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「すばらしき世界」のような隣人に到底なりきれない未熟さを抱えたまま

見終わったあと、苦しさが残る映画だった。

西川美和監督の「すばらしき世界」。
主人公・三上の持つ、まっすぐで純粋な目線と、暴力的衝動以外に解決する術を知らない人物像とのアンバランスさが常に痛々しく、胸に響いた。

長い刑務所暮らしを終えた三上にとって、カタギの世界は生きづらい。それでも前向きに、生きようとする。時に腹を立て、時に激しい言葉を吐き、時に暴力を振るいながら。

普段は屈託のない笑顔を見せつつも、スイッチが入ると怒りや不満をぶちまける三上。
そんな彼を取り巻く人々が発したある言葉と態度に私の心はロックされ、そして自己嫌悪を覚えた。

自動車免許証の失効を告げられるシーン。窓口で声を荒げた三上に対応した女性警官は「大声を出すんですか」と抑えた声でたしなめ、三上は我にかえる。

心が通い始めたスーパーの店長の前で三上が自暴自棄になって叫ぶシーン。「今日の三上さんは虫のいどころが悪いのかなー」と店長は仕方ない風に弱く笑い、三上を責めない。

こんな対応、わたしには絶対にできない。断言できる。だから自己嫌悪。

自分に向けられた怒りや悪意を受け止めるどころか、そこに油を注いで倍返しするくらいの臨戦態勢になる自分が目に浮かぶ。
それこそ、三上のように。

「受け入れる」
「思いやる」
「寄り添う」
「信じる」
「待つ」

彼らにあって、きっとわたしに足りないもの。

そして三上は最初に「我慢する」を覚える。

ものがたりの後半、ようやく働き出した職場で、同僚へのいじめに遭遇した三上は、湧き上がる怒りをぐっと堪えてその場を立ち去り、さらにいじめに同調することを選ぶ。

この世界で難なく生きるための葛藤と選択。

感情に任せた暴力や争いでものごとを裁いてきた三上の生き方が正しいわけではない。けれども、この世界はこんなにも自分を殺さなくては生きていけないのかと、そこまでして生きなくてはならない世界なのかと、悲しくなった。


三上のような人間を受け入れる人々がいる、すばらしき世界。
自らを殺すことで手に入れることができる、すばらしき世界。

わたしは、わたしが生きる世界を「すばらしき世界」と呼べるだろうか。

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