夢を持つ理由。

どうしてオペラを始めたのと聞かれることは多い。音楽の先生になりたかったと答える。

もちろん今は音楽家として研究を続けているが、教員免許も持っているし、数人の生徒に教えることもある。歌を教えることは難しくはない、知識も経験もそれなりにあるし、苦労もしてきたからだ。ただ難しいのは、向上心や情熱を教えること。

「私は音楽家を目指しているわけではありませんから」つまらない基礎練習の中で、こんな風にこぼす生徒さんさえいる。なるほど、それはそうだと頷く一方、音楽家を生業にしようと志すものでさえ、この「頑張る理由」を探す頃に苦しんいるものはたくさんいたかもしれない、と数人の顔がよぎった。

自分は少なくとも10年間、情熱をたやさず音楽を続けてきた。その間、なんの疑問もなかったわけではないが、常に前に進んできた。詰まるところ「モチベーション」を得ることに苦労したことがない。挫折ともに諦める人、学校や本番が終わるとがんばれなくなる人、たくさんみてきたし、今度のコロナ禍では多くの音楽家がその活動の意味を問われている。演奏会どころか、明日をも知らぬ生活の中で、我々はどこに向上心を見出すのだろうか。

さて、これはそんなに大きな問題か。とまたもや共感に苦しんでいる自分である。明日をも知らぬ生活は今に始まったことではない。人間はいつ何時でもその命を失う可能性をもっている。この世に叶うはずの夢なんてものはないと、少なくとも一つの視点だけで完全に否定することができる。コロナ禍に絶望する音楽家は目に見える未来を、実現確定した目標、これらを「夢」と呼んでいないかもう一度考えて欲しい。

うんと大きい「夢」を持つといい。大きかろうが小さかろうが叶う保証はないのだから。例えば、スタイルがよくなりたいと思っている人にとって、ピザは最も憎むべき大敵の一つだ。しかし、明日の仕事を頑張りたい週末のあなたにとってはこれは大切なエネルギー源かもしれない。ピザの意味を決めるのは明日の理想であるならば、今を決めるのは、未来のあなたである。

この世に絶対に叶うはずの「夢」なんてない。しかし今を充実させるのは他でもない、この「夢」なのだ。モチベーションに困ったらうんと大きな「夢」を持つのだ。

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