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蟻塚亮二先生の『沖縄戦と心の傷』講演会に参加して

『沖縄戦と心の傷』

〜沖縄戦から76年 トラウマ診療の現場から〜
蟻塚亮二先生
(沖縄戦を考える練馬の集い実行委員会)
7/10に練馬区勤労福祉会館で受講して来ました。

これまで私はどれだけ沖縄戦について知っていただろうか?

受講前に予習として同タイトルの蟻塚先生の本は読んだが、とりあえず知識を脳内にインプットするのに精一杯で、こんなに悲惨な戦争だったのかと思ったもののそれほど気持ちの揺れはなかった、と、思う。

が、当日蟻塚先生のお話を聞き、挨拶をしてから帰途につき、家に帰る過程でジワジワと重たい感情が心に染みて来て、1人になった時にはもうぐったりと疲れていた。
受け止めたものが重たすぎて、しばらくこのことから離れて趣味や火事に没頭したりパズルゲームにハマっていたりと逃避していた。

戦争や震災が原因のトラウマを治すと言うのはなんて重たい仕事なのだろう。
トラウマという病が発症するには必ず悪意や過ちに塗れた加害者がいる。しかも戦争や震災は個人ではなくて社会の病理や歪んだ政治だ。
トラウマを治すには決してその加害者の味方をしてはならない。むしろ患者の身になって考え、あなたが悪いのではないんだよと温かく包んであげなければならない。
中立ということもあり得ない。なぜなら中立とは見て見ぬふりをして実は加害者側に立つことになるからだ。よくあるいじめの構造から見ても明らかだろう。

また、鬱や不眠を主症状としてクリニックに訪れる患者は、戦争批判や戦争被害を世に訴えようという気持ちなどまるでないのだから、その戦争の記憶は本当にそのままその通りなのだろう。とても貴重な体験談だ。

患者さんから直に聞いたなんとも無残な話を蟻塚先生が訥々と不器用そうに語る。それが気づかずに心にずしっと重たく入っていた。



特に私が知らなくて驚いたこと。

1945年2月、近衛首相が「そろそろ戦争をやめませんか」と天皇に話を持ちかけたところ、「いや、まだまだ」と天皇はそれを退けたという。(近衛上奏文)
天皇の戦争責任については周りでも不思議と議論されていなかったし、私自身も心のどこかでハテナを感じることはあっても、今まで真剣に考えたことがなかったので、これからもっと知りたいと思う。

沖縄戦は3ヶ月の長さに及ぶ地上戦で、びっくりするくらい沢山の民間人が老若男女無差別に巻き込まれ心に体に怪我を負わされまた殺された。しかもなんと、日本兵にまで殺されたという。何の理由もなくただ殺されただけ。差別的な犬死。捨て石…。
酷い。本当に、酷い。

トラウマは天災でも起こるが、人災で起こったトラウマの方が症状が重く治りにくい。
というのは、単純に死ぬような恐怖を体験しただけではなく、どうして?まさかそんな、というような、人に裏切られるような不条理、自分の今までの人間に対する信頼感や価値観がひっくり返るような、自分という存在の尊厳が踏み躙られ破壊されるような、そんな感情が恐怖とともに悲鳴を上げるからだ。


不眠や鬱などの原因がトラウマなのではと蟻塚先生が過去の話を聞いても、信じてもらえない、そんなふうに思うのは自分だけだ、頭がおかしいと思われるなどの気持ちを抱いてなかなか話せない人はたくさんいる。

先ず受け止めること。生き残ったことについて尊敬して、失礼なことをこちらからズケズケと聞かない。
治療者はこういう心配りができないといけない。


沖縄戦の被害者にしても福島の原発事故の被害者にしても、こんなに酷い目に遭わせておきながら、加害者はちゃんと謝って反省をし、2度と同じ過ちは犯さないと誓ってくれただろうか。
そうしてくれさえすれば被害者のトラウマも心のわだかまりも、随分スッキリするだろうに。
こうやってトラウマ治療はどうしても政治的なニュアンスを必要なものとして含んで行くものとなる。


今までだって、日本は、戦中に占領した中国、朝鮮、台湾、フィリピン、インドネシアなどアジア近隣諸国にきちんとした謝罪はしていたのだろうか。


人も国も同じで、どんなにつらくても悲しくても恥ずかしくても、間違いを犯したらそれを誤魔化さず、しっかり認め受け止めて、きちんと謝らなければならない。そうしないとまた同じ過ちを繰り返す。


最近、南京大虐殺はなかったとか、日本軍は優しかったとか、韓国の従軍慰安婦に逆ギレしたり、そんな人たちがいるのを見るとこの先が不安になって来る。

天皇制については、もし今の天皇が反省して戦争に反対しているとしても、天皇を都合よく祭り上げて戦争を始めようとする人も大いに出て来そうで本当に怖い。

今、日本にはお金もなく家族や友達もなく、孤独で自信がない人が増えている。そういう時にカルト宗教や独裁政治は「大丈夫、あなたは特別な神の子ですから」みたいな甘い文句を掲げて勢力を増す。

天皇はいてもいいけど、日本の象徴として天皇を拝すのはどうなのか、最近になって色々考えてみると甚だ疑問に思えて来た。
伝統あるお寺は日本にたくさんあるし、伝統ある天皇や神社もそれと同じでいいんじゃないか?というのが今の私の考え。これはこれから色々変わって行きそう。

話がちょっと逸れたけど、今とても気になることだから。


トラウマが心の奥にあると、それを見たくない(フラッシュバックを避けたくて)人も多い。見たくないので後ろを振り返らず、前ばかり見て一心不乱に突き進む。
ずっとそのままいられればそれもいいのかもしれないけど、いつか歳をとって前に進むことをやめた時、ふとした何にもない時間に過去のトラウマが蘇って来るかもしれない。

もしかしたら、日本の戦後の経済成長も、原爆や空襲で被害に遭ったことだけでなくと自分たちが傷を負わせた相手にきちんと向き合うことを恐れ、前ばかり向いて突っ走った結果の高度経済成長だったのかも知れないなと思ったり。
きちんと向き合い、解決してこなかった問題が、これからふとしたきっかけで吹き出して傷口がまた広がり疼くことも考えられるかも。
気をつけなければ。

沖縄線、第二次世界大戦からもう76年。貴重な戦争を体験した世代も高齢化して、もう生の体験談を聞く機会はどんどんなくなって行くばかりだ。
これから戦争の恐ろしさを若い世代にどう伝えて行くかは大きな課題だし、私たち大人の責任でもあると思う。
やはり体験談は重たく心に響く。最近の若い子はそういう時「証拠は?エビデンスは?」などと言ってくるが、むしろその際大切なのは、人を思いやる力、共感力、想像力、知恵、そんなものなんじゃないのかなと思う。
そういうものが子供の心に育つような子育てを社会全体がしてきたか。経済的な成功や見栄、言う事を聞くよいこ、そんな事ばかり目指して子供を育てていたとしたらそろそろそのツケが回って来るような気がしてならない。


実はこの日、会場に向かう大泉学園の駅前を勤労福祉会館を探して歩いていた時、すぐ目の前にスマホを片手に道に迷っている様子の蟻塚先生の後ろ姿があった。
初対面でもあるし人違いだったらいけないと思いつつ、思い切って声をかけるとはたしてその人で、ちょうどやって来たお巡りさんに道を聞いて、短い間だけれど会場までの道のりをご一緒させていただいた。

沖縄や福島、色んな場所で色んな人を癒してきた腕に触らせてもらった。
夏の花の名前を気にしたり、軽い冗談(オジサンギャグ!)を言ったりいして笑いながら歩いた。
思った通りの飾らない、なんとなく可愛らしい正直な方だった。

悲しいことを知っている人ほどよく笑うと言うけれど、その通りだなと思った。
ほんとうに、そのうち、いつか機会があったら、友達も一緒に、インドネシア料理でも食べたいなと思います!

蟻塚先生ありがとうございました。

注)子どもの頃歴史の授業をサボっていたので、資料の中の文章から「捨石」の意味を理解することができません、という内容を質問票に書いて提出したのは私です😅

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