シャリを噛みしめて

twitter にお焦げの画像が上がっていた。ご飯の炊き方の本通りにしたらこのお焦げできた、ご飯の方も美味しいという内容だった。

その本をお寺での滝行から帰った後に探して実際にやってみた。速い美味しい!おこげもできる。適当な鍋なかったので圧力鍋で(圧力はかけずに普通の蓋で)炊いた。鍋の部分だけだから炊くにはいいけど漏れなくお焦げがついてくる、それを完全にとる工程とその後の洗いが気になった。鍋潰れるんじゃないか?普通の鍋が潰れるのはよく使ったと割り切れるが圧力鍋はちと困る。因みに土鍋はやめとけと本の著者は書いてたので除外してなんかないかなとamazon で探してたらガス炊飯専用鍋なるものを発見した。リンナイである。この鍋だったら潰れてもいいっか!テフロンコーティングである。最大強火で炊くんだけど、沸騰での泡が把握しづらくて表面の水が見えなくなるタイミングわからず。強火から螢火にするタイミングって音なんだがこれがまたわからない。テフロンであるがゆえにそこに張り付かないから音がしないんじゃないかと思う。それがわからずとも炊き上がりは沸騰の始まりにセットしたタイマー通りであるので完了、すぐにおひつに入れる。最初やった時多分やりすぎとわからないが故の早すぎが合間ってとりあえず炊けたわけだ、しかもお焦げゼロ。陶器製のお櫃とも相性良かった。

お寺に行ったその日疲れていたがなんか興奮していて休む気にもなれずとにかく炊き方の本を探した。そして炊き方を変えただけいろいろと変わっていく不思議を感じた。お寺の滝行で何が起こったんだろう?お釈迦様の骨が転じてご飯を舎利って言うんだということを思い出した。兎に角食え体調を万全にしろそれが全ての始まりと言われているのかもと

ガス炊飯専用鍋は焦げがないのでそれからくる手間はなくていいが炊けているのに若干硬い噛みごこちである。微調整の範囲で早めたり水多くしたりの試行錯誤である。鍋の手の部分が軋みなのか音するのは螢火に変えるタイミングの音と間違いそうで困る。ガスの強火で炊き上げるのと電気炊飯器で緩やかに炊くのとの違いを感じながら、炊飯器で炊く意味ないな、炊飯器の保温で時間を経るごとに美味しくなくなったものをごまかして食べるのも人生への冒涜に感じたし、増えた手間より省いた作業と食事の質と他気付かされた諸々を天秤にかけると余りある変化である。

ご飯の前に昆布だしの取り方も変えていて、味噌汁がうまい。野菜他具の味が出汁と味噌で引き立ってるそんな感じである。一汁一菜を地で行っている。しばらくはそれでいいかも。減量しようと考えるとご飯の量を減らしてオカズで嵩を維持してとなってほぼそれでやって来たが、シャリを口に運んで噛みしめることが何より快感に思えて、夕飯は一合相当もいいかなと思えている。

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