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地域を繋ぐ『和』の音色 vol.1

今回取材したのは、東郷地区で毘沙門太鼓を教えている、岩佐良雄さん、高嶋義和さんです。

毘沙門太鼓は幼稚園の年長さんから中学生までが所属し、東郷地区を中心にお祭りなどのイベントや老人ホームなどの施設で太鼓演奏を披露しています。毎週土曜日に上毘沙門町の公民館で練習を行っています。

毘沙門太鼓の成り立ちや、今までの活動、今の活動、お二人が毘沙門太鼓を続けてきた上で大切にしてきたことなど、色々なことをお聞きしました。

──お二人は毘沙門太鼓をいつから教えてらっしゃるのですか?

 平成6年なので、30年くらい前ですね。大体おつくね祭が始まった時期と同じくらいです。

平成3年に始まった上毘沙門町の町内の秋祭りがきっかけでした。

今まで上毘沙門町でみんなが集まるときは、草むしりをして、のぼりを立てて、それで終わりだったんですけど、
平成3年から町内みんなで話し合って、 ちょっとした祭りにしようということで、屋台を出したりとか神輿を担いで町内を回ったりし始めました。

それを1年やって、次の2年目(平成4年)に毘沙門太鼓が始まるんです。
というのも、神輿だけじゃ寂しいってみんな言いましてね(笑)
それで、太鼓でも賑やかに鳴らしたらしたらどうや、となったのがきっかけなんです。

(左)岩佐良雄さん (右)高嶋義和さん

初めは大人がやってみようといった感じで、大体20人くらいですかね。
私たちも未経験で素人な訳ですから、同じ東郷地区の福田町に『福龍太鼓』というのがあってそこに教えてもらっていたんですけど、大人ばっかりでやったもんだから覚えが悪いのなんの(笑)みんなでがむしゃらに練習しましてね。

──『毘沙門太鼓』という名前はどう名付けられたんですか?

名前もかっこいいですし、将来は上中下の毘沙門町を全部巻き込もうという意味も込めて『毘沙門太鼓』という名前にしたんです。

──太鼓は最初どうやって準備したんですか?

もちろん、最初は今もっているようないい太鼓なんて買えるわけないですから、最初は太鼓を手作りで作ったんです。
紙管と言って、紙の固い、あの鉄板が巻いてある、太鼓くらいの大きさのものがあって。サランラップの芯みたいな感じですかね。
それをもらってきて、上から重量用梱包用のテープを貼って、周りには化粧場を貼って、あとは縁をたたいた時にカンカン、カンカンってなるように周りに金をつけて、作ったんです。

最初はそんな感じで、壮年会(上毘沙門の自治会の中の組織)のみんなで手作りで6台作ったんです。
その時は子供に教えるということはまだ考えてなかったんですね。
これをやるからには維持していかなきゃいけないから、大人から先にやっていこうと始めた感じです。

最初は町内のお祭りだけで太鼓を披露していたんですけど、東郷公民館主催で敬老の日に開催される『ふれあい祭り』に一度出てみないかと声を掛けられたんです。
この時には流石に、手作りの太鼓で出演する訳にはいかなかったので、東郷地区の福田町さんから太鼓を借りて、演奏したんです。それがきっかけで、口コミで『毘沙門が太鼓始めたぞ』って話が広がったみたいです。
その2年後に子供太鼓ができたんですけど、その子供太鼓がものすごく有名になってそのまますぐ広がったんです。

それからは外で演奏する時は子供達に任せて、大人達は引き下がって町内の祭りに出ようと。
そこから子供主体でいろんな祭りに出るようになったんです。
町内の秋祭りやおつくね祭、 あとは老人ホームとかからも声がかかって。1番大きかったのは、福井祭り(今のフェニックス祭り)ですね。

 やるからには 町内にいる子供たちは全員、小学校1年生になったら入ってもらうという感じでした。なので、その1番最初に入ってこられた初期メンバーの方は、今ではもう40代ですね。

──太鼓を買うお金はどうやって集めたのですか?

 最初は、保護者と指導者で、子供たちの飲み物とかお金を出し合ってたんですけど、それをとある上毘沙門町内の人が見ておられて、
 子供たちに教える立場なのに、自分達がお金を出して運営してるんではちょっと可哀そうじゃないかとその人が言って、 毘沙門太鼓の『保存会』を作っていただいたんですよ。
それで上毘沙門町の町内にいる方は全員、 その保存会に子供さんがいるいない関係なしに入っていただいたんです。

その時まではまだ手作りの太鼓でやってましたから、保存会からいただいたお金で本物の太鼓買おうかと。
この上毘沙門町公民館で会議してて、太鼓を買おうって話した時も誰も反対しなかったんです。全部で300万円くらいですね。

──300万円ですか!!?

太鼓で300万ってね、ほかの町内の方にはびっくりされましたし、私らもびっくりしましたね(笑)こんな買ってくれんぞって言われるんかと思ったら案外すんなりとみんな賛成してくれたので。

──毘沙門町は特別な色があるというか、運動会やおつくね祭を見ていると際立って町内の団結力があるなというイメージがあります。それは元々なのかそれとも培われてきたものなのですか?

それはよく言われますね。
昔から(毘沙門太鼓を始める前から)そういう団結力のある町内でしたね。あんまり反対して揉めるようなことはなかったから、そういう意味でみんな前向きですよね。

だから、毘沙門で太鼓が盛んになったのは、毘沙門の風土というか、そういうのがなんか元からあるということなのかもしれませんね。


(vol.2に続く)

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