コロナ罹患第一次報告

筆者スペック
23区在住:23歳大学院生 父母と三人暮らし
はじめに
 流行病に罹ったので報告がてら、発熱から自宅療養解禁までの流れに関して記述していきたいと思います。本稿はあくまで「コロナ感染の1ケース」としてインターネット上に放流するために書かれたもので症状・重症化度合いについては明白な個人差があることをご了承願います。また、本稿を参考にされる方は、できるだけ関係機関と緊密な連絡を取り、決してこの文章のみを参考とされることのないよう願います。



1.時間的記録
1-1記録の再構成について

 本稿は携帯の記録・LINE記録・手元の手記を元に、記録の再構成を試みる。そもそも本人が熱や諸症状に悩まされていた5月3日―6日の記憶は極めて不安定かつ薄弱なものであり、この点において記憶の再構成はこれら手元の各種資料に頼らざるを得ない。可能な限り時間的正確性を求めた記述をするつもりではある。多数の漏れ等があるが、一次報告ということでご容赦願いたい次第である。

1-2推測される感染ルートと初期感染拡大

 最初の感染者である母の推定感染エリアは2021年4月26日前後、西東京エリアの公共交通機関、或いはその複合施設、耳鼻科と目される。基本的に大規模な旅行も、会食も直近1周間は完全自粛状態だったので可能性があるとすればこの辺りにしか心当たりはないというのが家で出た結論である。母は30日から38度から37度の熱を出し、かかりつけの医者と相談してインフルの可能性を考慮して抗生物質の服用などを開始した。私(筆者)はその際、買い出しや熱冷まシート交換などで接触、以後もマスク着用などをせずに介抱を続けたため、5月2日夜に悪寒を感じ、3日早朝の6時37分ごろ検温したところ38-39度で発熱した 。3日中に母にはかかりつけ医から検査に行ったほうがよいという指示が出ていたが、本人や家族は軽視の念があったように感じており、実際3日に発熱外来に行くことはなかった。私も3日においては発熱によってマトモな思考が出来る状態になく、食事も菓子パンを粉末スポーツドリンクで流し込んでようやく済ませる程だった(そのため記憶・記録も薄弱)。5月8日に研究会発表を控えている状態だったため3日深夜から4日早朝にかけてレジュメ作成を行ったが、多大な疲労に悩まされた。4日4時40分ごろ就寝 。

1-3検査と母親緊急搬送

  早朝。38度台の熱が出ているため、母親と相談して8時40分頃保健所に連絡した 。近場の発熱外来の情報を貰い、9時40分頃タクシーで移動、10時の診察を外で待つことになった。事態の緊急性が明白になったのは10時ごろの事で、診察を待っていた母親が目を見開きガクガクと震え始めていた。外来に駆け込んで外に椅子を用意してもらい、ようやく安静となった。10時20分頃までにPCRの検体採取とインフルの検査を実行し、インフル陰性。担当医からは、肺炎の可能性があり、これ以上悪化するようであれば救急を呼んだほうがよいという意見を頂いた。時局はGWであり、各種窓口やCTのある保健所に直ちに通る状態ではない事を話され、極めて不安な状況に置かれたことを覚えている。その後タクシーにて帰宅、パルスオキシメーターで母の血中酸素濃度(以後SpO2と表記)を計測したところ94-93の数値を記録した。状況が切迫したため11時36分頃 緊急通報を行った。救急隊が到着し 、容態などをひとしきり聞いたのち受け入れ可能な病院を電話で探し始めた。このとき私も検温し、およそ38度だったことを記憶している。12時20分頃 4件目(と記憶している)にて受け入れ先が決定、母親は搬送されていった。この時の私の症状としては鼻詰まり、微熱などがあった。

1-4自宅療養の開始と嗅覚失調

 13時頃に小さなクロワッサン2つ程度をスポドリで流し込み、18時頃まで病院や関係者と連絡をとっていた。入院した母親からはLINEで連絡があったが 、医師からは肺炎で片方に影ができていることを知らされる。18時ごろの私の体温は36.8度。SpO2は97-95。20時頃晩飯。小クロワッサンと冷蔵庫にあったパスタを食べるなどしたが、食欲が全体的に減退しており、小皿にいっぱい程度でギブアップ。この頃から強い胃もたれというか、胃の荒れを感じるようになった。解熱剤(カロナール)を服用して21時にシャワーを浴びる。23時47分頃 37.2度を記録。精神状態と身体の状態が共に極めて悪く、翌5日5時頃まで寝たり起きたりを繰り返す。8時まで就寝。早朝の体温は36.7度。SpO2は98-95。13時頃 保健所と発熱外来から電話があり、陽性者として正式に認定されたことを知る。母のこともあり、緊密な連絡を取る目的で自宅療養を選択した。14時頃大学院当局に連絡するも繋がらず、やむを得ず問い合わせフォームにて連絡した。以後17時まで睡眠。喉の乾きと不調をきたし、毎晩一本2Lスポドリを消費する状態となる。5日9時頃いつも出入りしているDiscordの通話部屋に顔を出す。その程度の元気はこの頃から出始めた。6日2時頃、体温が37度に上昇。さかのぼって0時のSpO2は98-96だった。4時20分頃 鼻詰まりを覚えて鼻をかんでいたところ部屋の匂いが消えていることに気がつく。7時頃母から連絡があり、経過は順調との報告が入る。安心して再度就寝。
 咳が本格化し、コホコホからゼッコゼッコという空咳へと変化した。同じく療養中の父と会話するなどはしているが、向こうも容態が思わしくない様子だった。

1-5自宅療養の継続と隔離オンライン報告会参加、日常への復帰?

 9時頃事務室に連絡。TAを努めている部署にも連絡した。余っていた米でお茶漬けを作って食べ、再度睡眠。17時41分頃 、保健所から荷物が届いていることに気づき、中身を確認する。早速中に入っていたウィダーインゼリーを喫食。19時58分頃、一旦起きて体温を測る。37.2度。SpO2は98-97。以降99-98がデフォルトとなる。この晩は37度台の熱を出し、ダルさと息苦しさと痰で苦しい状況 となる。翌7日、3時頃37.6度を記録。16時頃起きてきて報告のレジュメを修正。2時間程度の作業だったが疲れで就寝。8日朝、報告会の主催の方に連絡し、発表可能である旨を伝える。11時まで就寝し、13時30から報告を30分行う。最初は問題なかったが、20分超えた辺りから喉の奥で痰が絡み、終えることにはガラガラ声が更にガラガラになるなどした。1500閉会の短い報告会だったので以後21時まで就寝。21時から読書会に参加。発言を控えるなどして喉をセーブする。9日 早朝の3時ごろも37度を出すなど。基本的にベッドで睡眠するかスマホを弄るかといった体勢に終止した。10日と11日は授業に出席するなどした。10日以降、体温も平熱へと戻り、食欲も回復した。問題は腹の調子で、9日以来食欲は戻ったものの、食事中に便意を感じることが増えた。排泄物は明らかに液体状で、嗅覚がやられている分非常に気分を害する症状だった。父の容態は思わしくなく、保健所との連絡ではこのままでは入院の可能性があるという。一方で母からは退院の期日が提示され、入れ替わりの形で父母が入退院することとなった。

1-6小括 

 この文章を書いている5月13日14時16分の段階では嗅覚は完全に回復していない。空咳も後遺症として残っている。また疲労や疲れによる倦怠感と言うかダルさも少し残って入るものの、日常の業務を遂行できない程ではないように感じる。
  見てきたように、私自身の新型コロナ罹患は、それほど重いものではない。しかしながら、体に残る後遺症や、家族・周辺へと及ぼすダメージが多大なコストとなり、体感的にはインフルエンザよりも遥かに重い病気となった。また、緊急搬送と病院療養が両親の命を救いつつあることは疑いようがなく、医療体制の充実と行政の安定に大きく助けられたと言えるだろう。

(追記)

17日に検査で父親からイギリス株罹患が確認され、我が家は全員イギリス株罹患者である可能性が提示された。

また咳に関しては15日以降急速に改善した。嗅覚は失調した感覚の回復に努めている。

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