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観劇 スリーピルバーグス『旅と渓谷』

はじめに

5/16(月)19:20開演

もう水曜日か〜ってなってようやく感想を書き始めます

永福町の駅に着いて
既に開場時間だったので足早に向かったのですが
めっちゃ近いじゃん!駅直結で!というのが最初の感想

屋上庭園というだけあって眺めも良く緑のある素敵な場所

雨の匂いとぬかるみとジトッとした空気と水溜りの反射を受けている世界とが相まって冷たいのに包まれてるみたいな
雨上がりの夜が大好きな人間からすると最高のシチュエーション

白い椅子に座ると目の前にあるステージと公園の狭間みたいなそんな素敵な景色を眺めてワクワクが止まらなくなっていた

そういえば(本編の関係ないけれど)
前に座っていらっしゃったお姉さん、上着を着ていなくて寒くないのだろうか......いや、まあ人それぞれだし、でも、寒くはないのだろうか......って無駄な心配をしていた
後ろ姿しか見ていないけど綺麗なお姉さん目の前で泥飛んだけど大丈夫だろうかとかも帰りに思ったりした

本当に泥が飛んでいて
こんなこと経験したことない!
わーー生きてる!
私は今生きてこの芝居に包まれているのだって感覚
めちゃくちゃあったな


ここまで書いて気付くことがある
55分の舞台だから、そんなに長い感想は書かないだろうと思っていたのに
この調子で行くととても長い気がする

そもそも観劇後も
本当に55分だったのかな?
時空が歪んでて本当は3時間だったのではないかな?
とか思っていた

それくらい多くのものが詰まった
不思議な場所と時間だった

感想

全体の感想としては“劇場空間”は役者が1人でも呼吸すれば生まれるんだなって思ったというのが1番大きい
劇場内にいる時のような反響残響が少ない分ダイレクトに生きてる言葉が届いてる!って感覚が強いし
カセットテープの音は役者さんの身体の向きによって聞こえ方も変わる
何より環境に左右されるからナマモノである演劇を味わい尽くしている感じがとてつもない

足元の照明もその他の小道具も
全て演者の方が頑張っていて
ただただそのアナログさが愛おしい

【前説】

から始まった舞台

後ろから福原さんが指示を出して
センターに照明の位置をズラしている時
今まさに創り上げています!って感じがしていた

野外は初めてかと聞かれて迷わず手を挙げたけど
そういえば高校生の時
文化祭の屋外で色々なステージを観たな
私も音響やったりしてたけど
雨絶対降るなよ....って思っていたからか3年間雨は降らなかった
多分雨天だったら中止になっていたと思う屋根なかったしって思うと雨天決行なこの舞台は凄いよ、

私が佐藤さんを始めて見たのは「サボさん」なんだよな〜他の舞台で拝見するまで知らなかったことだけど
そうか〜サボさんなのか〜なんて思っていた

この舞台は“リュック1つで”って話始めた時
自分が抱えているリュックを強く抱きしめた
凄く見たい夢が詰まっていた
この環境が好きすぎて既にワクワクしていたし
浮きだっていた気持ちをぎゅっと抱きしめたくなった

【それぞれの出会い】

と言いながら第一章が始まって
柵の向こうの景色をカメラに収めようとする三土さんの姿
雨上がりのほんの少しいつもより霞んで見える街の灯りに視線を向けていると
本当に野外でやっているのだなって
きっと毎日見える“綺麗な景色”は変わるのだなって思えて良かった

お金が絡む世知辛い世の中な感じを観て
後ろに立っている福原さんの存在が消えきっていないので、思わず微笑んでしまった

【名残門?】

既に渓谷の旅に心は乗っているのだが
ここで一気に掴まれる
入った時からなんか「門」があるな〜
でも他にも気になるものあるしな〜
とか思っていたので早々に回収されて
それがまたとてつもなく良くて

既に人は居なくなった街
何もないところでは、想い続けていられないからと残された門

お墓のような
遺影のような
どうしてもそこに気持ちをぶつけたい人と
ぶつけられる対象があって
その境に立った門の存在が
ああ、なんて良い例えだろう
そう思うことしか出来なかった

そしてこれはタヌキにも繋がっている気がする

【5ヶ月の街】

これまでの台詞にも“2ヶ月の街”というのがあったので
1ヶ月ごとに街があるのかな?なんて思っていた

街の人がいて、公約に良くも悪くも縛られた人と
立候補者が出てくると
ここで一気に話が動く

ガリーバー旅行記のガリバー抜きだと思って観ていたら
“銀河鉄道の夜”が始まっていた

列車のようにプラレールの上を登っていく時には思わなかったけど
ポケットから1人だけ皆んなとは違う
“緑色”の切符が出てきて

あ.......これは銀河鉄道の夜だ

と思い始める
「大した人だったんだな」
みたいな台詞があって
これがまさに宮沢賢治だし
てことは、
敬三さんジョバンニなんだ
プライベートでは仲間はずれにされていた姿も母のために働き学校でいじめられるジョバンニに重なっていく

宮沢賢治好きな人がいて
(彼女は『よだかの星』が愛読書だと言っているけど)
銀河鉄道の夜の話をした時
長々と感想や考察を語る私の話を聞き終えてから
「ジョバンニはさ、生きるんだよ」
と、一言っていたのを思い出していた

そうだね
これは生きる物語でもあるね

彼女の言葉が私にとってのこの作品をより深いところまで突き刺してくれた

【タヌキのところ】

これ章題なんだったっけな(後日確認する)

“外側だけでもいい中身は僕達で詰める”
と剥製を運ぼうとする姿は健気だっただろうか?
本当のお父さんかどうかも見極められないのに外側だけでも持っていようとする
自分達の側に置いておこうとする

形見とか遺影とかに近いものなのかもしれない
これがどこか門の話に近いなと

「生きてるマウント」
「リビングハラスメント」

この言葉が出てくるの
頭抱えちゃう
良すぎる......これから口癖になったらどうしよう

“悲しい”と“寂しい”

この話を始める瞬間に電車の音が聞こえて
うわーーやばいめっちゃ良い効果音!となっていた

寂しがれと言われた時
そうなんだよな.......悲しいんじゃない寂しいんだってのが
響きすぎて
死に対する考え方

“どういう風に死んでいるか”

あーーーここから情緒がもうダメだった

“死”に対して
曽祖母が亡くなったあたりからだから10年くらいかな
呆然と考える日がある

流行っていたあの本とか哲学書なんかも読んでみたけど
こういうものを待っていたんだなって全身で悟ってしまって
私、こういう話を誰かとしたかった
本じゃなくて活字じゃなくて
目の前に見ている光景は虚構だったとしても、役者という唯一の現実が語る言葉がこちらに語りかけてくれた
向き合って話したかった
それが叶ったことでどうしようもなくなく幸せだった

【漁師になりたい男(?)】


“ララライ”
で隠しきれない歌を歌う敬三さんの場面があることで
手に持っている缶はサッポロ黒ラベルだな〜
札幌公演するから?とか考えられるくらい緩やかな気持ちになっていた

「良いな〜自由そうで」
というポーターに
「そう見えるだけですよ」
と答える漁師

見えるものが全てではない
そう思っていても他人のことを羨んで
自分が良いようにジャッジする
それは羨む時に限らないけど
人間だな

”生きる“って当たり前に思っていることだけど息をして肺を動かして〜って必要なことが多いな
色々思いを巡らせている時だった

え..........
宣伝のためにワンシーン読んでいたあの台詞たち、ここで出てくるんだ.......上裸でオウム乗せている佐藤さんと、漁師になりたい三土さんの台詞だなんて
ある意味絶対想像できないシーンで良かった

“あんぐりとして眠れない夜の徘徊の最中”
私は眠るのが苦手で
なぜ起きる時はアラームがあるのに眠る時にはないのだろうとか考えてしまうくらい眠れないことがある
その中でも、呆然と眠れない日は夜を徘徊するな〜と思い出しながら

自分自身も苦しみを語らないように
”お前と同じような人もお前には何も語らない“
って言葉が突き刺さる

今こうやって
目の前に広がっている世界と
そこにいる役者という肉体から発せられる言葉に救われて
「誰かの1LDK」を抱きしめる

【はじまりの街】

山賊・海賊・浜族(ヒン族)
そうか海浜のヒンなのか〜とまたまた緩やかな気持ちに戻る

ここだけじゃないのだけど多分私が理解できていないネタがあるので、終演後調べまして、私より一回りくらい年上の方々だとかなり世代な小ネタだったのだな〜と思うなどした
分からずとも十分に面白いのだけど
分からないことで分かることもあるし
ただ、もう少し自分に知識があったらな〜と思う

十月十日という言葉を聞いて
確信に変わってはいたが
実際に漕ぎ出だしたのに辿り着けなかった
ハリメのことを思うと全てが走馬灯のようで
その伏線が美しすぎて
苦しかった

【名残門】で感じたあの墓は水子供養の意もあったのかもしれない
小さい頃、観劇の帰りだったと思うのだが東京タワーの近くで小さなお地蔵さんたちが沢山並んでいるのを見た
母にどうしてこんなに沢山並んでいるのかと尋ねた時、凄く寂しそうな顔をして「どこかにいる私の兄か姉」の話をしてくれた

名前も決まっていない性別も分からない
だけど確かに私より先に母の中で旅をはじめた誰かがいたんだな
あの時以降、この話をすることがなかったのだけど
思い出したと言うよりは
その思い出に触れたような感じがした


【5ヶ月の街】は十月十日の中間というだけではなく
人口中絶が出来る22週目までの境を意味しているようにも思えたし

【タヌキ】があることで
全ての生き物の話でもあるのかもしれないと感じた
同時に「リビングハラスメント」「生きてるマウント」
がリフレインし始め【漁師になりたい男】に繋がってくる

“息が苦しくなるほどの幸”
とツイートしていたが
本当のその通りだったのだ

もうこの最終章を観ていると
あ〜マジで雨の中やりたかったんだろうな
って思えてきて
私も雨の中観てみたい!って思った

でも今は
綺麗な空の下でもこの幸せを抱きしめたく思う

次に観た時はタヌキを引きずりすぎないようにする(宣言)

【終演後】


終演後いそいそ次の支度をする出演者の方々を横目に帰りは“あちら”からですと言われた方へ足だけを進める
入口を背にして向こうには上流からこの渓谷へやってくる旅人たちが列を作っているのだなと思うと
この空間は本当に渓谷で
私は今十月十日の旅を経て下流に辿り着いた旅人だ
階段を降りる時視線の先には現実が見えるのだが緑の切符を握りしめ
海へと漕ぎ出した

パンフを読み
もしかするとこの旅で産み落とされるのが
登場人物たちなのかななんて思いながら

演劇を全身で感じた後の
“劇場と私が地続きだな”と思わされる感覚が大好きで
それをとても強く感じさせられた
非現実な架空の渓谷
だけどそれは私の人生にしっかり続いている


乗り換えの駅ホームベンチで座って
自分が思っているよりも深く刺さってるな.......これはとなり
チケットのページを開いた

好きすぎて繰り返し何度も観てしまうものもあるけれど
好きだからこそ1回観たらしばらくは沈んだままでいたいものがあって
後者の代表例がロボ庭
話は違うけど同じくらい1回目でズブズブに沈んでて浮き上がりたくないしか言えなくて
でも、今観ないと後悔する気もして
北海道期間は行けないので1番離れた日を選択することにした

終わりに


戯曲が欲しい
そう強く思ってしまいますが
活字で見てもそれはそれで素敵で響くと思う
だけどどうしたって
生身の人間から発せられることばには敵わない
それは私が読書は好きだけど
それだけでは手に入らないものを求めてしまうことで十二分に理解しているはずなのだけど
それでも、あの一言一句なぞって抱きしめておきたい気持ちはあるので
(だってYouTube見返して文字起こししたもん)
いつの日か

昨日、大学の課題をやりながら(哲学心理学系の講義)
やっぱりこういう難しさを物語に溶け込ませて魅せてくれる舞台が好きだなと思っていた
自分でも知識としても経験としても学びたいとは思っているけど
他人の解釈をここまで綺麗に得られるのは生の舞台だけなんだよな.....と

そして今、書きながら
やっぱりこれは絵本の読み聞かせのようだったなと思う
どこまでも広い野外という世界に
なによりも居心地の良い場所を見つけた

今、ふと時計を見て
そろそろ2回目の旅人も海に漕ぎ出したか〜と思って
とても幸せになりました

さて、
ようやく自分の感想がまとまったので
思う存分パブサをしていきたいと思います!!!
ブログとか書いている人がいたらいいな〜!
人の感想を読んでその人の瞳から見えたもののカケラを知ることでしか味わえないものがあるんですよ!!!
よし

1人でも多くの人があの渓谷を訪れて
緑の切符を得られますように

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