ヨルシカ 「盗作」 読後感想文

⚠注意⚠
ヨルシカ初回限定版「だから僕は音楽をやめた」、「エルマ」、「盗作」の内容に触れています。 ご注意ください。

エルマへの手紙も小説「盗作」も今日初めて読みました。
一度読んだだけの読み込みが足りない状態での感想です。感情のままに書いてる素人文書です。


まず、アルバム全てを聞き、小説を読んだ後の満足感はとても高いものでした!!作品として最高に補完されててびっくりしました!全てが全ての余白を程よく埋めていて且つ、心地いい想像の余地を残してる。かなり長い間余韻に浸ってました。

小説「盗作」読後感想文
やっぱり彼の心の穴って家族の愛した、もしくは家族の音楽で埋まるものだったのではと考えている。
彼の完成させた作品は最初に弾いた妻の月光ソナタを真似た時と同じ様に一時的な穴の応急処置にしかならなかったのでは ?と感じてしまう。持続性は遥かに長かっただろうけど。
自白を発表した後の文書を読んでいて盗作犯の穴は完全に埋まっていたようには感じれなかった。
最後の2ページの少年の置いていったガラス細工のピアノを見た盗作犯の反応を見てあれ ?っと思って、少年の月光ソナタのカセットテープが入っている部分を見た時思わず声が漏れた。なるほどなあ。
ほんとに無駄が一切ないアルバム作品。
本当にエイミーが言っていたように彼らの音楽に神様が住んでいそうだなあ。
神様といえば、名前此なかったけれど、盗作犯が探していた綺麗なものはきっとエルマやエイミーが神様や月明かりと呼んでいたものだったんじゃないかと思ってる。

負け犬にアンコールはいらないのアルバムはエルマの日記でエイミーが書いたものだと明言されている。そのアルバムの中の爆弾魔が盗作にも登場した。盗作犯の妻の前世の話を信じるならば盗作犯はエイミー。
「盗作」は盗作犯が作曲したのではなく、盗作犯の心象を書いたものとして捉えてるので作ったのとは違うだろうけど。彼は前世も今世も同じものを作ったんだと思うと言葉にしがたい感情が浮かんだ。なんと言えばいいか。世界に向ける感情だとか、根本は変わらないなあと。
上手く言葉が出ない。
今回のアルバムに入っている楽曲は誰が書いたかの情報がないので完全に憶測と妄想での話ですが。

エイミーも盗作犯も音楽は欲のためのものではなかったんだよなあ。
上手く行かないもんだな。エルマもただ一緒に生きていくだけでいいと願ってたのに、今世は先に置いていってしまうなんて。
公共施設のピアノを弾いていた彼女は生まれ変わってもエイミーの背中を追いかけていたのかな…
自分の人生はエイミーの模倣だとエルマは日記で語っていた。エイミーの歩いたあとを辿る彼女はだから盗作犯にピアノを教えようと思ったんだろうか。

盗作犯はエイミーを。エイミーは盗作犯の生き方を欲していたように思う。し、違う気もする。
(何故そう感じたかは思い出せない。)

彼は自分だけの何かは得られたのだろうか。
最初に穴を埋められてないと書いたが「穴」をカセットが埋めたともとれる。
そうだといいなあ。

多くの場合、本を読むと風景は思い浮かべられても周囲の音までをその想像は補完してくれない。
しかし小説を読み終えた後にアルバムを聴くと、物語の中で登場人物が聞いたであろう音が流れてきて自分が思い浮かべた風景にその音が溶け合って楽曲と小説が「盗作」という1つ作品に自分の中でなっていく感覚はとても新鮮で素敵なものでした。



ここまで読んでいただきありがとうございました。


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