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1月の私へ

今年もあと少しで終わろうとしている。

きっと1月の私に言ったら信じてもらえないくらいに生活が一変してしまった今年、

世の中が大きく変化する時に家族に不幸が訪れるのは何故だろうと考えずにはいられなかった。


震災の時もそう、

その日の朝は太陽が突き刺すような晴天で、金曜日だったのを覚えている。その日私は仕事が休みだったから。

今日は調子が良さそうだな、と愛犬シーちゃんをなでてからソファに横たわっていた。

TVを見ようかとリモコンを取ろうとした時、ふと視線の先にいるシーちゃんが気になり後ろ姿を確認した。その時なぜだかそこだけ写真のように空気が止まっているように感じて、すぐさま近づいてみた。

そこにはもう意識のないシーちゃんがいた。

まだ温かいのにピクリとも動かない。
本当に動かない。
息をしていなかったから。

その日は私以外の家族は誰もいなくて、必死に妹に電話をしてすぐに帰って来てもらった記憶がある。

それから二人でひとしきり泣いて泣いて泣き疲れた頃にあの大きな地震はやってきた。

そこからの記憶はなぜだか思い出すと全て灰色で、ただ朝見た青空だけが鮮明に色を持っていた。

そして、今また大きな変化が訪れてしまった。

毎日11時に起きて夜中の3時に寝るなんてこともなくなったし、徹夜をすることも、1日13時間仕事をすることもなくなってしまった。

今はどう頑張っても1日7時間仕事をするのが精一杯で、それも効率よく家事や用事が終わればだから、チャイム1つ鳴るだけでイライラしてしまうこともある。

きっと1月の私は信じてくれない。

8月の私だってあんなに混乱していたから。

変化は突然やってきてしまうようだ。
でも心の隅で少しは考えていたのかもしれない、
こんな日が来るとしたらどんなに最悪だろうかと。

それでも、ベッドの横で手を握って謝り続けるような後悔はもうしたくない。

今朝は少し雲が掛かった空だった。

ふと流していたラジオから、
「漕ぎ出してしまった舟で最善の行き先を目指せばいい。」と、

そんな言葉を聞いたから、

今はそうやっていこうかなと思っている。

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