今日見たアニメの感想#14 明日ちゃんのセーラー服 7話「聴かせてください」感想 勇気を貰える物語

 傍観者でいるならばきっと人生は楽だ。

 何も為さず、何も築かず、何もしない。きっと備える物も必要ないから手ぶらで渡り歩いていけるだろう。時には誰かの頑張る姿を、興味はないけど応援することも出来る。誰かの躓いた姿に石を投げることだって出来る。自由奔放に適当に楽をして生きていける、処世術だ。それを否定はしない。

 ただ楽の中に楽しみを見出せるかどうかは私にはわからない。今回のお話は、何も挑まずに傍観者になろうとする人にこそ見て欲しい。かつて無限にあると信じていた青春の時間を取り戻す気概を持てる、勇気を貰える物語。

今回のあらすじ

 蛇森静生はひょんなことから「自分はギターを弾ける」と明日小路に小さな噓をつき、小路はそれを信じて「今度聴かせて欲しい」と約束をした。「実は嘘だった」と言えばそれで終わりの脆い口約束に、静生は弾いたこともない古いギターを持ち出して少しずつ練習を重ねていく。しかし、どうにも上手くならずに「弦が切れた」「コードが多すぎる」「勉強時間がある」と自分を諦めさせるために理由を付けて練習を放棄した。同室の戸鹿野舞衣はそれを見て「いきなりできる人はいない」と僅かばかりの励ましを送る。放課後、静生はクラスメイト達の部活に励む姿を見て、少しずつ、少しずつギターの練習をしていく。そして遂に1つの曲を会得して、小路に披露するのだった。

私達は何でも知っているようで何も理解していない

 蛇森静生は放課後に音楽雑誌を眺め、好きなアーティストの活躍や世間の評価に一喜一憂する普通の女の子だ。何か部活に打ち込んだりはしない。エレキギターの音に反応はするが、軽音部を作ろうなどの意気込みはない。そういう日々を過ごしていた。

 だから譜面の読み方も知らない。ギターも持っているのに弾いたことはない。「きっと少し練習すればできるようになる」という漠然としたイメージはあって、実際にそれが真実でも、「少しの努力」に尻込みして傍観者であり続けた。

 アーティストがどういう基準で評価ランキング付けされているのかもこれでは理解出来ていないのだろう。

「ちょっと頑張ればギターも弾ける」という自分を、能ある鷹は爪を隠すみたいに、自分に付加価値を与えている。当然そんな爪はまだ出来てもいないのに。それを少しだけ明日小路に出した。

 普通の人ならば「へー凄いね」程度で終わり、それっぽい知識を披露して「凄い人だなあ」と錯覚させて悦に浸るだけのお話が、明日小路の場合は「是非聴かせて欲しい」と前のめりになった。

 ここで「嘘です」と言えなかった事が、蛇森静生の性分なのだ。「そんな技術もないし難しいから出来ない」ではなく、「えー本当に? じゃあちょっとやってみるか」というギターの難易度すら分かっていないから、どう嘘をつくかも分かっていないのだと考える。

 彼女は知った気になっていただけで、事実何も知らない。でも、この世界のどれだけの人が【責任を持たない全能者】の振る舞いをしているのかを考えれば本当にごく普通の風景である。

いざ壁にぶち当たって得る無力さ

 弾いたこともないギターを鳴らせば高揚し、コードの練習を始めれば徐々に出来る自分に達成感を味わう。だが、のめり込むほどに深く難しい壁が幾重も幾重も立ち塞がる。そしてそれは突き詰めれば終わりがない。

 これは何にでも共通する問題だ。1つの道を究めることは容易ではない。天性の才能を持たぬ並の人は、時間を重ねて少しずつ歩を進めるしかない。

 練習に行き詰まりを感じた蛇森静生は、息抜きのためにダイヤモンドゲームを持ち出した。奇しくもこのゲームは「少しずつ前進させる」ことが目的で、バスケットボールと向き合い続ける戸鹿野舞衣に敗北を喫する。

「ギターは弾き方が多い、コードが多い、勉強で時間がない」とゲーム中に言い訳を並べ、しかし小路の期待も裏切りたくないという二重苦を表すように「弦が切れた(自分の心の糸も切れそうだ)」と明かす。

 嘘つきで終わりたくない自分がいる。でもまだまだ上手くなれない自分を知ってしまった。でも、ここで終わりたくない自分だっている。

 彼女の名、静生のように、静かに生きていられたらそれで良かった日常。

 根拠のない無限の可能性を持つ傍観者であれば良かった日常。

 それはもう、遠い場所にある。戻ることも出来るが、彼女は進む道を選んだ。それは、何かに打ち込み続け、少しずつ上達していくクラスメイトたちの姿に触発されて。弦を繋いで練習に励み、自分の思い描くかっこいい曲ではなく、自分の等身大の実力に見合った音楽を選んで、少しずつ、少しずつ積み重ねた末に、ようやく1曲を弾けるまでになった。

開花の歌 考察

※まだ見ていない人は是非とも見てからこの先を読んでほしいです。



















 披露する直前に、前回小路と遊んだ木崎江利花のピアノ演奏を不可抗力で聴くシーンがあった。耳の肥えた人にとって少し上手い程度の演奏、しかし演奏の難しさを骨身にしみて理解した静生にとってそれは次元の違いを感じさせる一曲だった。どれくらい上手く、衝撃を受けたいたのかは映像が別物になった事で表現されている。

 それゆえに「この後に弾く」ことが気恥ずかしくなり、披露も出来ないと逃げようとした。これは音楽をろくに理解していない時の「何となく無理」ではない、理解したからこそ判る「この感動を超える自信がない」だ。

「嘘をついていた」ことを言い訳にして逃げようとする静生の手を、小路は取って、「聴かせてください」と、真剣に頼むのが良い。小路は一度も「上手い曲を聴かせて欲しい」とは言ってない。彼女が聴きたいのは「静生の弾くギターの曲」なのだ。

 始まりは「嘘」でも、静生は「本当」に変えてきた。だからこそ、私も聴きたかった。どんな曲を奏でてくれるのか。

 意を決して、ギターをトントンと叩いて調子を確認し弾き始める。

 不意打ちでこの曲を聴いた時、私の目からは涙が零れた。歴史に残るだろう名曲、スピッツの【チェリー】

 決して上手くはないかもしれない、添えるような歌もどこかギコちなさがある。でも私の心を、聴かせて欲しいと頼み込んだ小路の心を震わせるには十分だった。

 調べると失恋への応援ソングという位置づけのチェリー。爽やかで難しくない歌詞に、優しさと希望を載せた真っすぐな曲だ。だが今回に限り、青春を表す一曲に変貌しているように感じた。

「二度と戻れない」のは、何も分かっていなかった、理解しようとさえもしなかった過去の自分で、今の静生さんにぴったりの歌だと私は思う。エレキギターのサウンドよりも騒がしく、今までとは少し違う未来を描いていくという決意にもとれる。

 2番歌詞の「汚れた」の下りは、静生が小路と交わした約束で、「そんなもの(期待)は捨ててもらっても構わなかった」という弱気な部分を感じるし、嘘をついたことへの誠実な返答にも感じる。周りのクラスメイトたちの頑張りに触発されて進む姿は、歌詞にも通じる。

「いつかまた」は、成長した自分の演奏を、今度は正々堂々聞かせたいと考えたら、今回のお話がエモーショナルの塊で私の心はもう駄目だった。泣くしか表現方法がなかった。

まとめ

 様々なフェチを詰め込んできた明日ちゃんのセーラー服という作品を見る目が大きく変わるだろう7話。今回はほとんどフェチを感じてもだえるシーンはない、本気で挑んだ青春アニメに仕上がっていて引き込まれる。ほぼ無表情だった戸鹿野舞衣さんが、最後は笑顔で静生に話しかけるのは「頑張って打ち込む姿に感銘を受けた」からなのか、とにかく関係性の変化にも心が動く。1話目で切ってしまったという人は、この話だけでも見て欲しい。これだけは本当に異質で、青春度合が突き抜けています。

サポート1人を1億回繰り返せば音霧カナタは仕事を辞めて日本温泉巡りの旅に行こうかなとか考えてるそうです。そういう奴なので1億人に到達するまではサポート1人増える度に死に物狂いで頑張ります。