無い寓話:ヤシの木と男

砂漠を一人の男が歩いていました。彼は飢え、乾き、そのあてのなくなった旅路は、最早自らの死を辿る足跡を描いているようなものでした。

永遠のように感じられる時間の後、彼は一本の寂しげなヤシの木を見つけました。砂と砂丘の風景の中で際立つ豊かな緑の葉は、それだけで彼に癒やしと潤いを約束するかのようでした。

悲しいことに、衰弱した彼の体には、ヤシの実に手を伸ばす力など残っていませんでした。しかし、運命は奇妙な幸運を彼にもたらしました。無傷の果実たちの中に一つ、貴重なココナッツジュースの滴るひび割れを見つけたのです。

絶望に駆られ、辛うじて希望を抱いた男は、死の間際で、そのひび割れの真下に横たわりました。時間は果てしなく伸びゆくように感じられ、男はただ一滴ずつ滴る果汁を待ちました。一時間に一度落ちる果汁のリズムは、彼の意識の唯一の焦点となり、彼の意識のすべてを占めました。

どれだけの時間が経ったでしょう。一本のヤシの木とその根本に横たわる男の上を、大きな雨雲が覆いました。彼を哀れんだ神からの恵みであるかのように、にわか雨が砂漠を包みます。心地よい雨水のシャワーが乾いた砂を潤し、雨粒が砂漠を叩きます。

しかし、断続的に滴るココナッツジュースの雫に夢中になっていた彼には、その雨音は届きませんでした。ヤシの高い枝は、この恵みの雨を妨げる屋根となり、彼は周囲に目を向けることも出来ませんでした。ココナッツジュースの魅惑的な引力が、このささやかな贈り物から彼の意識をそらし、彼を狭い知覚のトンネルに閉じ込めました。

男の欠乏に対する執着心、絶望の瞬間に彼を支えていた僅かな栄養に対する固執は、結果として彼を死に追いやることとなりました。雨が降り、乾いた土地を潤し、他の生命を育むその一方で、彼は乾きに屈することとなったのです。視界は暗くなり、力は衰え、自分の意識から逃れた豊かな恩恵に気付くことなく、彼は自分の死を迎えることになりました。

こうして、砂漠の中の死にゆく男の物語は、偏狭さと執着に対する危険性を示す寓話として、私に語り継がれる事となりました。この物語は私に、視野を広げ、自身を取り巻く豊かさを認識し、人生の様々な恩恵を受け入れることの大切さを教えてくれます。そうしなければ、私も彼のように、欠乏の幻想に取り憑かれ、自身を待ち受けている豊かな恵みを見逃してしまうことになるでしょう。

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