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大喜利ファミリーカップの話②

前回

今回は4月頃の大喜利の話をします

特効さんに春が訪れつつあった

4月には歴史ある【大喜利未来杯】と、ゴハさんに招待していただいた【「N」series.01 "オルタナ"】という二つの大喜利大会がある。いよいよ復活しないと情けない姿をさらし続けることになるという強い危機感があった

4月2日 ヒガシノカを送り出そう!!
広島へと飛び立つ一人の大喜利回答者を大喜利で送り出すためだけに東淀川区民会館に駆け付けた
自己紹介の時に【スピード大喜利】(簡単に言うと、思いつく限り爆速で答える)のことを喋った結果、あかむつさんに「入ってこない!」と一蹴された。そりゃそうである、私が勝手に作った概念なのだから。結果は「スピード大喜利の力を見せて、無事にヒガシノカさんを送り出せた」だったので良かったと思う
あの後もヒガシノカさんはちょくちょく関西に来てくれていた。大喜利やっていれば会えるもんだとは思っていたけど、思ったよりも会えていた

4月8日 大喜利未来杯
1周目は全く振るわなかったが、どういうわけか2周目で得票1位を取ってしまった。BCTの時もそうだが追いつめられているとわかっているとちょっとは悪あがきをするらしい
大喜利未来杯で印象に残っていることは二つある。一つは余馬さんにある答えを褒めてもらって「どうお題から発想を飛ばしているんですか?」と聞かれた時に「そこまで考えていない」と返してしまったこと。本当に「たまたま降って来た」以外に説明できなかったので、がっかりさせてしまったと思う
もう一つは大喜利未来杯の後の打ち上げで、メガジョッキを持った安達些細さんに「特効さん、もったいないよ! スピードという枠に囚われて大事なものまで削ぎ落としているよ!」と言われたこと。そこまで自分の大喜利を見てくれていて、今の有様を勿体ないと言ってくれたことに驚いた

そういうこともあって「自分の大喜利って何なのか」が揺らぎつつあった。「ヒガシノカを送り出そう!!」でスピード大喜利について喋っていた自分はどこへ行ったのだろうか。スピード大喜利をやりたいのは間違いない、しかし今のままではスピード大喜利すらやり続けることもできなくなると薄々は思っていた

復活は確実にしだしていた。春が近くて暖かくなってきたからなのか、打ち上げに混ざって人と話すようになったからなのか……それで結果を出せたかと言われると元々の成績がアレなので微妙なところだが、天下一で燃え尽きて重苦しくなっていた気持ちはだいぶ消えていた。一時期ロストしかかっていたなぞかけのスキルもいつの間にか戻ってきていた

大喜利未来杯の帰りに将棋紳士さんと延々とうまいことを言い合っていたあたりで「あ、取り戻せた」と思えた。ただ、この時は最終的には仲良く貯蓄アンドザシティさんの一本に打ち取られて終わった


特効さんは普通の大喜利を目指し始めた

4月22日
大喜利ダックアウト、オオギリスパーク1
ダックアウトの方では自家製パイの実等のおいしいお菓子を食べながら楽しく大喜利ができた。カラオケボックスでの大喜利は初めて(キッドアイラックでは見たことがある)だったけど、できるものなんだと思った
オオギリスパーク1では2勝してベスト4入りという私にしてはずいぶんといい成績で終わった。当時の自分の実力で出来ること(大喜利しかり、作戦しかり)はやりきっていたと思うので、色々と思い出深い会だった
オオギリスパークの帰り道に同じ方向の方達と大喜利の話をしていた。人と大喜利の話ができる程度には調子が戻っていたらしい
そこで橋本インフィニティ直也さんに「特効さんは普通の大喜利をやったほうがいい。今は変わった大喜利を背負いすぎている。「普通の大喜利もできるんだ」という評価になったほうがいい」と言われた。かなり踏み込んだアドバイスで、【自分の大喜利】が揺らいでいた私には強く印象に残った
普通の大喜利とは何なのかについて具体的に言われたわけではないが、今まで沢山の方から貰っておいて守れずに踏み倒してきたアドバイスの数々が【普通の大喜利】の一言に一気に集約されたような気がした

「Nが終わったら自分の大喜利としばらくお別れして、普通の大喜利を目指そう」
大喜利ファミリーカップに向けて必要なことでもあるので、ようやく決断できた

4月23日 「N」series.01 "オルタナ"
「招待していただいた」ということで、普段の大喜利会にはないプレッシャー、相応の責任は感じていたと思う。与えられる大喜利のチャンスは(最低)3度。どう生かすかはこの日までずっと考えていて、ある程度は決めていた
1度目は【スピード】を選んだ。そもそも「スピード大喜利を貫く」と決めたきっかけが【N ワンデーサーキット】だったので、この選択は必然だった。結果はベストアンサー票を総取りして逆転1位を取るという、当時と似たような展開となった。ちなみに28回答しており、Nのスコアシートは30回答分しかないのでギリギリだった

2度目も【スピード】を選んだ。ここでは「自分はいくつまで答えられるのか」を意識していた。勝つつもりではいたが、本来の大喜利でやるべき「何を答えるか」とはやや外れた戦い方をしていたのは確かだった
2問目終了時点で30回答が間近になっていたので「ゴハさん、私はあと何答ですか?」という普通に考えれば意味不明な質問をした。「何とかするので大丈夫です!」と返ってきた(31答目以降は0点の部分を埋めていったらしい)。結果は大きなウケを叩き出せなかったため、最下位に沈んだ

3度目は私の親番で、時間配分(4分3題or6分2題or12分1題)を選べる立場である。まず「12分1題」を選んだ。対戦相手のカタンさんとライトオンキューさん的にはやりたくない時間配分だったと思う
スタイルの選択で【パワー】を宣言した時、見ている側がだいぶざわついた。ホワイトボードに「パワー」と書いてアピールしたらゴハさんに「特効さん、残り4答です」と言われて焦った記憶もある
何故この選択をしたかというと【N ワンデーサーキット】の時にスピードを選ばず、パワーでなぞかけで全部やっていたらそれはそれでウケていたというパラレルワールドを実現できるのか挑んでみたかったからだ
結果は画像お題が出たのに切り替えられず、やりたかったことを押し通してしまい、カタンさんとライトオンキューさんが面白い答えを出していたため私は最下位に終わった。ワンデーサーキットの頃の自分だったらできていたのかもしれないが、大事なものまで削いでしまった今の私にはできなくなっていたようだ。題の大冒険さんがずっと言っていた「勝つつもりなら謎掛けはやめよう」「謎掛けで3点取るのはよくない」の通りになった
その後もprimeの方を観覧して、一日中大喜利を楽しんでいた

Nを区切りに【普通の大喜利】を目指し始めるが、今の今まで武器にしていた物が足枷になるという感覚を味わった。まず「考える」「取捨選択する」という基本的な力が自分にはない。「直感・閃き」というもたらされる物がノイズになってくる上に、長考に慣れていないから考え続けていても途中でかき消える。答えを思いついてもそれを投げるべきか、捨てるべきかの判別がつかない。大喜利をやるために最も大事なはずの力が私にはあまりにも足りていなかった……という絶望的な状況で4月の残りを駆け抜けた。参加させてもらった大喜利会(第3回 大喜利新勢力、オオギリスラッシュ等)自体は楽しかったけどね

続く

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