?」
気付くと、英介が学校から帰ってきていて、縁側から話しかけてきた。
「んー、決めポーズ?」
「ダサっ」
英介は無表情にそう呟くと、家の中に戻っていった。
「ちゃんと手を洗えよー」と英介の背中に声をかける。

ポーズは、いつの間にかつけるようになっていた。体操部だったころには当然そんなポーズはしない。スーツアクターをやるようになってから、なんとなくバク転の後はそのポーズをするようになっていた。
英介は自分のトレーニングをよく見ているので、英二がバク転の最後にこのポーズを決めるのは知っているが、決まって「ダサい」と言われる。

一通りトレーニングを終えて、シャワーを浴びてリビングに行くと、英介はテレビゲームをしていた。
「遠足はいつなんだ?」英二が問いかけると、画面から目は離さないまま英介が「んー、来週の金曜日―」と答えた。続けて「お父さんに会える?」と聞いてきた。
「お父さんは裏方の仕事だからなぁ。たぶん英介には会えそうにないな」と答えた。「そっか」顔が見えないので、分からないが少しだけつまらなそうな雰囲気は感じ取れた気がする。

妻の美咲は、英二がスーツアクターもしていることは知っているが、英介は知らない。一応、社長から悪役の中が人だと思われないようにしてほしいと言われているのもそうだが、そもそも父親が悪役をやっているというのも、小学2年生の息子にはあまり良いものではないだろうと思い、伝えていない。妻は伝えれば?と言っているが、英二は何となく気乗りせず伝えていない。

翌週の金曜日は、前日まで雨だったが、快晴となった。ヒーローショーは屋外でやるので、雨天だと中止である。
英介は一度学校に行ってから、バスで遊園地に行くらしく、ランドセルでは無くリュックに弁当と水筒を入れて出かけて行った。英二も少し遅れて家を出る。

ヒーローショーは15:00~なので、それまでは通常業務をこなすことになる。その日は書類仕事が溜まっていたので、それをこなしていた。
英介はもう来ているだろう。顔を見せることはできるのだが、なんとなく一人だけ親が現れるのも気まずいかと思い、顔は出さないことにした。

14:00になるとヒーローショーの準備のために控室に移動した。
準備運動をしてから、悪役のスーツに着替える。スーツは動きやすいように黒に紫の配色が施された全身タイツのようなものをベースに作られている。全身タイツを着た後で、肩当やブーツ、仮面をかぶって悪役の完成である。全身タイツがベースなので、わりと人型ではある。

舞台袖から、観覧席を見ると、60人ほどの小学生が見えた。視線を移動させていくと、後方に英介の姿を見てとれた。

ショー自体はいつも通りの流れで、悪役は派手に倒され、ショーはつつがなく終了した。小学2年生くらいだと、まだお手製ヒーローショーに喜んでくれる。もう少し大きかったら白けた空気になってしまうかもしれない。

ショーを観覧した後は、小学生たちは帰路につく。
社長の発案で、ヒーローショーの出演者たちは、小学生の団体を見送ることになっている。遊園地の出口で出演者たちが並ぶ。悪役は、倒されたことになっているので、ゴザの上に正座させられている。なんとも情けない姿だが、悪役なので仕方ない。
悪役は出口から一番遠いところに、他のヒーローたちとは離れて座っている。出口に一番近いところがヒーローだ。
小学生たちが来ると、皆、手を振ってくれたりする。残念ながら悪役には蹴りを入れていく子もいたりする。
英介は最後に歩いてきていた。他の子が、進んでいく中、英介だけが自分の前で止まった。蹴りでも入れる気か?と思っていると、英介は真っ直ぐにこちらを見つめると、口だけ動かして何かを言った。唇を見てみるともう一度声に出さずに『お・と・う・さ・ん?』と言っていた。

一瞬の間が空く。
悪役は立ち上がると、そのままバク転をして腰を落とし、左こぶしを前に右ひじを引くポーズを決めた。
おそるおそる顔を上げて英介を見てみると、
「ダサっ」と呟いていた。
満面の笑顔で。





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