ディベート力の過度な磨き:弁護士以外では危険か?
最近、何かで「ディベート部に入って、ディベート力を高めたい。将来は弁護士になりたいんです」という言葉を耳にしました。それは非常に素晴らしい目標だと感じましたが、一瞬「ディベート部の果ては弁護士か詐欺師か?」という思いも頭をよぎりました。そもそも、ディベート力とは何でしょうか。調査によれば、それは議論し説得する力とされています。言い換えれば、相手の意見や感情を理解しながら、自分の立場や考えを的確に伝える力です。実は、この力は私たち日常の中で数多くの場面で求められています。
ディベートの技術や能力は、一見して極めて価値のあるものと感じられます。議論や説得力を身につけることで、多くの場面で自らの意見や考えを相手に伝えることが容易になります。しかし、このディベート力を過度に高めることには一定のリスクが伴うと言わざるを得ません。
何といっても、ディベート力を極限まで高めると、自分の意見や考えを強引に押し通すための「武器」になり得るのです。日常のコミュニケーションでは、相手の意見や感情を尊重し、共感することが求められる場面も多くあります。ディベート力が過度に高まると、これらの場面での共感や相手の尊重がおろそかになりがちです。
また、ディベートの技術を持つ人が常に「勝つ」ためだけのコミュニケーションを取るようになると、人間関係の中でのトラブルや対立が増える可能性があります。人々は、議論の中で常に負けてしまう感覚になり、その人との関わりを避けるようになるかもしれません。
弁護士のように、職業として議論の技術や説得力を必要とする場合は別として、日常生活においてディベート力を過度に高めることは、意外と危険だと考えられます。バランスを保つこと、そして相手の意見や感情を尊重する姿勢を忘れないことが、真のコミュニケーションのための鍵となるでしょう。
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