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トップアイドルが示したバーチャルの可能性とVtuberの話

 先日行われた星井美希生配信は、多くのファン及びPを驚愕させた。星井美希がそこにいたのだ。「あれは中の人がいて星井美希が縁起をしている」というのでは説明がつかない実在感が、そこにはあった。

 実の所、版権キャラがバーチャル世界に降臨するというのは初めての事ではありません。有名どころであれば、すーぱーそに子、VTuber可憐が既に存在します。ウマ娘のぱかチューブっ!もあります。

 版権によるVtuberとしての活躍は数多く存在しますが、星井美希はVtuberという単語を一切使っていません。ここ大事です

 夢を覚ますようで悪いですが「声優の人が星井美希の3D体に入り込んで星井美希を演じている」と皆分かっている。それでもです。あれだけ真摯にファンの意志や希望を完璧に反映しているのでは、星井美希と言わずに何と言えばいいのか、私には分かりかねます。

 あの時間、あの空間に確かに、皆が知っている星井美希が存在していた。それはVtuberとして存在する星井美希ではなく、星井美希の中の人が演じる星井美希でもなく、実際に今日を生きているであろう星井美希という圧倒的な救い、私が最古参のPだったら咽び泣いているだろう程のリアリティ。雑談をする、リアルタイムのコメントを拾う、笑う、コロコロ変わる表情。そしてそれを今自分の生きている時間と同期して行っている奇跡。技術はここまで来た。

 アイマスはアニメ・劇場版を見た。そしてそのままモバマスをやって、数年やってきた私は、ある日パタリと熱が冷めた時を今でも覚えている。どれだけ課金して愛を示しても、その先に、推しであり担当アイドルでもあるあの子は存在しないのだという諦めと絶望です。

 その当時、3Dで、ここまで動ける技術はなかった。あったとしても、いれるとするならAIか何かで、それは果たして求めているものではないだろうという見縊りが私の中では渦巻く。存在しないものを、存在するものとして扱うのは、限度というものがありました。

そんな折に出会ったVtuber文化の急伸

 2017年末の3D技術は、今ほどではなかったと思う。しかしVtuber文化の急発展により、3D分野の技術が専門家のみならず一般層にまで広まり、Vketという3Dの祭典が回を増すごとに進化。テーマパークの様相にまで革新を遂げた。需要が伸びれば供給も伸びていく、技術も急伸していく。

 3D配信を最近は多くの所でやっているが、その分野で強いのはえのぐ一強だったのが最初の頃。現在は大手であるホロライブ、にじさんじも3Dへ進出し、ライブを開催して破綻なき3D体を思い切り動かしている。

 2D時点で親しみや実在感を持たせていたのに、3Dで更に実在感を与えるのはファンにとって「同じ時を生きている」という感動を与えるものだと私は考えます。

技術ツリーの最先端にして1つの回答

 Vtuber文化の始まりを根として、そこからの伸び方やおもしろさ、技術革新は1つ1つ、ゲームにおける技術ツリーのようなものとするなら。その途中途中で生まれた要素の内「花譜」ちゃんが今までの集大成だと私は思っていた。バーチャル文化が成熟したからこそ、仮想の体を手に入れて活動をし、年若い等身大の、今でしか出せないかもしれない唯一無二の歌声を大勢の人に披露できる。技術が魔法をくれたからこそ生まれた存在。

 しかし技術がまだ伸びていくという事は、ここが到達点ではない事も知っていた。先日見ることが出来た星井美希の生配信は、次の集大成及び到達点であり、これはまだ進化の幕開けにすぎない。(リンク先はニコニコ動画ですので、著作権により消される可能性もあります)

 遂に虚構のはずだった存在が、実在感を持って、リアルタイムに現れた。存在しないものが、存在した。この喜びと驚きは正に革命。

 この新たなるキャラクター文化の始まりの予感、技術革新の実感、実在することの喜びが入り混じった、熱狂の一夜でした。まだ見ていない人は、765プロに興味あるなし関係なく見てほしい。あれは見た方が良い。1つの時代の始まりを感じる、素晴らしいものです。

サポート1人を1億回繰り返せば音霧カナタは仕事を辞めて日本温泉巡りの旅に行こうかなとか考えてるそうです。そういう奴なので1億人に到達するまではサポート1人増える度に死に物狂いで頑張ります。