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広瀬友紀(2017)『ちいさい言語学者の冒険 子どもに学ぶことばの秘密』岩波書店(岩波科学ライブラリー)

他者のことばに想いを馳せる

浦沢直樹の漫画『PLUTO』に、ウランがこんなことを言う場面がある。
「ロボットは人間が思うより色々なことがわかる。ただそれをうまく表現できないだけ」

子どもは大人が思うより色々なことを感じている。ただそれをことばに表現できないだけ。
そう言い換えると、子どもの頃に感じていた(ひょっとするといまもときどき感じる)もやもやの正体を言い当てたようだ。

『ちいさい言語学者の冒険』では、日常にある子どもたちの「笑ってしまうようなことばづかい」を素材に、言語学博士の著者が「なぜそれが興味深いのか」「発達の観点からどんな意味があるのか」を存分に説明してくれる。
本書は、他者のことばの成り立ちを理解しようとするとき役に立つし、他者の理屈に想いを馳せるということを思い出させてくれる。
そしてたぶん、子どもとことばを交わす人は、その賢さに驚嘆するようになるだろう。

たとえばこんなやりとりが紹介される。

ある日のK太郎(5歳)と母の会話。
「お手々洗わないでゴハン食べたらバイキンも一緒にお腹に入るよ」
「…じゃ、これ食べたら死む?」
「いや、死んじゃったりしないよ、大丈夫」
「ホント? 死まない? 死まない?(涙目)」

生死をそこまで気にしている割には、ちょっと拗ねたらすぐこれ。

「…ボクなんかもう死めばいいんだ」

第3章 「これ食べたら死む?」 p.34

「死む」「死まない」「死めば」という「死の活用形」は全国区の現象で、「飲む」「読む」といった日常よく使われる動詞の活用規則を当てはめているのだという。

実際に聞いたことのない表現も、その性質を類推し、その時点で身につけた規則を適用することによって、使える表現を自力で何倍にも増やしていることがわかります。その過程で起こる、「大人から見ると間違った規則の使い方」を「過剰一般化」といいます。

第3章 「これ食べたら死む?」 p.36

こんな風に解説されると、もう子どもたちのことばづかいを笑ってはいられない。
使える表現を自力で何倍にも増やす。
なんて賢いのだろう。

本書にはこうした日常のありふれた風景からの例示が豊富で、著者の学術研究に裏打ちされた解像度の高い理解と解説に引き込まれる。

ことばの意味と意図

他者のことばの意味を知ろうとするとき、意図を理解しようとするとき、受け手がどのくらい精緻な地図を持っているかは理解の精度に関わるだろう。
同時に、勝手気ままな解釈がときに暴力的になることも肝に銘じておきたい。
わかったつもりにならず、根気よく対話を重ねていきたいと思う。

子「今日セブン-イレブン行く?」
母「今日は買うものないんだよ」
子「…今日セブン-イレブン行く?」
(略)
大人だったら、「今日は買うものがないんだよ」と相手が答えれば、「だから行かないんだ」と答えているのと同じだと理解するところです。ですが彼にとっては「行く?」と尋ねた以上、「セブン-イレブンには行かないんだよ」と言ってもらわない限り、質問に答えてもらったことにはならないのですね。

第6章 子どもには通用しないのだ p.80-81

このくらい直接的な表現を求めて食い下がってもいいのかもしれない。
大人の世界では嫌がられるだろうけど。

大人の仕事の世界では「わかったつもりになって進める」ことが必要な場面があり、しかもそれは結構な頻度で出くわす(と感じる)。
質を80%から90%に上げているうちに機会を失うことのほうが痛手だ。
機会を失うくらいなら質が低くても走り始めて、走りきったほうが得るものが大きい(ビジネスでは)。

ひととの関係ではどうだろう。
わかったつもりになって発する、「あぁ! つまりこういうことでしょ。~~」。
その勢いに飲まれて、また「つまりこういうことでしょ」がまったく引っかかっていなかったときの「なんにもわかってないな」感。
わかってもらいたいという感情もしぼんでしまう。

もしかすると、ことばが通じているように見えること(わかったつもりになれること)にこそ驚くべきなのかも知れない。
日常のさまざまな場面で交わされることばが、その場面に特有の規則に従って使われるとき、意味や意図が通じると感じる。
その規則がわざわざ示されることは少ないけれど、意識せずとも敏感に感じ取っている。
だから「表現されないこと」にも意味を見出す。

何らかの明らかな逸脱〔意図的な情報量の過不足、意図的に間違ったことを言う、話題との関連性から逸脱すること、意図的にわかりにくい表現を用いるー引用者〕がある場合、それには根拠がある、と解釈されます。つまり、文字通りの表現以外の意味をそこに見いだしたほうがいいぞ、というヒントであることが、人間の知識には織り込み済みだということです。

第6章 子どもには通用しないのだ p.83-84

道元禅師は『正法眼蔵』で先師の問答に言及するとき、たびたび「言わなかったこと」に注意を向ける。
「〇〇はこういう言い方はしなかった」
そこに思い巡らし、思考を深め感覚を研ぎ澄ませというのだ。
表現されなかったことは、決して消えてなくなったわけではない。
表現されなかったというそのことのために、意味を見出される。

空気を読み、ときにわかったつもりになって、曖昧にやり過ごす技術を習得してしまった身としては、ときおり、小さい言語学者に目を開かせてもらう必要があるのかもしれない。

著者は先ごろ本書と同じ岩波科学ライブラリーから『ことばと算数』を出している。算数の問題文に焦点を当てたこちらも読んでみたい。

話せるシェア本屋とまり木

茅ヶ崎駅から北へほぼ直進し15分(とちょっと)歩いたところにあるのが、話せるシェア本屋とまり木。
棚主仲間のなかにはイベントを主催する方も多数。
店主の大西さんは聞き上手で居心地の良い空間を作る。目を輝かせて「このあたりがもっともっと楽しくなるといい」と語る姿に惹かれる。
あと、コーヒーを淹れるのがうまい(先生が棚主だったりする)。

(写真1)
シンボルツリーを飾っているのは棚主さん作の小鳥たち。


(写真2)
リクエストコーナーを棚作りのヒントにしたり。


(写真3)
SIGULEの棚


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