大津の事故に対する記者会見への批判から考える

まず、天国へ旅立った子供が未来にお母さんと会えますように。

被害に遭った方、ご家族に、少しでも早く安らぎがきますように。

保育所の先生方にも、笑顔が戻りますように。


事故後の記者会見について、ネット上で批判が渦巻いている。

「保育所は被害者側だ」
「マスコミはなんで園長を責めるんだ」
「保育所が記者会見を開く必要はないだろう」

本当に、その通り。
世論は強烈にマスコミを攻撃する。
こんな報道は求めていないと。何度同じようなことをすれば学ぶんだと。記者の前に人じゃないのかと。

でも、ネットに渦巻く批判を見ると、どうしても違和感を感じてしまう。

「マスコミは、本当に人が求めてないものを報道しているのか」

少し前に、梅田で飛び降り自殺があったとき、興味本位でスマホカメラを向ける人が大勢出て、ニュースになった。

カメラを向けた人たちはマスコミじゃない。普通の市民だ。

その時も「異常だ」とたくさんの批判が出た。
私も異常だと思う。
でも、カメラを向ける市民はいる。

事件性はないけども。
例えば芸能人同士の恋愛が取り沙汰されると
「大人同士だからそっとしておいて」
とコメントが付く。
でも、その当人は見出しでそれとわかってもニュースを開き、コメントはつける。そっとはしていない。

サッカーのW杯の前、日本代表やサッカー協会は強烈に批判された。
誰も選手や協会から傷つけられたり、攻撃されたりしていない。
でも、数々のゴシップ記事に乗り、その人の人格まで否定するような言葉も多くあった。

身近なところに目を向ければ、仕事が遅いだけで職場の人が集まって陰口の対象にしてしまうことも珍しくない。

こういうのは、本当にたくさん、たくさんある。

話しを戻す。
本当に、あの記者会見は「誰も」望んでないのだろうか。

他人の恋愛事情をそっとしておけといいつつ自分だけはとコメントしてしまったり、スポーツをしているだけの人を本当に傷つけるほど攻撃したり、仕事の能力で人そのものを中傷したり。

自分たちの、何気ない毎日のそういう行為を、マスコミは「売れる動機」として捉えているんじゃないかな、と思ってしまう。

だからマスコミは正しい、ということじゃない。

本当に今回の記者会見みたいなものを無くしていきたいのであれば、批判と同時に、自分こそが小さな同じことをしないことが大事なんじゃないかな。

マスコミ批判が増えれば増えるほど、そう感じてしまう。

マスコミの人にも家族がいる。
良い親かもしれないし、良い夫や妻、良い子供かもしれない。
個人として良いところは必ずあるし、日々大切な人生を送っていると思う。

人は良いところも悪いところも必ず同時に内包しているし、良い事も悪いことも必ずする。

私は、今回の記者会見は悪いものだと思った。あんなのは最低だ。
批判されて然るべきだ。

でも、記者にも人として良いところがあるはずという理解は忘れないし、自分に悪い所があるということも忘れない。

他人だけを否定していてはいけない。

社会は自分たちがつくっている。自分の悪い所に目を瞑れば、それは必ずどこかで「社会」になって現れる。

仕事でも、教育でも、交友でも、なんでも、これは同じ。

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