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大喜利ファミリーカップの話⑤

前回

今回は6月にあった大喜利ファミリーカップ前までの大喜利の話をします

大喜利ファミリーカップは6月11日。それまでの間に参加できる大喜利の数はあまりにも少ない上に、5月27日の大喜利ゴールドジムからだいぶ空くことにもなっていた。なぜ1週目にもう少し大喜利の予定を詰めなかったのだろうか? そして6月8日から大喜利ファミリーカップを含めて4日連続大喜利。調整するにしてもバランスが狂っている

6月8日 大喜利テトラボトライアウト19
大喜利テトラボ52 大喜利体験!アンビリガゾー
テトラボトライアウトの方は全くと言っていいほどふるわなかったし、テトラボの方もたくさんホームランを打てたという感じではなく、かなり偏った成果で「あのお題で出せた一撃を安定して出せれば……」と悔やむばかりだった

ただ、何かは掴みかけた(これについては完全に掴むようになったのは大喜利ファミリーカップのだいぶ後になりました)
帰りにハゲイナズマさんから「特効さんは二丁拳銃持ちである」の話を改めて具体的に聞けたことで、戦い方を一つ閃いた


6月9日 第2回オオギリbar櫻宮(Inエデン難波)
自分には酒が飲めないという負い目が若干あったが、「お酒が飲めないならデンジャラさんにあげればいい」という啓示のように授かった考えを頭に入れて突撃した。結果だけ言うと、お酒については他の人に先手を取られまくったので結局は何もできなかった。酒が飲めない人間はあげるのも下手だった
大喜利についてはバーで緩い雰囲気でやる大喜利も、ちょっと狭いところで詰めてやる大喜利大会も楽しかった。しかし手ごたえはまるでなかった
あと、刀を持っている人の写真を撮りまくった。刀はロマン
帰りにはベンチウォーマーさんからたくさん大喜利の話を聞いた。自分には持ちようのない情念、考え方、温度感に少しだけ触れて「多分自分は今後大喜利関連で何があっても燃え尽きることだけはなくなりそうだな」と思えた。正直、大喜利ファミリーカップの後の自分がどうなるかなんて見えていなかった。その後も大喜利は続くし、大会もあるはずだけど、あれ以上に何かに向けて走れる自信はずっとなかった……が、完全に止まることはなさそうだという安心は得られた


6月10日 オーギリ二郎 1号店

斬新なルールで、かなりシビアな大会。結果はお残しを重ねてマイナスでフィニッシュという、大喜利ファミリーカップ前でこのザマはあまりにも辛すぎた。蒼井流華さんの凄まじい攻め、仲人さんだーさんがチョイスに後悔する場面等、見どころは多かった
スガキヤたべたい
ただ、ここでいくつか青魔法(※他人の思考法や答えを利用すること)をラーニングした。何の成果も得られないまま負け帰るのは嫌だという意地があったからできたのかもしれない

帰りの電車で大喜利の人達とまた話した。翌日戦うことになる(かもしれない)人達には見え透いた脅かしをかけておいた。こけおどしは自分の得意分野だ。「特効さんならやりかねない・起こしかねない」というのが少しでもあれば足止めになるかもしれないでしょ

大喜利ファミリーカップの予選のブロック分けが公開された

Bブロックなのでまだ様子見はできるが、芸人の集まりであるこやけんたファミリー、東京からの刺客であるきりまるファミリー、どちらも強敵ではある
「大喜利で事前に出来ることはもう何もない」
「あとはもうゲン担ぎぐらいしかできない」

しかし怯えるようなことはなくて、不思議と落ち着いた気持ちでいた。思い立ってゲン担ぎにノーレート麻雀を打ちに行った。一位を取れたこともあって「運は悪くないみたいだ」「負け戦ではなさそうだな」となんとなく思えてきた
その後は難波で食べたいものも食べて家に帰った

明日の昼にファミリーで何を食べるかは事前に相談してもう決めていた。結局夏用の勝負服は決められなかったので、冬の勝負服を着ていくことも決めた。外だと暑いけど中は涼しいから大丈夫しょ

人間、本当にできることが何もなくなると無になるようだ。一人で出る大会とはまた違う、時が来るのを待つ感じを覚えながら就寝した

続く

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