初めての記事が、スキされて舞い上がる

 人間、何事も評価され、少しでも賞賛されれば気分が良くなるモノです。

 一番古い。身近な存在以外の(ここではインターネットのことに限定するとして)賞賛は、私の童貞作品がそれだったんです。

 中学校三年。丁度、鬱陶しい梅雨が悪目立ちするこの季節だったのをよく覚えています。まだ記憶は若いので、私の中では当然鮮明に蘇るわけで。

 『設定、そして主人公の頭脳を駆使する戦いに感動しました。ヒロインもツンデレで可愛く続きが気になります!』

 特に重要なのは『続きが気になる』と言ってくれたこと。それは、初めて書いた自信も技術もあやふやな落書きのような作品という、私の凝り固まった自作のイメージを破壊してくれたという革命でした。少なくとも、あの時書いたあの作品は、読者を楽しませようとしていたあの字ずらの中には、私の思いはしっかりと染みついていた。

 なんだか、そう思うとうれしくて。

 「また書こう。続き書こう!」

 って。そう思えたわけで。

 ある講師が私の目指す小説家という職の解釈を『自分の価値観を押し付ける仕事』言いましたが。そうではない。私は読者を楽しませ続けるエンターテイナーになりたいのだと。多分、その日から思い始めたんです。

 賞賛には必ず賞賛されるはずの対象があるわけですが。創作に関して、基本的に褒められるというのはその人の持っているセンスを評価していることになる。感情ナシにいえばこれは正しい回答。

 私はいまだに自分の才能を信じることができませんが。もしかしたら本当にあるかもしれないと思っちゃうわけです。

 驕りかしら。この記事を読んでいるあなたはどう思いますか?

 私は才能がある人間なのでしょうか。どうか心の中に回答はとどめて欲しいのですが…。悩んで挫折し悔み後悔をしてきましたが。それでも、つつけている物書き。いつかやめるかもしれませんが。まだ、辞める気はありません。

 ということで、『また』お会いいたしましょう。

 私の目に見えぬさいのうが枯れ果てるその時まで。

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