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勇気や誇りや夢を持ち続けられるように

子どもの頃、横浜フリューゲルスの試合を見に水前寺に行った。
今思えばあの場所はゴール裏の中心地だった。
優しいお兄さんが歌詞カードを渡してくれた。
「一緒に手拍子してね。」弟と夢中になってサッカーを見たのを今でもハッキリ覚えている。

益城にある熊日販売店に幟があがった。
熊本にJリーグチームを!県民運動推進本部
まさか。と思った。

長崎から原付に乗って水前寺に行った。
九州リーグの開幕戦だった。こんなクラブが本当にJリーグを目指せるのか?そう思ったのを覚えている。

社会人になって上京した。
なかなか地元の知り合いもいない中で、ロッソ熊本が関東で試合をやることを知った。
江戸川陸上競技場。佐川急便東京戦だ。
西葛西にあるメキシコ料理屋でこう言われた
「関東でサポーター団体立ち上げてよ!熊本県人集めてよ」

JFL1年目は苦しかった。理想のサポーター像なんてブレブレの若造だった。
選手ともケンカし、監督コーチともケンカし、何が正しいかなんてわかりもせずにただひたすらに応援してた。

Jリーグに参入した。
世界が変わった。どこに行ってもガラガラのアウェイ側。仲間ともぶつかった。少しずつ想いに共感してくれる人たちと少しずつ積み上げた。

最寄駅にあるスポーツバーが気になっていた。
でもここは川崎フロンターレ。ロアッソ熊本の試合を見せてもらえませんか?
快く受け入れてくれた。アズーリがなければ今の奥さんにも出会っていない。

クラブからリリースされた債務超過、存続の危機という一報はサポーターが変わるキッカケのひとつだった。
仲間と考えたのはペットボトル募金。
これはただの募金ではない。仲間を繋ぐための募金だ。他クラブのサポーターの助けもあり、250万近い金額をクラブに寄付することができた。

関東アウェイのサポーターは頭打ちだった。
ここから打開するために、何が必要なのか。
今までと同じやり方ではだめだ。サッカーという枠から飛び出さないとって。当時の池谷社長に頭を下げた。色々あったけど、在京の応援団を立ち上げたい。熊本を応援するすべての人を受け入れて熊本のために戦うプロサッカーチームを応援したい。と。、
クラブと連携した公式応援団を通じて少しずつ熊本の輪が拡がった。
在京熊本県人ロアッソ熊本公式応援団はロアッソ熊本東京応援団と名前を変え、
「だご楽しかファースト」「サポートするチカラばカタチに」を理念として歩み始めた。

2016年の熊本地震は熊本県人の底力をみた。
全壊した実家を見ながら涙した。サッカーのことなんて考えられなかった。
だけど、支えてくれたのはサッカーファミリーだった。熊本県人は何度でも立ち上がる。
台風、水害、地震沢山の天災が熊本を襲ったがその中心にもロアッソがあった。

踏ん張り、踏ん張ってなんとか我慢したけれどJ3に降格。減りゆく観客動員、メディアへの露出。それでも踏ん張った。
だご楽しく、サポートするチカラをカタチにするために。

その想いがあのミドルシュートに乗った。
J3優勝、そしてJ2昇格。
ようやくここに帰ってきた。ここからまた新しい歴史を積み上げていくんだ。そうみんなで語ったことを覚えている。

クラブを応援して17年。
ついにここまでたどり着いた。
簡単に行く試合なんてひとつもない。
そんなことは僕らが1番分かってるんだ。

共に闘い共に夢の舞台へ

J1まであとすこし

どっちに転んだってそれがクラブの歴史になる。
でもここまできたら、この選手たちが光の射す方へ導かれることを、願ってやまない。

ロアッソ熊本は私の生きがいだ。
ロアッソ熊本は私の人生だ。

熊本のために闘うすべての人たちへ。
熊本を応援するすべてのファミリーへ。

さあいこう!

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