産物讃歌

産物讃歌
毎日15分以上分の曲を作りなさい、
これが見えないところからの声なのでしょうか?
そうでなければ自分が勝手に内なる声と称して義務付けているだけなのでしょうか?多分後者でしょうね、
しかしここで一見全く関係の無い話、又は現象としましてこの前送ったメール、、
「御返事遅れました、携帯の調子が悪くて、でもメールできる位に回復して良かったです。」
これは入院中の人に送ったメールなのですがこれには二つの意味が含まれております。
①自分の携帯がメールできる位に治った
②入院中の相手がメールできる位に治った(回復した)
つまり二つの治ったが同時解釈できるのです。
これは偶然なのでしょうか?
この偶然を確実に捕獲する様な頭でいられるのも、毎月15分分の曲を作っているからなのか、はたまた文章を書いているから偶然が捕獲できるのか?
通常は偶然0.01%、必然99.1%、という生き方なので必然に対して努力する。
これが逆になると、偶然99.1%、必然0.01%、んーこりゃあ下手すれば本当はそうなっているのではと考えてしまうのです。
そう考えますと壊れてくれた携帯に何かが働いたのでしょうか?
その何かはこの文章の為の働きなのか?
んー毎月のノルマ作曲の何かなのか?
これは効果というものなのか?
効果というものは見えない所で働くのが本物なのでしょうか?
探究か探検か、やはり捕獲癖はつけときましょう、、

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?