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問いかけ。それは心の引き出しを開ける鍵。

ハロー  CQ CQ。
久しぶりのnoteです。
お元気でしたか?

私は、最近元気ではなかったです。
まあいろいろありますよね。

今日は職場で職員研修があって。
久しぶりに感情が動いたのでちょっとnoteを開いてみました。

今日の研修は、「自分がいる組織のパーパスとは」そして「今、私がこの組織にいる理由」という、いわばレーゾンデーテル、存在理由を問うようなテーマでした。

事前課題で、この問いに対する自分なりの回答を講師に提出してから、
今日に臨んだのですが。
正直きついな・・・と思いつつ参加したのでした。
今まさに、自分が悩んでいることがそのことだったから。
果たして自分はこの組織にいる意味があるのだろうか? 
そればかり考え続けた1年でした。

いつも当組織を気にかけてくれている某外部講師をお招きしての今日の研修。
10年前にも同様のテーマで職員研修の講師をしてくれた、敬愛する講師を目の前にして半端なく緊張しました。

私なりの受講感想は
「人って解らないものだ」ということ。
えっ この人そんなこと考えてたの? そんな価値観を持っていたの? 
私ってこんなこと感じるんだ・・・。
いい意味で目からウロコの85分。

人が考えていることって、聞いてみないとわからない。
誰かに問われて初めて表面化したりする。
問いかけられて初めて人は考えるし、自分なりの答えを伝えようとするんだ。
そんなことを、改めて思った研修でした。

一つの気づき。
自分が組織にいる理由は、人から与えられるものではないってこと。

人がどう思おうと、自分なりの存在理由があるのであれば、もう少し、
ここで私ができることがあるかもしれない。
あるいは、ないかもしれない。
次のステージに進むべきかもしれない。

私の存在理由。私はなぜ、ここで仕事をしているの?
表向きに言ってきたことは「女性への暴力を無くしたい」ということだけれど、
もっと深いところに、別の答がある。
心の引き出しにしまっていた答があるということも気づいたかな。

それはずっと手帳に挟んでいたのだけれど、最近見返していなかった言葉。

I  owe you

あなたのおかげで、今の私があるということ。
自分が受けた恩を、次の人にどう手渡していけばいいのかということ。
曽祖母や、祖母、自分の人生を生きられなかった女性たちへの、恩。
そして私に有形無形のギフトをくれた女性たちへの、恩。

一人ではこの世界は全然変わらないから、次から次へとバトンを渡して
未来に希望を繋いできた女性たち。
バトンを重荷と思うかどうかは、それぞれだけれど。
今日、自分の手にはまだバトンが残されたままなのが、ありありと見えた。
だから自分に問う。

初心を取り戻せそう?
まだここでできることがありそう?
バトンを放棄する? それともバトンを持ったまま走り続ける? 誰かに渡す?

問いで現れた引き出し。
その中の答えを見るのが、怖いような気がしている。







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