愛と法・・・いろいろ考えさせられます。

映画”愛と法”を観てきた。
”同性婚カップルの映画”と紹介されるこれ、予告はそのようには取れない。そもそも、自分はLGBTですとプロフィールに載せたり、公表する必要ってあるんかいなとそんなん個人問題で一々言われるとその方の普通の発言についても背景にはLGBTのなんらかが影響してるのではないかと配慮的な考えを巡らせる必要あるのかと身構えるではないか。

公表に関して二つ引っかかってる事象がある。数年前とある集会に遅れてやってきた某地方議員さん、所属政党的にその集会に足を運ばれることが不思議な方なんだが、率直になぜ参加したかを語られて好感を持った。その方が「僕はゲイです」と公にカムアウトされてプロフィールにも出された。カムアウトせずにはいられない、することになんらかの意味があるんだろうか。その後も言われることはそれまでと同様で、ただ”ゲイ”なんだという認識だけが加わったわけだ。まぁ自治体が違うので通常にお話を聞くこともないのでそれどまり。
もう一つは、現在落選中の元代議士さん、こちら割と早くに”ゲイです”と公表されての選挙並びに議員活動されてたが、落選中のためか、その経験数だとか「日本においてゲイは差別されてなんかいない」と差別と戦ってきた経緯を最初からそんなことないと展開、いわゆる”生産性はない”発言についても肯定的に言ってこの人バラエティー番組のオネェ系タレント枠と同列じゃないのか、ゲイにもいろいろなのはわかるが、厄介だなと感じていた。

それらがある前提でこの映画を観に行こうと思ったのは予告から受けるものがなんなのかを掴みたかったからである。始まって割とすぐに「二人が同性婚してそれで区切りついてとならなかったのは・・・」と一気に自分の疑問の答えが出てきて、考えさせられることになった。

家族ってなんだろうな、この二人を中心とするそれぞれの人のあり方からして、法律の家族はなんなのか、この映画で展開するものを下敷きにして家族を考え直すのもあってるかもなと、この家族の中での役割分担もこんな感じで世の中の家族もやたらお母さんに負担大きいことにはならないんじゃと感じた。

かずや君という少年が入っていた施設閉鎖でその身元引受人だった吉田さんの提案で同居した経緯と二人の家庭にアカの他人が入ってきたことによる二人の変化を南さんのお母さんが言及するくだり良かった。かずや君は家族ってこんなものを知らずに成長し、経緯で同性の夫夫と同居して感じたものをストレートに語る。施設で調理経験全くないのに吉田さんに教えてもらって自分でするようになったり、仕事を始めて独立しても吉田さんのところに弁当を取りに行ってそのまま仕事に向かう。
家族って一人一人の繋がりによってできて強くなるもの、ほかいろいろ考えます。

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