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”面白い”人から”会いたい”人に|あれから1年、歳を重ねた僕|#海部登生になる

9月3日、僕は22歳になった。
誕生日はパートナーが、おいしい店に連れて行ってくれ、
僕のわがままで建仁寺で庭や屏風を見に行った。
手紙やプレゼントをもらって、
素敵な一日を過ごさせてもらった。

去年は一人部屋の中でnoteを書いた。

このnoteは京都で会った人の数人に読んでもらえたこともあり、
自己紹介替わりになったことで、書いてよかったと思わせるnoteの1つだ。

これのおかげもあってか”面白い”学生がいると言われることが多かった。
しかし、最近これにかなり悩まされることが多い。
それも含めて、今の自分をさらけ出していきたいと思う。

”面白い”人の名前は。

さっきのnoteは一学生が経緯や理由があった中で町長になりたいという
インパクトのある考えがあったからこそ、
かなり面白いと思われやすかったのは事実だ。

だから今でも町長目指してるんやろ?とか
町長はいつかなるんよなとありがたいことに言われることがある。

でも、それを言われる度に町長を目指さない僕は面白くないんじゃないかと感じるようになった。

この目標は自分の世代がまず目標にしないことだからこそ、
全員に共通して面白いと感じる。

でも違う目標が誰かにも当てはまったらそれは面白いと感じなくなる。
例えば、Aさんがプログラミングで起業をしたとする。
それは田舎の友達Bさんからしたら、新鮮で見たこともない取り組みをしているから面白い人だと認識するかもしれないが、
東京のCさんからすれば、それを当たり前にしている友達がいたり、
それ以上のことをしている人がいるから、Aさんを面白い人と認識しにくいだろう。

だから、人々に面白いと感じられやすいから、みんなオリジナリティーや初めての試み、独創性に飢える

それがいわゆるマウントをとるではないかと感じる。

それが決して悪いとは言わないし、必要なことだと思う。
人が注目しないとしてこともできない、お金も確保できない。
それが仕事、生活、人生の一つなのであれば。

でも、一個人として見られてるのだろうか。
町長を目指す学生。
某有名企業を辞め、0から上り詰めた男性。
Uターンで地元で起業した女性。
学生起業家。
これをラベルと僕は言う。

あーあのどこどこで地域のコンサルとかブランディングしてる子ね。
ITスクールのマネジメントしている子ね。

僕に言えたことじゃないが、あたかも日本全員の共通言語のように使われるカタカナの羅列のラベルでしかその人を認識されないことが多い。

それがすごく気持ちが悪い。
面白いと思われても、その人の興味がないのを感じる。

なにか会社や団体を立ち上げたり、活動をしている子は興味持たれて、
応援があり、認識される。
でも、まだ何も成しえていないヴィジョンのみの僕のような学生は
名前で覚えてもらえない。
小さなラベルが付きまとってくる。
それが今の自分だ。

言いたいのは一般的、メディア的にはラベルは必要。
しかし、近しい間柄、知り合い、顔見知りの人に、
ラベルが名前より認識されることに僕は違和感を覚える。

人から見たら面白くないことを一生懸命にできるか。

以前のnoteで理由も書いたのだが、今、これからしたいこととして、
僕は大衆食堂を開きたい。

これは僕も思うことだが、面白く感じないだろうし、興味をそそらないだろう。

でも、僕はこれに向けて頑張ってる(つもり)だ。

僕の理想の空間である大衆食堂で、
訪れた人たちの人づくりからまちづくりに繋げたい。
僕の手の届く範囲で、まちを良くしていきたいのが自分が持つ考えだ。

みんなが気軽に来れる。平等になる。認め合える。
そんな当たり前でも理想の空間を創り続けたい。

建築の設計者を目指さないのは、これをするための手段として
適していないと考えたから。
カフェにしなかったのは、訪れる人がある意味で限られると思ったから(どちらかというと目指すのはカフェより喫茶店みたいなこと)。
料理人にならないのは、空間と人を作る人だから。
そんな中途半端な立場になろうとしている。

そんなでも、大衆食堂にも仕掛けをするつもりではいるし、
付属して何かをすることも考えている。
例えば、僕のパートナーと人々をケアする福祉的な要素、気軽に来れるセラピーの場所を作りたい。
可能性としては、ゲストハウスや社内空間やリノベーションに特化したプレイスの設計事務所を併合してもいい。

仲間と目的を同じくする要素の組み合わさった店という名の空間を僕は作りたい。

これがラベルになるかもしれないが、
僕は永遠の夢でもある、海部登生になりたいという目標のため、
僕として認識してもらえるように今思考と行動を続けている。

儚く散ること、あなたは散らずにできますか。

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店をする場所はかなり重要だ。
パートナーとも何回も話すし、これからも考えることだろう。
そんな中で、故郷の牟岐でしないのと言われることがある。

答えは限りなく0%に近いと僕は言う。

僕1人の人生ならしたいというかもしれないが、
パートナーや仲間の人生、生活がある中で、
牟岐町という選択肢は難しいかもしれない。
それは誰もが薄々感じることだろう。

そんな中、最近、故郷に関して感じることが2つほどある。
批判的に聞こえるかもしれないが、これは願いだ、訴えだ。

1つは、牟岐に対しての気持ちが儚い人が多すぎること。

HLAB Summer Schoolで同じ時期に運営をしていた大学生が
実家で一緒に泊まった時に

高校生とかの、牟岐に帰りたいとかいう気持ちってどうなん?
儚くて、一時のものだよね。

こんなニュアンスのことを言っていた。
それと同じことが僕ら世代で蔓延している。

牟岐でいたとき、聞いたことのあるセリフ。
「牟岐は第二の故郷です。」
「牟岐にまた帰ってきたいです。」
「牟岐にお嫁/婿に来ます。」
「牟岐に住みたい。」

さぁ、一年後同じセリフを言った人。
一年以内に牟岐に来た人。
何人いるだろうか。

大人たちやファウンダーたちが創り上げたフィールドにどっぷりつかって、
一時的な魅力に感動し、簡単にその言葉を吐いてしまう。
そして、学生の間でフィールドを使い倒す。

じゃあ、その次のステップで牟岐に貢献できるのか。
その言葉を体現できるのか。
他の人は知らないが、僕はそんな言葉が本当に嫌いだ。
僕も思ったことをぱっと言ってしまうタイプだが、
考えていっているつもりだ。
表面上の儚く散るものは人間関係に亀裂を生む。
例えるなら、また会おうね~で会わないのと同義だ。
するつもりを持って言う。それが大切だと考えている。

もう1つが、出身者が頼られない。

僕が地方地域のことに興味を持って、関わっていきたいと考えたのは、
高校生のときに、県外や海外の人が
僕にとって当たり前のことを感動・感激していたのを目の当たりにして、
魅力に気づき、貢献したいと思ったからだ。

だが、僕はまちから必要とされない。
県外の優秀な大人や大学生によそ者視点でまちを技術や知恵で変えてもらう。
町外の人にチャンスやフィールドを与える。
それを見た子供たちにまちのことを考えてもらったり、行動してもらえるようにする。
その狭間の世代だった僕は一人でもがくしかなかった。
それを尖りと認識される。よくわからなくなることもあった。
牟岐にいても、よそ者にしてもらう、町内の子にしてもらう。
阿南にいても、牟岐以外で必要とされる。
京都にいても、京都での活動になる。
僕は求められる場所で役割を全うするのが好きだが、
一番求めてほしい場所にいつまでも求められないのは歯がゆい。

じゃあ県外にでた出身者が必要とされるときはいつか。
技術や知識をもったとき
活動や事業の提案を持ち掛けたとき。
そんなときだろうか。

そらそうだ。地元ですぐに活動できる人材にはとことん頼り、
県外の子にはなにかできるようになれば、一緒にできるようにする。
当たり前だ。

考えたり、もがいている人は必要ではない。
でも、チャンスを作るしか方法がない。
”面白い”人は歓迎するが、そうではない人はあしらわれる対象だ。
チャンスを作る機会もつかみ取れない。
関係人口が必要。関係人口がほしい。
そんな言葉が僕のもがくことをやめにした。

最近、京都で牟岐の先輩と話をした。
2人で牟岐でできること、可能性の話ができた。
僕らでもできることは山ほどある。
僕は思う。関係人口やこれからの子供も必要だし、いいけど、
出身者にチャンスを。
出身者に頼ることを。
その方が楽しくないか。面白くないか。
まちはまちの人のための場所であってほしい。
事業を持ち掛けたり、起業したりする人じゃなくても、
何かできる人じゃなくても、
まちが事を起こすときに関係人口だけではなく、
出身者のことを最初に思い浮かべてほしい。

僕の進め方と尊敬している人に共通していたこと

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相変わらず話がいったりきたりでまとまっていないが、
僕がやりたいことに真っ直ぐに進めることや
リスクを選択できること、
それがなぜできるのかを考えてみた。

それは自己中だからだ。

僕が尖っていたと言われていた時期から丸くなったねと言われる転換期を
HLABの自己分析で振り返ったところ、
自分ができていることを全てさらに上回った人々に会ったときに、
この人たちには敵わないから、自分らしく自分のペースでいいんだと
感じたときが丸くなる転換期だった。

だから、僕は特に長所がないと考えているし、
短所も短所と思っていない。
周りの平均値の人間だと思っている。
自己を中心である平均として考えることで、
人と比較せずに、常識を当てはめず、
素直にやりたいことをやれる気がしている。

そんな中で、僕が尊敬する人たちに共通している事柄が見つかった。
僕はこれを目標とする事で、人間として成長できる気がしている。

・パートナーの存在がある
・歴史を知っている
・仲間が集まっている

これがなぜかは分からないが、ほとんどの人に共通していた。

僕は今、結婚したいと思えるほどのパートナーに出会えた。
彼女の存在は僕の中でかなり大きいものになっている。
出会ってからたくさんのことを考えれたし学べた。
彼女のおかげで自分にかけていることを見つけられた。
今無くてはならない存在だ。
なにより2人の時間は本当に楽しい。

そして、後期からはゼミが決まる。
一年学生生活を伸ばしたので、残り1年半大学生として学びを続ける。
希望として都市史のゼミに入り、京都を中心として都市の歴史から今への学びに消化していきたい。
それが歴史を知る足掛かりにもなればいいと考えている。

問題は仲間だ。
様々な要素が組み合わさらないと仲間として一緒にできない。
時には妥協も必要だろう。
僕はこれまでのように自分が進むことで、
一緒にやってみたいと思える人が来てくれたり、
声をかけたい人が現れたりするようにしたい。
それほどの人望があればいいのだが。

22歳、これから

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このコロナ禍の時期に、
飲食店を開きたいと思う人は少なくなっただろう。
廃業に追い込まれる店の多くが飲食店とも聞く。

でも、僕はこの時間を楽しめている

パートナーと将来について語り合う時間や
学生マンションの小さいキッチンで料理をする時間、
友達や知り合いとキャリアについて情報共有する時間、
今後しないといけないことを考えている時間は
生きてるなって感じている。

建築家や町長は求められたときになる可能性もあるが、
今、10ヶ月ほど悩んだキャリアが
やっと自分の中ですっとくる道を探せたことで、
この道を歩むのが楽しくて仕方がない。
まだ、その時期は来なさそうだ。

経営や生活のお金のこと、
料理の技術のこと、
他にも知らないことが多すぎて
なかなかに大変な毎日だが、
なんとかなるとやりたいことに真っ直ぐに進めていることは、
海部一族の末裔、登生としての人生を最大限生きているのではないか。

大学を卒業したら、
おそらくフリーターのように一時期はなるかもしれないが、
自分が描く道の選択を正しくしていくつもりだ。
助けを求めることも多く、応援が必要な時もあるが、
海部登生という人間になるため、
周りの力も借りながら進みたい。

最初に話していた他の人から見て”面白い”人に今自分がなっているかはわからないが、
僕は、たくさんの人から”会いたい”と思ってもらえる人になりたい。
面白いかどうかではなく、
どれだけ魅力があって、話してみたいと思ってもらえるか。
それが”会いたい”人であり、僕がなりたい像である。
海部登生という一人の人間として、会いたいと思ってもらえる人間を
目標に成長を続けていく。

以上、誕生日をきっかけにした
周辺の人たちに向けた
海部登生の情報アップデートでした。
読んでくれた方々、ありがとうございました。

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